第419話 実況が間に合わない

「やりますわね」


 アイリスはふわりとバックステップを踏み、右手の甲をさすっている。

 俺はというと、膝を衝きたい衝動を堪えるので必死だった。左腕は痺れてしばらくは使い物ならないだろう。


「流石だな……」


 今の一撃でわかった。

 アイリスのやつ、この二年で格段に強くなっている。俺の知っているアイリスとは、それこそ雲泥の差があるだろう。これ以上強くなってどうするつもりなのか。


「真っ向勝負は厳しいか」


「あら。そんなことはありませんわ。あなたの実力なら、正面からの打ち合いにも十分臨めます」


「リスクが高すぎるんだよなぁ」


 言いながら、俺はアイリスへと猛進する。

 十数歩の距離を一歩で詰め、右の貫手を繰り出す。

 言ってることとやってることがちぐはぐで、アイリスは戸惑うことだろう。


 そんなことはなかった。

 なんの躊躇いもなく、アイリスは俺のどてっ腹に前蹴りを叩き込む。

 カウンター気味に入った一撃は、致死的なダメージを俺に与えるかに思えた。


「それは読めてたぜ」


 直前でブレーキをかけていた俺は、その蹴りをガードすることに成功。それでもかなりの衝撃で全身に激痛が走ったが。

 この展開ならアイリスはきっとこうすると、分かっていた。ある意味で信頼の上に成り立った奇策だ。


 俺は地面を思いきり踏みつける。精密な力加減のコントロールによって、周囲に振動を伝えたのだ。

 その結果なにが起きるか。

 バラバラに砕け散ったリングの破片が、一斉に宙に浮き上がった。


「これは……」


 流石にアイリスも驚いたようだ。

 そりゃそうだろう。これはただ力が強いだけじゃできない芸当だ。類稀な技術が可能にした神業という感じ。


 だが、驚くのはまだ早い。

 俺はぱんと手を叩く。

 それによってもたらされた複雑な空気の振動が、浮いた破片に干渉して、まるで意思を持っているかのようにアイリスへと飛来する。

 大小さまざまの瓦礫の砲弾に意表を衝かれつつも、アイリスはその全てを叩き落とす。それどころか瓦礫をものともせず、距離を取った俺に迫ってきた。


「面白い技ですわ」


 俺の胸倉が掴まれる。


「けれど、見てくれだけですわね」


「どうかな」


 俺は後退。アイリスは前進。

 お互いの息が触れるほど密着しつつ高速で移動している。

 アイリスの右フックが俺の顎を狙う。その瞬間、背後から迫った瓦礫の砲弾がアイリスのお尻に直撃した。


「あっ……!」


 重たい衝撃。俺の拍手が生み出した空気の振動が、瓦礫を意のままに操ったのだ。

 俺にとってもぶっつけ本番の奇策だったが、上手くいってよかったぜ。

 ただ、こんなものじゃアイリスにダメージを与えることはできない。けど、少しでも注意をそらせたらいいのだ。


「おりゃ!」


 俺はアイリスに、渾身の巴投げを放った。

 ぐるぐると宙を回転し、遠心力を上げて放り投げる。

 空高く飛んでいくアイリス。

 俺の狙いはこれだった。アイリスを殴るわけにはいかない。

 これなら場外判定で勝ちになるだろう。そうに違いない。

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