携帯①

「おい」

 俺が冷ややかな目線を向ける先には、三島。

「あ、吉田センパイ。お昼一緒に食べます?」

「ちげぇよ馬鹿。お前は一日に一度何かやらかさないと気が済まねぇのか?」

 俺が訊くと、三島は首を傾げた。

 はて? という明らかにとぼけている態度が頭に来る。お前が技術はしっかりあるくせに手を抜いてるやつだというのはもう知っているんだぞ。

「今すぐ直せ」

「ど、どこをですか」

「言わなくても分かってんだろ? え?」

 俺が青筋を浮かべながら詰め寄ると、三島は慌てたようにあたりを見回した。そして、こそりと俺の耳に口を近づけて、小さな声で話す。

「昨日も言ったじゃないですか。私は適度に力を抜いてですね……」

 甘っちょろいことを言っているので、俺は三島の肩に腕を回して、ぐいと顔を近づけた。

 こうすれば、こちらの声も周りにはあまり聞こえなくなる。

「いいか。昨日は飲みの場だから何も口を出さなかっただけで、お前のそのやり方を俺が肯定したわけじゃねぇ。勘違いすんな」

「そんな! じゃあ私、キリキリ働かされちゃうんですか」

「当たり前だろ、お前以外はみんなキリキリ働いてんだよ」

「げぇ……」

 三島は露骨にげんなりとした表情を見せる。

 ふと視線を上げると、遠くのデスクの後藤さんと目が合った。ばっちり、目が合った。

 俺は、慌てて三島と組んでいた肩をほどいて、咳払いをする。

「とにかく、昼休憩前に直せ」

「えっ、昼休憩まであと一時間もないじゃないですか」

 口答えする三島に、俺はにこりと微笑んでやる。

「やれ」

「うえぇ……」

 やれることは分かっているのだ。だとしたらやらせる。本人がつぶれてしまわない程度には働いてもらわないとこちらも困るのだ。

 渋々仕事にとりかかる三島を横目に、俺も自分の席に戻ろうとする。

 が。

「吉田君! ちょっといい?」

 遠くのデスクから声がかかった。

 ぎょっとして振り返ると、声の主は、後藤さんである。

「はい?」

 自分を指さして首を傾げると、後藤さんは首をこくこくと縦に振って、手招きをした。

 え、なんですか。俺、なんかやらかしたか?

 冷や汗がにじみ出てくる。

 後藤さんには最近フられたという精神的な気まずさもあるが、単純に彼女は俺の上司である。

 最近は人事も掛け持ちしている後藤さんはあまり俺の仕事に口出しはしてこなくなったが、上司に突然呼び出されるというのは冷や汗ものだった。

 嫌な汗をかきながら後藤さんの席まで行くと、後藤さんはにこりと微笑んで、自分のPCのキーボードをカタカタと鳴らした。

 そして、PC画面を指さして、再び微笑んだ。画面を見ろ、ということか?

 彼女のその仕草をそう解釈して、俺がおそるおそる画面をのぞき込むと。

『明日、退社した後、時間ある?』

 起動されたWord文書に、そう書いてあった。

「え、明日ですか」

 俺が口に出してそう訊くと、後藤さんは「シッ」と人差し指を口の前で立てて見せた。

「後で連絡ちょうだい」

 それだけ小さな声で言って、後藤さんは何事もなかったかのように自分のPCに向き直った。

 なんだ。どういう意味だ。ちょっと飲みにでも行くか! という空気ではない。

 デート? いや、フられた相手に突然デートに誘われるのは意味が分からない。

 俺が棒立ちで思考を巡らせていると、後藤さんがちらりと横目で俺を見た。

「もう、行って良いよ」

「あ、はい。失礼します!」

 さっさと戻れ、と言外に言われてしまった。俺は踵を返して自席を目指す。

 どうあれ、明日の仕事終わりには後藤さんとどこかに行かねばならないようだ。

 嬉しいような、そうでないような、微妙な気分になる。

 自席に戻る途中、ふと視線を感じてオフィスを見回すと、三島と目が合った。

 彼女は慌てて目を逸らして、わざとらしくキーボードをカタカタと鳴らした。

 お前は野次馬してないで働け。心中で毒づきながらも、すぐに後藤さんに思考を支配される。

 本当に、なんの呼び出しなのだろう。気が気ではなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る