第6章 収束する終焉

第47話 認識の相違





【ノエル 現在】


 魔王城の図書室で僕は本と大量の紙に囲まれていた。

 すぐに帰るつもりだったが、ラブラドライトに教えてもらったことを僕は必死に筆を走らせながら書き留める。

 その作業に疲れ切ったころ、シャーロットに一報を入れるのを忘れていることに気づく。


 ――遅くなるから、連絡しないとな……


 僕は疲れている身体をなんとか動かし、魔術式を構築した。シャーロットに持たせてある僕の羽を媒介として通信をする。

 僕が呼び出すと、間もなくしてシャーロットが映りこんだ。背景が燃えるような色をしているところを見るとあちらは夕方のようだった。


「シャーロット、解読が進みそうなんだ。予定よりも遅くなりそう」

「そうですか……クロエが今でも不安そうにしてますが……大丈夫でしょうか」

「相当に精神的にきたらしいね……心的外傷後ストレス障害気味なんだろう。クロエの気が少しまぎれるように、やっておいてもらいたいことがある。今、クロエはいる?」

「ええ、今向かいます」


 そう言ってシャーロットは僕の羽を持って移動する。外に出て少し見渡すと落ち着かない様子のクロエが映る。


「クロエ、ノエルが話したい様です」

「ノエル!」


 シャーロットから羽を奪い取るように、クロエは僕の顔を覗き込んでくる。


「早く帰って来いよ……」

「できるだけ早く帰るけど、僕が帰るまでの間にクロエに頼みたいことがあるの」

「なんだ?」

「今、魔王城の図書館で魔術式の解読を進めてるの。魔術式の解読が済んだら、すぐにでも世界を創造して魔女を隔離できるように準備をしたい。前に勝負の条件で出した、魔女の偵察に行ってきてほしい」


 まだ帰ってこないのかよとクロエはうなだれていた。

 それでも、ただ何もせず待っているのも苦痛なようで、僕の提案に耳を傾けた。


「何を見てくればいいんだ……?」

「ゲルダの最新の情報とか、あとは魔女全体の動き。魔女全てを縛る魔女の心臓は強い魔力のあるゲルダの物を使わないといけないけど、その前に、万に一つもゲルダが他の魔女に殺されたら使えなくなってしまう。それを防ぎたい。だからクロエの力でうまく食い止めてほしい」

「…………できるだけはそうするけどよ……」

「ゲルダがバケモノになって何日も経った、十分地方の魔女たちにもその情報は行き届いているはず。そろそろ具体的な動きが出てきてもおかしくない。頼んだよ」


 不安そうな顔をしているクロエにそう指示をして、僕は通信を切った。いつもはいい加減なクロエだが、この仕事は責任重大だ。

 あの精神状態で無事にやり遂げられるだろうかと少しの不安がよぎる。


「さて……続きをやりますか……」


 魔王城の図書室は一面、どこを見ても古びた本が所せましと並んでいる。

 ガーネットと手分けして背表紙から内容を予測し、何冊か分厚い本を持ってきて解読を始めたものの、魔術の基本知識がないガーネットにはそれも限界があり、思うように進んでいかない。

 僕もなんとなく異界の本が読める程度で、専門的なことがぎっしりと記載されている本を読む際に四苦八苦していた。


「はぁ……これは大変だね」

「気が遠くなってくるな……」


 ――リゾンに手伝ってもらいたいな……


 これ以上このまま続けていると何日かかるか解らない。

 ガーネットが良い顔をするとは思わなかったが、僕は思い切ってリゾンの話を切り出してみた。


「…………ねぇ、リゾンにも手伝ってもらった方が良いと思うんだけど、どうかな」


 ガーネットが気を悪くすると思っていたが、思っていたよりもあっさりとした返事が返ってきた。


「手伝うとは思えないが?」


 全く棘のない返事に、僕は驚いた。

 今までは「何故リゾンに頼る?」と喧嘩腰に言っていたところだろうが、いつもの様子と異なりその物腰は穏やかだった。


「頼むだけ頼んでみるか……リゾンの面子も頼みごとをすることで保たれるでしょう」

「なら、部屋に行くか。いるかどうかは解らないがな」


 魔王城の図書室から出ると、僕は身体を伸ばす。ずっと座って紙面に目を通していたので身体が固まってしまったような気がした。


「はぁ……疲れたー」

「少しベッドで休んだらどうだ?」

「あぁ……そうだね。仮眠取ろうかな……ガーネットは眠らなくていいの?」

「…………同じ……ベッドでか?」


 ガーネットらしくないその返事に僕は言葉を詰まらせた。恥ずかしくなり、目を泳がせながら慌てる。

 リゾンやクロエのように軽薄に言われる分には何も感じないのだが、真面目にそう聞かれるとやけに恥ずかしく感じた。

 それでも僕はできるだけ落ち着いてガーネットに返事をする。


「いいけど……それじゃ休めないでしょ」

「なっ……そういう意味で言ったのではない!」

「えっ?」


 どうやらガーネットからしたら、いやらしいことをするという意味ではなく添い寝をする程度の意味であったようだ。


「お前は! 貞操観念が崩壊してるのだ! 恥を知れ馬鹿者!」

「………………」


 僕はクロエとの勝負の交換条件として出した“一晩一緒に寝る”と言ったときのことを思い出す。

 あれは、性行為をするという意味合いで言ったのではない。本当に一晩ただ、横で寝るって話に丸め込もうと考えていた。

「僕は“寝る”とは言ったけど、“性行為をする”とは言っていない」と、そう言えばクロエは心底がっかりしただろうけど、条件をよく確認しないのは相手が悪い。

 そう、魔女の心臓で魔女を縛るときの言葉の一つ一つを緻密に考えなければならないのと同じだ。

 しっかりと、解けないように厳重に魔女を縛らなければならない。

 かつてイヴリーンが魔女に対して人間に危害を加えてはならないと言った拘束が解けてしまったことを考えれば、それを上回る確実な方法を考えなければならないと考えていた。


「僕らの認識の相違から、気持ちのすれ違いがあるんだよね」

「な、なんだ……急に真剣に……」

「僕らは育った環境も、常識も、認識も全然違うから、それをゆっくり埋めていこうって話」

「…………」


 今までなら「お前が悪い」の一言で一蹴されていたが、ガーネットは真面目に答える僕に対して真剣に考えている様だった。


「私も……言い方が悪かったかもしれない」


 なんだか変な感じがした。

 いつも他責的だったガーネットが自分を見つめ直し、反省する言葉を口にする姿は別人のようだった。


「あっちでは男女が“寝る”って言うと、性行為をすることって意味だから。大半は」

「お前があの男の魔女に言ったのもそういう意味だったのだろう」

「ははは、あれは本当に言葉のままだったよ。ただ同じとこで眠るって意味」

「……それを言ったところで、あの男の魔女は了承しなかったと思うが?」

「曖昧な言葉で、互いに了承してるって思いこむことが悪いから、無効だよ……魔女の心臓で僕を縛れなかったのと同じ」

「それほど些細な認識の違いだけで無効になってしまうもので、本当に魔女を縛れるのか?」

「それはしっかりと考えておくよ」


 話ながら歩いていると、あっという間にリゾンの部屋の前にたどり着いた。

 ベッドで休憩をしようと考えていたが、今少し横になったところで眠れないと判断したので休憩するのはやめた。

 一度色々考えだしてしまうといつも眠れない。


 コンコンコン……


「リゾン、いる?」


 中からは返事がない。いないのだろうか? それとも居留守を使っているのだろうか? それとも眠っているのだろうか。

 少し扉を開こうとすると、簡単に開いた。鍵を閉めている訳ではないらしい。


「開けるよ?」


 ギィイイイ……


 扉の軋む音がして、僕は警戒しながらもリゾンの部屋をゆっくりと開けた。

 暗い部屋の中に、あの美しい銀色の髪が目に入る。彼はベッドで眠っているようだった。

 部屋は以前入ったときのままだ。腕に短剣を刺していたときのリゾンのおびただしい血はそのままになっている。乾いているとはいえ、血の匂いが部屋からする。

 それ以上に気になったのは部屋は滅茶苦茶に荒れていたことだ。

 魔術を何度も使ったような跡がある。それとは別に、いくつもの本が散らばっていた。


「なんだこれは……」

「……疲れているようだし、そっとしておこうか」


 ギィイイイ……カチャン……


 ゆっくりとリゾンの部屋の扉を閉めた。


「多分、ガーネットに負けたことが相当応えているんだろうね。魔術の練習でもしてたんじゃないかな。本読んで勉強したりしてたのかも」


 魔女にも、ガーネットにも負けるわけがないと過信していたリゾンと随分異なる様子だ。

 それがいいことなのか、悪いことなのかは判断できない。


「あの自信過剰なリゾンがそんなことをするように思えないが……誰かと争ったのではないか?」

「本に損傷がなかったから、多分争ったわけじゃないよ」


 僕らが話をしているさなか、閉めた扉が勢いよく開いた。

 突然背後から音が聞こえて僕は驚いて軽く飛び上がってしまう。


「私の部屋の前でうるさいぞ」


 少し寝癖のついた髪のリゾンが僕とガーネットに文句を言う。彼は半裸で、上半身は細身の白い身体が露わになっている。


「ご……ごめん。起こしちゃったね」

「何の用だ。貴様ら揃ってお出ましとは」

「実は……リゾンにお願いがあ――――」


「(何……うるさい……)」


 部屋の奥から女性の声が聞こえた。僕は話していた言葉が途中で凍り付き、途絶えてしまう。この感覚を僕はよく知っている。ご主人様のことが頭の中で何度もちらつく。

 奥から顔を出したのは美しい女吸血鬼のエルベラだった。かろうじて局部を隠している程度の布しか纏っていないエルベラの姿を見た僕は、とっさに目を逸らした。


 ――なんでリゾンの部屋からエルベラが……


「(貴様……用済み……帰れ)」


 リゾンが追い返すようなことを言うと、エルベラは一度中に戻り自分の服を着て、僕とガーネットに目もくれず帰って行った。

 彼女の白い肌には無数の傷がついているのが見えた。深い傷も中にはあったが、エルベラは平気な素振りで歩いて姿を消す。


「………………」

「どうした? 何か問題でもあったか?」


 リゾンはいつものニヤニヤとした表情で唖然としている僕の方を見ている。ガーネットは僕よりも状況を冷静にとらえ、受け入れている様子だった。


 ――魔族は……こういうのが普通なのか……?


「えっと……なんだっけ……あはは……」


 何を言おうとしたのか、衝撃を受けたことで忘れてしまった。笑って誤魔化してみるが、到底誤魔化し切れていない。


「ノエル、何を動揺している。魔族というのはこういうものだ」

「ごめん、なんか……色々考えちゃって」

「色々とは? 私とあの女の性行為を創造して発情でもしたのか?」


 リゾンは面白そうに笑う。

 それは容易に想像できた。あのエルベラの傷を見れば、どのようにリゾンが“それ”に及んでいたのか。


「……別に、リゾンの嗜好に対して文句はないよ」


 ――傷はあったけど……切り落としたりはしてないみたいだったし……


「次はお前が私の相手をするか?」

「しないよ」


 リゾンが僕とガーネットを挑発するが、ガーネットの落ち着きようを見てリゾンは怪訝そうな顔をする。


「……なんだ? ……私があの女を蹂躙している間にお前たちもか?」

「違うよ。もう、生々しい話はやめて」

「まぁいい。それで? 私に頼み事とはなんだ?」


 そのやけにすっきりとした態度に、色々と複雑な気持ちになりながらも機嫌が悪そうでないことに僕は安堵する。


「実は……今、ここの図書館で魔術式について解読しているんだけど、なかなか思うように進まなくて……リゾンが力を貸してくれたら物凄く助かるんだけど、どうかな」

「またあれか……本当に熱心だな」

「僕とガーネットだけだと中々進まないんだ。どうしてもリゾンの力がいる」

「……面倒だ。断る」

「リゾン、お願い……」


 僕が必死に頭を下げると、リゾンは尚更面倒くさそうにため息をつく。無言で部屋の中に戻って行ってしまった。


「駄目か……仕方ないよね」


 残念だが、無理に協力してもらうわけにもいかない。渋々リゾンの部屋に背を向けた。


「待て。これを図書室へ戻しておけ」


 何冊かリゾンは分厚い本を渡してきた。

 部屋の中に散らばっていた本だろう。本にはまだついてそう経っていない血液らしいものが点々とついている。


「……僕は召使じゃないんだけど」

「丁度それは最古の魔術式に関する本だ。手伝いはしないが、参考になるだろう」

「そう……でも、なんでこんな本を?」

「……そんなことどうでもいいだろう。目障りだ。さっさと行け」

「向こうに帰る日、少し遅くなるかもしれない」


 僕の最後の言葉を最後まで聞かないうちに、リゾンはバタンと扉を閉めて僕らを締め出した。


「…………」


 重い、血の付いた本を僕が持っていると、ガーネットが一冊手に取り、目を通し始めた。


「文句はあるだろうが、やるしかないな」

「そうだね……」


 それよりも、僕はエルベラとガーネットの関係について思考を巡らせていた。

 ガーネットは、平気なのだろうか。あれだけ熱烈に迫られた相手が、別の男に下るというのは面白くはないのではないだろうか。

 ガーネットはまったく気にしている様子はないため、僕はそこには触れなかった。


 ――ガーネットが良いならいいけど……


「気にしているようだが、エルベラのことは全く気にしていない。魔族はこれが普通だ」

「……そう」

「私が気にかけているのは……弟が亡き今、お前だけだ」


 そう言われ、僕は返す言葉を失った。

 僕は同じように彼に言うことができない。ご主人様のことをずっと気にかけながらここまできている。片時も忘れた時はない。


「うん……」


 そうして僕らは再び図書室へと向かった。




 ◆◆◆




 それから僕は必死に解読作業に移った。

 わき目もふらずとはまさにこのことだ。

 時間を忘れて作業を行った。時折時間を忘れて簿鬱陶しすぎていることを知らせるように、小鬼が食事を運んでくる。

 小鬼が食事を運んでくる回数を数えることを辞めた頃、あまりに僕が時間をかけているのを気にかけてくれたのか、リゾンも時折顔を見せて共に解読作業を行てくれた。

 ガーネットは身体を動かすよりもずっと疲弊するのか、頻繁に仮眠をとっている様だった。

 僕が机の上でそのまま眠ってしまったときは、いつの間にか布が肩からかけられていることもあった。おそらく小鬼かガーネットがかけてくれたのだろう。


 そして……何時間経ったのか、何日経ったのか、全くわからない中ついに“それ”は解読される。


「できた……! はぁ……」


 その言葉と共にガーネットも力なくため息をついた。


「やっと解読できた。これであとは魔族の力を借りて世界を作るだけだ……」

「少し休め……目の下の隈が酷いことになっているぞ」

「あぁ……」


 最後の術式の解説をカリカリと書き留め、僕はそのまま椅子で力尽きた。


 次に僕が目を覚ました時、僕はベッドに横になっていた。横になった覚えはなかったが、恐らくガーネットが寝かせてくれたのだろう。

 どれほど眠っていたか定かではないが、僕はまだ冴えない頭でぼんやりと周りを見渡した。

 すると、隣のベッドでガーネットも眠っている様だった。彼がこうして横になって眠っているガーネットは初めて見たかもしれない。

 彼はあちらではいつも座って眠っている様だったので、横になっている姿はなんだか見慣れないと感じる。

 本当に彼は疲れていたのか、僕が身体を起こしても起きる様子がない。


「………………」


 僕はゆっくりと起き上がるとお風呂に入りたいと思った。

 汚れるようなことをしたわけではないが、なんだか暫く水を浴びることもしていない。異界は暑いので、表皮が汗で少しベタベタする。


 ――ここからお風呂までそう遠くないし、入ってこようかな


 そう考えていた際に、ガーネットがはっきりしない物言いで何か言ったのが聞こえた。


「?」


 寝言かな? と思ってガーネットの方に近づくと、彼は寝返りをうった。すると彼の首筋が見える。

 そこには以前に見た時よりも大きな羽が生えていた。遠目で見て確認していたよりももっと状態は進行しているようだった。僕の翼の羽のような羽が首の中心から左右に生えている。

 それを見た僕は自分の鋭くなってきた八重歯を触って確認すると、ガーネット同様に進行してることに気づく。


「……ノエル?」


 僕はハッとして口元から指を離した。


「なんだ、起きたのなら私を起こせ……」

「疲れている様だったから」


 ガーネットが身体を起こすと、彼の首元は彼の髪で隠された。


 ――これはさすがに黙っているわけにもいかない


「ガーネット、首のところの羽……僕の爪や牙が大分進行してる」


 ガーネットが自分の首に触れると、明らかに顔をしかめた。

 彼自身も気づかない内に進行していたのだろう。何度も振れて確かめている。


「これ以上進行する前に契約を破棄する魔術式を――――」

「駄目だ」


 彼の声はいつもの怒っているような声ではなく、冷静な声だった。


「戦いが終わるまで、破棄する気はない」

「……でも、僕が考えていたよりも進行が早い。契約した魔女の末路は最終的には自我を失ってしまうらしい。見た目の同化がどの段階なのか解らないけど……契約している魔族も同様、廃人のようになってしまう」

「お前にその兆候があるのか?」

「いや……ゲルダと対峙したとき以外、今のところ自我に特に乱れはないけど……」


 しかし、あれは契約をする前にもあったことだ。ガーネットとの契約が特別影響を与えているとも考えづらい。


「ならば、しばらくこのままにしろ。あの魔女の女王と闘う際に、負傷してもすぐに動けるようにできる方が有利になる。お前と女王が互角だと思っているなら、少しでも助力があったほうがいいだろう」

「………………」


 僕は渋い顔をする。

 ガーネットのいう事も尤もだ。しかし、手遅れになってしまってからでは遅い。まだ進行の程度が浅いうちに処置をするのが医療の基本だ。

 あまりに進行してしまうと、仮に治ったとしても後遺症が残ってしまうかもしれない。


「あと少しの話だろう? もう1つの世界を作り、魔女の女王を撃ち滅ぼした後でもいい。それとも、私がいたら足手まといか?」

「…………ガーネット……足手まといだなんて思ったこと、1回もないよ」

「お前に全て背負わせたくない。何もかも、重大な決断を1人で抱え込むな」


 優しいガーネットの言葉に、僕はそれ以上反論することができなかった。

 ずっと独りだった僕に寄り添ってくれる彼の言葉に、喉元まで出かかった言葉を飲み込む。


「……ありがとう」


 彼に礼を言うと、安堵している様だった。

 彼にとっては未だ、契約の破棄というものは絆が切れることだと強く感じ、不安を持っているのかもしれないと感じる。


「じゃあ、この解読結果を持って向こうに帰ろうか。リゾンのところへ行こう」

「もうリゾンはもう連れていく必要がないのではないか?」

「んー……本人次第かな。確かにリゾンは十分手伝ってくれたし、あとは魔力を貸してくれるだけでいいんだけど……」


 異界に来た当初はまだ魔族と共にゲルダと闘うつもりだった。

 だから強いリゾンに強く協力してほしいと願っていたが、リゾンと共に過ごし、彼を知るにつれてやはりこの戦いにリゾンを巻き込むのは気が引けると感じた。


 ――僕がなんとかする……ゲルダを倒すのは僕にしかできないことだ……


 休んでいた部屋を出てリゾンの部屋の前にたどり着き、僕は扉を叩く。


「リゾン、帰ろうと思うんだけど。いる?」


 少し間が空いて、扉が開く。

 銀色の長い髪を一つにまとめているリゾンが開いた扉から顔を出した。


「帰るんだけど、リゾンはこっちにいるでしょ? 体力の状態から空間移動の負荷に耐える為に向こうに少し置いていたけど……それ以外の理由もないしね」

「…………解読はできたのか?」

「うん。なんとかね」


 やっと解読ができたという僕の言葉に、リゾンも心なしか達成感を感じさせる表情をしていた。腕を組み、壁に寄りかかる。


「そうか。では魔族の助力が必要なときが近いという訳だな」

「そうだね。そのときにまたこっちに来て魔王様に召集してもらう予定なんだけど……」

「それでは効率が悪いだろう。頭を使え」

「頭を使えって……でも、異界の扉を開くためにはこっちに来ないといけないし……」

「頭の足らない魔女だな、お前は」

「じゃあ御高名なリゾンの意見を聞かせてくれない?」


 リゾンはニヤニヤと相変わらずの表情で、得意げに話し始める。


「空間移動の魔術なら私がやればいい。魔族への通達も私がする。お前の羽の魔術通信で私に伝達すればいいだろう」


 あまりに意外な返事に、僕は何かの冗談かと思って言葉が出てこない。僕をからかっているのだろうか。


「もしかして、からかってる?」

「は?」


 笑っていたリゾンの表情が曇る。どうやらその態度から、真面目に言っていたらしいということが解る。


「本当にリゾンがしてくれるの? なんで? 魔族の先行きなんて全く気にしてなかったじゃない」

「あぁ……そうだな……だが、私も馬鹿ではない。魔族の先行きなどどうでもいいが、私が次期王になったときに支配する者たち、私の下で働く者たちがいなくなったら私が困るだろう?」


 その動機が本当なのか、あるいは照れ隠しの表現だったのか、それとも別の意図があるのか解らなかったが、本当にそうしてくれるなら物凄く助かる。


「リゾン……ありがとう。物凄く助かるよ」


 素直に礼を言うと、リゾンはいつものニヤニヤした表情とは異なり、普通の笑みを浮かべたように見えた。


「解ったらさっさと行け。その前に一枚お前の羽を毟らせろ」

「毟るって……自分でとるからいいよ」


 僕は翼を解放し、自分の翼から一枚羽を取りリゾンへと渡す。ガーネットは黙ってその様子を静観していた。


「それにしても、いつ世界を繋ぐ魔術式を覚えたの?」

「お前とは頭の作りが違う。そんなものは見ればわかる。侮るな」


 その後追い払われるように、僕たちはリゾンの部屋の前から退散した。

 リゾンの変化の様子にガーネットも理解が及ばないようで怪訝そうな表情をしている。


「何があったらあんなに変わるのだ……気でもふれたのではないか? それともあれは偽物だったのではないか?」

「あははは、それは言い過ぎじゃない? 解読とか手伝ってくれていた辺りから、なんだか少し変わってきていたと思うけどな」


 空間移動の魔術を、見たら解るというのは嘘だ。

 部屋に散乱していた本はおそらく、僕らと別行動をとっていた時に勉強したのだろう。努力しているところは見せない主義のようだ。


 ――でも、本当に何があったんだろう……


 いくら考えても、リゾンに何があったのかは僕らには解らなかった。




 ◆◆◆




【リゾン 現在】


 私は、まだ自分の血がこびりついている床に目もくれず、自分の寝床に身を投げた。

 手には混血の魔女の羽が握られていた。

 よくその羽を見ると、真っ白で何の混じりけもない。弱く魔力が灯っている。その魔力は凶悪なものを感じない。


 ――ありがとう……か……


 混血の魔女に何度か言われた言葉だ。

 そんな言葉を言われた記憶は、今までの私の記憶の中にはない。いつも当然のように私の身の回りの世話をする者がいて、女を呼べば余計なことを一切言わずに私に奉仕する。

 抵抗もしないし、嫌がることもない。

 つまらない奴らだ。

 どいつもこいつも、つまらない奴らだった。

 父上は多忙で、魔族らしく放置されてきたと言ってもいい。


 ――愛情など、感じる余地などある訳がなかった……


 子供のころからしていたことと言えば、父上の気を引くための悪戯だ。悪戯の限度を過ぎるものであっても、早々咎められることもなく、殺されることすらない。

 融合し魔王となる前の父上の子息は自分だけだ。他の種族の魔王の子供がどうなっているのかは皆目わからない。兄弟と言うには遠い存在過ぎた。

 魔王城にいるのは私だけ。

 それに何の違和感も感じていなかったが、今考えると私は他よりも強く父上に依存していたのかもしれない。

 父上はあまり子作りに積極的ではない様だった。親の性生活の事情など知りたくもないが、子孫を作ることよりも、今いる様々な種族の子供にまともな生活をさせようと奮闘している様だった。

 争いを収め、魔女の脅威を逃れる為に抵抗することに尽力している姿を見ていた。

 幼い私は、なぜ自分の子供に目を向けない父上が他の種族の子供を気にかけるのか、気に入らなかった。


 ――なにもかもが気に入らなかった


 ガーネットだけは私に媚びることなく常に孤高の存在だった。

 特に毎日勉強以外にすることがなかった私は、度々ガーネットをやりこめようと挑戦をしてみるも、いつも軽くあしらわれあいつは私の相手をしようとしなかった。

 ヴェルナンドに武術を教えられているのを見て、私も武術を学ぶことにした。体術も魔術や歴史やその他の勉学も、私にとっては面白味のあるものではなかった。

 何でも覚えはよかった上、困難に直面することもなかった私は何の楽しみもなかったのだ。

 そのせいもあってか孤独に向き合う時間が多かった。

 弱い者は死ぬという絶対的な常識が幼いころから刷り込まれてきたが、“死”とはなんだろうかと向き合う時間も多かった。

 特に、魔女の侵略が始まった後、いつ自分が喰われるかと待っていたが、いつになっても私の番は回ってこない。

 弱い者を殺しても、誰にも咎められることもない。

 いつしか食事をする為に殺すという行為から、命を侵害するという行為に興奮するようになっていた。

 苦しそうにもがく命が、なかなか尽きずに懸命に私の手から逃げるように血を噴き出しながら苦しそうに喘ぐ。

 ゆっくりと死に向かうその姿が、唯一私の“生”を感じられる瞬間だった。

 結局それが私の性的興奮と結びつき、相手を苦しめながらでしか興奮しないようになった。

 どんなにいい女だろうと、どんなに醜悪な女だろうと、そんなことは関係ない。

 相手が苦しんでさえいればそれでよかった。


 ――だが……


 混血の魔女に、私がしてきたことと同じように腕を切り落とされた辺りから、何か変だと感じていた。

 腕の感覚失い、冷たい牢に繋がれ、その後やっと私は“死”の番がきたと思ったのに、混血の魔女は殺すという選択をしなかった。

 あまつさえ協力を求めてきた。

 それだけではなく、父親愛情に気づいていないなどと冷たく言い放たれた。

 馬鹿馬鹿しいと思っていた。

 魔族にそんなものはない。そう信じてやまなかった私の世界観はあの魔女のせいで見事に崩れた。

 生きるということは、見苦しく醜態をさらす事だと啖呵を切られたとき、ハッとした。今まで自分が踏みにじってきた命のその瞬きを思い出したからだ。

 みっともなく足掻き、生きようと渇望するその姿こそが“生きる”ということなのだと知らしめられた。

 遺された者の悲しみというものを考えた事などなかった。

 それに、自分がいなくなったら父上が悲しむという事実を、私は言われるまで気づく術などなかった。


 ――興味が沸いただけだ……


 ガーネットをあれほど変えた魔女に興味が沸いた。

 自分のこの惰性で進んでいっている生も、もしかしたら変われるのかもしれないと感じた。ずっと水の底に沈んでいたような自分に、その真っ暗な中に一筋光が射したような気がした。

 恐怖を抱いているにもかかわらず、自分に対して優しく振舞うあの魔女の姿を、初めは媚びているのだと感じた。

 しかし、あれは媚びている訳ではなかった。

 毎晩、夜になって外に出てあの魔女と話をすると、少しずつ止まっていた自分の時間が進み始めた気がした。

 牢に繋がれているとき、時折自分の切り落とされた腕を触ってみた。傷痕はほんの少し残っているが、しっかりと動く。今となっては自分の腕が今まで通り動くことに安堵する。

 少しずつあの魔女のことを知った。

 大した話をしている訳でもないが、一つ一つの言葉の選び方、間のとり方、返事の仕方で解ってしまう。

 本当に私に協力を求めているのだと。


 ――ふん……笑わせる……


 それと同時に、精神にかなりの傷を負っている様子も解った。

 私に啖呵を切ったにもかかわらず、それでもずっとあの魔女には迷いがあった。


 ――最善など存在しない。自分の決めた道があるだけだ


 愛された証が私にもあると言われた。

 そんなものはないと言ったものの、どれがその愛情とやらだったのか、愛情が理解できない私には解らなかった。


 愛情とはなんなのだろうか。欲情とはちがうのか?


 その疑問をあの魔女で試してみた。優しい言葉で情を誘い、そして受け入れた時点で“優しく”抱く。

 そういうものではないのか。

 本心で言ったわけではないが、自分の伴侶ツガイにすることを提案した。それほど私にとっても悪い話ではなかった。

 当然あの魔女は力のある私の誘いを、優しく口説く私の誘いを断るわけがないと思っていた。

 だが、あの魔女はぼんやりしているようで核心の部分は見抜かれていた。

 そう身を引かれると私もムキになってたたみかけたが、それでも首を縦に振らない。


 ――無償に腹が立った


 相手に求めることは、強さではないと断言された。強いことが私の全てだったのにも関わらず。

 だが、あの魔女はどこか私を見る時の目に他の誰を見るとも違う視線を向けていることに気づいていた。

 怯えではない。

 なにか、愛おしそうな目だ。

 それは私に対して向けている訳ではないことは解った。私に誰かを重ねている。度々そういう事があった。私を見ているのに私を見ていない。

 それに腹が立った私は、私を何としてでも見せようとした。いつもどこか遠い目をしているあの魔女に、しっかりと私を見せようと。

 契約をしたら何か解るような気がした。

 しかしあの魔女は首を縦に振らない。


 ――何故私よりもガーネットを選ぶのか、今でも解らない


 ガーネットと戦い、ねじ伏せ、強さを誇示しようとしたが不意を突かれて負けてしまった。

 あれが魔術を使えるなんて知らなかった。あの勝負は不意打ちであったから負けた。魔術が使えると解っていたら、負けなかった。

 そう自分に言い訳するのも、無性に腹が立った。認めたくはなかったが、殺すつもりで相まみえたのに負けた事実は変わらない。


 ――なら、ガーネットにできないことを私ができるということを証明すればいい


 それはあの難解な魔術式を解くことだ。

 私は世界を作る魔術式をなかなか解読できないことに苛立ちを募らせた。私に解らないことなどないはずだ。しかし幼いころから秀才だった私にすら、複雑で理解できない部分があった。

 既存の知識では太刀打ちできないその複雑な魔術式を調べる為に、わざわざ図書館へ行って本を引くことにもなった。

 参考になりそうなところに印をつけ、まとめようとしたが途中で苛立ち、部屋を破壊することにもなった。

 何故私がこんなことをしているのかと。


 結局魔術式は最後までは解読できずに、嫌になった私は女を部屋へ呼んだ。

 美しい女吸血鬼だ。

 憂さ晴らしをしようとしたその女は、ふとガーネットにご執心な女だったことを思い出した。

 本心は別にして、それでも私が呼びつけられたら抵抗することもない。

 やはり、抵抗されないと興奮することもなく、服を脱がせ傷をつけ、痛がるそぶりを見ていたがどうにもにならない。

 興が削がれて私はその女を放っておいて眠ることにした。

 やっと眠りについた頃、あの魔女は私の元へ訪ねてきた。縋るような目で私を見てくる。


 ――私を散々こけにしておいて、その私に頭を下げるあの魔女に優越感を感じた


 私が本を手渡し、それでもしばらくは時間がかかっている様子を見に行ったが、茶化したり罵倒したりしても大した反応もなく死んだような目をして、ずっと魔術式へ向き合っていた。

 いつまで諦めずにそこに居座るつもりかと呆れも混じった感情に支配される。

 見るに見かねて私も解読を時折は手伝った。

 眠気を払いながら、わき目もふらず本に向かうあの魔女を見て私も思うところがあった。

 その姿は父上の姿そっくりだと感じた。

 いつも書類に目を通している姿、必死に問題を解決しようとしているその姿は父上と同じだった。

 それでも父上と違うのは、私が訪問すれば「ありがとう」というところだ。


 それに触発されたのか、私は解読の合間にずっと今まで向き合えなかった父上のところへ向かった。

 父上は相変わらず、いつも書類を見て忙しそうにしていた。他の魔族との話し合いも同時に進行している。


 ――また、相手にされないのではないか


 そう考えたが、私は父上の前へと立った。

 すると父上はその私の姿を捕えると、一度手を止めて私の方を見た。


「どうした?」

「…………」


 父上と、何を話していいか解らないかった。いつも父上を困らせることをして、そして父上の方から話しかけられる。

 いつも父上は忙しい中、時間を割いて問題をおこしていた自分の元へと足を運んでいたと、今になって理解する。


「……ノエルに連れられて行ってから、随分雰囲気が変わったな」


 切り出しかねていると、父上は私にそう言った。そう言われたときに、私は“嬉しい”と言う感情が湧いてきた。

 自分の変化に気づいていた父上が嬉しかったのだ。


「前よりもいい顔になったな」

「……そうかもしれない」

「ノエルにはお前の力が必要だ。助けてやってもいいんじゃないか」

「…………父上には、私は必要ではないのか」


 そうぼそりと言うと、父上は真剣に私の方を見ながら


「何を言っている? 私にもお前が必要だ。少し……甘やかしすぎたが、お前にはいずれ私の後を継ぐ王となってほしいと期待している」

「私が……王に?」

「そうだ。これからは各種族が融合して王となり自我を引き継ぎ続けるのではなく、一人ひとりの個を尊重する方向にしたい。私の今までの記憶は、それはそれとして保管する方針だ」


 父上が私に対してこれからの魔族の未来を語っているのは、私に真剣に向き合っているのだと感じた。


「まぁ……あと数十年は退く気はないがな。それまでに体制を立てないとな。魔族の未来の為にも。お前の為にもな」


 今まで自分を見ていないと思っていたのは間違いだったのだと確認する。父上が私を見てくれなかったのではない。私が父上を見なかったのだと解った。


「……今……私に、できることはあるのか?」

「今はノエルを手伝ってあげなさい。これからの魔族にとっても大切な事柄だ。お前なら上手くやれる」


 そう言った父上は再び書類に向き直った。

 父上にそう言われた私は、あの魔女を手伝うことを決めた。

 元々、大して変わり映えのない退屈な日常だった。それにすこし大義が加わっただけだ。


 ――…………ノエルか……


 今度会いまみえることがあったら名前で呼んでやってもいいと、私は白い羽を握りしめながら笑みをこぼした。




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