第6話 放課後の誰もいない教室は危険です。

 放課後になり、夕日が地平線に傾き始めた頃。

 俺は誰もいない教室の中央にぽつりと立っていた。

「今時、こんな誘い方をしてくるんだな」

 俺は言うなり、手に持つ一枚の紙切れに視線を移す。

『放課後、誰もいない教室で待つ』

 ノートの一部に手書きで記された文は、明らかに怪しいものだった。

 だが、俺にとっては避けようとせず、むしろ、堂々と相手の誘いに乗ろうというものだ。

 内心では、昨日の夜に襲ってきた相手かもしれないと期待をしつつ。

「まあ、それなら、ラッキーだけどな」

 俺はつぶやくなり、紙切れを制服のズボンにあるポケットにしまい込み。

 同時に俺は振り返るなり、すぐに教卓があるそばまで素早く後ずさった。

 視界には、さっきまで俺のいた場に、別の人物が現れていた。

「さすがに、同じ手は二度も通じないってわけね」

 片手で振り回したナイフを掴み直すひとりの女子。

 俺はどうも、今年は変な女子に絡まれる定めらしい。

「三崎か」

 俺は相手の苗字を呼び、改めて目を合わせる。

 三崎みつる

 俺や白瀬と同じクラスメイトで、どちらとも関わりがないはずの彼女。ショートカットで女子でも高い方の身長、そして、運動神経抜群な体つき。女子の制服を着てなければ、男子と見間違えてしまいそうな容姿。考えれば、昨日の夜はよく逃げ切れたなと自分を褒めたくなるほどだ。

「昨日はあんたのことを甘く見てたわね」

「それは褒め言葉か?」

「そう受け取ってもらってもいいけど?」

 三崎は声をこぼすと、ナイフを握り直す。

「でも、バカよね。あんた、あたしに対して、『もしかして、俺のクラスメイトか?』とかって聞いてきて、ちょっと動揺したっていうのに、そのこと、警察には話さなかったみたいね」

「何でわかる?」

「何でって、そうじゃなければ、今頃はクラスみんな、先生なり、警察なりに事情聴取でも受けてたと思うから」

 三崎は何歩か足を進ませる。

「けど、今朝のホームルームで、森山は学校の生徒が通り魔に襲われたくらいしか言わなかった。それを聞いて、あたしはすぐにわかったわ。あんたは警察には起きたことを全て話してないことが」

 三崎はナイフの刃先を俺の方へ突きつけてくる。

「そんなことして、あんた。あたしに今殺されることに対して、後悔とかしないでよね?」

「後悔なんてするか。俺はこの目で、襲ってきた犯人を拝みたかっただけだからな」

「それは自分勝手なことね」

 三崎は呆れたように言葉を漏らした。

「だいたい、今朝のアレは何?」

「アレって何だ?」

「この期に及んで、またとぼけるわけ?」

「もしかして、白瀬と一緒にいたことか?」

「当たり前でしょ?」

 三崎はナイフを手に、俺の方へ迫ってくる。

「あんた、やっぱり、志穂と付き合い始めたんでしょ?」

「それは違う」

「とぼけないで!」

 気づけば、俺の鼻に触れそうなくらいにまで、ナイフの刃先が突きつけられた。

 見ると、三崎は瞳を潤ませている。

「あんたね、昨日の夜にあたしに襲われていながら、よくもまあ、志穂と登校するっていう、あたしを侮辱するようなことを平気でやってのけたわね!」

「落ち着け、三崎」

「こんなんで、落ち着けるなんて、できるわけないでしょ?」

 三崎は語気を荒げ、俺を睨みつけてくる。

 応じ方次第では、俺は三崎にナイフを刺される。いや、何回も刺されて、命が尽きても、死体になった俺を痛めつけるに違いない。

 そう思ってしまうくらいに、前にいる三崎の様子は憎悪で満ちているように感じた。

「白瀬は、俺にフラれたら、何をしでかすかわからない」

「意味がわからないわね」

「昨日の駅のホーム」

「あんたが白瀬に告られたっていう時のこと?」

「白瀬は電車に飛び込もうとした。見てたんだろ、三崎も」

 俺が問いかけると、三崎はナイフを下ろした。

「見たに決まってるでしょ?」

「三崎にはどう見えたんだ?」

「どうって、志穂が誤って、ホームから落ちそうになって、それで、電車に撥ねられそうになって……」

「三崎には、あれは単なる事故になりそうだったって言いたそうだな」

「当たり前でしょ? まさか、志穂が自分の意志であんなことするわけないでしょ?」

「それが事実なら?」

「はっ?」

 三崎は信じられないといったような表情を浮かべてくる。

「あんた、こんな状況でよく冗談を言えるわね」

「冗談じゃない。本気の話だ」

「バカバカしい」

 三崎は呆れたような顔をして、俺の方から目を逸らす。

「つまりはこう言いたいわけ?」

 三崎は俺と改めて目を合わせる。

「志穂はあんたに告ってきた。けど、あんたが断ろうとした。それにショックを受けて、志穂は死のうとした」

「正確に言えば、白瀬は、もし、断ってきたら、こうなるっていう感じで俺にああいう形で脅しとも取れる感じで電車に飛び込もうとしたってところだ」

「じゃあ、何? あんたがあそこで何もしなければ」

「間違いなく、白瀬は死んでたと思うな」

 俺が淀みなく答えると、三崎は教室にあるガラス窓の方へ近づき、体を凭れる。

「あり得ない」

「あり得ないと思っても、これが事実だからな」

「あたしを騙そうとする気?」

「こんなウソで騙して、俺に何の得があるって言うんだ?」

「それは、あんたがあたしに隠す形で志穂と付き合うってことよ」

「あいにくだが、俺は白瀬と付き合う気はまったくない」

「はっ?」

 両腕を組んでいた三崎は驚いたような顔を浮かべる。

「あんた、白瀬に告られて、そこまで付き合う気がないなんて、そんなこと、クラスの男子連中に知られたら、間違いなく嫌われるわよ?」

「別に、元々ぼっちの俺だしな。だけどさ、そういう面倒事になるのは正直、避けたいけどな」

 俺は言うなり、ため息をつく。

 そうだ。俺はぼっちを貫きたいが、変な揉め事とかに関わりたくない。ただ、平穏に静かでひとりの日常を過ごしたいだけなのだ。

「あんた、変わってるわね」

「さっきから、俺のことをあんた呼ばわりしてるけどさ、俺にはれっきとした名前が」

「はいはい。じゃあ、あんたじゃなくて、これからは成瀬と呼ぶわよ。ちゃんと苗字でね」

「呼び捨てだな」

「そういう成瀬も、あたしのこと、三崎って呼んでるじゃない?」

「そうだったな、悪い」

 俺は無意識に三崎へ詫びの言葉を述べる。

 対して、三崎は乾いた笑いをこぼした。

「何か、色々と聞いてたら、もう、どうにでもよくなってきたわね」

「聞きたいんだけどさ」

「何よ?」

「三崎は白瀬とどういう関係なんだ?」

「それ、成瀬が知る必要あるわけ?」

「いや、これは単なる個人的な興味だけどさ」

「そう」

 三崎は断るかと思いきや、間を置いてから、口を動かした。

「単なる片想いよ」

「百合ってことか?」

「成瀬ね、そういうので、すぐにそういうことを言うのはどうかと思うけど?」

 三崎は俺を睨みつけてくる。忘れていたが、手元にはナイフがあるので、状況次第では、急に刺される可能性はある。なので、俺は改めて、意識をした。

「志穂はね、誰にだって優しい。あたしにもね」

「そうだな」

「その志穂が、『好きな人がいるから』ってことで、男子の告白を断り続け、挙句にその相手が成瀬って気づくってなると、衝動が抑えられなくなってきたってわけ」

「いや、それは異常だと思うけどな」

「そうね。下手すれば、成瀬の人生は昨日で終わってたかもしれないわね」

 三崎は言うなり、可笑しそうに笑みをこぼす。

「何が面白いんだ?」

「昨日殺そうとした相手とこうして話してるのが奇妙だなあって思っただけ」

「それは、俺もだな。襲ってきた犯人と二人っきりで話すなんてな」

「で、成瀬はこれからどうするわけ? 言っとくけど、あたしは成瀬を殺すことを諦めたわけじゃないから」

 三崎は聞くと同時にガラス窓から体を離し、ナイフを手に構える。

 俺はため息をつく。

「まあ、これで上手くいくわけにはいかないってことか」

「志穂と付き合うことにして、あたしに殺されるか。それとも、あたしに殺されないように、志穂の告白を断るか」

「後者は結果として、白瀬が自殺する可能性が高い」

「そうかもしれないわね」

「もし、白瀬が死んだら、三崎はどうするんだ?」

「それは、悲しく思うし、同時に成瀬を恨むわね」

「俺かよ」

「当たり前でしょ? 間接的には成瀬が白瀬を殺したことになるんだから。そしたら、あたしは成瀬を殺す」

 三崎は言い放つと、ナイフの刃先を俺の方へ向けてくる。

 ということは、俺は何をするにしても、三崎に殺されるということか。

「それって、俺からしたら、どっちを選んでもゲームオーバーじゃ……」

「そうかもしれないわね。でも、成瀬は警察にあたしのことを突き出せばいいっていう選択肢もあると思うけど? まあ、それまでの間に、あたしに殺されなければという条件付きだけど」

 三崎は再び俺の方へ歩み寄ってくる。どうやら、俺の返事次第では、刺し殺す気らしい。

 俺はどうすれば、今の場を切り抜けられるか、必死に頭を巡らす。表向きは、三崎に余裕そうな様子を見せつつ。

 しばらくして、俺はとあることを思いつく。

「三崎」

「何よ?」

「ちょっと、買い物に付き合ってもらってもいいか?」

「買い物?」

「ああ」

 俺の返事に、訝しげな視線を向けてくる三崎。

 だが、気にしてはいられない。

 でないと、俺は今の危機を乗り越えられないと考えているからだ。

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