彼女の残滓

髙木 春楡

残滓

学祭という、楽しむべき行事を楽しめないの人は、人生を損している。確かにその通りだろう。だけど、僕自身、楽しめているのだろうか。他の人と同じ程度に、楽しめてるとは思えない。友人が多くないというのも原因の一つだとは思うが、僕自身に楽しむ準備が出来てないのが大きいだろう。開催に関わっているわけでもない、サークルに所属して売店を出すわけでもない。そんな人間が楽しんでいいのだろうかと思ってしまう。

こんな心の中が暗い人間は、祭りというものを精一杯楽しむことが出来ないのかもしれない。それでも、学祭の場にいるということは、興味はあるのだろう。興味がなければ、嫌いであれば参加しようとも思わない。ただ、僕に足りないのは楽しむ心意気だけだ。

だけど、学祭の案内を見ていて少しだけ気になっているものがあった。そこだけは、楽しみだと言ってもいいだろう。

それは、文芸サークルの出す、古本市というありきたりな出し物だ。本を読むことが好きということもあるし、古本が好きなのだ。

古本は、歴史を感じる。本自体の歴史というよりは、本から滲み出る読んだ人達の歴史。読み込むあまりその人の形に変わっていく。ボロボロになっている場所も、その本によって変わる。人が、何かを愛していた様子が見えるような気がするのだ。

そして、他の誰かがそれを愛する。その様子は現実世界の恋愛と同じように思える。

そんな僕は、恋愛が怖い。心が痛くなる恋をするのが怖い。だから、古本にそれを見出し疑似体験をすることで怖さを減らそうとするのだ。


昼飯を友人のいる焼きおにぎりを売っている売店で済ませた。安くて美味いとはいいことだ。

そして、僕は古本市へとやって来た。

そこまで大きくはないスペース。テント1つ分。

そんな場所で、ワゴンに入れられた古本達や机に並べられている本達を物色していた。

これといって欲しい本があるわけではない。だけど、誰かの思い出の詰まった本があればいいなと思った。

そして、僕は雑多に並べられている古本の中で一冊の本を見つけた。それを手に取る。少し日焼けをしているだけで、あまり読まれてなさそうなその本は、1度読まれただけで、忘れられていたように見える。僕も読んだのは一度きり。でも、内容には詳しい思い出の本だった。

「その本、面白いんですよ。」

柔らかな声が、僕の前から聴こえてくる。その声が向かっている先が僕のような気がして、顔をあげた。

そこに立っていたのは、眼鏡をかけた柔らかな雰囲気を持った女の子だった。真面目そうとまではいかず、人に好かれそうな女の子。

「面白いですよね。読んだことはあります。借りて読んだから持ってないんですけどね。」

「あ、読んだことあるんですね!面白いですよね!この本知ってる人少ないから、知ってる人に会えて嬉しいです!」

少し高いテンションでその子は言う。その様子は天真爛漫で、多くの男なら惚れてしまうのではないかと思った。

「あ、いきなり話しすぎてしまいました。すいません。」

「いや、マイナーな本を知ってる人に会えたら、テンション上がりますよね。わかりますよ。」

マイナーな本。本は消費されるものだ。いつの時代になっても読まれる本、というのもある。だが、ほとんどの本は消費されて忘れられる。この本だって、その一つだけ。傑作なのに、忘れられる。この本に限って言えば理由は一つだ。

「この作者さん、この本で二作目ですけど、死んでしまったんですよね。この作品を残して。」

そう、この作者は若くして亡くなっていた。

亡くなる前に書いた作品が、この作品だ。だから、魂が籠っている。どこまでも強い魂が籠っている。それでも、出版した本が二作しかないこの作家が、永遠に残り続ける作家になることはなかった。

もう、忘れられかけている。

「そうですね。面白くても、消費されていくんですよ。そして、忘れられていく。」

人の恋と同じように。

「それでも、好きな人は残ってますよ。みんながみんな忘れるわけじゃないんです。それに、消費してるんじゃないです。思い出になってるんですよ。だから、小説って素晴らしいんですよ。なんて。」

少し顔を赤くしているのは、良いことを言ってしまった恥ずかしさだろう。でも、その通りなのだろうな。例外はある。何事にも例外はあるのだ。忘れず、離れず、ずっと手にしているものだってあるはずなのだ。

「その通りですね。うん。この本買います。きっとここで出逢えたのは運命だから。」

「わかりました!ありがとうございます!えっと、100円です!」

100円を渡そうとした時に、目に入ったものを指さして尋ねる。

「この、ブックカバーって手作りですか?」

そこには何種類かの布製であろうブックカバーが並んでいた。

「そうですよ!サークルのみんなで手作りしたものです!」

どうせならブックカバーも買ってしまおう。この人の作ったものがいい。そんな風に思った。

「貴女の作ったのはどれですか?」

「え、私のですか?この右から二番目の物とかそうですよ。」

そこにあったのは、桜の刺繍が施されたブックカバーだった。紅葉が散るこの季節には似合わないが、それはそれで天邪鬼な僕は惹かれる。

「それじゃ、これもください。」

手渡すと、余程嬉しいのか笑顔満開になった。

この桜のブックカバーのように。

「良かったらですけど、それ貰ってください!この本好きな人に会えたことも嬉しいですし、話せて楽しかったので!」

「そんな、悪いです。でも、ありがとうございます。ご好意に甘えさせてもらいますね。」

100円を手渡して、「ありがとうございました。」と頭を下げ帰ろうとした時に、呼び止められた。

「あの、よかったらなんですけど.......」

そう口に出して、メモ帳に何かを書き始めた。

何を書いているのだろうと待っていると、そのメモ帳の1枚をちぎり、こちらへと差し出した。

「これ、インスタのIDが書いてます。よかったらフォローしてくれませんか?本の話とか、したいなって思いまして。」

最近の人は、よくこのアプリを使っている。だから、きっと初対面の人に、電話番号や直接繋がれるSNSのサービスを教えるより気軽だから、これを渡してきたのだろう。

今回もご好意に甘えて、貰っておくことにしようと思った。本の話をしたいという気持ちもわかるし、断る理由もない。

「貰っておきますね。ありがとうございます。」

少し微笑み、頭を下げると僕は、その場をゆっくりと立ち去った。

失礼のないように、立ち去れただろう。僕はそのIDの書かれた紙を眺めながら、様々な匂いをさせるテントが立ち並ぶ道を、このアプリに漂う懐かしい香りを感じながら歩いていく。


実際問題、この貰ったメモ帳をどうするか悩んでいた。フォローすることに躊躇いはないだろう。その気になれば、平然とフォローできる。


だけど、僕の携帯にはそのアプリは入っていない。


したことがないわけではない。昔は登録もしていたし、投稿もしていた。だけど、3年前のある日、僕はそのアプリをアンインストールした。

このアプリがあることが嫌だった。そこには、きっと誰にもわからない何かがあると思った。

なんでそんなことを、思うようになったのか。きっかけは高校時代から付き合っていた彼女と別れた事だった。

大学四年生である僕の、3年前。それは入学して少し経ってのことだ。それまでの間、特にこれといって大きな喧嘩をしたこともなかったし、別れる前兆なんてなかった。高校の卒業旅行も一緒に行き、順風満帆な交際ができていると思っていた。だけど、そう思っていたのは僕だけだった。

大学初めての夏休み、その夏休みを迎える前に彼女から、別れを告げられた。メッセージで来たたった四文字の言葉。

「別れよう」

これで、僕達は別れることになった。抵抗は出来なかった。それほどに、彼女の意思は硬かったのだと思う。理由は聞けてない。それでも、その一週間後にSNSのトップ画像が男とのツーショット写真になっていたのを見て、そういうことなのかなと想像はしてみた。

別れてすぐにしたことは、写真の削除だった。まだ好きだから、そんな理由で残しておくのはなんとなく悪い気がした。だから、初めに撮った写真達を消して、SNSの消去しようと、インスタを開いた。そこには高校時代からの思い出がたくさんある。

何気ない日常の写真、一緒に食べた料理の写真、旅行に行った写真、様々な写真があった。それを僕は、泣きながら削除していった。削除し終えて、すっきりとした、その投稿欄を見ていた。その時には何も気づかない。それに満足して、アプリを落としたことを覚えている。

それから、何週間もして友人と遊びに行った時その様子を投稿しようと、インスタを開いたけれど、すぐにアプリを落とし何事もなかったかのように、そのまま遊び続けた。

家に帰り、一人になった時、もう一度インスタを開く。写真を消してから見ることすらなかった。久しぶりに開いて感じたのは、彼女の存在だった。投稿は全て消した。彼女のアカウントだって今はフォローしていない。

なのに、彼女の存在を感じるのだ。

何故かわからない。でも、これを開いている間胸が締め付けられた気分になる。


このアプリには、彼女の残滓が残っている。


そして、僕はアプリをアンインストールした。

アカウントがどうなっているかはわからない。使っていないけれど、アカウントは削除していない。多分残っているだろう。

そこにはまだ、彼女の残滓が残っているだろうか。そんなことを考えてみる。

三年経って、彼女のことを思い出すことはなくなっていた。今日、偶然久しぶりに出会ったこの古本を見て、思い出しただけだった。その時苦しさもなく、辛さもなかった。ただ懐かしいなと思えた。その事に今気づく。僕は、彼女をもう忘れることが出来ていたのか。僕は、彼女を消費してしまったのか。

そう思うと、少し悲しくなった。

この古本のように、消費してしまったのか。


『そうですね。面白くても、消費されていくんですよ。そして、忘れられていく。』

『それでも、好きな人は残ってますよ。みんながみんな忘れるわけじゃないんです。それに、消費してるんじゃないです。思い出になってるんですよ。だから、小説って素晴らしいんですよ。なんて。』


あの子の言葉を思い出す。

消費してるんじゃないのか。これは思い出に変わっただけなのか。


彼女を思い出して苦しくならない。

彼女を思い出して泣きたくならない。

彼女を思い出して懐かしいと思える。

彼女との思い出は素晴らしいものだった。


僕は、彼女を消費したんじゃない。彼女を思い出に変えたんだ。

あの子が気づかせてくれた、大切なもの。

そんな気づかせてくれた君がくれた、この紙を無駄にするわけにはいかない。

僕は、すぐにインスタのアプリをダウンロードする。そして、昔使ってたアカウントにログインした。そこには、懐かしい写真が広がっている。削除したと言いながら、アーカイブに移していた写真達もある。

そこに彼女の残滓は残っていない。

ここにあるのは、ただの思い出だった。


また、新しいスタートを切ろう。

僕は、あの子をフォローする。

そして、一つの写真を投稿する。

あの子の作ったブックカバーと彼女との思い出だった本。紅葉をバックにその二つを撮った写真だ。シンプルな写真。

だけど、僕には意味のある写真。

君の為にまた入れたこのアプリ、君との思い出が刻まれていくのだろう。

君からのフォローバックを見ながら、新しい未来へと思いを馳せる。

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彼女の残滓 髙木 春楡 @Tharunire

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