第401話 第三部・レディー・ゴー!
うすぼんやりとしているうちに高校を卒業し、なんとなく大学に進学したはいいものの、将来の目標も思い浮かばず漫然と日々を過ごしていることに何の危機感も抱かないのは、未来ある若者としていかがなものかと自省しなくもない今日この頃。サークルやら飲み会やら大学生ならではのイベントが連なってはいるものの、果たして心から笑えているかと聞かれれば言を左右にする次第である。
モラトリアム。人生の春。多くの同輩達が大学生活を満喫している中、俺は正体不明のえも言われぬ虚しさを覚えていた。
「ねぇ蓮。今日お昼どうする?」
昼の講義が終わっですぐ、隣に座る朱音がレジュメを片付けながら弾んだ声を出す。
「んあ。どこでもいいけど」
昨夜の夜更かしが原因で船を漕いでいた俺は、寝ぼけ眼で答えてから読んでもいないレジュメをいそいそと鞄にしまう。
「蓮っていっつもそれ。なんでもいいが一番困るんだよね」
「ンなこと言われても。いてっ」
強めに肩を叩かれると眠気がどこかへ飛んでいく。途端に空腹を思い出し、俺はうんと背伸びをして見せた。
「ガッツリしたもんが食いたいな」
「ガッツリ系ね。りょーかい」
朱音はニヒヒと笑い、俺の手を取って立ち上がる。
にぎやかな講義室を後にして、炎天下のキャンパスを進む。
いつも通り、どことなく嬉しそうに微笑んでいる朱音。
艶やかな黒髪は肩のあたりで切りそろえられており、色白な肌とあいまってとてつもない透明感と清潔感を纏っている。幼さと妖艶さを兼ね備えた顔立ちは、すれ違う男どもがこぞって振り返るほどだ。すらっとした体躯に落ちついた色合いの服を纏った彼女は、大学に入ってから急に大人っぽくなったように思う。ただ短いスカートを履いているのは、高校生の時と変わらない。
改めて、どうしてこんな美人が俺の恋人なのか、まったくもって理解に苦しむ。
俺の胡乱な目つきに気が付いたのだろう。朱音は柳眉を捻じ曲げて唇でへの字を描く。
「あ。まーた同じこと考えてるでしょ」
「心を読むなよ」
「伝わってくるものがあるの。もう」
指を絡ませた手を、ぎゅっとノックする朱音。
「こーんなに愛情表現してあげてるのに、まだ信じられないの?」
「自己評価が低いんだよ俺は」
「謙遜くらいに留めておきなさいって」
「つってもなー。どう見てもつり合わないだろ。俺とお前じゃ」
「そんなの見た目だけの話でしょ」
「見た目は大切だよ。冴えない俺は自信が持てないのさ」
「そんなこと言って、昨夜はあんなに激しかったじゃん」
「それとこれとは別次元なんだよ。自信がなくても溜まるものは溜まるんだ」
「そこに愛はないの?」
「……ある」
「ならよし」
朱音は白い歯を見せて笑う。
「蓮はさ。ちゃんとかっこいいよ。人の為に命を投げ出せる人なんだから」
「……あん時の一回こっきりだけどな。それに、結局助けられなかったし」
「それでも、正しいと思うことを行動に移せる人はそうそういないよ」
二年前のことだ。
俺は街でトラックに轢かれそうになった女の子を身を呈して助けようとしたことがある。轢かれずには済んだものの打ちどころか悪かったのか、残念ながらその女の子は帰らぬ人となってしまった。
その現場に偶然居合わせた朱音は、俺の行動にいたく感動し、惚れてしまったと、そういうことらしい。
後日、俺のクラスにとんでもない美少女が転入してきた時は学年中の騒ぎになったが、その日のうちに俺が朱音と付き合ったという事実は学年を超えて全校生徒を賑わした。
「人の本質ってね、とっさの行動に表れるんだと思う。だから、いつもダラダラしてる蓮の本性は、人の為に身体を張れるスーパーイケメンってことなんだよ」
「……お前だけだよ、そんなこと言ってくれるの」
「えー。そんなことないと思うけどなー」
思わず笑いが漏れる。
空虚な人生における唯一の花が朱音だ。こいつがいなかったら、俺はとっくに人生を放り出していたかもしれない。
絶望? 後悔? 未練?
なぜかは分からない。
俺の中には、そんな正体不明の闇のようなものが渦巻いているから。
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