10.夢の終わり

 あっけない終わりがそこにあった。 


 過剰なお酒の摂取による急性アルコール中毒からの嘔吐による呼吸困難。毎日の繰り返しだったのに、限界のところで止まっていただけだったと思い知らされる。

 母さんが堰き止めていた私の人生の崩壊が押し寄せてくる。

 大学に行こうとしていたことも、母さんを失ったあとの私には簡単なことではない。私は私の人生を歩む為に母さんがすり減らしてきたもののつけを自分自身で理解することになる。

 母さんがお金を貯めていたことを知る。私は母さんがいくらお金を稼いで、いくら家のため、私のために使っているのかも知らなかった。

 そのお金は生活と高校を卒業して、大学の入学金を賄えるくらい。

 私の生活は徐々に変わっていく。高校で過ごす残りの時間、私は母さんのやってきたことよりも過酷な繰り返しの順番が回ってきたのだと理解した。

 それでも、先の未来が捨てられたなくて私は大学へ行く。

 母さんが走ってきた道を、私も走ることになる。私が大学に行きながら、出来ることになると手っ取り早いのは夜に出ることだけだった。

 私は簡単に売れた。商品として優れていたようだった。

 色々な人が私の顔を好きと言う。それで人に妬まれることだって出てくる。

 私の顔は、たくさんの人に好かれているらしい。

 でも、そんな事実が私の心を蝕んでいく。

 私によく似ていた母さんを誰も救わなかった。私の顔が好きで、寄って来る人たちは母さんを救ったのか?

 強い怒りがある。どこまでも虫の良い話だと思った。

 私や母さんが辛い時にはその顔について助けなかったのに、どうしてそうでない時にそれをもてはやすのか。

 そんなに私の顔を褒めてくれるなら——どうして助けてくれなかったのか。

 恨みが溢れてくる。自分では制御しきれない衝動。自分の歩んできた人生の全ての悲しみの根源が“それ”であるという実感。理屈ではない、私の内から湧き上がってくる確信。

 私は自分の顔が憎い。

 私は自分の顔が憎らしくなっていく。

 だから。

 だから私は——


 そして——路上で私の顔に刃物が突き刺さる。

 整形外科のヒアリングの帰り道。私はようやく自分の顔を捨てられると思っていた。

 自分の人生の不運の象徴を捨てられる兆しが見えて、ようやく自分の道を歩けると思っていたのに。

 急に視界が暗転する。

 ドス、ドス、ドスと私の全身に刃物が突き刺さってくるのがわかる。誰かが私を刺していることだけがわかる。悲鳴をあげることすら出来ない激痛の濁流に飲まれていく。

 どうして?

 突然の事態に何が起きたのか私には理解が出来ない。

 最期の瞬間——痛みよりも、滴る血よりも、私は悲しくて仕方なかった。

 ——ああ、間違ったな。

 そう思うと同時に私の瞳に深く、何かが突き刺さるのを感じた。


▲▲▲


「……ッ!」

 《瞳》に熱が宿って私はそれまで《視ていた》ものが切断されるのを感じる。

 いや、終わったのだと理解する。

 でも私の体がその熱を忘れてくれない。息が切れていて、嫌な汗が全身から滲む。吐きそうになる心地がするけれど、今の私がしなくちゃいけないことはそうじゃない。

 私は考える。《口裂け女》のこと。《事件》のこと。この事件の顛末がどこへ向かっているのか、どうして私がここへ導かれたのか。

 そして、《怪異》であった彼女を通して私自身のことを。

「あ……」

 自分の口から声が漏れる。

 本当に不意に思い出してしまうのはねえさんのこと。私が忘れてはいけない人のこと。きっと彼女の記憶に自分を重ねてしまうところがあったから。

 でもそれを今考えているわけないはいかなくて、私の中で様々な感情と思考が混ざり合う。

 私の中にがあって、それを私は押し殺そうとする。

 目の前にいたはずの口裂け女はもういない。

 スマートフォンをタップして位置情報を送信。東光院さんに電話をかける。

「もしもし、東光院さんですか」

『久遠か、被害者は五葉塾の治療班に回収させた。おそらくもう大丈夫だ』

「よかった。よかったついでに東光院さん、今位置情報を送りました。ここの場所の情報わかりますか。何か事件があった場所だったりしません?」 

 東光院さんが即座に通話越しに確認をし始める。ものの数十秒でそれはわかる。

『90年代の新王町通り魔殺人事件、その現場だ』

「そう。そうなんですね」

 私には口裂け女が、いや、彼女が何を言いたかったかわかっている。

 そして今、彼女だった口裂け女がずっと孤独に何をしていたのかを。

 電話を切る。私の中で様々な要素がまとまっていく。

「榎音未さん、私も榎音未さんの言っていた通りだと思います。この事件」

「じゃあ早く越後屋さんのところに戻らないと!」

 あの男性が犯人と榎音未さんは言った。

 でも、越後屋さんは口裂け女を追うように言った。

「はぁ……」

 私にはその意味がわかる。

「越後屋さんの悪い癖だ……」

 きっと、越後屋さんはおおよそわかって私たちをここに向かわせたのだ。榎音未さんが目を覚まして気づく前に。

 でも、おかげで私は大切なことを《視る》ことが出来た。

「いきましょう。私たちは口裂け女ともう一度会わないといけない」

 私は現場に再び戻る。

 今度は今の《彼女》と向き合うために。

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