第418話 その名はアイリス、再び

 決勝なんか待っていられない。

 リングの下にいた俺は半ば無意識のうちに跳躍し、リングに上っていた。


『な、なんと! Aブロックの決勝進出者ロートス選手が、ここでまさかの乱入だーッ!』


 実況の直後、闘技場はこれ以上ないというほどに盛り上がる。天を衝かんばかりの大歓声だ。


『このまま決勝が始まってしまうというのか―ッ! 今年は嘘のような事態の連続過ぎてついていけなーいっ!』


 大会のスタッフがぞろぞろとやってきて、気絶したマリリンおばさんを運び出していく。

 運営側としては、この展開を歓迎しているようだ。

 そりゃそうだよな。センセーショナルで話題性がある。エンターテイメントとしては最高の流れだろう。


 だがそんなことはどうでもいい。

 俺は、アイリスと対峙する。


「せっかちなんですね」


 柔らかい微笑みは相変わらずだ。

 だが、そこに親愛の情はない。かつて向けてくれた想いは、もうこもっていない。

 アイリスはワンピースの裾をちょいと持ち上げ、優雅に一礼する。


「はじめまして。わたくしはアイリスと申します。どうぞ、お手柔らかに」


 はじめまして、か。

 なんというか。

 分かっていたこととはいえ、思っていた以上に辛いな、これは。


「どうかされましたか?」


 俺のハンパない寂寥感を察したのか、アイリスは小首を傾げる。


「いや……なんでもない」


 落ち込んでなんかいられない。

 世界から忘れられるのは、とうに覚悟していたんだ。

 諦めるわけじゃないぜ。


 どうすればみんなの記憶を取り戻せるかわからない以上、手探りでやるしかないな。

 とにかく戦ってみよう。アイリスの心身に、揺さぶりをかけてみるんだ。


「ロートス・アルバレスだ。よろしく頼む」


 アイリスは微笑みで応える。


『うおぉーッ! 両者やる気だーっ! これは期待せざるを得ないッ! 天地を揺るがす大事件といえるでしょう!』


 歓声はさらに大きくなる。その中には『無職』への罵倒が多分に含まれており、結果的にアイリスへの応援が多くを占めていた。

 それでいい。俺なんかより、アイリスを応援してやってくれ。俺でもそうする。


『ドボール武道大会決勝ッ! 『無職』のくせに生意気だッ! ロートス・アルバレス選手ッ! バーサスッ! チャンピオンを一撃でのした謎の美少女アイリス選手ッ! レディ・ゴーッ!』


 勝手に始められてしまった。

 だが、ちょっとだけ興味はある。今の俺が、アイリス相手にどれだけ戦えるのか。

 アイリスは俺にとって、強さの象徴と言っても過言ではないからな。


「では」


 十数歩の距離。構えもなく、泰然と佇むアイリス。


「参りますわ」


 何の前触れもなく、俺はアイリスの間合いの中にいた。


「おっ――」


 飛来したのは拳。

 俺は神がかり的な反射神経を発揮し、その右ストレートに自分の左ストレートを合わせる。

 激突する拳と拳。


 その瞬間。衝撃の余波がリングに波及した。

 そして、頑丈な石造りのリングが、隅々まで粉々になって弾け飛ぶ。


『り、リングが……! えっ? なにこれ……こわ……』


 実況もドン引きの威力だ。

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