第4章 奈落の果て

第26話 夢の中




【ノエルの主人の家】


 その赤い髪は、燃えるような炎のような朱であり、血のように濃厚な紅であり、赤い果実のような艶やかな赤だ。

 瞳はもっと鮮やかな赤い色をしているが、今は瞼を閉じられていてそれは見受けられない。

 ベッドに横たえられているノエルの横には、ノエルの主がずっとつきっきりで見ていた。


 ノエルは1日経っても目を覚まさない。

 それを心配そうに見ている。

 レインは泣きながらずっとノエルの傍から離れない。


「いつまでそうやってノエルの横を陣取ってんだ」


 扉の横に身体をもたれながら、クロエはノエルの主にそう言う。


 ここには争いの火種が沢山ある。

 まず、ノエルの主は誰にも馴染まない上に傲慢であること。

 眷属の吸血鬼であるガーネットはプライドが高く、やはり誰にも馴染まない。

 男の魔女クロエは軽薄な態度で相手を挑発する。

 龍族の子供、レインは魔女を恐れ、吸血鬼とは嫌厭の仲である。

 この面子めんつで今まで殺し合いが始まらなかったのはノエルが各々の間に入って牽制していたからだ。

 この状態で争いが起きないわけがない。


「てめぇ、誰だよ」

「あぁ? ったく、助けてやったのにその態度か。ただの人間の分際で……」

「おい、やめろ」


 ガーネットがクロエの腕を掴み、部屋から強引に連れ出す。


「放せよ吸血鬼」


 バチッと電流が走り、ガーネットはクロエから手を放した。2人は睨み合いになり、見えない火花が散る。


「貴様は情報元だから生かしているに過ぎないのだぞ。身分をわきまえろ」

「生かしている? 俺を殺せるほど力ねぇだろ。冗談もほどほどにしておけ」


 ノエルが気絶した直後は全員一丸となって傷の手当や、食料の準備等していたのに、事が落ち着いて時間が経つといがみ合いが始まる。

 烏合うごうの衆とはそういうものだ。倒す敵が同じとはいえ、協調できるタイプじゃない。

 余裕がないときはわずかな結束を見せても、自分の利益を考えて争う。


「あ……あの、少し全員で話がしたいのですが……」


 シャーロットがビクビクしながらクロエやガーネットに尋ねる。


「ノエルの……ご主人様もよろしいですか? レインも……」

「……あぁ」


 レインは泣いていて話を聞いていない。

 シャーロットは恐る恐るレインを抱き上げようとするが、暴れてシャーロットの手は鋭い爪と鱗で傷ついた。


「痛っ……」

「ぼくのことは放っておいて! ぼくはノエルの傍から離れない!」


 レインはノエルの服に必死にしがみつく。

 しがみついた箇所の布が鋭い爪で切り裂かれると、ノエルの白い肌が姿を見せる。レインはノエルのぬくもりを確かめるように必死にノエルにしがみつく。


「放っておいてやれ……俺が剥がそうとしても絶対に離れようとしねぇ」


 そうして全員が木でできたテーブルを囲う様に全員が座る。

 クロエとシャーロット、ノエルの主、ガーネットだ。アビゲイルはまだ目覚めていない。

 日が落ちて暗い部屋に、蝋燭ろうそくの心許ない明かりだけが全員の姿をかろうじて照らしていた。


「異様な顔ぶれだな。男の魔女、治癒魔術の魔女、最強の魔女を飼ってる人間、契約を交わしている吸血鬼……奇々怪々ききかいかいだぜ」

「クロエ……茶化さないでください。ノエルがあの状態である以上、話しておかなければなりません……」

「その前に、俺の家にいるんだから俺に何もかも説明しろ。あいつのことも全部だ。全部話せ」


 ノエルの主は混乱しているのを表面に出さないまま、全員を睨んでそう言う。ノエルの主にとってはガーネット以外見たことがない顔ぶれだ。

 本当であれば家に入れないだろうが、自身は気絶していた内のことで拒否する間もない。目覚めた時は既に気絶してるノエルの周りにいた者たちを、わけもわからないまま受け入れるしかなかった。


「どこから話せばいいのだ。ノエルが魔女だというところからか?」

「あぁ? こいつ、ノエルを魔女だって知らなかったのか? ははははははっ! おいシャーロット、信じられるか? ははははは……くくくくく……っこいつ馬鹿だぜ」

「てめぇ!!」


 クロエの挑発にあっさり乗ったノエルの主は、クロエのシャツを掴み上げる。


「おい、話が進まないだろう。人間も魔女も冷静になれ」

「くたばりぞこないの無能吸血鬼が偉そうに。ノエルがいなければ何もできない雑魚が俺に向かって指示するな」

「貴様……誰に向かって口を……!」


 ガーネットもクロエに掴みかかった。

 蝋燭の炎が争う大気の流動に消えそうになりながら揺れている。

 シャーロットは何も言い出せず、なんとかその場を収めようと言葉を探すが、争いが激化していく中でたった1人取り残されて行った。

 話しどころではなく、何のまとまりもない。まるで各種族がいがみ合い、忌み嫌う今の世界がここに集約しているようだった。


「いい加減にしてよ!!」


 その争いを遮ったのは白い龍だ。

 先ほどまでノエルにしがみついて泣いていた子供の龍のその一喝に、3人は争いを辞めて龍を見た。

 レインはテーブルの上に飛び乗り、各々を鋭い眼光で見つめる。


「そんなんだからノエルがあんなふうになっちゃったんだよ!! ノエルが……ノエルがどんな想いで……全員を助けて……許したのか……そんなことも解らないの!!?」


 尚も泣きながら、レインは叫び続ける。


「ノエルは全員を助けたんでしょう!? どうして喧嘩ばっかりするの!? ノエルにつらい想いばかりさせないでよ!!!」


 そう言われ、全員がハッとしたような顔をして、クロエを掴んでいた手を二人は放した。


「ノエルが起きて……こんなの見たら悲しむよ!!」


 レインは再びノエルの傍へと飛んでいって闇に消えていった。

 残された4人は落ち着いて席に座り、反省したように顔を下へ向ける。


 何とも言えない気まずい沈黙があり、蝋燭の炎が静かに燃えていた。

 その沈黙を破ったのはシャーロットだった。震える声で話し始める。


「レインの言う通りです……命懸けで私たちを助けてくれた彼女の為に、一時休戦して助け合いましょう」


 3人は反省の色を各々見せていた。


「ノエルの主様、全てお話しましょう」


 シャーロットたちは互いの空白を埋めるように話を始めた。

 時折穏やかではない空気にもなったが、レインの一喝が効いたのか争いを始めようとはしなかった。




 ◆◆◆




【ノエルの主】


 愛する方法なんて、誰も教えてくれなかった。

 教えられたのは痛み、苦しみ、争い、恐怖、憤怒。

 それだけだ。


 俺を育てた魔女は、俺に鞭をふるい、武器を持たせ、人間同士での殺し合いをさせて弄び、無理やり魔女の興じで交尾させられ、そして飽きたり壊れたりしたら捨てられる。

 そんな中、自分が生きて行くには従うしかなかった。

 例えどんな非道なことでも。


 ――仕方がなかった……


 そうして、そうすることが当たり前になっていた。

 誰かを傷つけなければ自分は生きて行けない。それが当然になって、俺は大人になった。

 俺が育った町は『色欲』の町だ。色欲の罪名の魔女が町の長をしていた。

 親は子と、兄は妹と、弟は姉と、女は女と、男は男と、人は動物と、昼も夜もなく、淫らな行為にふけり続けた。

 堕落した生活をむさぼり続けた。

 だからこそ、人間は反旗を翻し、魔女たちを打ち倒すことができた。

 それも、俺が指揮をとらなければ成しえなかった。

 人間のほとんどは奴隷として飼いならされていて、自分の生活を受け入れていたからだ。奴隷としての気質が染みこみ切っていて、魔女に逆らおうなどと思う人間はいなかった。

 堕落した魔女たちは結託した人間たちの猛攻で城は落ちた。落ちた城の中で、何人も実験に使われていた人間がいたが、何人も正気を失っていたのを覚えている。

 その城の奥、一番奥。

 厳重に閉ざされていた扉の一番奥の、得体のしれない気味の悪い動物のようなものや、ボロボロの魔族も檻に入れられていた。


 ――まるで地獄の底のようだった


 その更なる奥。

 そこで、俺はあいつを見つけた。

 ただの人間だと俺は思ったし、そう信じて疑う余地もなかった。

 なんだってこんなところに、鎖やらなにやらでぐるぐる巻きにされている少女がいるのかと不思議には思ったが、どこからどう見ても俺にはただの少女にしか見えなかった。

 ぼろ雑巾みたいになって、あまりに酷い状態のあいつを俺は連れ帰ったのは、ただの気まぐれだったはずなのに、生活しているうちにいつの間にか俺にとって特別な存在になっていた。


 しかし、俺は愛し方が解らなかった。

 今も解らない。


 ――抱くことと、愛することは違うのか……?


 もっと大切にするべきだと町の医師に言われたが、他の奴隷だった人間と俺は育ち方が全く違う。

 愛し方が解らないのに、愛するということがどういうことなのかもわからないのに、あいつにどう接していいか解らなかった。

 俺の中にあるどうしようもない怒りや、屈辱感、そして何度も何度も教え込まれた相手を傷つける為の術は、容赦なくあいつを心身ともに傷つけ続けた。


 町の人間たちとも俺は今も馴染めていない。

 魔女に育てられた子供の中でも特別な存在だった俺と、その他大勢との中に隔たりがあることも理解していた。

 接し方や愛し方が解らない俺は、町のはじき者となるのも当然の摂理。

 多額の報酬だけを与えられ、独りで生きろと言われたようなものだ。


 それでも……家に帰ればあいつがいた。


 ――それが俺の心の支えだった……


 いつでも、誰が俺を裏切ろうとあいつだけは俺を裏切らなかった。

 あいつは俺がすべてだった。

 俺以外に何もない女だったはずだった。

 俺がいないと何もできない、俺以外に何もない、俺だけの女だったはずだった。


 ――なのに……


 あいつは体のいい言い訳をして出て行こうとした。

 吸血鬼はあいつに恩があると言っていた。俺はあいつの何もかもを知っていると思っていたのに、俺の知らないあいつの姿が許せなかったんだ。

 それに、あいつは魔女だった。しかも相当に力の強い魔女。

 吸血鬼を従え、龍を従え、他の罪名持ちの魔女を殺すほどの力を持ち、他の男にも言い寄られ、心を許すような素振りを俺に見せた。

 こんなに酷く裏切られた気持ちになったのは初めてだった。

 それがガキみたいな嫉妬の感情だったとしても、その感情をコントロールすることは俺にはできなかった。できたらどんなに良かっただろうか。

 散々俺が傷つけた後、あいつがどんなに俺のことで懸命に戦ってくれたのか知った。


 ――俺は知らなかった


 あいつが町を守ってくれていたから、俺たちが2年もの間平和に暮らせていたことを俺は知らなかった。

 あいつがどれだけ酷い実験をされていたか俺は知らなかった。

 あいつが何度も大切な者を奪われてきたことを俺は知らなかった。

 だから俺を失うことが、どれほどあいつにとって恐ろしいと思っていたか知らなかった。

 寿命が違う俺のことを悩み、悲しんでいたことを俺は知らなかった。


 ――俺は何も知らなかった


 あいつが俺をどれだけ大切に思っていたのかも、信じることができなかった。


「…………」


 夜も更けて、吸血鬼以外は全員眠りについた。

 あいつは今俺の目の前で目を閉じたまま、静かに寝息を立てている。服はそこかしこに血がついていて、ボロボロになっていた。

 それでも肌には傷一つなく、傷跡も残っていない。地下で屍に食いちぎられていた箇所もすっかり元通りになっている。

 いつも俺は何もできないままだ。助けたいと願っても、自分の力ではどうすることもできない。


 守っていたはずの俺が、守られていたなんて考えたくなかった。

 髪もボサボサで、血の赤なのか、元の髪の色なのか解らない。眠っている姿はやはり普通の女にしか見えない。

 相変わらず白い龍はあいつの頭の横で身体を丸めて寄り添っている。


「あの白い髪の魔女に、お前がもしかしたら二度と目覚めなくなるかもしれないって言われたぜ」


 あいつは答えない。


「そんなの嘘だよな? お前、最強の魔女なんだろ……?」


 あいつは答えない。


「お前……また俺を置いていくのか……?」


 あいつは答えない。


「お前は……いつも……俺の言いつけ守らないよな…………」


 あいつは答えない。


「何か言えよ………なぁ……」


 答えが返ってくるわけがないと解っていながらも、俺はそう問いかけ続ける。

 尚も安らかな寝息を立て眠っているあいつは、答えない。

 もう二度と答えないかもしれない。

 何度後悔しても何も生まれない。でも、どうすればよかったのか俺には解らない。


 そして、目覚めたとしてもやはり俺にはどうしたらいいか解らない。


 ――それでも、俺のそばに置いておきたい。


 どんなに傷つけても、どんなにつらい想いをさせても、俺のものだ。


 ずっと。


 ずっと…………




 ◆◆◆




 僕は夢を見続けていた。

 過去にあった出来事。

 夢を見ている間ですら、酷い過去に向き合わなければならない。

 自分が魔女だということも、自分が翼人だということも、殺された家族も、どこにも逃れられない。

 それでも時折なら幸せだった出来事の夢を見る。

 例えば、僕の両親の話をセージから聞いたときのこととか。




【5年前 ノエル】


 どの本を読んでいても、ほぼ必ず出てくるものがある。

 それは『親』という存在だ。母や父というものは大体どの話にも出てくる。

 僕はぼんやりと覚えている両親のことを思い出そうとすると、やっぱり思い出したくないことまで思い出すことになり、どうしても思い出すことが阻害されてしまう。


「ねぇ、セージ。僕の父さんってどんなだった?」


 机に向かって書き物をしているセージに尋ねると、羽のペンをインクの瓶にたてかけて僕の方をみた。


「そうだな……無鉄砲で私の言う事を聞かないような男だったな……」

「セージは僕の母さんも知ってるの?」

「お前の母か……」


 セージは窓の外を眺めながら、自分の髭を触りながら思い出しているようだった。


「ノエルの母も、規格外なことに寛容であったというか……今までの常識に囚われない性格というか……」

「ふーん……僕の母さんと父さんはどうやって知り合ったのかな。魔女と翼人……魔族は世界を分けて住んでいたんでしょう?」

「…………それは、私の責任でもある」


 暗い顔をして下を向き、どこを見ているとも言えない様子でその後セージは言葉を失った。

 僕は座っていた椅子から立ち上がり、セージの元へ歩いて行った。


「セージ?」

「お前の母と父が出会ったのは、私に責任の一端があるんだ」


 眉間にしわを寄せるセージに、僕は抱き着いた。彼を驚き、身体が強張っていた。


「それってすごい! セージがいなかったら僕はいなかったかもしれないんでしょ? それってセージが僕のこと作ったのと同じだよ!」


 無邪気にそう言ってはしゃいで飛び跳ねる僕に、セージは戸惑いながらも手を回して抱き留めてくれた。しわがれた骨ばった手で抱き上げられると僕はその温かさを感じる。

 セージは困ったような顔をして、それでも微笑みながら僕の身体を抱き留めてくれていた。


「両親のことを教えてセージ」

「……本当に聞きたいのか?」

「うん」

「そうか……」


 僕がそう言うと、セージは自分の膝の上に僕を抱えながら話始めた。




 ◆◆◆




【セージの回想】


 魔女が異界と呼ぶ場所は、灼熱の熱気と、毒の沼、日の射さない暗い空間、息苦しい空気……世界と言っても精々全方向に500キロメートルで終焉している狭い空間。

 そのあまりにも過酷な環境に慣れるにはかなりの時間がかかった。

 翼人だけではなく他の魔族たちも全員、狭いその世界に隔離され怒り狂った。

 その怒りは争いを呼び、異界は瞬く間に血で染められ、見かねた私は魔術の研究を始めた。


 まだ若かった私には十分な時間があった。

 必死に帰る方法を探す間、やがて時間は残酷にも過ぎていく。

 もう隔離されてからの長さを数えるのもやめてしまった頃、徐々に新しい翼人が生まれ始めた。

 元々魔族は魔族特融の言葉を使っていたのもあって、向こうの世界の言葉を忘れ始めていた。

 憶えていたむこうの世界の言葉を頼りに、私は翼人族にいつか戻るときの為に言葉を教えようとしたが、聞く耳を持って聞いてくれたのは数人しかいなかった。


 もう彼らは自分たちのいた世界のことなど忘れてしまったのだろうか。


 そう思うと私は深く失望せざるをえなかった。

 新しくできた翼人の子孫らはあちらの世界を知らない。

 しかし、そんな私の話をいつも熱心に聞いてくれた子供が一人いた。


「セージ、向こうの世界のこと教えて」

「タージェン、お前は本当に勉強熱心だな」


 六翼を背中に携えた幼い翼人が私にいつものようにそうせがむ。

 赤くて丸い瞳が私を見つめる。純白の羽がふわふわと揺れていた。


「だって、セージは向こうの世界にいたんだろ? 見たい! 空が青くて、魔族じゃない生き物が沢山いて、ニンゲンっていうのと、マジョっていうのがいるんだろ?」

「タージェン、魔女の話はするな。こちらの世界では禁句だ」

「マジョが魔族を裏切ったからだろ?」

「そうだな。全員が怨みを持っている」

「あー、そういう暗い話はいいから、俺があっちに行ったときに困らないように言葉を教えてくれよ!」

「なんだ、せっかちだな。仕方ない。今日は向こうの世界の童話をきかせてやろう」


 幼いその翼人の成長も、私にとっては驚くほど速く感じた。

 そうして気も遠くなる年月、私は魔術の研究を続け、ついに元の世界に帰る方法を見つけた。

 私は年老いて髭も髪も白くなり、手入れもせずにいたら伸び放題になってしまった。

 しかし、そんなことは気にならない。


「この魔術式で……いいはずだ」


 私は自分の血液を媒介として、その魔術式を発動させるとそこから大きな穴が開いた。

 その美しいあの青い空や、瑞々みずみずしい草花、美しい風景、その全てを夢見てまた元の美しい世界で生きていたいと私は願い続けてきた。

 一歩踏み出し、物凄いエネルギー量で身体を圧迫されながらその扉をくぐると、そこは元の美しい世界……


 ではなかった。


 人間が這いつくばり、痩せこけた人間がそこかしこに重なり合い倒れている。

 多少息苦しい感覚があり、肌がビリビリするような気もするがそれは大した問題ではない。魔女の呪いは上位魔族であればそれほどの影響は受けない。

 私は異界の扉を一度閉ざし、周りの様子を観察していると魔術が飛んできて人間の命を簡単に散した。

 私は気の陰に隠れ、その様子を観察していた。


「嫌だ、助け――――」


 ぐしゃり。


 大きな岩が頭部に直撃し、見るも無残に人間は絶命した。魔女は笑いながら煙のあがる町へと走り去っていった。


 ――どうなっている……魔女は人間の為に我ら魔族を裏切ったはず……


 私が戻りたいと願っていた世界は、青い空は灰色で染まり、木々は枯れ茶色に成り果て、空気は血の匂いを漂わせている。

 私はその死が散乱している世界に絶望しながらも、何かの間違いだと思おうとした。私たちを隔離したイヴリーンは人間を愛していたはずだ。

 人間の為に生きていたはずだ。


 ――なのに、なぜこんなことになっている?


 私は解らなかったが一度異界に戻ることにした。

 森の木々の中、魔法陣を再び描き異界の扉を開き異界へ戻ると、やはりそこは醜悪な世界が広がっていた。

 私は絶望した。

 ずっと恋焦がれていた世界は、もうどこにもないのかと。

 負荷のかかる空間移動を終えて、やっとの思いで家につくと研究書が山のように積まれている風景が目に入る。

 その研究書も今見ると希望の書ではなく、絶望の書に見えた。


「…………はぁ」


 力尽きたように椅子に座ると、深いため息が口から洩れる。

 一体自分は何のために異界から元の世界に戻ることを願っていたのか解らなくなってしまう。


「どこに行っても争いから逃れることは出来ないのか……」


 争いは醜い。

 略奪と蹂躙と苦痛と悲哀と怨嗟しか存在しない。

 私はそこから逃れて静かな暮らしを手に入れたいと願っていただけだ。たったそれだけの難しくない願いはいつになっても成就しない。

 人間と魔女と魔族が共にいたときはそれぞれが争い、魔族が消えた後は人間と魔女が仲良くしているものだと思っていた。しかし、それは叶わなかったようだ。

 魔族は魔族で違う種族同士でいさかいが絶えない。かと思えば、同種族同士ですら争いが絶えない。

 どこに行けば静かに暮らせるのだろう。

 頭を抱えてそう考えていたとき、自分の家の扉を開く者が現れた。


「セージ、どこに行っていたんだ。探していたぞ」


 六翼の若い翼人が私の部屋に入ってくる。

 茶色い髪を後ろへ流し、赤い瞳が私を見つめた。相変わらず服に頓着がないようで、ぼろ布のようなものを身体に巻いている。


「タージェン……入るときは合図くらいしろ」

「魔王の儀がとり行われるっていうのに、主役がいなくなってどうするんだ」

「はぁ……私は魔王なんてものには興味がない。何度言わせる気だ」

「どうしてだ!? いつまでこんなところに閉じこもっているつもりなんだ? 力も魔術も知恵も、他の種族よりも長けているのに……争いを終わらせたいと言っていたじゃないか!」

「私が長になったとしても、争いはなくならない。無意味だ」


 先ほどそれを目の当たりにしてきた。

 イヴリーンがどうなったのか解らないが、どうなってしまったのかは予想がつく。


「暫く一人にしてくれ。私はもう疲れた」


 私はタージェンを無理に追い出した。

 扉を内側から無理やり溶接し絶対に開かないようにした。うるさい声も聞こえないように完全に外からの音を遮断する。

 ため息を吐きながら、私は寝床についた。空間移動ではかなりの負荷が身体にかかったのだろう。疲れ切った私はすぐに意識を手放すことになる。




 ◆◆◆




 数日後、家にこもって研究書を見直しているさ中、私は諦めてしまうにはまだ早いと思っていた。

 向こうの世界で争いをしていても、争いとは関係のない場所で暮らせばいいと考え、魔女から身を隠すための術式と、魔族だということを隠すため翼を隠す術式を作り出した。

 その間、私はしばしば向こうの世界と異界を行き来して調査を進めていた。

 むこうの世界で歴史の本を手に入れてきて異界に戻り読みふけったり、人間として向こうの世界で人間に聞き込みをしたり。


「私が研究をしていた長い間……こんなに歴史は変わってしまっていたのか……」


 本を読んでで分かったことは、イヴリーンは人間の為に命を捧げて人間を守る魔術を作ったという事、そして人間の支配がはじまった。

 その後イヴリーンが魔女に課した魔術を破ると同時に人間の支配から逃れ、今度は魔女が人間を支配しようとしているまさにその最中のようだった。

 争いの火種として隔離された魔族の立場がないと私は思った。

 結局争いが始める。


「うまく隠れたか……?」


 私は自分の翼を魔術で自分の身体に模様として翼を隠し、以前調達した向こうの世界の服を着た。それは人間が着る正装の服。

 手早く準備をして、向こうの世界の扉を自分の家の中に描いたものに血液を垂らし、術式を発動させ、その中に私は踏み出した。

 異界の扉をくぐるのは相変わらず体に負担がかかって体力を消耗する。

 出た位置は、まだ緑が残っていて美しい森の中だった。

 土の香りや木々の香りがする。空を見上げると深い群青色の空があるはずが、厚い雲に覆われていて灰色に濁っていた。

 いつものように扉を閉め、自分が住めそうな場所を本格的に探そうとこちらの世界に来たところだ。静かな、誰もいないところで独りで暮らしたい。


「ふぅ……この辺りなら……――――」

「あなたは……?」


 私は驚いた。

 ふり返ると赤い髪をしている美しい女性が立っていた。

 もちろん突然声をかけられたこと自体に驚いたが、更に私を驚かせたのは彼女が魔女だったということと、その姿だ。

 短い髪は泥に汚れ、身体は傷だらけになっている。


 ――扉を見られたか?


「あぁ……私は――――」

「話を聞いて! 私は争いに来たんじゃないの!」


 何の話か解らなかった私は呆気に取られていたが、遠くから何か別の人間の声が聞こえた。


「こっちに逃げたぞ!」

「魔女だ! 気をつけろ!」


 その人間の声を聞いた彼女は焦ったようにおどおどと周りを見渡す。


「お願い、見逃して。私は争いなんてしたくないの」


 その言葉を聞いて、自分の想いと重なった瞬間何が正しい行動なのか理解する。

 どういう状況なのか察した私は、彼女の腕をとり木の陰に隠れて人間たちをやり過ごした。

 数人は手に刃物や鈍器を持って血眼になって探している様だった。

 先ほどまでの反応からして、どうやら異界との扉は彼女は見ていないらしい。私が魔族だということもおそらくは解っていない。


「何があった?」


 人間が走って行くのを見送りながら、私はその赤い髪の魔女に尋ねた。


「あなたは私を……殺そうとしないんですか?」

「私はこのあたりの者ではないし、争いは嫌いな性分でね」


 改めて彼女を見ると、おびえた様子で震えている。

 何故人間にこんなに怯えているのだろうか。魔女であるなら人間など、恐れるほどのことはないはずだ。


「魔女なんだろう? どうなっているんだ?」

「あぁ……えっと……他の魔女が殺しに来るから、逃げてくださいって言っている最中に魔女がきて……私も魔女だってばれてしまって説得しようとしたんですけど……あははは」


 苦笑いをしているが、彼女は服も破けそこら中傷だらけでとても笑えるような状況ではなかった。

 行っている内容も全く笑えない。


「そんなことをして、君が魔女に追われることになるんじゃないのか?」

「自分のことは自分で守れますけど、人間は魔女相手ではなす術がありません……私たちは争う必要なんてないんです。でもみんなわかってくれなくて……」


 私は信じられない気持ちでいっぱいだった。

 自分以外の者は魔族だろうが人間だろうが、他のなんであろうが争うことしか考えていないのだとすら思っていたからだ。

 身を縮めて小さくなっている彼女を見て、尚も哀れに思った。


 ――正しい者は、どうして救われないのか……


「この辺りで安全な場所は解るか?」

「森の奥なら獣を恐れて人間は来ないはずですが……」

「手当するから、肩に捕まりなさい」


 そうして私は赤い髪の魔女に肩を貸し、森の奥へと入る。

 森の中は少し暗く、人気はなかった。小さな動物たちや鳥が我々の気配に気づき、隠れたり逃げていったりする姿が見えた。

 私は木の根の部分に彼女を座らせ、身体の状態を確認した。太陽光が丁度差し込み、彼女の傷の状態がよく分かった。異界の暗さに目が慣れている私には眩しすぎるほどだ。

 左腕が青く腫れあがっていて、折れているような印象を受ける。身体中刃物で切り付けられたような傷があちこちについていた。


「酷いな……」


 応急処置しかできなかったが、折れているであろう腕をまっすぐな枝で挟み、植物のつたを巻き付けて固定した。彼女は痛がるそぶりを見せたが音を上げることはなかった。


「こんなにされても、まだ説得しようとするのか?」

「説得……できませんかね……魔女も、人間も」

「私はできるとは思わないが」


 傷口につけると治癒を促進してくれる薬草が運よく近くに生えていたので、それを彼女の傷口に貼った。


「あなたは……何者なんですか?」

「私は……その……」


 魔族だという訳にもいかないし、かといって咄嗟に人間だと言うのに躊躇ためらいを感じる。


「セージだ」

「自己紹介もまだでしたね。私はルナと言います」


 笑った顔が美しく、まるで太陽のように眩しかった。異界にはこんな美しい者はいない。

 いや、こっちの世界にもこんなに美しい女性はそういないだろう。


「あの、良かったらまたお話相手になってもらえませんか?」

「あ……まぁ、たまにならいいだろう」

「本当ですか!? 優しい人間の方と会えて嬉しいです」


 ルナが真っすぐな目で私を見つめてくると、その輝いて美しい赤い瞳を正視できずに目を逸らした。

 自分と同じ考えの者がいたということで私は嬉しくなり、ついそう答えてしまった。


「この辺りの森は平和そうだ。この辺りにいるから、いつでも来なさい」

「はい、セージ」


 これが私とルナとの出会いだ。

 私は出来るだけ向こうの世界で生活することにし、家を建て、生活を始めた。

 異界にある自分の荷物を運んだり、翼人族全体のゴタゴタもあって度々異界に戻らなければならなかった。

 ルナは時折会いに来ては上手くいっていない様子を見せていた。その度に傷を増やし、その度に私が応急手当をする。

 大きな怪我はないものの、石を投げられてついたような傷や、かすり傷や、火傷の傷など種類は様々だがどれもこれも人間にされたものだと思うと私はやるせなかった。

 それでもルナは諦めず、説得を続けていたようだ。

 愚直なまでの真っ直ぐさを否定することは私は愚か、誰にも出来ないだろう。

 そうして季節は一つ、また一つと過ぎていった。


 そんなある日、事件は起こる。


 私が向こうの世界を行き来していることに関して、行動を怪しんだタージェンはずっと私の後をついて回っていた。


「セージ、最近どこに行ってるんだよ? 全然家にいないし、私は真剣に頼んでいるのに、セージ、聞いているのか? 私はセージが翼人を担っていく者としてふさわしいと――――」

「ええいうるさい! 年寄りに構っていないでお前が何とかしろ!」


 やっとの思いでタージェンを振り切って、扉を開けて向こうの世界へとやってくることができた。


「まったく……タージェンのやつ……私に付きまといおって……」


 扉を消すと、私はいつも通り家を作る作業を再開した。

 外側はほぼできたので、内側を仕上げていく段階。魔術を使えば楽なのだろうが、誰かに見られたら一大事だ。波風を立てないようにするには慎重にことを進めるほかない。

 私が作業をし始めて数時間が立ち、少し休憩をしようと思っていた矢先、ルナがやってきた。


「セージ!」


 元気に私の名前を呼ぶと、ルナは笑顔で私の前に現れた。腕はすっかりと治ったようだが、また新しい傷が増えている。


「ルナ……またお前は……私は医者ではないんだぞ……」

「あははは……」

「でも、諦めないのは偉いな。私はとうに諦めた」


 ルナの為に傷に有効な薬草を栽培し始めた私は、何故自分がそこまでしているのか解らなくなりながらも、葉を少し摘み取って処置に戻った。


「セージ、どうして協力してくれないんですか……? 人間のあなたと私で話をすればもう少し良くなってくれると思うのに……」

「……私は手伝えない。すまない」


 いつも通り私がそう答えると、ルナは悲しげな表情を見せたがまたいつも通り笑顔に戻る。

 ルナに椅子を差し出し、私も椅子に腰かける。軽く頭を下げて座ったルナは、会った当初よりも少し髪が伸びて肩にかかっていた。

 相変わらず手入れをしている様子もなく、ボサボサになっている。

 綺麗な顔をしているのに、無頓着な娘だと私は感じる。


「そうですか……私、実はもう一つ悩みがあって……セージ、聞いてくれますか?」

「悩みが多いんだな」

「はい……私、実は魔女の女王候補なんです……でも、ずっと私の親友が女王になりたがっていて、譲りたいんですが私の一存では――――」


 何気ない悩み事かと思い聞いていたが、大分序盤の方でとてつもない悩みであることに気づく。

 その後の魔女の事情の話は頭によく入ってこなかった。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。魔女の女王候補なのか? なのに魔女全体の意向とは真逆のことをしてるのか?」

「はい、そうなんですけど私はやっぱり親友に……」

「……その言いぐさだと、ルナが女王として有力候補だというふうに聞こえるのだが?」

「……そうですね。私は……一番支持されています。でも、私は親友を裏切れませんし……」

「ルナが女王になって人間と平和協定を結ぶのが現実的な解決策じゃないか? まぁ、時間はかかりそうだがな。互いの確執がある。そもそもその親友はルナと同じ考えではないのか?」

「……親友は人間に酷い扱いをずっと受けていましたから……そうは考えられないようです」

「それでも親友なのか? 随分価値観が違うようだが?」

「親友です。小さい頃から一緒でした。姉妹のようなものですかね」


 何も捨てられない甘い性格だ。そもそも、何かを得る為に何も捨てられないというのはあまりにも強欲だ。

 一つ手に入れる為に、ときには何もかもを差し出さなければならないこともある。


「そうか。死なない程度に頑張れ。もし女王になったら、私を女王の間に呼んでくれ」


 投げやりにそう言うと、私は立ち上がった。

 そろそろ異界に戻らなければならない。

 ルナは無理にでも笑顔を作る。その見るに堪えない様子を見て、私は言いたくなかったことを口にした。


「ただ、女王候補ならそれ相応に気をつけろ。それだけ指示されているルナが人間に殺されたとあらば、魔女と人間の確執は埋まらないものになるだろう」


 そう言われたルナはハッとしたような顔をして、笑顔を曇らせた。

 歳は取りたくないものだ。希望に向かう道にある障害物ばかり見えてしまう。

 暗い顔をしている彼女に、私はもう一つ付け足した。


「まぁ……その……私の力が必要なら、ときどき、たまに、まれに、少しなら……貸してやってもいい」


 なんてことを言ってしまったのかといった直後に後悔したが、ルナが笑顔になって私を見てきたことでその後悔は一瞬で消え去り、私は微笑んだ。

 ルナはいつも通り帰って行った。私はルナが帰ったことを確認した後に、部屋の奥の絨毯の下に隠してあった異界への扉の術式を発動させた。


「今日は……会議の日だったか。タージェンがまたうるさいのだろうな……」


 私は熱気あふれる異界の扉をくぐった。




 ◆◆◆




 ルナは帰っている途中、セージのことを考えていた。

 世捨て人と言うと聞こえは悪いけれど、知性は高く考え方もしっかりしている。

 それに身なりは人間にしてはとてもいい。それに、時折尋ねてもいないときはどこへ行っているかもわからない。

 考えている途中、人間の声がした。


「この辺りか? 本当にいるのかそんな年寄りは?」

「あぁ、やけに身なりの良いこの辺の人間じゃない年寄りだ。如何にも怪しい」

「見つけたら本当に殺すのか?」

「赤毛の訳の分からん魔女がよくその家に出入りしているらしい。魔女の手先だ」


 その言葉を聞いて、ルナは慌てて来た道を引き返した。


 ――違う。セージは良い人なのに……セージを逃がさなきゃ……


 走って息を切らしながらセージの家につくと、そこにはセージはいなく、代わりに何か物凄い熱気を放つ穴が開いていた。

 穴は暗く、そして本来そこに穴など開いているはずのないところだった。


 ――魔術? でも……なにこの魔術……魔女がきたのだろうか?


 しかし、ルナが知らない魔術はなかった。使える、使えないにかかわらず、ルナはすべての現行の魔術式を記憶している。

 派生の魔術式にしても、それはかなりの複雑さで見たこともない魔術式だ。そう考えたが、太古の失われた魔術であり、誰もその実態をしらない魔術があったことを思い出す。

 初めの魔女イヴリーンが作ったと言われ、そこからその魔術は秘匿にされ昔の魔女と共に消え去った。


 ――空間転移……?


 危険は承知の上であったが、家の外から人間の声が迫っているのを感じてルナはその穴に脚を踏み入れた。

 そうして漆黒の熱気の中、に入ると押し戻されそうになり、それに気分は物凄く悪くなってくる。

 その中で唯一光のある方向へ歩いた。そんなに距離はないけれど、物凄く近い訳でもない。


「――――に……たん……――がした……――――」

「し―――ぞ……どこへ……か……ない……」


 声が聞こえる。セージの声だ。誰かと話をしている。

 近づくたびに会話がハッキリ聞こえてきた。


「そこの妙な穴はなんなんだ?」

「空間転移の魔術を研究しているだけだ」


 片方はセージの声だと解った。もう片方は誰なのだろうか。


「なら翼はどうしたんだ? まさか切り落としたんじゃ……」

「魔術で隠しているだけだ。切り落とすなんて命知らずな真似はしない」


 ――言葉が断片的にしか解らない……


 ルナは理解が追い付かないまま脚を前へ進ませる。


「何故隠す必要がある?」

「なにもかもうるさい男だな、これで満足だろう」


 セージは服を脱ぎ、自分の翼を解放した。白い翼がゆっくりと開かれ、部屋いっぱいに広がった。

 その光景を見て、ルナはまるで夢を見ているような感覚に陥る。

 出口付近に近づくと尚更息が苦しくなる。肌がビリビリと焼けるようだ。

 扉を抜けて家のような空間に踏み入れると驚きのあまりにルナが目を見開いたままだった。コツンとその家の石畳を踏んだ音で2人は振り返る。


「セージ……? ここはどこ? その翼は……?」


 その場が凍り付き、タージェンとセージは言葉を失った。

 これがルナとタージェンの……ノエルの母と父の出会いだった。



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