後期・大陸間戦争編
第55話 後期の始業式
北の神国を除くアイリツ大陸三か国への学術旅行も終わり、ユリスの宿舎への御泊り会も終えてビテンとマリンの日常が戻ってきた。
というか夏季休暇が終わった。
大陸魔術学院は教養機関としては別の世界の大学に近い制度を持つ。
単位の取捨選択。
講義室の移動。
研究室への所属。
などなど。
無論この場合の教養は、魔術が該当するため荒唐無稽であることは否めないが。
そして前期と後期に二分割された学期。
夏季休暇も終えたことで後期に突入したのだ。
とはいえビテンとマリンにおいては特に何かが変わるわけではない。
色付きマントを贈られ単位不問処置の身だ。
講義に出なくとも学院滞在が許される。
研究室の所属か会設を学院やその教授たちから求められているが、
「めんどい」
の一言で終わらせるビテンに敵はいなかった。
元より学院で公開されている魔術は網羅している二人だ。
今更研究室に所属して魔術の研鑽を積めようはずもない。
では自らの造詣を用いて研究室を開設するのが自然の流れだが、生来のものぐさと人見知りも手伝って踏み切るには至っていない。
ビテンは美少年。
マリンは美少女。
なおかつどちらも若い。
その上で神話学、神語学、魔術実践論、人語翻訳学などなど特に魔術の直接的行使においてはそこらの教授格の魔女より深淵だ。
何せ膨大な量にも及ぶ神語を全て網羅してあらゆる章の翻訳を可能とする。
即ちオールマイティーなジョーカーなのだ。
補足すれば神語は一般的な言語と違って文字数だけでも規格外の量におよび、一般的な魔女は自身のパーソナリティに合った魔術に使われる神語文字しか覚えない……というより覚えきれない。
これはどの魔女にも言えることで、むしろ神語文字を全て網羅しているビテンとマリンの能力を疑う方が正しい。
もっとも出世欲も名誉欲もない二人であるから言いふらして自慢することなぞ有り得ないのだが。
閑話休題。
「あう~……」
後期最初のイベント。
始業式に出るためビテンとマリンは今日一日の栄養となる朝食をもそもそと食べていた。
クルミパンとチーズとサラダと牛乳だ。
朝市からマリンが仕入れてきたものである。
「単位不問なんだから寝て過ごそうぜ」
もふもふとクルミパンを食べながらビテン。
「始業式と……ホームルームくらいは……出ないと……」
ちまちまとクルミパンを食べながらマリン。
「あんな大講堂に男一人だぜ? プレッシャーだっつーの」
このビテンの言は正しくない。
面の皮の厚さでは右に出る者のないビテンだ。
うんざりはすれど気後れはしない。
ただ面倒であることも否定できないだけだ。
「我慢して……」
「等身大ポップに代わりは務まらないかね?」
「そこまで……出席したくないの……?」
「むしろ何がそこまでお前を始業式に急き立てる?」
質問に質問で返す。
「別に意味は無いけど……。講義に出ない分だけ……他はちゃんとしなきゃって……思うだけ……」
「特に生産的な行為じゃねえな」
「それをビテンが言う……?」
「まったくだ」
惰眠。
サボタージュ。
不遜。
卑怯。
こと生産的などと云う言葉から限りなく遠い男である。
もそもそと朝食を咀嚼嚥下し牛乳の一気飲みで胃に流し込んだ後、ビテンは握っていたコップをタンとテーブルに据えた。
「じゃあこっちから一つ要望」
「なに……?」
「始業式の間は手を繋いでいてくれ」
「あう……」
茹で上がるマリンだった。
愛らしく萌え萌えでギュッと抱きしめたくなったが一応自制する。
「やっぱ可愛いなお前」
破顔してそう言うと、
「あう……。それ……どうにかならない……?」
マリンはそう言った。
「何か不備が?」
「可愛い……とか……愛してる……とか……」
「マリニスト故」
今更だ。
「研究室……開いて……ハーレム……作ったら……?」
「マリン以外の乙女にかかずらうのはなぁ」
天井を見やり鼻先を掻きながらぼんやりとビテンは言った。
「あう……」
マリンはもはや言葉が無かった。
自身の慕情自体はマリンも自覚している。
そしてビテンの入れ込みようも欠損なく把握している。
相思相愛を自覚してはいるのだ。
その上でマリンはビテンに一線引いていた。
その線は当然視認すること出来ないが、把握自体はビテンもしている。
そうでなければ今の状況は成り立っていない。
が、マリンのソレが何に起因するモノなのか?
ビテンにはわからなかった。
マリンの口も堅く聞き出しようもなかったから、
「実は俺のこと嫌いか?」
などと問うてしまう。
「そ……そんなこと……ない……よ……」
「ならいいんだが……」
結局有耶無耶になるのも何時ものことだ。
ともあれ始業式である。
*
女子たちの好奇の視線に晒されてビテンは辟易していた。
マリンと仲睦まじく手を繋いでいるため牽制にはなったが、それにしても量が量だ。
思春期の乙女たちが物珍しくビテンを見やるのはしょうがない。
女性同士の行き過ぎた友情も稀に発生するため全てとはいかないが、それでも男であり、なおかつ見目麗しい美少年だ。
追記……魔術師でもある。
それも並々ならぬ。
大陸で噂されている魔女(?)の一人であり、尾ひれがついた評価は風の囁きによってビテンの耳にも届いているがそれは精神的疲労を患う以上のものではなかった。
である以上、魔女の卵たちがそんな噂を囁き、憧憬し、恋慕し、興味を持つのは必然だ。
乙女の園に男一匹。
ビテンでなくとも逃げ出したい状況だろう。
かろうじてビテンが自然体に振る舞えるのは偏にマリンに勇気を貰っているからに過ぎない。
そうでもなければ始業式を行なう場である大講堂にメギドフレイムを落とす事さえ検討の余地に入る。
ゲッシュの関係上理想論に堕すのだが。
結局のところ億千万の視線のレーザービームを軽減しようと隅っこの席に位置取るビテンとマリン。
噂は無視してギュッと仲良く手は繋いだまま。
ちなみに大陸魔術学院の生徒は万単位でいるため幾つかの大講堂に分かれて各々始業式に参加している。
ともあれビテンはあまりの視線に耐えきれず(というと嘘になるが)意識を手放して舟を漕いだ。
マリンに、
「後ヨロシク」
とだけ言って。
中略。
「ビテン……起きて……」
始業式が終わるとマリンがビテンを揺り起こす。
そしてホームルーム。
一年一組の教室でビテンはまた寝こけていた。
不遜と云えばその通りだが誰も責めることは出来ない。
少なくとも魔女の卵たちにとっては。
一年の半分だけを魔術に割いているため一般的には自身のパーソナリティから入り神語文字の記憶を以てエンシェントレコードの断片的解読に終始する。
その程度の能力しか持ってはいない。
対してビテンは神語文字を網羅して多彩な魔術を行使する。
実力があるなら不遜が許される、というわけではないが講義の一切が耳目傾聴に値しないのもまた事実。
であるためビテンにとって講義とは既知のものであり冗長だ。
ビテンを奮起させるのは未知の魔術と惰眠と食事とマリンとの睦言に相違ない。
そしてそれを満たすにあたって決して学院に依存する必要も無いのだった。
エル研究会とて友情の範囲内だ。
ビテンの悪目立ちを避けるために人目に触れない場所が欲しく、なおかつ、
「縁がある友人たちに有益な知識をもたらすのならそれもいいか」
程度のことで設立した部活だ。
なおのことタチが悪いのはカイトとユリスを抱きこんだことだろう。
プリンスことカイト。
お姉様ことユリス。
この二人がいやがうえにもエル研究会を引き立てている。
それについては状況に流されただけでビテンに責任は無いが、カイトとユリスに憧憬している生徒たちにしてみれば反感を呼んで必然だろう。
無論、ビテンを憧憬している乙女たちも数多くいて、時折と云うには少しばかり足りないほどちょくちょく恋慕の告白とエル研究会への入会希望を主張されたりもする。
全て袖にしているビテンではあるが。
というわけでエル研究会は、
「選ばれし者のサロン」
という認識が大陸魔術学院における一種の通念だ。
学年首席のクズノ。
色付きのシダラ。
プリンスのカイト。
生徒会長かつ教授格のユリス。
そこに魔術の造詣において圧倒的アドバンテージを持つビテンとマリンがいるのだ。
もはやブランドと言って言い過ぎることでもなかった。
まして入会がビテンの一存で決まり、今まで誰しも途中入会していないという事実がエル研究会の敷居を高くしてもいる。
閑話休題。
「さて……」
と一年一組の担当教師がクラスメイトを見渡しながら言う。
「後期も始まりましたし、もう活動している生徒たちもいるでしょうけど、学院祭の季節です」
大陸魔術学院ならびに学院街が催すイベント。
一年に一度、後期の始めに執り行われる。
クラス単位で催し物を決めるため単位不問であろうとクラスのホームルームに参加せざるをえずマリンがなんとか宥めすかしてビテンとともに教室にいる理由だ。
「クラスの出し物を考えなくてはいけませんがどうしましょう?」
そんな提議を無視してビテンは寝ている。
いつでも起きられるように神経を尖らせながら。
こういう融通が利くのもビテンらしいが、それはともあれ。
「はい! ビテンくんの執事喫茶!」
「「「「「賛成!」」」」」
さすがに恋する青春乙女たち。
思考回路は似たり寄ったりだった。
マリンがビテンを起こす。
膝をつねって。
飛び起きて事情を把握すると、
「はぁ? 俺の執事喫茶? 冗談だろ」
まことビテニズムな言論を紡いだ。
そもそもにして、
「学院祭? 好きにしてろよ」
がビテンの御題目だ。
それとは別にビテン……それからマリンには後期に入ってからするべきことがある。
学院祭にかかずらう時間は無いのだった。
当然執事喫茶の案は没となる。
しかして学院祭のしがらみはそう容易くは解けなかった。
自業自得の側面もないではないが。
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