第11話 罪名の意味
夜の
「ノエル、起きて。魔女の気配がする」
レインの焦ったような声で僕は目を覚ました。
ガーネットもやはり眠れなかったようで僕が起きたときには起きていた。険しい表情をしたままレインと同じ方向を見ている。
僕も感覚を研ぎ澄ませて気配を感じ取った方を見た。レインとガーネットには静かにするように合図する。
――僕がお尋ね者だってことがばれた……?
だとしたら相当まずい状況だ。
「ちょっと! なによこれ!!?」
警戒して見ている先から女の声がした。
その甲高い女の声には聞き覚えがある。
ガーネットとレインは声のする方を警戒して凝視したまま声のする方へ近づいていくと、その間抜けな魔女は現れた。
昼間、僕にちょっかいをかけてきた魔女だ。
それが解ると同時に僕は気が遠くなるのを感じた。ため息を吐き出して、できるだけ大人の対応を試みる。
「……あぁ、昼間の。なんだっけ? ……キャンドル? みたいな名前の」
「キャンゼルよ! ちょっと、あんたこんなのずるいじゃない」
キンキンする声でそう喚き散らす。
面倒なのに見つかってしまったと思った僕は頭をガリガリと掻く。少しくらい脅しておいた方がいいだろうか。そう考え、僕は静かにキャンゼルを見つめた。
「僕に付きまとわないでよ……殺されたいの?」
低い声でそう言うと、キャンゼルはビクリと身体を震わせた。
魔女の序列は力がすべて。力が弱い魔女は強い魔女には逆らおうとしないよう刷り込まれている。
「昼間はごめんなさい。あたし、本当にあんたの事好きになっちゃったみたい……」
キャンゼルはもじもじと身体をくねらせながら、しきりに自分の服の胸元を直したり、目を泳がせている。
その様子を見ていた僕は背筋が凍るような思いだった。
本当に冗談じゃない。
「だからあたしもついていきたいの! いいでしょ? 邪魔はしないし、ね? それにあたしがいた方が他の町の魔女とも話がしやすいと思うの。あんた、全然この辺では顔が利かないみたいだから」
――もしかして後をつけていたのか……?
気色の悪い魔女だと僕は思った。
僕にとってはこの魔女に対して脅威がなさ過ぎてただただ呆れるばかりだ。仮についてきたとしても、役に立つようには到底思えない。
「昼間のあれを見る限り、足手まといにしかならないと思うんだけど」
「あたしは炎以外の魔術の方が得意なのよ?」
「……何?」
苛立ちが隠せない僕は口調が荒々しくなってくる。
こんな魔女についてこられると動きがとりづらくなる。ガーネットもレインも賛成しないだろう。明らかにレインとガーネットの2人から殺意があふれ出している。
もし殺意というものに実体があったら、この辺りは洪水になっているだろう。
「再現魔法よ。例えば、こんなのはどうかしら?」
キャンゼルが魔術式をくみ上げると、何もない空間から花束が出てきた。
「ふふ、素敵でしょ」
花のいい香りが漂ってくる。本物の花のようだ。
「どうなっているの?」
「あたしの記憶にあるものを再現しているの。でもあたしが知らないことまでは再現できないのよね。それに長期間は留めておけないの」
――……この女が馬鹿でよかった……
使いようによってはその魔術は恐ろしいことになりかねない。
例えば以前人類の半分以上を殺したと言われる病原菌なんかを作り出せたら、今度こそ人類が滅びてしまうかもしれない。
使い道によっては……というところだがどう使ったものか。それに信用できるのか? 寝首をかかれないとも限らない。
「僕を裏切らないっていう確証がほしい」
「用心深いのね。なら、あたしに裏切れないように魔術式を組み込んだらいいわ。あたし、あんたの難しい魔術式全然わかんないもん。あたしは元々そんないい家柄の魔女でもないし、それにあたしの魔力であんたの術式を変えるのは無理よ」
言われてみれば確かにそうかもしれない。
しかし、本当は力を隠していてうまく寝首をかく気がないとも言い切れない。
一つの判断ミスが命取りになりかねない状況だ。
試しに有効な移動手段を聞いてみることにした。
「移動手段に困っているんだ。何かいい方法を知らない?」
「馬にしたら? あたしが手配してあげるわ」
「馬を使うなら、あなたは必要ないんじゃないの?」
「あんたねぇ……あたしが言っているのは、普通の馬じゃないわ。魔女が実験で作り出した移動用に特化したキメラ馬よ。それにあたしが手引きしないと手に入らないじゃない」
「……それを、あなたが作るってこと?」
「もうすでに作られているわ。それが一匹もいればあたしたち3人乗れると思うわよ」
現状、徒歩での移動は現実的ではない。
かといって別の移動方法が思いつくわけではない。
でも倫理的に……と考え始めたが、もう倫理がどうとか言っていたら、いつになってもご主人様の元へと帰ることができないだろう。
「……解った。その代わり、拘束魔法を使わせてもらうよ。ガーネットもそれなら安心できるでしょ? まぁ、おかしなことをしようとしたら僕が殺すから安心して」
僕はガーネットの方を見た。
ガーネットは先ほどからずっと黙っていたが、再び彼を見ると顔が非常に険しくなっていた。
この状況ではガーネットがキャンゼルを今にも殺しかねない。酷い怨嗟の感情をたぎらせているようだった。
「私はこんな訳の解らない魔女を連れて行くのは反対だ。昼間もお前に襲いかかったではないか。いくらお前が拘束魔法をかけていても信用ならない。第一こんな魔女がそもそも信用できるのか?」
やはりガーネットは反対した。
「そうだよね」と僕も思う。そして改めてキャンゼルに向き直ると驚いた表情でガーネットを見つめていた。
「え……? この吸血鬼族こっちの言葉話せるの? しかも制約されてない吸血鬼族?」
――しまった……ガーネットに言いたい放題言わせてしまった
魔女の制約なしでこっちにいる吸血鬼族だなんて知られたら、どうやってこっちに来たのかとか、面倒くさいことを根掘り葉掘り聞かれてしまう。
――そんな魔族がいるなんて魔女どもに知られたら……――
他の魔女にバレる前に始末するか?
そう考えた僕はキャンゼルに見えないように後ろ手に魔術式を構成し始めた。ガーネットとレインはそれに気づき、より一層警戒を強める。
その矢先のこと。
「どうやってそんな風に仲良くなったのー? 魔族って何言っているのかわかんないし、それにその吸血鬼族こっちの言葉どうやって喋れるようになったの? ねぇねぇ教えてよ」
目を輝かせてそうキャンゼルは言った。
――馬鹿でよかった……本当にこいつが馬鹿でよかった……
と、僕は心底思い、構築していた魔術式を解く。
この魔女は本当にアホだという妙な安心感を僕は得た。
「気安く話しかけるな魔女風情が!」
「ノーラだって魔女じゃない!」
「こいつはお前よりも多少はマシだ。魔女に指図されるのは腹が立つが、魔女である上に更にバカな奴に指図されるのはもっと腹が立つ」
「なんですって!?」
魔女も全員酷いことをするとは限らないが、キャンゼルの場合はガーネットが嫌いな魔女の一派だろうから気を許せないのも解る。しかし、喧嘩をされると困ってしまう。
その2人がずっと喧嘩しているのを、レインと一緒に見ていた。この先、気が思いやられるというレベルではない。
「ぼく、二人とも嫌い」
そのあとキャンゼルがレインを発見した際に、大はしゃぎしてレインを怒らせたのは言うまでもない。
◆◆◆
翌日、キャンゼルの言うことを信じるわけではなかったが、移動手段がほしかった僕はキャンゼルが手引きするというキメラ馬を待っていた。
「正気か?」
「そうだよ! ぼくあいつ嫌い!」
もうその質問も台詞も何百回聞いたか解らない。
「大丈夫だよ。下手なマネさせないから。二人にも手は出させないし」
嫌がる二人を何度も何度もなだめる。
ガーネットには命令すれば済む話だけれど、極力説得したい。しかし、説得をするのは骨が折れる。
僕らが言い合いになりながらも待っていると、大きな『馬のようなもの』をつれてキャンゼルが来た。
馬に翼が生えている。馬の体重では飛ぶのは難しそうだが、少しの間走って風をうけることによって空中を浮くことくらいはできるだろう。それに馬の脚にしては太い。徹底的に移動する為だけに作られた生き物という感じだった。
「お待たせノーラ」
少しウキウキしたように名前を呼んでくる。正直言って、気色が悪い。
妙に親し気に話しかけられ、適切な距離感を保ってくれないキャンゼルには嫌悪感を強く感じていた。
「これに乗っていくのか。随分……えげつない見た目しているな」
「ええ、かなり早いわよ」
見た目は白馬なのも相まって、人間の作った寓話に出てくる『ペガサス』という感じだったが、流石にこんな姿にされた馬が可哀想だった。
「魔女というのはつくづく気味の悪い生き物を作るのが得意だな。悪趣味だ」
ガーネットはキャンゼルに咬みつく勢いで睨み付けながら嫌味を言う。
「あーら、魔族なんて元から気味が悪いんだから、あんたとそんなに変わらないでしょ?」
「お前の顔よりはマシだ」
「それは吸血鬼に同意する!」
僕はため息をついて頭を抱えた。これを三つ巴というのだろうか。これでは先が思いやられる。僕はその馬を見て溜め息を飲み込んだ。
「おい、コイツに拘束魔術をかけろ」
「あぁ……うん」
僕はさっさと魔術式を構築してキャンゼルの手にかけた。
「昔見た見様見真似の魔術式だし、正直どのくらいの拘束力なのか解らないけど……ちょっと向こうに炎を出してみて」
「解ったわ」
キャンゼルが炎を出そうとしたが、魔術式が構築できずに炎はでなかった。
「本当に使えなくなっちゃった」
何度も何度も魔術式を構築しようとするが、全く構築できずに失敗に終わっていた。
「これでいい?」
ガーネットとレインにそう聞くと、まだ不満そうな顔をしていた。
「両手両足を縛っておきたいくらいだ」
「これを解いてもらったら、あんたを丸焦げにしてあげるわ」
「やってみろ、有象無象の雑魚が……」
喧嘩が絶えないので、僕は諦めて放っておいた。
レインと共に馬に近づいて馬を軽く撫でる。馬は僕を見て「ブルルッ」と息を吐きだした。馬の頭をそっと撫でると、馬は僕に頭を垂れた。
「いい子だな」
喧嘩をしている後ろの2人よりも、馬の方が余程賢く見えた。
「ほら、いくよ。喧嘩してると置いてくからね」
僕らは次の街へと向かった。
◆◆◆
“それ”は息もつかせぬ体験だった。
「っ……たぁっ……はぁはぁ…………」
あまりにも規格外の速さであった為、呼吸がろくにできなかった。
髪の毛もボサボサになり、目も乾いてしまっている。僕は何度も何度も瞬きをした。
「ね? 早かったでしょ♡」
「あはははは! もう一回もう一回!」
レインがはしゃいでもう一回と僕にせがむ。
もう無理だ。
やけに心臓が早い。
ある意味、本当に死ぬかとすら感じた。こんなものに魔女は乗って移動しているのか。
まったく正気の沙汰じゃない。
その正気の沙汰じゃない方法で魔女の総本部の街の入口にあっという間についたわけだが、皮や髪が風圧で切り刻まれて飛んでいくかと思うくらい早かった。
まるで身体の負担をまるっきり考えていない。
滅茶苦茶だ。
何より滅茶苦茶なのはその馬の身体さえも限界を迎えてボロボロになってしまっていたことだ。
魔術によって無理やりに走らされるように魔術式を掛けられているのだろう。
その馬の身体はもう帰りには使えないほどになっていた。
「これじゃ帰りは……」
僕は息を荒げている馬を見て心を痛める。こんなことを平気でする魔女の冷徹さに、落胆せざるをえない。
――ご主人様に、魔女だと嫌われても仕方がないな……――――
僕は憂いを払い、深くフードを被って髪と顔を隠した。
「目立ちたくない」と言ったらキャンゼルが僕にくれたものだ。法衣ではなく、ただのフード付きのマント。
「大丈夫、大丈夫。この子、治癒魔術式が体内にあるのよ。だからどんなに傷を負っても多少の傷なら死なないで再生するの。魔術の応用ね」
それは尚更酷い。
ガーネットにしたように、何度も何度も実験したのだろう。
その馬の気持ちを考えると、何の言葉も出てこなかった。
「本当にお前ら魔女は下衆なことしかしないな」
ガーネットは軽蔑を込めた目を、僕にも向ける。そんな目を向けられても仕方がない。そう頭ではわかっていたけれど、やはり『魔女』という括りで見られるのはつらかった。
僕は馬をゆっくりと撫でると、疲弊した馬はうめき声にも似た鳴き声をだした。その場に留めて、ガーネットは猫の姿になってもらった。
吸血鬼族の姿は目立ちすぎるから。
「ねぇ、あなたの罪名はなんなの?」
キャンゼルはそう、聞いてきた。
以前も『罪名』という言葉を聞いた。ずっと気になっていた『罪名』とは一体何のことなのか。
「……すまないけど、ずっと閉鎖的な空間にいたから世情に疎いんだ。『罪名』って何のこと?」
「え!? 知らないの!?」
キャンゼルは目をまんまるにして驚いている。本当にこの魔女は一々、
「罪名っていうのは、高位魔女に与えられる称号よ……最高位の魔女である証のようなものね。あと最高位の魔女たちには極上の法衣が与えられるのよ。魔女の憧れよねぇ……」
最高位の魔女の証か……別に、誰かにそんな風に認められたいわけじゃないけれど。罪を犯すことが魔女にとっての美徳だとでもいうのだろうか。
罪を犯すのが美徳なら、一体『罪』とはなんだろう。
「それにしてもなんで『罪名』なの?」
思春期にありがちなカルトの発想だと、僕は心の中で貶めた。
「それは大昔、人間に虐げられていた時代のこと、罪は人間が忌み嫌った物だから……人間を支配するのに、人間が嫌った『罪』をあえて称号にしているのよ。戒律を嫌い、人間が罪と定めたものを崇拝することによって、魔女は略奪される側からする側になったの。だから、強い魔女は『罪名』というものを与えられるの。とても名誉なことなのよ」
キャンゼルは頭が悪くてどうしようもない魔女かと思っていたけど、魔女の一般常識はある程度解っているらしい。
――大昔、人間に虐げられていた時代か……
文献によると、魔女だというだけで火あぶりにされて殺されてきたらしい。
僕にとっては、その時代も今の時代も結局変わらない。同じだ。僕がひとたび力で抑え込もうとすれば、今の魔女の姿と同じになってしまう。
結局、何もかもが繰り返しだ。
「あとは……男の高位魔女との性行為権が得られるってところかしらね。ゲルダ様はクロエ様って高位の男の魔女をほぼ独り占めしているけど……でも、罪名持ちはクロエ様の相手ができるのよ。かっこいいのよね、クロエ様」
――ゲルダお抱えの男と性行為?
背筋の凍り付くような話だった。
上位魔女同士の子供は、より上質な魔女が生まれるってことだ。これは実力の差は努力じゃ埋められない差になるだろう。昔からある『優生思想』というやつだ。
そもそも魔力の弱い魔女なんて奴隷と大差ない扱いをされるから弱者は淘汰されるべきという考え方が魔女の本質なのかもしれない。
「僕は罪名なんてない」
僕は殺しを好まない、傷つけないようにしている。
多くは望まない。
僕は、善良な人間と同じだ。
そう自分に言い聞かせる。
「そうなの? そんなに強い力があるのにもったいないわ。あたしはほしくてももらえないのに」
「まぁ、大体解った。そんなことよりも早く聞き込みをしよう」
キャンゼルの話を途中で遮って話を本題に戻した。
そんな与太話はどうだって構わない。
「キャンゼルは余計なことは喋らずに治癒魔術の最高位の魔女のことだけを聞いてきて。何かあったら呼んで。咄嗟のときにできる仕草に魔術式を組んでおくから。例えば……そうだ。舌を強く噛んだら命の危険だっていう信号にしよう。舌を出して、魔術式を組み込むから」
僕は少し早口で余計な質問が帰ってくる前にまくし立てた。
「いやん、舌を出せだなんてノーラのエッチ」
「うるさい、早くして」
キャンゼルが舌を出すと、僕はその赤い舌に噛んだら僕が分かるような魔術式を組み込んだ。
「じゃ、情報があってもなくても、日が落ちたくらいにここで落ち合おう」
ガーネットは猫の姿で、レインは鞄の中。
そして僕らは幻想的な魔女の総本部の街へと入っていった。
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