第52話 ユリスの憂い


 飛天図書館でのこと。


 毎度毎度ではあるが、


「マリン~。コ~ヒ~」


 ビテンはだらけながらコーヒーをねだった。


「はいな……」


 マリンもマリンで都合よく使われることに喜びを感じる性質だ。


 結局全員分のコーヒーを淹れてふるまった。


「ありがとうございますわ」


 とクズノが言う。


「どもっす」


 とシダラが言う。


「友情に感謝だ」


 とカイトが言う。


「すみません」


 とユリスが言う。


 当然この面々が揃っているため三次元上の座標は大陸魔術学院に相違ない。


 あの後……つまりキネリとの決闘を終えた後。


 非難轟轟でビテンの小賢しさを責め立てる観客らを気にも留めず飄々とし、特に卑怯に対する慙愧の念なぞ覚えようもない。


 むしろ、


「卑怯な手腕で負けを強いられたのだから決してキネリがビテンに後れを取ったわけではない」


 という証明にさえなる。


 要するに決闘に勝って尚且つキネリの名誉を傷つけない方法として最善手ではあったのだ。


 もっとも、あくまで結果論であってビテン自身は最小労力かつ最大効率として卑怯に身を落としただけなのだが。


 要約するならば、


「勝てればそれでいい」


 に尽きる。


 結果を求める際に手段を選ぶビテンではない。


 マキャベリズムの極致ではあるが、一応のところマリンとのゲッシュもあるため色々と苦労や面倒は起こりうる。


 かといってマリンを恨むことなぞ、例え引き換えに世界を滅ぼされようと出来ないビテンでもあるのだ。


 結果勝利を掠め取りシトネに皇国の禁忌魔術書の閲覧を確約させた後、ビテンとマリンは学術旅行を終えた。


 北の神国に伝わる魔術は網羅しているが、それに加えて此度の旅行で他三か国の禁忌魔術の閲覧権を手に入れたのだ。


 まだ記録はしていないが、転送魔法陣で帝都と王都と皇都にはすぐにでも行ける。


「生き急ぐこともない」


「まぁゆったりやるさ」


 そう嘯くビテンであった。


 さて、


「…………」


 マリンのコーヒーを飲み終えるとビテンはくてっとテーブルに片頬を付けて脱力する。


 マリンはそれを微笑ましそうに見ていた。


 クズノはゼロの章の遡行翻訳。


 シダラはメギドフレイムの翻訳。


 カイトは無の章の遡行翻訳。


 ユリスはとある魔術の遡行翻訳を終えて人語翻訳に移っていた。


 ビテンの知ったこっちゃなかったが。


「マリン。ここの翻訳ですが……」


 マリンの魔術に対する造詣はビテンに勝り劣らない。


 ビテンが怠け者モードに突入している以上、マリンに指導を受けようというヒロインたちの判断はむべなるかな。


 サラサラ。


 カリカリ。


 ペン先が紙面を奔る。


 思案。


 後の理解。


 が、一朝一夕で覚えられるものでもない。


 元より四人が覚えようとしている魔術はどれもある種の極致だ。


 当然理解の方法も難解なれば記憶に必要な容量も天井知らず。


 しかしてそれを達成してこそエンシェントレコードは人に恵みを与える。


 エンシェントレコードの攻撃性を恵みと呼べるかはまた別の問題でもあるが。


「…………」


 ちなみに脱力しているビテンではあるが頭の回転は目まぐるしかった。


 東の皇国で覚えた水氷雪属性の魔術の翻訳および理解を進めている。


 膨大な神語文字を解して、その羅列を問い、人語に訳する作業だ。


 とはいえ禁忌魔術さえ覚えているビテン。


 図書館で閲覧できる程度の魔術ならば七日もあれば習得できる。


 東の皇国ではわたわたとしていたため理解を深める機会があまりなかったが、こうやっていつもの場所で飛天図書館に籠ればコンセントレーションもいやがうえにも高まると云うものである。


 それはマリンにも言えることだが。


 クズノとシダラとカイトとユリスは魔術書並びに白紙書に向かう。


 それとは別にビテンとマリンも頭の中でエンシェントレコードの詩を解読してのけているのだった。


 それを察せられる四人ではないが。


「マリン~」


「はいな……?」


「コーヒー」


「はいな……」


 そんなわけで体よく利用されるマリンと利用するビテン。


「ビテン……」


 とこれはクズノ。


 白い瞳は責めるようで。


「マリンを何か便利なものだと思っていません?」


 皮肉の一つも出ようと云うものだ。


「思ってる」


 対するビテンはサッパリしたものだった。


「いいの……」


 とこれはマリン。


「ビテンに……奉仕するのが……私の幸せ……」


 重症だった。


 どちらもがどちらともに。


 理解は出来ても納得は出来ない。


 その底にある嫉妬の感情をビテンが理解できるはずもなかったが。




    *




 夏季休暇も四分の三を消化した形になる。


 西の帝国で四分の一。


 南の王国で四分の一。


 東の皇国で四分の一。


 それぞれ昇華して合計四分の三である。


 残る四分の一の期間は学院で過ごすことになった。


 マリンが実家に帰りたがらないためだ。


 ビテンとしても頷けた。


 マリンとは別の意味でだが。


 デミィの件である。


 次期枢機卿であるビテンにとってデミィは天敵だ。


 蔑にしたいが出来ない存在。


 一言にすれば、


「苦手」


 で済む話でもあるのだが。


 そんなわけで学院に残ることにする二人であった。


「便りのないのは良い便り」


 なんて言葉もある。


 いちいち面倒くさいことかまけているほどビテンの精神は忍べない。


 結局そういう形に落ち着くのが必然ではあった。


 エル研究会の今日の活動も終わったとなった後、


「ビテン。マリン」


 とユリスが二人に声をかけた。


 既にクズノとシダラとカイトは解散している。


「何だ?」


「何でしょう……」


 問う二人に、


「私の研究室に来てくださいな。夕餉を振るってご覧にいれます」


 ユリスは夕食の御供を二人に提案した。


「私は……いいけど……」


 マリンはチラリとビテンを見やる。


 ビテンはむず痒そうな表情だ。


「俺は久しぶりにマリンの手料理が食べたいんだがな」


「では私の研究室で腕を振るってもらいましょう」


 めげないユリスに、


「あう……」


 とマリンが引っ込み思案で、


「それならまぁ」


 とビテンは飄々。


 そんなわけでビテンとマリンとユリスはユリスの研究室に向かったのだった。


 研究室を持てるというのは一種のアドバンテージだ。


 学生寮とは比べるべくもない。


 宿舎と研究室が割り振られ、ある程度自由が許される。


 もっともユリスにしてみれば生徒会長の仕事もあるので、


「何もかも自由に」


 とはいかないのだが。


 ともあれユリスの宿舎である。


 整頓されたキッチンに豊富な材料。


 夕餉の準備は万端だ。


「ホットサンドで……いいかな……?」


 マリンが問う。


 反対意見は出なかった。


「ふわ……」


 とマリンが委縮する。


 ユリスの宿舎に入ったのもそうだが、キッチンの完備具合にも舌をまいたのだ。


 学生寮の二人部屋にもキッチンはあるが、完成度が違う。


 学生寮のソレが特に料理するにあたって不都合が生じるほど不便なモノではないにしても、宿舎のキッチンはより機能的だった。


 こういうところは研究室持ちのメリットと言えるだろう。


「ビテンも研究室を持てばこんな生活が出来ますよ?」


「マリンと二人部屋が理想だから特に感慨は湧かないがな」


 マリニストらしい言の葉だった。


「ふむ」


 と呟いてマリンの淹れてくれた食前茶を飲むユリス。


 金色の髪が揺れ、金色の瞳が揺れ、重たい乳房が揺れた。


 さて、


「とりあえず物は相談なんだが」


 とユリスは切り出した。


「何だ?」


「ビテンとマリンにはしばらくこちらで生活しては貰えないか?」


「何ゆえ?」


 ビテンの疑問も尤もだ。


「何せクズノとシダラとカイトの家には泊まったのだろう?」


「そりゃまぁ」


 事実ではある。


「では私とも深い関係を築いてほしい」


 まことさっぱりとユリスは言う。


 が、金色の瞳は真摯だった。


「……ん~」


 言葉に迷うビテン。


「何なら一緒にお風呂に入ってもいいのだ。私のこの大きな胸を好きにしたいとは思わないか?」


 テーブルにタプンと乗せられるユリスの巨乳。


 金髪金眼の美少女はスタイルにおいても規格外だ。


「言いたいことはわかった」


「曖昧だな」


「マリンはどう思う?」


「あう……。これも良い機会かと……」


「まぁそうだわな」


 マリンの心情を朧気なく酌めるビテンだった。


「じゃあしばらく世話になる」


 茶を飲みながらビテンは言った。


「私を求めたいなら何時でも言ってくれたまえ」


「皮算用だがな」


 マリン至上主義にしてみれば特に有難がることでもない。


 それから魔術についてアレコレ議論を交わしていると、


「あう……。ビテン……ユリス……」


 マリンが三人分のホットサンドを提出した。


 恋慕故の甘さを堪能するビテンだった。


「そういやベッドは足りるのか?」


「問題ないよ」


 ユリスはそう言って金色の髪と瞳を揺らすのだった。

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