第25話 とある魔女の卵


「起きなさいビテン! 出てきなさいマリン!」


 元よりサボリ癖の強かったビテンはともあれ最近は真面目一徹だったマリンさえも平気の平左で講義をサボり気味だった。


 色付きが確定している二人だからいずれにせよ単位不問処置は当然なのだが、


「まだ色付きではなくてよ!」


 クズノは荒々しく玄関ベルを鳴らす。


 が、二人は無反応。


 ビテンとマリンが何をしているのか。


 そもそも本当に部屋にいるのか。


 根本から疑ってしまうクズノであった。


 希望を全て捨てなくてはならない門のようにさえクズノには思えたのだ。


 で、そのビテンとマリンは「座標としての自身らの学生寮」に居て、


「マリン~。コーヒーおかわり」


「はいな……」


 とやりとりをしていた。


 図書館に設置してある簡素な機械でコーヒーを淹れる。


 ついでに愛情もたっぷり入れる。


 ノンシュガーであるのに溜飲する甘さをビテンは感じていた。


 表現ほど否定的な感情ではないが。


 さらに補足するならば学院の図書館は一切飲食禁止だ。


 飲食物を秘密裏に持ちこんで本と共に嗜む生徒も居るには居るが、そもそも前提として、


「図書館にコーヒーマシンがある」


 というのが矛盾も甚だしい。


 では何処かと問われれば、


「三次元座標自体は寮部屋だが四次元方向に少しずれた世界」


 と言わざるを得ない。


 新規に世界を創って維持しているのである。


 その世界にはこういう名前がついている。


 飛天図書館。


 ビテンの魔術……ひいてはエンシェントレコードの記憶および記録が書庫として再現されている新世界。


 アナザーワールドと呼ばれる異世界を構築する魔術の因果だ。


 当然現実世界とは隔離されるため、クズノが幾ら玄関ベルを鳴らそうと一寸も届くはずもない。


 そこでビテンはとある魔術と真っ向から対面していた。


 と云えば真面目に魔術を研鑽している様に聞こえるが、そもそもここはビテンの記録を書庫化した世界であるためビテンにとっては既知の概念でしかない。


 書庫なぞ読まなくとも記憶いずれも失われず、明確に世界創造の法を行使することが出来る。


 ビテンがマリンを巻き込んで飛天図書館に引き籠った当初、マリンは問うたものだ。


「何するの……?」


 と。


 対するビテンの答えは簡潔を極めた。


「ボランティア」


 それだけ。


 それから膨大な紙にエンシェントレコードの一部を書き記していく。


 とある魔術の章だ。


 もはやビテンの象徴とも言える悪名高きフレアパールネックレス。


 自身が神語から人語に堕天させたものを、また神語へと再至天させる作業だ。


 当然飛天図書館にフレアパールネックレスの書物があるということはビテン自身もその具現に必要な知識を持っている証明でもある。


 人語に堕した神代の詩をつらつらと紙に書き記していって、時折悩み、時折マリンのコーヒーを飲み、時折不平を言って、最終的に作業に戻る。


 マリンにしてみれば、


「何をやっているんだろう?」


 と云うことになるのだが、


「単なるボランティア」


 とやっぱりビテンはそれだけ。


 ビテンがフレアパールネックレスに執着する必要は本来は無い。


 そもそもアイリツ大陸の四か国は、ある種の上級あるいは特級に分類される禁忌魔術以外は大陸魔術学院と共有している。


 そしてビテンは自身がマリン……つまり枢機卿の家に世話になっている手前、当時は教皇最右翼であったデミィとも仲が良く、持っている知的能力も相まって北の神国の魔術を網羅しているのだ。


 学院の図書館を尋ねれば存在するフレアパールネックレスを記すにしても何故わざわざ飛天図書館なのか。


 そうマリンが尋ねると、


「マリンのコーヒーが無いとやる気が出ん」


 まことあっさりとした答えが返ってきた。


 学院の図書館は飲食禁止。


 対して飛天図書館はコーヒーや紅茶が用意できる。


 また図書館――だけではないのだが――を素直に利用すると、生徒の奇異の視線を全面的に受けることになる。


 精神的疲労は計り知れない。


 対して飛天図書館は自身と自身の許した者しか入館できない。


 つまり落ち着いて物事に取り組めるわけだ。


 この場合、唯一ビテンが心を許しているマリンだけ傍に居ることがビテンの熱意に直接的に繋がっている。


 エル研究会の面々、つまりクズノとシダラとカイトとユリスも学友とはいえるが、此度においては精神的に足を引っ張る因子でもある。


 特別エル研究会の面々をこき下ろすつもりはビテンにはない。


 単にマリニズムを患っているというだけだ。


 このレゾンデートルがマリンにすれば危惧の対象なのだが口にすることはあまりない。


 ビテンに世界を広げてほしいのは正しいとして、しかして理想的な男の子が傍に居る多幸感というものは麻薬と同等の依存症がある。


 実際のところ物理的かつ精神的にマリンに依存しているビテンであるが、精神的な依存具合はマリンとて引けをとらない。


 照れ屋で臆病で恥ずかしがり屋で人見知りで排他的で多くのコンプレックスを持っているマリンにはビテンが眩しく感じられる。


 甘えているという一点においてはビテンもマリンも五十歩百歩なのだ。


 コーヒーを飲み干してビテンが言った。


「マリン。コーヒー」


「はいな……」


 故にマリンはビテンに奉仕することにあまり懐疑的ではなかった。


 ビテンはマリンのコーヒー片手にフレアパールネックレスの神語化を進める。


 時折堕天人語化への翻訳助長を記しながら。


 数日も経てばマリンはビテンのやりたいことを透けて見ることが出来た。


 ビテンはボランティアと言った。


 つまりフレアパールネックレスを他者に講義しようというのだろう。


 今やっているのはそのための資料作りなのだ。




    *




「風にて断罪せよ」


 とある講義。


 ビテンが講師の造りだした全長三メートルものメタルゴーレムをまるでバターを焼き切る様にいとも抵抗なく両断したことに端を発する。


 その行使した魔術……ギロチンはあまりに強力なソレだった。


 なお状況が悪かった。


 とある少女はメタルゴーレムを挟んでビテンと対称的な位置で講義を見ていたのだ。


 強風でも突風でも颶風でも表現としては追いつかない。


 あまりに威力的な風の斬撃がすぐそばを通過した。


 ギロチンの斬撃はアリーナの観客席や壁を易々と切り裂いてアリーナ外へと爪痕を広げたのだ。


 偶然延長線上に教授や講師や生徒がいなかったことが幸いだったが、そんなことは問題にもならない。


 少女が、自身が生きていることに疑問視するほど圧倒的な存在感。


 男でありながら魔術を扱う。


 男を劣等種と嘲笑う魔女をこそ嘲笑うビテンの魔術だった。


 講義の関係上、場にいながら驚愕を友にする生徒や、観客席で声を失っている生徒が続発する中、少女は決めた。


「ビテンを師事しよう」


 と。


 それから少女はビテンを追いかけた。


 もっとも辿り着くことは出来なかったが。


 元より大陸魔術学院は女学院である。


「男には使えない魔術を扱える女性優位」


 という選民思想に染まっている側面もある。


 これはいくらビテンが尽力しても解決できない類の問題であり、人の業……というより必要悪の一種だ。


 なおさらビテンも自身を誇ったりする意図がないため意見は二極化した。


「男のくせに生意気な」


 と、


「魔術師ってすごい!」


 の二つに。


 そして後者の男に免疫の無い生徒の一部がビテンファンクラブなるものを創った。


 その威圧的活動故に安易にビテンに近づけなかった……という事情もある。


 少女自体も男に免疫が無かったため美少年と呼んで足りるビテンに淡い憧れを持つのもしょうがないと云えばない。


 そんなわけで少女にとっては、


「話しかけたくても無理筋だ」


 という結論に至る。


 ちょこちょことビテンの背中を追いかけてはプレッシャーに負けて声を発せない。


 安直に言ってストーカーとなった。


 もっともソレは少女だけでなく一部のビテン支持者がそうであるためビテンにしてみれば複数の中の一個に相違なかったが。


 マリニズムゆえに恋する少女に容赦がない。


 ビテンにとって乙女とはマリンのことなのだ。


 幾多の女生徒がビテンに告白して散っていったかは四肢の指で数えられる限度を超えていた。


 それも少女がビテンに話しかけられない因子の一つだ。


 単純に師事したいとはいうものの恋慕ではないにしろ告白には違いない。


 断られることを思えば躊躇もしようというものだ。


 で、話が戻ってストーカー行為をするに終始する。


 時折目が合うと覗いていた壁の陰に逃げ込む。


 視線が外れればまたストーカー行為。


 そんなことの繰り返し。


「手段と目的がとっちらかっている」


 少女がそれを自覚し始めていたある日、ビテンは珍しくマリンたちエル研究会の面々と離れて単独行動をとった。


 エル研究会はビテンのハーレム。


 そんな噂は少女も耳にしたことがある。


 何せ一人も欠けることなく美少女だ。


 何よりその面々。


 学年首席のクズノに色付きのシダラ、プリンスのカイトに学院中から「お姉様」と慕われている生徒会長ユリス。


 あまりといえばあまりなメンツに凡庸な一生徒が介入する余地が見受けられない。


 誰もが、


「自分もエル研究会に所属したい」


 と思いながらも、その資格が自分にあるかと自己問答してしまうのだ。


 とくにプリンスとお姉様はキャラが強い。


 ビテンと並んで三すくみの勢力図を構築する二人である。


 逆になんでそこに我が物顔で所属しているのかわかられていないのがマリンだったが、ビテンにとってのマリンがどれだけ大切な女の子なのか理解できるはずもないので衆人環視にとっては永遠の謎だ。


 少女もその一人。


 話を戻して……一人になったビテンを少女は追いかけた。


 ビテンは人気の無い方へと歩いていく。


 少女にとって都合がいいのは事実だ。


 とあるアリーナの日陰に入っていったビテンがその外壁に隠れると同時に、


「我は希薄なれば」


 とポツリと言葉を発した。


 自身を透明化するインヴィジブルの呪文だとは知らない少女は、ビテンを追っかけてアリーナの壁を覗き込んで誰もいないことに絶句した。


 消えたビテンの行先を予想しかつ意識迷走して何だろうとぼやいていると、


「こっちのセリフだ」


 背後からビテンの声が聞こえた。


「くぁwせdrftgyふじこlp!」


 驚愕を乗算した声とともに飛び上がり背後を振り向いてビテンと視線を交わす。


 つまりビテンがアリーナの角を曲がった後でインヴィジブルを起動、涼やかに少女の背後を取ってインヴィジブルを解除したというだけなのだが。


「とにかく落ち着け」


 とビテンに言われ、息を整える。


 次いで、


「俺に何か用か?」


 尋問される。


 既にストーカーされていることを看破されていて、そこに何の意図があるのか聞きたかったらしい。


 呼吸を整え意識を明瞭にし動悸激しく熱意にかられると少女は告白した。


「私の魔術の師匠になってください!」


「嫌」


「私の体を捧げます!」


「いらん」


「処女です!」


「なら尚更だな」


 ビテンの言葉は端的で容赦がなかった。


 少女には酷だがそれがビテンの人間性だ。


「そもそも俺を師事して何の魔術を覚えたいんだ?」


 と問われて、


「とにかくすごい魔術を……!」


 と答える辺り青写真は描けていないにもほどがある。


 ビテンは少女の手を取り握手をすると、


「万象一切が我が盲を開く」


 レコードの魔術を唱えた。


 対象から目的に沿った情報を抽出する魔術だ。


 先ほどのインヴィジブル同様マイナーなソレ。


「キャパは中の上。魔術特性は火属性寄りか」


 簡潔に少女の魔術素養を看破してのけた。


「ふえ? え……?」


 意味不明を顔で表現する少女にうんうんと頷いた後、


「暇潰しには十分か」


 そう言ってビテンは歩み去った。


 数日後。


 ビテンは百科事典なみに厚い紙の束を持って少女と再会した。


「ほい。フレアパールネックレスの神語逆訳テキストと翻訳助長テキスト。だいたいこれを読めばフレアパールネックレスへの理解の助けになるはずだ」


「え?」


「お前のキャパならフレアパールネックレス程度は扱えるようになる。火の属性と親和性が高いしな」


「え?」


「これで義理は果たした。もう俺に付き纏うなよ」


「え?」


 そしてビテンは少女の元を去った。

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