8.再会/再開、口裂け女
口裂け女という都市伝説は多くの人に語られるだけあって、それだけの多様な側面がある。その目は狐に似ているだとか、長身だとか、赤い服を着ているだとか。
その一説に、口裂け女の走る速さについての言及も存在している。
口裂け女の足は早い。一説には100mを3秒で走れるという。
お話としては逃げようとしても常人ならばいともたやすく捕まって殺される、ということからの要素だろう。そして、私たちの目の前に現れた口裂け女もまた凄まじい俊敏さで現場から姿を消した。
私は《言葉師》として訓練を受けている。そして《言葉》を使用すれば身体能力は上がる。きっと常人よりは遥かに早く、遠くへ走れるだろう。限界というのは何かの弾みで越してしまうと世界が広がる。あるジャンルの限界と思われていた記録が破られた途端、それに追随する者がどんどん現れる。
それは人が無意識に世界に限界を作ってしまっていることに他ならない。人が人の領域でしか走れない原因は、口裂け女の速度に至らない理由は筋肉の強度でも、骨の強度でも、訓練の多寡ですらない。
——ただ、人々が心の底からそうであると信じられないだけだ。
何かを出来ると《信じる》ことは、そのまま世界に可能なことが増えていくことに他ならない。
まぁ、私もそこまでは信じられていないんだけど。
だから結局私は口裂け女ほどの速さじゃない。常人よりは早いけど、相当早いってだけだ。《言葉》を使っても「超人止まりは情けないですねぇ」なんて師匠には表される。
それでも私は何処まででも《視え》ている。
そうして今、私の目の前には彼女がいる。
100mを3秒で走れる。そうであると信じられている存在。
「あ、■■縺九i髮■■繧後……」
「よかった。あまり遠くへ行っていなかったみたいですね」
口裂け女は私の目の前に立っている。長身で、赤いコートをきて、手に持った鋏を両腕ごとだらりと地面に向けている。そして、それでも視線は私の方を向いている。
さっきまでの狂乱めいた雰囲気はない。
「口裂け女さん、私はこれから貴女を《視ます》」
「……」
無言。それでいい。それでも構わない。
違和感があった。現場で、私の目の前にいる《怪異》《都市伝説》《口裂け女》《彼女》に遭遇した時から。
都市伝説などによって発生した《怪異》が伝承通りでない事例は確かに存在する。でもそれは都市伝説の中のブレのようなものだ。語られた存在の多様な側面の一つ。その語りに込められた様々な想いの断片。
口裂け女の足の速さが100mを3秒という説もあれば、6秒台という説もある。それのどちらが目の前の口裂け女の真実かは遭遇して確認するまで確定しない。だから、足の速さが違うとかは問題ない。
でも、あの時の襲撃はおかしかった。
現場には死ぬ寸前の被害者がいた。今まさに、口を切り裂かれたかのような女性、あと一息で死ぬ寸前。
榎音未さん達を取り囲んだ凶器の群れ——メス、鋏、包丁、ナイフ、ピンセット、注射器——の包囲と射出。
なぜ私ではなく榎音未さん達を狙った?
なぜその手に握られた鋏ではなく空間から凶器が現れた?
「あの時、貴方と出会った時に越後屋さんは落ち着いてくださいと言った」
「■■縺九あ、■■縺髮■■九i繧後……」
「でもそれは私に言った言葉じゃない」
目の前の口裂け女の鋏に血は滴り付いていない。
「貴女に言っていたんですね。口裂け女さん」
「……」
変わらず無言。でも、その無言が私に伝えてくる。私がこれからしようとしていることへの同意を。
私は見ないといけない。この事件を、この怪異を、そして目の前にいる存在のことを。
私は《瞳》の焦点を目の前の口裂け女へと調整していく。
「その人、《視て》も大丈夫なんですか……」
抱えていた榎音未さんが目を覚ます。
「あ、起きましたか。大丈夫ですよ。今度はちゃんと気持ち整えてますし。榎音未さんこそ大丈夫ですか? 何なら離れてても大丈夫ですよ」
そう答えると小さな声で榎音未さんが言う。
「待ってください」
榎音未さんの声はまだ弱々しい。さっきまでのあの現場に当てられた余波だろう。でも、さっきとは違って《怪異》を眼前にしていながらもそれにプレッシャーを感じている様子ではなかった。
「私が倒れたのは口裂け女さんが原因じゃありません」
榎音未さんの言葉に力が篭る。
口裂け女は動かない。
「私が感知したのは《怪異》じゃありません。とても強い、殺意です。《怪異》からではない人から発せられた、抜身の殺意」
私は《瞳》に力を注いでいく。
榎音未さんが言う。
「久遠さん、この事件は、目の前の口裂け女さんによるものじゃありません。人間、《異能者》による連続殺人事件です」
カシャン、と音がする。
口裂け女が鋏を地面に落とす。
「私、綺麗?」
目の前に《怪異》からの問いかけ。
「ええ、綺麗ですよ。とびっきりね」
私は彼女を《視る》。
それと同時に聞こえる榎音未さんの言葉。
「あの女性を襲ったのは、あの場にいた、逃げていた男性です」
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