第51話 犠牲




【ガーネット 現在】


 魔術壁を拳で打ち付けすぎた私は、当然手に痛みを感じていた。

 その痛みを、もうノエルは感じることはない。

 それは安堵する事柄のはずであるはずなのに、言葉では言い表せられない激しい喪失感を感じた。


「何故だ、白魔女! 何故私とノエルの契約を破棄させた!?」


 半ば崩落している城の中へノエルは消えていってしまった。

 まるでその華奢な背中は、私が最期に見るノエルの姿のように焼き付いている。

 まとめた赤い髪が揺れている姿も、白い肌が眩しく映る姿も、悲し気にしていた赤い眼も、何もかもを秘めて死んでいく姿のように感じた。


 ――冗談ではない……!


 私は半狂乱で白魔女に対して怒声を発した。


「何故だ、何故ノエルを行かせた!? 私は最後まであいつと生死を共にすると決めていた。なのに、なのに……!!」

「ノエルは……ゲルダと刺し違える覚悟で来ました」


 刺し違える覚悟などと言う言葉を聞いて、私は腸が煮えくり返るような思いだった。


「それは私も一緒だ!! 元に戻せ! 今からでもノエルを追いかける!!」


 白魔女は私の怒声に、相も変わらず暗い顔で話し始めた。


「ノエルもあなたと最後を迎えることは勿論覚悟していました」

「ならばなぜだ!?」

「しかし、あなたが……ノエルに想いを伝え、あなたが出会った頃と随分変わったことを私に話してくれました。ノエルは、あなたまで殺してしまうのが惜しくなったのです」


 その言葉を聞いて、私は言葉に詰まった。


 ――私が“好きだ”などと言ったから、契約を破棄することを決めたというのか……


「異界に初めて行く前に、ノエルはすでに契約を解く魔術式を作れないかと私に相談を持ち掛けてきました。不可能ではないと答えると、ノエルは魔術を作ってほしいと言っていました。随分前からノエルは契約を解く方法を探していたんです」


 私は、共に異界に行ったときのノエルの言葉を思い出す。

 必ず契約を解く方法を見つけると言っていた。後に「契約はこのままでいい」と話をしたが、それでも切り札として白魔女に契約破棄の魔術を作らせていたということだ。

 本当に、わけが解らない。

 私の気持ちなど、まったくノエルは考えていない。


「ノエルはあなたを……いえ、あなただけではありません。魔族たちを大切に思う気持ちが増したノエルは、戦いには巻き込みたくないと考えていたのです。生きていてほしいと願っていました」


 ――生きていればいいなどという問題では……


 そこまで考えて、私は思い出す。

 以前、まだノエルに出逢ったばかりの頃、ノエルに生きる意味を問われたことがあった。

「生きる意味などない」と私は言った。ノエルがあの時言っていた言葉の意味が、今更解った。

 これが“生きたいと思う意味”だということを。

 どこまでもノエルは私の感情を激しく揺さぶってくる。言葉では表現できない激しい感情が私の中で爆発寸前になっていた。


「お前はあいつを死なせてもいいのか!? 私を元に戻せ!!」

「それは無理です。あなたから摘出したノエルの血液は完全に蒸発させましたから。私が戻すことは出来ません」

「ならばここであの腐った魔女が魔術を変化させるまで待っていろと言うのか!!?」

「………………」


 私がそう訴えると、白魔女は泣きそうな顔をして、目を背けた。


「この魔術壁はノエルが作り出したものです」


 次から次へと白魔女が訳の分からないことを言うので、私は更に混乱した。

 何故? いつの間にこんなものを作った? そんな隙はあったのか?

 考えることは沢山あるが、飛び出しそうな心臓の鼓動を感じながら私は白魔女に問う。


「何を言っている……あの腐った魔女が作ったものだと言っていただろう!?」

「先ほどのアナベルとの会話は、あなたたち魔族を一時的に欺くための演技でした……」

「演技だと……?」

「致し方ない理由でもなければ、あなたたちは諦めなかったでしょう。ガーネットがすり抜けてしまったのはノエルとアナベルには意外なようでしたが……契約を破棄するのはノエルは決めていました」

「くっ……あの馬鹿者……!!」


 ガンッ……!


 やはり拳で殴っても防御壁はびくともしない。


「…………ノエルはギリギリまで迷っていたようでした。この戦いが終わるまでは維持していようとも考えていたようです。しかし意識の混濁が激しくなり、身体の著しい変化に対してこれ以上は危険と判断したのでしょう」

「……御託はいい。お前ならこの魔術壁に小さな穴をあけることができるだろう」

「できません。一応、ゲルダを外に出さないようにと張ったものですから」

「壊してでも入る。こんな争いをしていること自体が無意味だ」

「…………ノエルから伝言を預かっています」


 白魔女が一枚の紙を私に見えるように地面に置いた。何か書いてある。

 しかしこちらの文字は私には読めなかった。

 文章というほど長くはない。たった一行、何かが書いてあるだけなのに私は解らなかった。


「……読めない。お前が読め」

「この戦いに勝ったら、ノエルの口から直接聞けるでしょう」

「こざかしい魔女風情が……!!」


 ――こんなところで待っていられるか……あいつが……ノエルが中にいるというのに……


 私が白魔女に怒号を飛ばしている最中に、中からなにかの悲鳴や雷鳴の音、爆発音、何か崩れるような音が何度もけたたましく響いた。

 それを白魔女は振り返って冷や汗を出し、声や指を震わせながら話を続ける。


「私はノエルと合流して共に戦います。大人しくしていてください……それが彼女の願いです」


 白魔女は私に背を向けて城の中へと消えていった。


「…………してやられたな。ガーネット」

「うるさい! おいリゾン!! 魔術でこれに穴をあけろ!」

「……無理だと思うが?」

「何を諦めている!? ふざけるな!!」

「ここで全力で魔術を終結させてこれに穴をあけてどうする? その後戦えないだろう。どの程度の可能性か解らないが、ノエルが負けた後に弱った女王を仕留められるようにここで待っているのが賢明な判断だ」

「あいつを見殺しにするつもりか!?」


 私はリゾンの襟首を掴み上げた。

 掴みあげた手が震えてしまい、私の手の震えをリゾンは感じ取ったようで、呆れた表情でため息をつく。


「…………落ち着け。よほど傷ついたようだが、あの魔女は冷静な判断をした」

「あいつは正気じゃない……!」


 これほどまでに納得できないことがあるだろうか。

 契約の破棄については話し合いをした。ノエル本人も納得していた。にも拘わらずこんな選択をされたことに対して、悔しさと悲しさと怒りが入り混じる。


「ちっ……!」


 私は何度も何度もその防御壁を拳で殴った。

 殴ったところで、壊れないと解っていたのに。




 ◆◆◆




【ノエル 現在】


 暗い城の中を照らすと中は余すところなく血の海だった。

 魔女の遺体が凄惨な状態でその辺に打ち捨てられていて、骨や内臓がバラバラに散らばっている。

 襲ってくる異形の肉は何度か道を切り開くために魔術で攻撃すると、奥へ奥へと吸い込まれるように引いていった。

 魔術によって散らばった肉がゲルダのものなのか、あるいは元々倒れていた魔女の肉なのか判別がつかない。

 クロエもアナベルも、肉塊の口に身体の一部を食べられて負傷していた。

 アナベルは首筋、クロエは右手をそれぞれ少しばかり食いちぎられていた。傷は浅いが、クロエからはぽたりぽたりと血が滴っている。


「ノエル、もうすぐゲルダ様の部屋よ。何があるか予想がつかないわ。注意しなさい」


 そう言っているアナベルは珍しく緊張した面持ちだった。リサと対峙したときの表情と似ている。

 死体を操るしか能がないと思っていたが、アナベルは温度変化の魔術も使えるようで肉の温度を奪い凍らせたり、熱を加えて燃やしたりなどの魔術が使えた。

 クロエも雷撃で次々と襲ってくる肉の腕を薙ぎ払っていた。


「そうだね。シャーロットは大丈夫かな」

「大丈夫でしょ。あたしたちが進んできた後ろにはあの肉はなくなってるし」

「魔族の連中の力を借りた方が良かったんじゃないか?」

「……一長一短だと思ってる。ゲルダが魔女を食べることで魔力を蓄えているなら、魔族が食べられたらそれだけゲルダに力を与えることになってしまうし」


 ところどころ、天井が崩れて光が射しこんでいる。元々中を照らしていた魔術が切れて、光が射しこんでいないところは真っ暗だ。

 僕は見えるが、アナベルとクロエは暗闇では分が悪い。


「ここよ……」


 僕らは大きな扉の前まできた。

 その扉は半開きになっているものの、あの肉塊が分厚く扉に張り付いている。腕が不気味に動き回り、肉塊にある口から「ああああああ」という声が聞こえる。


 ――ここにゲルダがいる……膨大な熱量だ……それに腐臭や死臭も酷い……


 ゲルダに勝てるだろうか。

 いや、絶対に勝たなければならない。

 長年に渡るこの因縁に決着を今つけなければ、この世が滅茶苦茶になってしまう。


「ノエル」


 後ろから声がしたので僕は振り返った。

 タッタッタッタ……と息を少し切らしたシャーロットが走ってきた。その姿を見て僕は少しばかりホッとする。


「無事に合流できてよかった」

「ええ……」


 シャーロットは僕を見た後に扉のうごめく肉塊を見ると、ガタガタと震えだした。


「……重い役割を背負わせて悪かったね」

「いえ……大丈夫です」

「シャーロットは防御壁の中から出ないで。僕らが負傷したら中から治してほしい」

「わかりました……」


 シャーロットは扉の中のものに相当な恐怖を感じているようだ。

 クロエもアナベルも呼吸がいつもより早い。僕も心臓がばくばくいっている。それでも互いにそれを態度に出すことはない。


「シャーロット。守るから。信じて」

「……はい」

「行くよ」


 僕が近づくと、ぎょろぎょろとどこかを見ていた目が全て僕の方を向いた。それと同時に僕らに肉の波が押し寄せる。

 幾重にも腕を伸ばし、その腕に呑まれる前に僕はその肉塊の波を全て燃やし尽くした。

 片端から消し炭になり、やっとその視界が開ける。


「ぁあああぁああぁああああぁ!!!」


 扉ごと焼き払うと中の様子が見えた。


 そこで見た光景に僕ら全員は息を呑む。

 シャーロットの震えはより一層激しくなっていることも、僕は視界に入らないほどその光景に釘付けになる。


 グチャグチャ……クチャクチャ……


 そこには更に異形の姿へと変貌したゲルダの姿あった。

 この前見た芋虫のような姿から、逆に上半身がやせ細り、下半身が肉塊となり床へと広がっていて部屋中に広がっていた。部屋と同化してしまっている。

 その床の肉塊の上には白い羽と血まみれの羽が降り積もっている。まるで雪の上に血をまき散らしたように見えた。

 ドクンドクンと激しく肉塊は脈打っている。


 部屋の端には魔女らしき遺体が部屋の中に山積みになっていて、それを沢山の腕が掴み、口に運んでグチャグチャと咀嚼して食べているゲルダの姿は、おぞましい以外の言葉では表現できない。

 もうゲルダは元の形をほとんど留めておらず、よく見ると皮膚がボロボロになっていて剥がれ落ちてしまっている。しかしその内から次々と新しい皮膚が作られている様だ。

 そして翼が身体に食い込みしっかり根を張っている。


「ひっ……」


 シャーロットはあまりのことに恐れおののいている。僕はシャーロットの身体を囲うように防御壁を構築し、ゲルダの手が及ばないようにした。

 僕は一気に殺してしまおうと、クロエとアナベルと共に雷の魔術式を構築した。

 ゲルダ本体が食べる手を止める。その目は視点を定めておらず、ギョロギョロと不気味に動いていた。


「消えろ!!」


 僕らが高エネルギーの雷を放つと、ゲルダの身体の左半分、部屋の半分があっさりと吹き飛んだ。

 それと同時にゲルダはグラリと倒れ掛かる。しかしすぐさま翼を軸にゲルダの身体がうごめいてよりおぞましく再生した。


「アアアアァアアァあぁあアああアあァぁああアあ!!!!」


 他の魔女の死体を身体全体でズルズルと身体も取り込みながら、より凶悪な見た目になっていく。ボコボコと肉塊がドロドロに融解し、凝固し、グネグネと動いていた。

 それを僕らも放っておいた訳じゃない。

 何度も何度もあらゆる系統の魔術を当てるが、肉はすぐさま再生した。


「2人とも、時間稼いで。特大の魔術式で吹き飛ばす」

「やってる!」


 僕は巨大な魔術式を構築した。

 あのとき、街を破壊してしまうかのように思われた大型のエネルギーそのものと同じ魔術。

 ゲルダだったものは耳をつんざくような叫び声を上げた後、魔術式を構築する。


 ――何!?


 ゲルダが魔術が使えるとは思わなかった僕らは驚いた。

 これは予定外だ。知性の欠片も残っていない状態なのに、魔術を使ってくるとなるとマズイ。


「早くしろ!」


 クロエが雷撃の魔術を打つたび、ゲルダの身体は削れてボロボロになって形を失うが、翼に膨大な魔力を蓄えているらしく何度も何度も身体が再生して僕らに向かって魔術式を再構築する。


 ――あと少し……


 少し気を抜けば僕らは殺される。

 魔術は発動した。

 ゲルダの魔術の方が早く発動し、僕は魔術式を構築している最中で避けられなかった。

 クロエとアナベルも僕を庇うようにゲルダの生成した太い針の雨を身体に受ける。

 脚に針を受けたクロエは膝をつく。アナベルは両目に針を受け、視界を奪われた。

 右肩に太い針を受けた僕は痛みで特大の魔術式の狙いが少し逸れてしまう。

 高エネルギーの光線はゲルダの翼の半分と天井を蒸発させた。


「ギャァアアアアアアアアアッ!!!!!」


 苦しんでいるようで叫び声をあげる。


 だが、ゲルダの翼はすぐさま再生した。


「ぐっ……」

「ノエル! 見てください!」


 シャーロットが翼の付け根の部分の肉塊を指さしながら言った。

 翼は回収するつもりで狙わないようにしていた。だから気づかなかったことがあったようだ。

 翼を大きく損傷し、翼を再生するとき大きく肉塊は消耗し、その蓄えているエネルギーを消費している。

 アナベルは両目に刺さった針を抜き取り、どこからか替えの目を取り出して自分の目にはめた。


「少しひるんでいる様ね」

「結局消耗戦か……」


 僕らの傷はシャーロットが治してくれている。

 だが再生するのを相手が待ってくれている訳もなく、激しい魔術の撃ち合いに突入した。

 針を土の魔術で防ぐが、すぐに破壊されて飛んでくる針や炎、エネルギーの塊、空気の刃、あらゆる魔術が飛んでくる。

 生半可な魔術では翼に到達しない。クロエとアナベルに持ちこたえてもらっている間に、僕が高エネルギーを集中させる時間を稼いでもらった。

 ゲルダは無尽蔵のように再生するのに対し、僕らのほうに分が悪い。クロエとアナベルは徐々に疲れが見え始めていた。


「一回退くか!?」

「これを防ぎ切れてないのに、後退するのは無理だ……! いつの間にか肉塊が扉に密集してる……このまま僕らを飲み込むつもりだ……!」


 後ろから徐々に肉塊がうごめいて僕らを飲み込もうとしている。

 ゲルダが魔術を辞めたら、更に早く僕らを飲み込むだろう。


「ノエル! 早くしろ……っ……ぐぁっ……!」


 クロエはもう限界まで来ている。

 アナベルもシャーロットも持続的に魔術を使い続け、かなり疲弊が見えていた。


「これで……!」


 身体に切り傷、火傷、凍傷、様々な傷を受け、痛みも相当の物であったが僕は狙いを外さなかった。

 三度目、ゲルダの翼を破壊した。

 すると絶え間ない魔術の雨が一度止まり、叫び声を上げながらグネグネもがき苦しみながら悶えている。翼の再生速度が明らかに遅くなった。


 ――今だ!


 後ろの扉の肉塊を部屋ごと切り裂いて、脱出する道を作る。叫び声を上げながらゲルダのいくつもある腕は空をかいて苦しんでいた。


「引くぞノエル!」

「クロエとアナベルは行って! 僕はゲルダを仕留める!」

「何言ってんだ!? ここで粘る必要はないだろ!?」


 言い争っている間にも、ゲルダはもがき苦しみながら魔術を使ってくる。

 ゲルダの周りの鉱物を鋭い棘にしてゲルダに無数に突き刺すと、無限に出てくるかのように血が噴き出した。

 それでもまだ彼女は死ぬことはない。


「また回復されたら勝機はない!」


 無数の鉱物の棘に突き刺されているゲルダごと、僕は業火の魔術で焼き尽くした。

 炎の中から叫び声のような声が聞こえてくるが、もう声帯すらも焼き尽くされて声はやんだ。部屋の肉も相当に暴れ狂っていたがやがて動きを止める。

 その肉塊の動きを確認し、僕は魔術を一度止めた。

 過剰に燃やし尽くすと自分の翼も全てやきつくしてしまうという不安があった為だ。

 業火が途絶えると、中心で炭になっているゲルダの姿があった。それでもまだ動いている。翼も焼けてしまっているが、それでもゆっくりと再生をしている。

 魔術を使うよりも身体の再生の方でエネルギーを使っているようで攻撃してこなかった。


「…………翼の再生がある程度進んだら、あんたの血で反応させてみて剥がすわよ」

「近づいて大丈夫か……?」

「近づかないと剥がせないからね」


 僕は再びゲルダに鉱物の棘を無数に突き刺し、更にそれを凍らせた。先ほどまで喉が切れんばかりの大声で叫び散していたゲルダは、もう悲鳴を上げることはなかった。

 ゆっくりと僕とアナベルはゲルダに近づく。

 クロエはシャーロットの近くで息を切らして膝をついた。体力のある彼も緊張も相まって相当にこたえたらしい。

 凍らせたにも関わらず、内側の熱量で氷はどんどん溶け続ける。僕は不安があった為ゲルダに氷結の魔術を使い、凍らせ続けた。

 僕とクロエの傷は徐々にシャーロットの治癒魔術で再生し続けている。

 徐々に僕の身体の痛みは取れて行っている。


「翼の部分、回復力は落ちていると言ってもすごい再生力……あと数分したら元に戻るでしょうね。そうしたらすぐにあんたの血で分離させるわよ」

「うまくいくの?」

「やってみないと解らないでしょ?」


 自分の背中に生えていたであろう翼は、しっかりとゲルダだったものに食い込んでいる。

 息を切らしていたクロエも、徐々に息が整ってきて炭になってぐったりしているゲルダをまっすぐに見据えた。


「ったくよぉ……一時はどうなるかと思ったぜ」

「まだ、翼を剥がすまでは油断できません」

「そうだな……シャーロット、お前も根性見せたじゃねぇか」


 魔術壁の中のシャーロットは、クロエのその言葉で微笑んだ。


「ありがとうございます。クロエ」


 翼の再生もほぼ終わり、ゲルダの本体の再生が始まったころに僕は自分の手の平を傷つける為に風の魔術を展開した。

 そのとき異変が起きる。


「ク…………ロ……エ……」


 黒こげの炭になっているゲルダがゆっくりと動き始めた。ドキリとして僕は一層ゲルダへの氷の魔術を強めた。しかしゲルダは物凄い熱量でみるみるうちに溶けていく。


「クろ……エ…………」


 部屋中の動いていなかった肉塊が急に動き始めた。その肉塊は素早く無数の腕でクロエの腕や脚を掴む。

 クロエは咄嗟のことで反応ができなかった。


「なっ――――――」


 声をあげる間もなく、クロエは肉塊の中に飲み込まれて行った。

 飲み込まれた後にクロエの叫び声が鈍く響いてくる。


「クロエ!」


 クロエを飲み込んだ肉塊の、盛り上がった部分に対して僕は魔術式を構築した。

 クロエを切断しないように魔術で切り開こうとするが、肉塊はクロエを執拗に飲み込み、なかなか剥がすことができない。


「きゃっ……!」


 僕がアナベルから離れると、アナベルにも肉塊がまとわりついた。彼女を飲み込もうとしている。

 アナベルは魔術で何とか逃れようともがいているが、肉塊は着実にアナベルの身体を蝕んだ。

 クロエを引きずり出すことに専念していた僕は、自分に肉塊が迫ってきていることに気づかなかった。

 肉塊に脚を掴まれ、クロエのいる部分から引きはがされる。


 ――しまった……


 そう思った矢先、物凄い力で僕は壁に打ち付けられた。

 背中に感じた事のない痛みを感じ、肩甲骨や背骨が粉砕したかと思った。内臓がぐちゃぐちゃになったような痛みを感じる。


「がぁっ……が……ぁあぁ……」

「ノエル!」


 僕が翼を隠すためにずっと発動していた魔術が解けた。

 背中に激痛が走る中、翼が解放され尚更痛みを感じる。シャーロットにかけていた魔術壁の魔術も解けてしまった。

 僕が痛みにもがき苦しんでいる中、アナベルも肉塊に飲み込まれて行った。それを見ていたけれど、痛みに視界が霞み、どうすることもできない。

 シャーロットは慌てて僕に治癒魔術をかけた。


「ノエル……持ちこたえてください」

「はぁ……はぁ……」


 口から血の混じった唾液が垂れてくるが、それに構ってる余裕すらない。


「ツばサ……つ……バさ……!!!」


 ゲルダは僕の翼に激しく反応し、グネグネと激しく動き回っている。周りの肉塊も再び活発に動き始めた。

 少しずつ息が普通にできるようになるが、その間もゲルダは僕らを放っておかない。

 肉塊が僕の翼目がけて沢山の腕を伸ばしてくるのを、僕は激痛に耐えながらも魔術でそれを薙ぎ払う。


「がはっ……はぁ……ぁあぁああっ……」

「頑張ってください……!」


 シャーロットのおかげで大分楽になった頃、ゲルダの再生は大方済んでいた。


「アァアアアアアアアァアアアッ!!!!」


 ドンッ!!


 とシャーロットも肉塊に投げ飛ばされ、壁に激しく打ち付けられる。


「シャーロット!」


 彼女は頭から血を流し倒れている。

 気絶したのか、それとも即死したのかピクリとも動かない。


 ――マズイ……


 僕はなんとか動けるようにはなっていた。まだ内臓が痛いが、シャーロットに駆け寄って脈を確認した。

 どうやらまだ生きている。

 しかし、頭からの出血が激しい。彼女の頭に僕は自分の服を切断し、簡易的に止血した。

 一度冷静に辺りを見渡す。逃げる為の扉は開いていた。

 逃げるかと考えたが、しかしシャーロットを担いで逃げきれることは出来ないだろう。いくら動きが鈍っているからといっても、この再生能力で追いかけられたら逃げられるわけがない。


 ――ここでなんとしてでも仕留めるしかない……


 シャーロットをせめて扉の外へ移動させてからにしなければ巻き添えになってしまう。

 クロエを飲み込んだふくらみがまだ残っている。まだ生きているかもしれない。僕は意識を集中し、魔術式を展開する。

 襲ってこようとする肉塊を重力魔術で端から動きを封じて潰した。その潰した肉塊の上を僕はシャーロットを担いで懸命に歩く。

 一歩踏み出すごとに、激痛が走った。

 内臓が痛い。

 口の中から血の味がする。


 バリバリバリバリッ!!


 と雷の音が聞こえてきた。

 音のした方を見ると、肉塊のふくらみからクロエがずるりと肉の中から出てきたのが見えた。

 彼の身体はそこかしこが咬みちぎられたような痕がある。腹部の傷を押さえながらクロエは僕の方へ歩み寄ってきた。

 ゲルダはクロエの電撃で感電しているらしく、そこで再び動きを止めている。


「生きてたんだね」

「ほとんどくたばりかけてる……退くぞ……もう無理だ……」


 クロエは僕と共にシャーロットを担ぎ、扉の方へ向かうが、肉塊が行く手を阻んでくる。

 あと少しで扉から出られるのに、あと少しが物凄く遠い。


「ちっ……意地でも逃がす気はねぇようだな」


 煙が立ち上っていたゲルダの肉塊は再びクロエの足を弱々しく掴んだ。

 クロエがそれを魔術で焼き切ろうとするが、もうクロエには力は残っておらず、魔術は発動しなかった。


「はぁ……もう終わりだ。ノエル、こっち向け……」


 最後を覚悟したのか、クロエは僕の顔を手で触れた。

 そして僕に顔を近づけてくる。

 死ぬ間際、クロエは僕に口づけをしようとしているようだった。

 キスをするには互いに最悪の状態だ。

 僕は口の中が血まみれだし、クロエは肉片の粘液でそこら中ベタベタしている。


 ――こんなときに……いや、こんなときだからこそか……


 僕は抵抗する力もなく、目を閉じようとした。


 その瞬間、僕の頭を冷たい手で掴まれ、驚いた僕は閉じかけた目を開ける。

 そのまま僕は勢いよくクロエから引きはがされた。

 倒れ掛かった傷だらけの僕の身体を彼は抱える。突然のことで僕は何も言えないままだった。

 そこには相変わらず険しい表情をした金髪の吸血鬼がいた。


「ガーネット……」

「この馬鹿者が……文句は後でたっぷりきいてもらうからな」


 扉が勢いよく開き、魔族たちが入ってきた。

 僕らの血まみれの姿を見てリゾンも険しい表情をする。僕に声をかけるよりもまずゲルダの姿を正確にとらえ、攻撃の準備に入った。


「(距離……とる……攻撃!!)」


 魔族たちは得体のしれない肉塊に臆することなく魔術を放ち、近くの肉塊は剣で切り裂き、弓矢などの飛び道具でゲルダに対し攻撃をした。

 大きな網をゲルダに放ち、地面に網を固定する。

 網がぴったりゲルダの肉塊へと食い込んでいって動きを奪った。しなやかな金属のような網で、いくつもの銛のような返しの刃がついていた。

 それを何本もある腕で外そうともがくが、もがけばもがくほど肉塊へ網が奥へと食い込んでいき、血がにじんでいる。


「(炎……放て!)」


 龍族が炎の魔術式を発動すると、再びゲルダは業火に焼かれた。激しい熱気が部屋中を焼き尽くすが、水の魔術で魔族たちはその熱を回避した。


「死にぞこないが。まだ戦えるか?」


 ガーネットに支えられていた僕は、そのリゾンの言葉で自力で立ち上がる。


「……当たり前でしょ」

「ふん……精々死ぬなよ」


 リゾンは僕に背を向けて龍族の業火が止んだと同時にゲルダへ魔術を展開し、網を更に追加で放った。

 ゲルダへ絡んでいた網は龍族の業火にも燃え落ちずに尚更食い込んでいった。再生する度に更にその二重の網はゲルダの身体に食い込みきつくなっていく。

 それに伴ってゲルダの身体の動きはどんどん鈍って行った。


「ノエル、腐った魔女はどうした?」

「アナベルは飲み込まれちゃった……シャーロットは気絶してる。クロエも……もう魔術を使えない」

「お前は?」

「僕も打ち付けられて……背中と内臓が損傷してる」


 悠長に話をしている余裕もない。

 ゲルダの動きが止まりかけていたが、再び魔術式を構築し始める。

 それは一度はこの街を出ようとしたときに使用した高エネルギーレーザーの魔術式だ。まともに食らえば塵も残らない。


「(退け!)」


 リゾンの指示の通りに魔族が前衛を退こうとしたが、その前にゲルダの魔術式が発動した。

 部屋の中が眩い光で輪郭線までもすべてが飛ぶ。あまりの光量で何も見えない。

 徐々に見え始めると、魔族の前衛と、城の天井が消し飛んでいた。

 ガーネットも、リゾンも魔術の線上にいた。


「はぁ……はぁ……」


 間一髪だ。


 ゲルダのそのレーザーのエネルギーを上へ反射したから、僕らは消し飛ばずに済んだ。

 しかし肉塊は継続して動き、魔族全体に向かって網の隙間から勢いよくその触手を伸ばした。魔族たちは肉塊のお殴打によって壁に勢いよく打ち付けられ、そこから肉塊は魔族を食べようとする。

 そのゲルダから伸びている肉塊を、僕は全て切断した。

 魔族たちはその肉塊を慌てて振り払っていた。

 ゲルダは大分消耗してきたようで、動きが網に絡まっているのも相まって相当に鈍くなってきていた。

 ゲルダが翼をバタバタと羽ばたかせると、白い羽が何度も生え変わる。

 それほど苦しみ、消耗しているにも関わらず何度も何度も魔術を撃ってきた。しかし威力は弱く、鱗の堅い龍族が間に入りそれを防ぐ。


 ――まだそんなに動けるのか……


 ゲルダの魔術は次々と変化していった。

 針の魔術から氷の魔術と変わり、次いで炎の魔術となった。

 急激に冷やされ、熱せられた龍族の鱗はひびが入る。


「グァアアアァアアア!」


 痛むのか、龍族は咆哮をあげた。

 尚もゲルダは肉塊からいくつもの腕を伸ばし、魔族を取り込もうとしている。


「僕が翼をむしり取る……」

「……では私が抱えよう」


 ガーネットが僕の身体を抱き上げる。内臓が痛くてまともに動けない僕には、そうしてもらう他なかった。

 いつまでも守られている訳にはいかない。


「……ガーネット、ごめんね」

「そんな謝罪では済まないぞ」

「うん……そうだね……」


 僕らは龍族の陰から横に走り抜け、ゲルダの姿を捕える。

 網が絡まっているが、僕の姿を捕えたと同時にその網を力任せに床から引きちぎった。


「なにっ……特殊合金の網だぞ……」

「ギャアァアアアァアアアアッ!!!!」


 最早その得体のしれないものは、元々なんだったのか全く分からない。

 翼の部分以外はもう原型をとどめていない。

 腕のようなものができたり、顔のようなものができては崩れていく。

 網が絡まっていたが、ゲルダは高速に崩壊と再生を繰り返すことによって網を外側に排出した。


「網が……!」


 その網を魔族たちに向けて魔術を使って投げつけ、魔族たちが網に絡めとられてしまった。

 リゾンとガーネットは素早くその網を跳び上がって避けた。

 動けなくなった魔族たちに向かってゲルダだったものは尚も触手を伸ばす。

 魔族たちはその執念にたじろいだ。

 魔族たちは網の鋭い返しの刃によって暴れるほどに食い込んでいく。

 もうなす術がない。


「くそっ……私が網を外す、ノエル! 行け!!」


 リゾンが叫ぶように訴える。

 僕らはリゾンの声を合図にするようにゲルダに一気に間合いを詰めていく。

 それほど遠い距離ではない。

 ガーネットは襲いくる肉塊の触手を素早く避け、ゲルダに距離を詰めた。


 ――あと少し……!


 僕がゲルダの翼に触れる寸前、けたたましい叫び声と共にゲルダは魔術式を間近で発動した。

 もう防ぐための魔術式を展開するほどの時間がない。

 それを感じた僕は反射的に自分の翼で羽ばたき、僕を抱えているガーネットの身体をわずかに魔術の軌道から逸らす。

 そして庇うようにガーネットの身体を翼で包み込む。


 ドォオオオン……!!!


 その音は僕の耳には聞こえなかった。

 一瞬気を失っていたような気もするし、ずっと意識があったような気もする。


 身体中が痛い。


 壁に再び打ち付けられたと解るまでに少し時間がかかった。


 血まみれだ。


 翼の痛みから、自分の翼が千切れていると思った。

 だが、僕の翼は端の部分が少し抉られているだけで千切れている訳ではない。


 ――どうして……


 吹き飛ばされて右肩を壁に打ち付けたようで、右の肩が激しく痛んだ。

 うめき声を上げながら僕が身体を起こすと、瓦礫の砂煙であたりが霞んでしまっている。

 魔族たちの声が聞こえる。彼らもどうやら無事らしい。


 ――ガーネット……


 ゲルダは先ほどの魔術で相当に疲弊したらしく、一時的に動きを止めていた。

 リゾンたちの網を逃れようともがく声が聞こえてくる。


 ――ガーネットはどこ……


 僕は懸命に身体を動かし、立ち上がって辺りを見渡す。


 ――痛い……


 首を動かすにも違和感を感じる。右肩を押さえながら僕はガーネットを探した。

 砂煙が少し晴れると、倒れているガーネットの姿を発見する。


 ――あ……ガーネット……


 発見した矢先に、僕は言葉を失う。

 ガーネットの右肩は吹き飛び、血液が大量にあふれ出してしまっていた。近場に千切れた右腕が転がっている。


「ガーネット!!」


 僕は痛む身体も顧みず、ガーネットの傍に駆け寄って身体を抱きかかえ、氷の魔術で止血を試みた。それでも大動脈が損傷している為、容易に止血できない。


 ――出血が多い……これじゃ……


「なんで……なんでこんな……」


 ガーネットは意識があるようで目を開いた。

 苦しそうにしながらも僕の方を見て優しげな表情を浮かべる。


「危なかったな……私が…………うぅっ……いてよかっただろう……?」


 堪えきれずに僕は涙をボロボロと溢れさせてしまう。

 これでは視界が歪んで前が見えない。


「ガーネット……僕は……死んでほしくなかったから……契約を解いたのに……! 僕の血を飲んで……そうすれば……!」


 僕は自分の右手を傷つけて彼の口に含ませようとするが、ガーネットはその手を自分の左手と絡めた。

 まるで恋人たちがするそれのように。


「いや……もういい……」

「何を言っているの!?」


 ゲルダが再びゆっくりと動き始めた。

 かなりゆっくりだ。

 もう蓄積していたエネルギーは尽きかけているのだろう。

 少し動いては止まり、そしてまた少し動いては止まるという動作を繰り返している。


「お前の血が身体から抜け……解ったことがある……私が“好き”という気持ちを……ッ……理解したのは……お前の血のせいではないことだ……」

「いいから、血を飲んで……このままじゃ死んじゃう……ッ」


 それでも尚、ガーネットは僕の血に口をつけようとしない。

 僕は左手に傷をつけて自分の血を口に含み、口移しで彼の口に自分の血液を飲ませようと彼の唇に口づけをした。

 そのまま彼の口を開かせ、自分の血液を彼に流し込む。

 ガーネットの口に僕の血の赤が移った。

 しかし彼は僕の血を飲み込まず吐き出してしまう。


「どうして……?」

「お前は……もう……私の食事の対象ではない……ということだ。お前は私の食料ではない……」

「こんなときに……何言っているの……!? お願い……ッ死なないで……ガーネット……ッ!」


 僕の涙がガーネットの身体に落ちる。

 泣きながらそう言う僕をガーネットは見つめていた。


「お前は私の為に泣いてくれるのか……? いつもあの男の為にしか感情を動かさなかったお前が……」

「当たり前でしょ……シャーロットに治してもらおう……」


 僕が彼を担ぎ立ち上がろうと絡めている指を離そうとしたら、強く、しかし力なく手を握られた。

 そしてガーネットは僕の名を呼んで


 初めて笑った。


「ノエル……お前を“好き”になって……よかった……生きろ……お前が……この世界を変えるんだ……」


 泣いている僕の頭を、左手で力なく撫でる。


「ノ……エル……聞こえる……?」


 僕がボロボロと泣いていると、ゲルダの方から声がした。

 まだ自我があったのかと僕は血の気が引く。


 しかしゲルダの様子がおかしい。


「あたし……よ……今……ゲル……ダ様の身体を……抑えてるの……」

「アナベル……?」


 飲み込まれたアナベルの核が、ゲルダと同化しようとしているようだった。しかし、強大すぎるゲルダの力に彼女は抗うように話している。


「今の……うち……に翼を…………そう長くは……おさえ……られ……な……」


 ゲルダの身体がぎこちなく動き、抵抗するように暴れる。

 アナベルにも抑えきれないようだ。


「今しかない……」


 ガーネットが無理矢理起き上がり、僕から手を離してゲルダに向かって行く。


「ガーネット……死んじゃう……動かないで……」


 涙が溢れだして止まらない僕は、かすれた声でそう彼に懇願するが、それでも彼はゲルダへと向かって行く。

 止血のために凍らせている部分から尚も血が溢れだしてしまっていた。

 ガーネットはゲルダの背後に回り込み、そしてゲルダについている翼を掴みあげる。


「早……く……もう……抑えられ……ない……!」


 アナベルのその言葉と同時に、ゲルダのぎこちない動きは解かれた。


「キシャアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」


 ゲルダが最期の力を振り絞るように雄叫びをあげた。

 ゲルダは振り払おうと暴れる。ガーネットも懸命に翼を離すまいと手に力を籠める。


「ノエルの翼……返してもらう!」


 ガーネットは思い切りその翼を根元から引きちぎった。


「ギャアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!」


 すると、アナベルの推論が正しかったと証明された。

 ガーネットの手についた僕の血に翼が反応しているのか、ゲルダに深く根ざしていた翼がゲルダから離れ、執拗に再生を繰り返していたのが止まった。

 これなら、翼を軸に再生できない。


 これなら殺せるかもしれない。


 しかし、それと同時にガーネットは肉塊に絡めとられてしまった。


「ガーネット!」


 急いでで切り離そうと、僕は懸命に立ち上がり魔術式を構築する。


 ――駄目だ……


 切り離そうに距離が近すぎる。満身創痍の僕ではまともに狙うことすらできない。暴れているから尚更だ。


「ノエル! 何をしている!? 私ごとこの魔女を殺せ!」

「そんなこと……できないよ! できるわけないよ!!」


 ゲルダは翼を取り返そうとガーネットに掴みかかる。

 しかしその手を逃れてゲルダを後ろから羽交い絞めにした。


 ――今、殺す勢いで魔術を撃ったら、ガーネットまで…………


「何を迷っている! 私は放っておいてもこのまま死ぬ……! 早くしろ…! 抑えていられない……!!」


 ゲルダは銀の針を何十本もガーネットの身体に刺した。


「アァアアアッ!! ノエル……! 早くしろ……! お前は本当に正気じゃないな……」


 ――正気じゃないのはガーネットの方だよ……!!


 自分の身を切るよりもずっとずっと僕は苦しかった。

 痛かった。

 涙で度々視界が霞む。

 それでも僕はやるしかなかった。


 ――恨むよ……ガーネット……僕にこんなことさせるなんて


 僕は泣きながら特大の魔術式を構築した。

 僕の魔力を察知したのかゲルダはガーネットを振り払おうとするのをやめて僕に針を構築して撃ってくる。

 僕は翼で身体を庇ったがその針は僕の身体のあらゆる部分に突き刺さった。

 翼に針が刺さるたびに僕は気絶しそうになるくらい激痛を感じた。

 腕や脚にも針が突き刺さる。

 しかし痛みなんて僕は気にしていなかった。


 ガーネットのことをなんとかして助けたくて、でもそれが無理だってことは解っていた。だからこのまま僕も撃つしかない。

 魔術式を構築し終えた僕は痛む身体を動かし、ゲルダに向かってそれを向けて放った。

 それと同時にゲルダも僕に向けて構築していた特大の魔術を撃ってくる。


 ――翼が剥がれても、まだこれだけの魔術が使えるのか……!


 空間が歪むほどの高エネルギーだった。

 網をやっと抜けられた魔族たちはその圧力に城の壁ごと外へ飛ばされる。

 城はもうただの瓦礫になっていた。

 僕らを中心に城が崩壊した。

 もう日が落ちようというほど外は暗くなっていた。


 ――くっ……なんて魔力だ……まだこんなに魔術を使えるなんて……


 あまりの魔力の強さに僕は身体が後ろにジリジリと下がっていく。

 ガーネットはゲルダを抑えていられなくなり、扉があった方向とは逆の方向に吹き飛ばされて、はるか後方の瓦礫に身体を打ち付けたのが見えた。


 僕はそれを見逃さなかった。


 ――あぁ……やっぱり甘いって怒られちゃうかな。正気じゃないって……


 でも僕は迷っていて本気を出せずにいたんだ。

 でももうその必要はない。


 ――終わりにしてやる。この命の引き換えになってもかまわない


 僕は最大出力で魔術を放った。

 均衡していた力が崩れ、ゲルダが押され始める。


 ――身体が痛い……魔道孔が痛む……


 でもこれで終わりにしたい。


 その強い気持ちで僕は本気で魔術を放ち続けた。

 城の半面どころか、その城の後ろにあった街の残骸すらも完全に吹き飛ぶ。

 ゲルダも細胞すら残らないくらいにバラバラに分解された。



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