第14話 無慈悲




【魔女の街】


 土煙が消えると、街は跡形もなく消えていた。


 ……はずだったが、一人の魔女がノエルの魔術を打ち消した。


 右に皮膚のただれと、不釣り合いな白い翼が三枚ついている。

 最高位魔女であり魔女の女王――――ゲルダだった。


 ゲルダはその衝撃と強い魔力をまともに受けた影響でがっくりと膝をついた。

 爛れがなかった方の手をかざしていたがそれも焼け爛れた。それはあまりにも酷い筆舌に尽くしがたいありさまだった。

 そしてまるで禁断症状のように身体中震えている。うずくまって自分の身体を抱きしめるようにしてうめき声をあげている。

 しばらくすると手の酷い火傷はみるみるうちに治りほぼ手の形としては元通りになった。しかし、手の平に酷い痣が残る。見るに堪えないほどのむごい痕だ。


「ゲ……ゲルダ様!」


 そう呼んで駆け寄った魔女を、ゲルダがゆっくりと身体を起こして一瞥する。

 冷や汗が絶え間なく噴き出しているようで、視点もゆらゆらと定まらない。めまいのような症状を抱えているのだろう。

 ゲルダは今持てる力を振り絞り、渾身の力を込めてその魔女を叩いた。


「キャッ……!」

「この能無しども!!」


 ゲルダは怒りにまかせて魔術式を構築し、その叩いた魔女に魔術をかけた。

 たちまちその魔女は脚の方から肉が裂けて血が噴き出し、バラバラに端から千切れていく。


「きゃぁああああああッ!!!」

「やっと見つけたノエルを逃すなんて!! 何をやっているの!!?」


 ゲルダが叱責をしている間にその魔女は見るも無残な姿に成り果て、血液という血液、肉という肉を撒き散らしバラバラになった。

 もう聞いていない魔女に向かってゲルダは尚も罵声を浴びせている。


「ゲルダ、落ち着けよ」


 半裸の男がゲルダをなだめようと近づく。

 ゲルダは向き直るとその半裸の男にも平手打ちをした。


「クロエ、あなたは城から出るなって言っているでしょ? 私の言うことが聞けないの? ノエルに随分ご執心じゃないの!?」


 クロエと呼ばれた半裸の男は叩かれた方の頬に触れた。

 ゲルダの爪が少し引っかかったようでひっかき傷ができている。そこの部分に赤く痕が付いた。


「何すんだよ」


 鋭い目つきでクロエがゲルダを睨み返すと、ゲルダはハッとしてクロエの頬に触れた。


「ごめんなさい可愛いクロエ……許してちょうだい。つい手を出してしまったの」


 急にしおらしくなったゲルダをみて、周りの魔女は冷ややかな目でゲルダを睨む。その視線にゲルダは気づかない。

 あとから来た魔女の一人がゲルダの近くでバラバラになっている魔女を見て駆け寄った。

 かろうじて服だけが生前の彼女が誰であったのかを知らせる手がかりだった。


「エミリー!? エミリー!!」


 バラバラの肉塊になったその魔女だったものをすくい上げて肉片を抱きしめる。駆け寄った魔女の服はすぐさまエミリーの血液で染まりあがる。


「エミリー……!」


 泣き始めたその魔女を見て、ゲルダはクロエに手を回したまま冷ややかな目で見た。まるで害虫でも見るかのような冷たい眼差し。


「あら、ごめんなさいね。役に立たなすぎたものだからつい殺してしまったわ。これじゃシャーロットでも治せないわねぇ……アナベルにでも頼んでみたら? まぁ、歩く屍になっちゃうけど」


 ゲルダがそう挑発すると、抵抗する気力もないその魔女はひたすらに泣き崩れた。

 ゲルダは途端に力尽きたように息を荒くし始めた。


「無理して城から出るからだ……早く戻った方がいい。処置をしないと悪化するぞ」


 クロエがそう言うと、ゲルダは弱々しく微笑んだ。


「ありがとう……クロエは優しいのね。城まで……はぁ……はぁ……運んで頂戴……」

「あぁ……」


 こんな死にぞこないですら、周りの魔女やクロエも殺せはしない。

 翼がある以上、物凄い治癒能力で回復してしまう。その場にいる魔女たちはそれをよく知っていた。

 ゲルダにもたれられているクロエは、ノエルの去った方向を見つめた。

 彼は赤い髪の毛を思い出す。


 いつか必ず俺のものにしてやろうと。




 ◆◆◆




【ノエル一行】


 家に帰るとご主人様は元気に僕を迎えてくれた。僕はご主人様の顔を見るとすっかり安心して緊張の糸が途切れた。

 苦しかったことも全て嘘のように感じる。


「俺はもう治った。町の医者が俺を治してくれた。もうなんともない」


 ご主人様、お身体よくなられたんですね。

 良かった。

 実は僕失敗しちゃったんです。

 見つけるところまではいけたんですけど、どうしても手に入れることができなくて。どんな顔してあなたに会えばいいのかずっと考えていました。

 それに僕、悪いこともしちゃいました。

 でもよかった。

 もう身体がよくなられたなら心配ないですね。


「俺はもうどこへでも行ける」


 え……?

 ご主人様どちらに行かれるのですか?


 家の中からどこからともなく女の人が出てくる。


 その女の人は誰ですか?


「俺はこの女と生活するんだ。もうお前はいらない」


 え…………?


 嫌です……捨てないでください……ずっとそばに置いてください。

 奴隷でいいですから。なんでもしますから。


 ご主人様……――――!!





「おい、起きろ!」


 ハッ……と、僕は汗びっしょりになって目が覚めた。それが夢だったと気づくまでに数秒の時間が経過する。

 夢だと解った後は僕は額に手を当てながら汗を拭き、息を深く吐き出した。


 ――なんて酷い夢なんだ…………


 ガーネットが怪訝な顔で僕の顔を覗き込んでくる。少し目を合わせた後に僕は視線を外した。

 辺りを見回すと、もうすっかり夜もあけて明るくなっていた。

 日が上ったばかりくらいだろうか。

 レインは僕の隣で眠っていた。馬も傷がまだ癒えていないのだろう。もう動けないといった様子でぐったりしている。


「町の近くについたぞ。お前、酷くうなされていたが……」

「うん、ありがとうガーネット……っつう……」

「……っ……お前の身体の痛み…………酷いな」


 ガーネットは僕の身体の痛みや疲労感を感じているようだった。

 それはもう酷い痛みと疲労感だった。

 翼をしまわないといけないのに……魔術式を構築する気力がない。このままでは町に入れなかった。

 僕は無理やり魔術式を構築して身体に翼を戻した。

 翼を出した衝撃で服に穴が空いてしまった。縫わないといけない。もらった先生の顔が頭に浮かぶが、すぐさまそれは消え去る。

 動くたびに激痛が走り、まともに動くことができない。


 ――今日はここで一日明かそうか……でもご主人様に早く会いたい。倒れていないか心配だし……


 僕はそこまで考えてさっきの夢を思い出した。


 ――身体がよくなったら、ご主人様は僕の事必要なくなっちゃうのかな…………


 僕は何とか町に向かって歩き出した。よろよろとしてまっすぐに歩けない。

 馬の身体の様子を見た。やはり無理な負荷を強いられているようで、身体中ボロボロになっていた。


「ごめんな……傷が酷い……ここで待っていて」


 馬は僕の言葉が解るのか、大人しくしていた。

 僕は薬草の袋からわずかながらの薬草を出して馬の脚にはりつけた。

 魔術をもう使える気がしない。

 それでも痛みを我慢して構築することができる底なしの魔力が自分でも疎ましい。


「おい、下手に動くな。私まで痛いだろう」

「……ガーネット、僕の血飲んで」


 僕は自分の腕を差し出した。ガーネットは一瞬戸惑う様子を見せたが腕に咬みついて僕の血を飲む。

 もう身体中が痛い為、腕のその外傷の痛みなど大して気に止まらない。

 身体の痛みはみるみる内にひいた。

 道具のように彼を使いたくはないが、状況が状況だったので仕方がなかった。同時に僕とガーネットの腕の怪我も完治する。

 これならご主人様の家に戻ることもできる。

 しかし、このままこの子たちを置いていくわけにもいかない。


「ガーネットはレインと馬を見ていて」

「どこへ行く?」

「ご主人様のところに」

「ふん……そうだったな。こんな死ぬような思いをして収穫もなく、やっとの思いで帰ってきたのはソイツの為だったな」

「……悪かったよ。こんなことに付き合わせたくはなかったけど、でも――」

「やかましい。さっさといけ」


 ガーネットはハエでもはらうように僕を追いやった。冷たい言い方だったが彼なりの気遣いだろう。疲弊している僕は怒る気力もなければ、感謝をする気力も残っていなかったので、黙ってガーネットに背を向けて歩き始める。


 帰ってきたんだ。

 ずっと帰ってきたかった場所。

 僕の唯一の存在しても許される場所。

 ご主人様もきっと僕のこと待っていてくれているはずだ。


 ――早く声が聴きたい。髪に触れたい。僕に触れてほしい……


 そんな思いで僕はご主人様の家の前まで戻ってきた。

 ご主人様の家までの道を一歩一歩懸命に足を前に出して歩く。


 そして期待を胸に扉を開けた。


「……!」


 その景色に僕は言葉を失う。目を見開いてその光景を脳裏に焼き付けた。

 焼きつけたくもないソレから目を離すことはできなかった。

 半裸のご主人様が他の女に口づけをしているところだ。

 僕は硬直した。

 少しも動くことは出来なかった。

 扉の開く音を聞いたご主人様は、ゆっくりと僕の方を見た。少し驚いたような顔をしたが、 すぐにいつも通りの顔に戻る。

 無機質な冷たい目だ。


「……今取り込み中だから、外していろ」


 無慈悲な言葉で僕は鋭く貫かれた。



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