第41話 カッターと土下座

「何で、成瀬くんはわたしの姉のことが気になるのかな?」

 俺は家の近くにある公園にて、白瀬から鋭い眼差しを向けられていた。

 お互いベンチに座り、向かい合わせになるも、俺は両手を膝の上に置いている。ただ、耳を傾けることに終始し、抗うことはしない。

「成瀬くんは今日、妹さんと遊びに行っていたんだよね?」

「ああ。映画を観に」

「もしかして、妹さんを置いて、わたしのところに来たってことなのかな?」

「まあ、そうだな。ただ、これは奈帆も了承の上でだ」

「本当かな?」

「何を疑ってるんだ?」

「成瀬くんは、妹さんのことを悲しませたんじゃないかなって、心配してるんだよ」

 白瀬は言うなり、おもむろにため息をつく。

「妹さんは、お兄さんと仲良くなりたそうだよね」

「そう思うか?」

「そう思うよ。妹さんは色々と頑張ってるように見えるよ。それなのに、成瀬くんは、妹さんそっちのけで、わたしじゃなくて、わたしの姉のことが気になるなんて、おかしいよ」

「そこまで言うか?」

「そこまで言うよ。だって、わたしは姉のことなんて、気にしてないんだよ」

 強い語気で言う白瀬は、俺から目を逸らした。よほど、姉に対して、コンプレックスを持っているのだろう。だからこそ、俺は気にしてしまうのだが。

「白瀬はさ」

「何かな?」

「妹がほしいとか思ったことはあるか?」

 俺の問いかけに、白瀬は戸惑ったような表情を移してきた。

「どうして、そんな質問をするのかな?」

「いやさ、ただ、単純に興味本位でだ」

 俺の言葉に、白瀬は納得をしてなさそうだったが、間を置いてから、首を横に振った。

「何でそう思うんだ?」

「わたしが妹だからだよ」

 当たり前のように答える白瀬はベンチの背もたれに寄りかかり、空を見上げる。夕方近くになり、日は傾き始めていた。

「わたしの姉みたいなことを、わたしが同じようにできるわけがないもん。それだと、妹がいたら、今のわたしを見て、幻滅するんじゃないかなって。そしたら、仲良くなんて、できっこない。むしろ、妹の方が優秀で、わたしは姉なのにとか思って、ますます、惨めな思いをするんじゃないかな」

「それはマイナスな考え方だろ。第一、妹に優秀とか、ダメだとか、そういうものはないと俺は思うけどな」

「それは、成瀬くんが優秀だからだよ。成績、トップテンに入るぐらいだったよね?」

 白瀬の質問に、俺は「まあ、それは事実だな」と認める。

「だからだよ。わたしはクラス委員長をしてるけど、ただ、それだけだよ」

「いや、白瀬はクラスメイトみんなから慕われてるだろ? それに、男子からも告られたりしてさ、白瀬がダメとか、そういうのなんて、全然」

「全然あるよ」

 白瀬は俺の声を遮るようにして口にする。

「わたしはね、成瀬くん。いつも、常に、姉と比較するんだよ。こういう時、姉はどうするんだろうとか、わたしはこういう結果だけど、姉の場合はどうだろうとか。それで、だいたいの想像は、姉の方がわたしよりも上回っているって考えるんだよ。それで、ああ、わたしはやっぱりダメかなって思って、みんなの気づかれないところで、自分を貶めていたりするんだよ。リストカットしたり」

 喋る白瀬の顔には陰りが走っていて、曇りがちな雰囲気を漂わせていた。

「だから、成瀬くんが姉のことを気になってることに対して、わたしは苛立っているんだよ」

「それは、どれくらいとか?」

「そうだね。この場で、成瀬くんを殺したいくらいかな」

 白瀬の声に、俺は背筋に寒気が走った。そのようなことを聞いたのは三崎以外で初めてだった。まあ、普通に言われるようなことではないのだが。あっても、例え話とかだが、白瀬の場合は本気でしてきそうなものがある。俺でさえ、首吊りをした人間だから、冗談と思えなかったのかもしれない。

「成瀬くん?」

 白瀬は俺の様子を察したのか、呼びかけてくる。

 対して俺は、「だ、大丈夫だ」と何事もないかのように装う。

「殺したいなんてさ、そのさ、急に言うから驚いたっていうかさ、まあ、それはあくまで例え話だろうなって思ってさ」

「例えじゃないよ。本気だよ」

「どれくらい、本気なんだ?」

「そうだね。これからの話で、成瀬くんがわたしの姉のことをどう言うかによっては、この場でいつもリストカットしてるカッターとかで痛めつけて、出血多量で死んでもらいたいくらいかな」

 白瀬は言うなり、持ってきていたミニトートバックから、カッターを取り出してくる。

「それは、本気だな」

「当たり前だよ」

 白瀬は口にすると、小首を傾げて、頬を緩ませる。平穏な日常を好む俺にとって、どうにか乗り越えたい状況だ。

「あのさ、白瀬。言っとくけどさ、俺は白瀬の姉さんに異性として興味があるとか、そういうことはこれっぽちも思っていないからな」

「それは、わかってるよ」

「なら、何でそこまで警戒するんだ? 俺が白瀬の姉さんにわずかでも興味を持っただけでさ」

「姉は完璧だからだよ」

 白瀬は話しつつ、カッターの刃を出し、ぼんやりと眺め始める。

「姉はモテるんだよ。それこそ、会った男子はことごとく、好印象を持つくらいなんだよ。だから、成瀬くんもおそらく、ううん、絶対に姉のことが好きになるとか、そういうきっかけを持つって思うんだよ」

「それくらいなのか? 白瀬の姉さんっていう人はさ?」

「そうだよ」

 うなずく白瀬。

 俺は困り果てた。白瀬は俺のことを気にして、姉に会わせたくないという姿勢だ。

「そもそもさ、白瀬の姉さんってさ、一人暮らしだよな? おそらく」

「そうだよ。実家を出て、近くのアパートに住んでるよ」

「そうなのか……」

「まさかだけど、今から姉に会いに行くとか、そういうことを言いたいのかな?」

 白瀬の質問は、どこか不安げな調子だった。あわよくば、そうじゃないと返事をしてほしいみたいな。白瀬はよほど、姉と俺に接点を持たせたくないらしい。

 だが、俺はここで折れれば、奈帆に申し訳ないと思っていた。せっかく、時間を割いてまで、今いるのだ。逆に帰ることになれば、奈帆に会わせる顔がないくらいに。

「悪い、白瀬」

「成瀬くん?」

 白瀬の声とともに、俺はベンチの上で土下座をした。

「お願いだ、白瀬の姉さんに会わせてくれ。じゃないとさ、白瀬が記憶喪失っていうウソをつき続けてることに対して、自分なりに納得がいかないっていうかさ……。とにかく、頼む」

 俺は顔を上げなかった。白瀬がどう反応するか、待ち続けるしかない。下手すれば、カッターで切りつけられる覚悟もしていた。だから、次に何が起こるか、俺は不安を抱きつつも、黙って、じっとし続ける。

 白瀬の答えはすぐになかった。お互いに沈黙の時間が続き、どうなるのだろうと思った矢先。

「成瀬くん、顔上げてよ」

 白瀬の声に、俺は恐る恐る視線をやれば。

 白瀬は瞳を潤ませて、片方の指で涙を拭っていた。

「わ、悪い、白瀬。そのさ、俺はそこまで白瀬が悲しむと思わなくてさ」

「いいよ」

「えっ?」

 涙混じりの声に、俺は驚いてしまった。

「今、『いいよ』って言ったのか?」

「そうだよ」

 口にする白瀬はどこか不満げそうだった。無理もないが。

「でも、ちょっとでも、姉になびきそうなことになったら、その時は、わたしは容赦しないよ」

「どういうことだ、それ?」

「言葉通りの意味だよ。多分、姉に会ったら、わかると思うよ」

 白瀬は言葉をこぼすと、おもむろにベンチから立ち上がる。途中、カッターがしまわれたミニトートバッグを手に提げつつ。

「行くよ、成瀬くん」

「あ、ああ」

 俺はぎこちない返事をすると、先へ行こうとする白瀬の横に慌ててついていく。

 白瀬の姉に会えるとわかると、今さらながら、緊張と不安が迸ってきた。

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