第三十三幕 熱狂の中で

「さぁ、来なさい。」

ザラが底冷え声でそう言った。

今目の前に彼女の獲物は自分だ。


薄暗い休憩所は観衆の熱気と湿気に満たされている。

突然の空気の変り方に戸惑ってしまうほどだ。


「これは練習だけど、本気でやりなさい。」

彼女のナイフも自分のナイフもここの飽和した空気で曇ってしまった。


自分は覚悟を決めてナイフを構える。


「やれ!にいちゃん!」

自分を激励する野次が飛んでくる。


そして彼女に飛び込んでいった。

突き出した腕を彼女に払われて、逆に近づかれた。

そして再び彼女に首筋にナイフを当てられる。

細長い感触が首筋を冷たく撫でる。

そして後ろに飛んで距離を取った。

人波も自分から一定の距離を保つように散っていく。


「無暗に突っ込んだって意味ないわよ。」

そしてまた彼女が迫ってきた。


ナイフとナイフが衝突し、紅い火花が走る。

次は力で勝っていたので彼女のナイフを持っている腕を弾き飛ばして、隙が生まれた。

後は彼女にナイフを近づけるだけで勝てると思ったが腕を伸ばせなかった。


すると突然目の前が彼女の外套に覆われた。

次の瞬間、身体の横に衝撃。

彼女の足が自分の横腹に叩きこまれた。

そして回し蹴りをかました彼女が外套を掻き分けて姿を現した。

自分がよろめいている間に再び近づかれた。

次は思い切った行動をしないように少し後ろに飛んでナイフを構える。

そして彼女の進行方向にナイフを突き出した。

彼女はそれを再び横に躱すがその瞬間ナイフを横に向けて、横あいから突こうとする。

しかし彼女の空いた片方の手で止められてしまい、足を払われた。

再び地面に叩きつけられナイフで首を撫でられる。


「ちゃんとカタを付けないと勝負は終わらないわよ。」

彼女が自分に向かって走ってくる。

そして自分もすぐに立ち上がり彼女に迫った。


彼女のナイフが自分に向かって真っすぐ迫ってくる。

そしてそれを自分もナイフを突き出して応対する。

ナイフは再び火花を散らしながら互いに削り合う。


「くっ・・・くっそおおおお!」

その瞬間彼女の手からナイフを力技で上に弾き飛ばした。

だが今回は何故か彼女は自分の手を緩めたように感じた。


「もう終わりだろ。」

「いや終わってないわ。」

「なんだと・・・。」

彼女の手元にはナイフはない。

勝負はもう決まってるはずだ。


彼女に近づいていくが直後目の前に黒い穴が自分を覗いていた。


「な・・・。」

「渡り狼はナイフ同士で戦うわけじゃないわ。ナイフを奪ったところで勝負は終わりじゃないわ。でも筋は良いみたいね。」

彼女は銃を自分に突きつけていた。

すると彼女は引き金を引いた。


弾丸は発射されることはなく、カチリを音を立て何も起きなかった。

ザラが銃を自分に突きつけたことで周りの空気は一気に凍り付いた。

最後にはじけ飛んだナイフが回転しながら自分の顔のすぐ傍に落ちて髪を少しだけ切り裂いた。


「おい!お前ら!何やってるんだ!」

突然観衆の騒ぎを掻き消すような怒号が飛んできた。

すると観衆がその声の主を避けるように散らばっていった。

そこに現れたのは青い制服をきた監視者達だった。


「町での戦闘行為は禁止されているのを知らんのか!」

目の前の監視者は鋭い目つきで怒鳴り飛ばした。


「おい。少し待て。」

監視者の一人が自分たちを怒鳴りつけた監視者を諫めた。


「お前ら昨日狩りに出かけて二人殺した連中だな。生き残った一人が泣きついて来たぞ。」

「あら、そうなの。運がいいわね。」

彼女がとぼけた態度で返した。


「仲間割れでもしてるのか?」

「いいえ、稽古つけてたのよ。仲間割れだったらもう十回は殺してるわよ。」

「あのなぁ、ここは一般人もいるんだぞ。もっと人目のつかない場所でやれよ。」

「そこでやったらあんた達問答無用で私のこと捕まえるでしょ?」

「確かに。まぁ稽古ならこんな広い町じゃなくて外で俺たちの手の届かない所でやってくれよ。」


「でも雨降ってるわよ。」

彼女は外の指し示した。

外は変わらず雨が降っている。

監視者たちの肩や靴も濡れていた。


「なるべく穏便にしてくれ。おいそこに集まっているお前ら、見世物は終わりだ。大人しく町を出ていくか町の景色でも眺めるんだな。」

そう言って監視者達は去っていった。


「なんだか白けちゃったわね。今日の稽古は終わりにしましょう。」

彼女はナイフを地面から拾い上げて、腰巻にしまった。


「分かったよ。」

自分もナイフを腰巻にしまった。


「あらそろそろお昼ね。稼ぎの時間だわ。」

彼女はギターを手に取り、座り込んだ。


「お、嬢ちゃん。なんかやってくれんのか?」

熱から覚めた渡り狼たちはザラのギターに興味を持ち始めた。


「ええ、これからこのギターで演奏するのみんな聞いていってよ。」

彼女は満面の笑みで答えた。


「でも嬢ちゃん演奏ってことは手に持ってるそれ楽器なんだよな?」

「ええ、そうよ。」

「変わった楽器だな。」

「変わった楽器?もしかして女の渡り狼で変な楽器持っているって言えば・・・。」

期待半分、そして何故か不安げな雰囲気も纏っている。


「なぁ、にいちゃん。」

「ん?何だよ?」

横にいた渡り狼の一人が自分に声を掛けてきた。


「あの子、ザラ・マンデンだろ。」

「なんで知ってるんだよ?」

「そりゃあ、あいつは名うての渡り狼の一人だしな。」

「そうなのか?」

「ああ、銃の腕は一流さ。”早撃ちザラ・マンデン”って異名もあるくらいだ。ただの子どもだと油断すると痛い目を見るのさ。」

「まぁ・・・。そうだろうな。」

昨日ザラに殺された二人の渡り狼を思い出した。


「さっきのはザラに稽古をつけてもらったのか?」

「ああ、そうだよ。一方的にやられたけど・・・。」

「いやぁ、中々良い線いってたぜ。そう卑屈になるなよ。ところでよザラのもう一つの噂知ってるか?」

「噂?」

「ああ、あいつは変わった楽器を持ってるだろ?」

「持ってるな。」


彼女の方を見た。

彼女の演奏を今か今かと渡り狼たちが待ちわびていた。

彼女はギターの糸に手を掛けた。


「あいつは町を回って、下手な演奏をするって話なんだよ。」


その時彼女の演奏が始まった。

昨日聞いた音と同じ音が響き渡る。

しかしあれだけ期待に胸を躍らせていた渡り狼たちの顔も微妙な顔になり、一人また一人と観衆から外れていった。


「期待して損した。」

「やっぱりザラ・マンデンかよ。」

「飯食いに行こうぜ。」


「ちょっと!みんな私の演奏聞いていきなさいよ!」

彼女の懇願もむなしく、彼女の演奏を聴く人間はアニマと数人の町人だけになった。


「やっぱり噂は本当だったな。」

「そうか俺はいいと思うけど。」

「本当か?奇矯なにいちゃんだな。俺は行くよ。またな。」

「ああ、また。」

そうして隣にいた渡り狼もどこかに行ってしまった。


「なんでみんな私の演奏を聴く時にいなくなっちゃうのよ~。」

彼女からはギターの柔らかな音色とすすり泣く声だけが響いていた。


第三十三幕 熱狂の中で 完














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