第2話前世はヤクザでした

「はぁ……はぁ……はぁ……」


 薄暗い部屋で、六道イブはその吐息を荒くしていた。

キャミソール一枚に、下はパンツのみの姿。

濡れた髪は顔に張り付き、息を吐くたびにほのかに揺れる。


 力んだ表情に熱を帯びる肌。

もう終わりがみえてくると、イヴは最後の上下運動に力を込めた。


「30……!」


 終わった。

目指していた回数にたどり着くと、その場に身体を横たえて荒い息を整える。



「はぁ……はぁ……はぁ……」


 汗ばんだ身体。キャミソールは汗でびしょびしょに濡れると染みを残している。


 部屋をノックする音がして、母親が顔を出した。


「イヴ、そんな汗だくで何してんの?」


「腕立て……」


「腕立て伏せ? あんたいつからそんな体育会系になったの?」


「別に。体力ないからやってるだけだよ」


「ふーん。いいことだけどね。前は運動なんかこれっぽちもしない子だったのに」


 子供の変化に母親は唇を尖らす。

どうも最近娘の様子が変わってしまった。

これまでは運動など好んでするような子ではなかった。

どちらかといえばインドア派で、時間が空けばスマホを見ながらぐうたらしたり、パソコンに張り付いて動画を見るだけの子だった。

あまりにもだれていることが多く、それはそれで心配はしていた。


 が、しかし。


 今の娘ときたらどうだろうか。

こんなにも汗だくになって腕立て伏せなどしている。

その見た目もパンツとキャミソールのみ。

ちょっと前ならば、ここまで肌を露出した格好など家の中でもしたことがなかった。


「イヴ、彼氏でも出来た?」


 彼氏が出来たのが原因だろうかと探る。


「まさか。彼氏なんてつくらねーよ」


「ふーん……じゃぁ、なんでそんなに変わったの?」


「別に」


「別にって、最近あんた変じゃない。髪は染めるし、スカートは短くなるし。性格も男っぽいっていうか」


 向かうあう視線も、娘のそれではないように感じる。

こういった話をすると、イヴは面倒くさそうに視線を背けるばかりだった。

適当な返事をして、適当にその場を流す。それが今までの所作だった。

なのに、今のイヴは薄暗い部屋でもわかる鋭い眼光をすると、一切に視線を逸らすことなく、突き刺さるような視線を向けている。


「こんな娘、嫌い?」


「バカ、そういうんじゃないわよ。ちょっと心配しただけ」


「そっか。でも、大丈夫だ。人の道をそれるようなことはしないから」


「人の道をそれるって。まるでヤクザみたいなこと言うわね」


「はは……ちょっとシャワー浴びてくる」


「うん、そろそろお父さんも帰ってくるだろうし、シャワー浴びたらごはんよ」


「はいよ」


 汗にまみれた髪をかき上げながらイヴは部屋から出ていく。


 本当に、すっかり変わってしまった。

少し前、娘の部屋はオタク趣味まっしぐらな部屋だった。

部屋には男のアニメキャラクターのポスターやフィギュア、漫画なんかが所せましと並んでいた。

ある時を境に、娘はそれらを全て売り払ってしまうと、その金を元にトレーニングのグッズや女の子とは思えない家具を買いそろえていた。

数か月前まではアニメに支配されていた部屋には、今はダンベルが転がっている。

壁にポスターはなく、漫画が詰まっていた本棚には漫画の代わりに時代小説や渋すぎる昔の俳優の本などが並ぶ。

どうすればここまで変わってしまえるのか。

娘の変化に戸惑いながらも、でも、それが娘であるならと母は部屋を閉じた。


 シャワーから上がると父も帰宅していた。

三人で食卓を囲むと、今度は父がまじまじと娘のことを見つめている。


「なんだよ」


 あまりにじっと見ているので、イヴは父に刺さるような視線と言葉を向けた。


「イヴちゃん、姿勢がいいなぁって」


「……そう?」


「うん。前はスマホみながらごはん食べたり、猫背だったのにね」


 安物の発泡酒を飲みながら、父は剥げた頭をタオルで拭う。


「別にいいことでしょう」


 イヴの所作は両親よりも清く正しく美しかった。

ピンと伸びた背。茶碗の持ち方も、箸の運び方も、その咀嚼の姿でさえも、全ての動作に気品が溢れている。


「イヴちゃん」


「なに」


「彼氏でも出来たの……?」


 恐る恐る聞く父。

イヴは母と同じ質問を繰り返され、また刺さるような視線を向ける。


「出来てないし、いらない」


「そう……そっか、そっか。良かった」


 一安心出来たのか、父はグラスに注がれた発泡酒を一気に流し込む。


「ご馳走様」


 早々に食事を切り上げたイヴは空いた茶碗を台所に運ぶと、さっさと食器たちを洗い始めた。

その様子に、母と父が顔を見合わせる。

 以前は食べたら食べたで、さっさと部屋に戻ってだらけている娘だったはず。

なのに今はどうしたことか、自分の食器は言わずとも自分で洗って片付けている。

それはそれで良いことではあるが、娘が急にそんなことをしだすと両親としては何かあったのではないかと疑ってしまう。


「ママ、イヴちゃんが茶碗洗ってるよ」


「うん」


「イヴちゃんどうしちゃったの」


「知らない。でもいいじゃない、娘も少しは大人になったってことでしょ」


 母はそういって残った食事を勧める。父は少し寂し気な表情だ。

なにを思ったか父は立ち上がると、ビジネスバックから財布を取り出した。


「イヴちゃん」


「今度はなに?」


 食器を片付けたイヴは部屋に戻ろうとしていた。


「最近頑張ってるから、少しお小遣い」


 そう言って差し出したのは5000円札だ。


「……ありがとうございます」


 頭を下げて、札を両手で受け取る。

 これも今までにはなかった反応だ。

ちょっと前ならもっと盛大に喜んだり、金に釣られて上機嫌になって黄色い声をあげていたのに。

大人というか、なんというか。

でも、断らないのだから子供な部分はあるのだろう。


「何かあったらパパでもママでも言うんだよ」


「ありがとう、親父」


 親父、という言葉に父は顔をひょっとこのように歪ませた。

今までだったら、パパと呼んでいた。

なのに、今イヴの口から出た言葉はそんな優しいものではなく、まるで男の子が父を呼ぶような言葉。


 イヴが部屋に戻ると、父は神妙な顔をしながらまた発泡酒を口に運んだ。


「ママ、今の聞いた?」


「聞いてたけど、なに?」


「パパじゃなくて親父だって……」


「……最近趣味が変わったみたいだから、その影響じゃない?」


「そうかなぁ」


「あの年の子は影響されやすいから。あたしだって昔は色んなものに興味あったし」


「そうかな……そういえば、最近僕の衣類と一緒に洗濯しても怒らなくなったね」


「言われてみればそうね……それどころか、この前自分で洗濯干してたし」


「イヴちゃんどうしちゃったの。洗濯なんか出来たの?」


「洗濯ぐらい出来るでしょ」


「なんだか、パパ心配になってきたよ」


「自分で家事をするようになったんだからいいことでしょ。変な道に走ってるわけじゃないし」


「そっかぁ。そうだよね、イヴちゃんはイヴちゃんだもんね」


「そうよ。別に髪染めたりスカート短くなったのも、年ごろのせいかもだし」


「でもさ、最近イヴちゃん可愛くなりすぎてる。パパは心配です」


 そんな会話をイヴは耳にしていた。

変わってしまった自分に、やはり両親は違和感を感じている。

だが、母はそれを年のせいだろうとうまく導いてくれた。


 階段をあがって自室へと戻る。

パソコンの電源を入れると、イヴは慣れた手つきでキーボードをたたき始めた。


 検索サイトを開くと、イヴは女子高生らしからぬワードを検索しはじめる。


『女子高生 流行り』


『女子高生らしくあるためには』


『女の子っぽくなる方法』


 検索してはお気にいりに登録し、記事に乗っている文や写真の一つ一つに目を通していく。


「韓国系のコスメやファッションが今の流行りか……」


 一通り目を通すと背伸びして一息つく。

女子高生らしい見た目であるためには、流行を追いかけ、その時代に合わせた格好や見た目でなければならない。

今時の女子高生らしくあるために、イヴは毎日のようにこういった検索をしてはネットの海を彷徨った。


 あれは、16歳の誕生日のことだった。

 母親が用意してくれた真っ赤なストロベリーケーキ。

赤すぎるケーキはワインレッド色で、まるで血のように見えた。

ナイフでケーキを解体していると、つけっぱなしだったテレビから『警察24時』みたいな番組の音声が聞こえてきた。


『その瞬間! 警官とヤクザの争いがはじまった!』


 ヤクザというワード。

 目の前にあるナイフと、ワインレッド。


 テレビから聞こえる怒鳴り声。銃声。

 ケーキにかけられたイチゴのソースは血のようにどろりと落ちる。


 ガシャン。


 イヴはテーブルを叩きつけると、目を見開いて立ち上がった。

いきなり立ち上がった娘に両親は目を丸くすると、小刻みに震える娘を見た。


「思い……出した……」


「思い出したって、なにを思い出したの」


 尋ねる母に、イヴは無言で座ると震える身体を抱きしめている。


「俺が――」


「俺?」


 バンバン。

テレビからは銃声がする。


「撃たれたときのこと」

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