第6話 契約




 覚悟を決めた僕は、風の刃の魔術式を展開した。

 手の平の静脈を少し傷つけて血液を出し、その吸血鬼の口を開けさせて垂らす。痛みと、液体が伝っていく感触を確かめながら静かに見ていた。

 ポタリ、ポタリと何滴かが彼の口の中に落ちる。鋭い白い牙が光を強く反射しているように見えた。

 僕の血を数滴口に落とした後に吸血鬼は途端に意識を取り戻し、舌なめずりしてそれを舐めとった。

 上半身を勢いよく起こし、いきなり僕の手首に勢いよく咬みつく。


「いっ……」


 鋭い牙が肉を裂き、手首に鋭い痛みが走る。動脈が切れたようで沢山の鮮やかな血が溢れだした。吸血鬼は僕の傷に舌を這わせて丹念に血液を舐めとった。


 舐め始めて少し経った頃、彼に変調が起きた。


 怪我が目に見える速度で治り始めた。僕のレインに引っかかれた傷も、咬みつかれたその手首の傷も治ってしまった。

 彼は倒れていた身体を起こして、僕の身体を抑えつけて更に血液を飲もうとする。

 これ以上飲まれたら魔女の血にあてられて本末転倒になってしまう。


「やめて」


 僕が拒否を示すと、彼は身体が硬直した。


「なんだ……? 身体が動かない……!」


 彼は動かない身体を懸命に動かそうともがく。しかし、彼の身体は僕を引き裂こうとする行動の全てが規制され、思うように身体が動かないようだった。

 これが魔女の血の呪い。

 呪縛。

 もう彼の血は穢れてしまった。戻すことは出来ない。


「もう傷の痛みがない……治っているだと……お前の血の影響か? むしろ調子がいいくらいだ。お前の血をもっとよこせ」

「これ以上与えたらキミに悪い影響しか出ないよ。少量で様子を見て」


 吸血鬼の傷も恐るべき早さで治癒していた。

 薬学を勉強していて僕は知ったことがある。毒と薬は紙一重だってこと。なんでも過剰に摂取することは身体に牙を向く毒になる。

 強い魔女の血は少しの量でも穢れてしまうのに、過剰に与えたら彼が吸血鬼族ではない化け物になってしまう。

 混血の僕は半分は魔族に近い血を持っているから、影響が少し緩和されているのかもしれないが、確証や証拠はどこにもない。

 彼は僕の言葉に心底不愉快そうな顔をした。


「私は『キミ』じゃない。ガーネットだ。未成熟な魔女のくせに偉そうに私に口をきくな」


 その言葉に、僕もムッとして言い返す。


「僕は未成熟じゃない。22年も生きている」


 見た目こそ、少女の姿をしているものの

 僕は人間でいうところの“成人”をしていた。未成熟という言葉は適切ではない。


「やはりまだ未成熟じゃないか。300年生きてから物申せ」

「…………何年生きているの?」

「私の歳などどうでもいい。お前が私に偉そうな口をきくなと言っているのだ」


 ――気難しい吸血鬼だな……


 そう思う最中、魔族は下位魔族ほど自分の名前というものを持っていないというのを思い出した。名前で呼ばれないと下位魔族と混合されているようでいい気はしないんだろう。

 名乗ってくれたので、僕も自分の名を名乗ることにした。


「僕はノエル。よろしくガーネッ――」

「よろしくするつもりはない!」


 途端に元気になり、生意気な口をきき始める目の前の吸血鬼を、僕はどうしたらいいか解らなかった。

 しかし説明はしなければならない。

 僕が何から説明をしようか頭を悩ませていると、レインが大騒ぎし始める。


「ノエル、ぼくこいつ嫌い! 早く異界に帰してよ!」

「龍族の子供風情がやかましいぞ。黙っていろ」


 上級魔族同士は仲が良くないらしい。

 二者は向かい合って睨み合っている。


「ガーネット……どういう状況なのか説明したい」

「どうでもいい。私はこれからお前を始めとして魔女を皆殺しにする」

「……もう僕の眷属になったんだから僕と一心同体なんだよ。僕を殺すと、ガーネットも死んでしまう」


 ガーネットは僕が何を言っているのか解らないと言った様子で僕の方を見た。


「どういう意味だ。私が汚らわしい魔女と一心同体だと?」

「その言い方、どうかと思うよ。僕の腕を見てて」


 僕は汚らわしい魔女などと言われて少しムカついた。

 その感情を抑え、自分の腕を風の魔術式で浅く切ってみる。ビリッとした一瞬の痛みを感じた。


「!」


 ガーネットは自身の腕に痛みを感じたのだろう。自分の腕を見て確認していた。

 傷口はすぐさま塞がり、そこには少しばかり出血した血だけが残る。


「おい……私に何をした!?」

「僕の血を飲んだことによって、僕とガーネットは『契約』したんだよ」


 ガーネットはそれを聞いて唖然としていた。僕の顔を何とも言えない表情で見つめてくる。

 大変なことをしてしまった自覚はあった。

 こうするしか助けられなかったとはいえ、軽率だっただろうか。

 僕はご主人様のところに戻りたかったが、この吸血鬼をどう説得しようか考えていた。


「契約とはなんだ!?」

「ちょっと待って、説明する前に異界に続く扉を開くから」


 僕は出来ることを一つずつ片付けようと書きかけの魔法陣を書き始めた。

 昔、同じものを書いている者を見ていたからなんとなく解る。

 ガーネットを後ろに僕が黙々と魔法陣を木の枝で書いていると


「どうなっているのか説明しろ!!」


 少しの間呆然としていたガーネットは、魔法陣を描いている僕を向き直させ、首元を掴み上げてすごんでくる。

 頭の整理をしていたのに、考える間を与えてくれない。

 説明するべきことは沢山あるのに、ガーネットに何から説明したらいいか解らなかった。


「だから、君の……ガーネットの身体に僕の血を与えて『契約』を結んだんだよ」

「契約を結ぶとどうなるんだ!?」

「肉体的な痛みや傷を共有することになる。ガーネットが傷ついても僕は痛みを感じるし、僕が傷ついてもガーネットは痛みを感じるってこと。あと僕の命令を拒否できなくなる」


 普通、契約を結ぶ魔女などいない。

 一方的に魔族を使役するものが殆どだ。誰も魔族と契約を結ぶ物好きな魔女などいないし、魔女の掟では魔族との契約を禁止している。

 だが利点が何もないわけではない。


「なんてことをしてくれたんだ! この腐れ外道の魔女が!」


 ガーネットが僕の顔を乱暴に掴み、鋭い爪でひっかいた。その瞬間ガーネットの頬にも同じ傷ができる。

 しかし彼の傷は瞬く間に治癒された。

 契約する者とその魔女の潜在能力を爆発的に上昇させる。それが最大の利点だ。だからこそゲルダはそれを恐れている。

 禁止している理由はそれだ。


 それにしても、僕の顔で試さなくてもいいのに。

 これが普通の人間の女だったら、顔に傷がついたなんて言って大騒ぎするのだろうか。


「なんだこれは……ふん、お前から離れたら済む話だ」


 ガーネットは僕から離れようと背を向けた。


「僕から離れると、ガーネットの中の僕の血の制御ができなくなって、最悪の場合死ぬよ」

「ふん、試してみようじゃないか」


 ガーネットは僕から離れていった。

 10メートル、50メートル、200メートル……僕は見えなくなったガーネットを放っておいて、魔法陣を描き続けていた。

 レインは下級魔族と一緒になって僕が黙々と魔法陣を描いているのを見ていた。


「あいつ嫌い」

「うーん……早まったことをしちゃったかな……」


 それでも、僕は吸血鬼というものに対し、特別な思い入れがあった。

 よく覚えていないが、昔、魔女に拘束されていたときに吸血鬼と出逢った。

 僕は、助けられなかった。

 その吸血鬼の青年は、見るも無残に殺された。

 今、その時に戻れるのなら守ってあげられたかもしれない。あのときは、僕自身がどうしようもない状態だったから……と、言い訳したところで命が戻ってくるわけもない。

 そんなことを思い出しながら僕は魔術式を書き続けた。

 暫くして、大分異界へとつながる魔術式を描き終わったころに、ガーネットは納得できない様子で帰ってきた。

 息を切らして僕の後ろに立っているのが解る。


「あー! 帰ってきた吸血鬼!!」


 ガーネットは苦しそうにしている。

 やっぱりだ。確信はなかったが契約を交わしたら離れることができなくなる。

 僕の記憶は間違っていなかった。


 彼の苦しさと、口惜しさと、憤りと、口惜しさと……そういった負の感情が僕にはなんとなく解った。

 否応なしだったとはいえ、彼の意思を尊重できなかったのは事実だ。

 彼は僕に文句をいうかと思ったが、そうは言わなかった。


「……こんなときに、何をしている」


 こんなとき、というのがどういうときなのかと僕は考えながらも、魔術式を書くために手を動かし続ける。


「この子たちを異界に帰さないといけないから、魔術式を描いているんだよ」


 僕は返事をしながら、書きあがった魔術式に僕の血を垂らした。

 魔術式をその陣にかけて異界の扉を開くと、深い暗闇に更にもっと暗い闇が姿を見せる。

 そこからはものすごい熱量がこちらの世界に流れ込んできた。

 あまり長くは開けていられない。


「さぁ、帰って。レイン、帰るように言ってくれるかな」

「解ったー!」


 レインは異界の言葉で帰るように話をしてくれた。

 そうして異界の住人が僕を一瞥しながらもその穴に帰っていくのを見ていた。

 正直に言うならガーネットにも帰って欲しかった。しかし、契約してしまったからには僕が面倒をみてやらないといけない。

 もう彼は……普通の吸血鬼族としては生きられないのだから。

 しかし、てっきり「私も帰らせてもらう」と言い始めると思ったが、ガーネットはそう言わなかった。

 彼の方を見たら、釈然としない顔はしていたが状況をなんとなく理解はしている様子だった。

 高位魔族は賢くて助かる。


「えー、こいつ帰らないの?」

「お前こそ帰ったらどうだ」

「あー! お前って言ったな! ぼくはレインだ! お前なんて言うな吸血鬼!」


 魔族の異種同士は基本的に仲が良くないんだろうけれど、こうも露骨に頻繁に喧嘩されると困ってしまう。魔族同士のそういう習わしなどは僕には解らない。

 僕は喧嘩している二人を他所よそに、異界の扉を閉めた。


「なんとなく察しているとは思うけど、力が前の身体より強くなっていたり、色々前との相違点はあると思う。慣れるまでは大変かもしれない」

「そんな説明はされずとも解っている。それに他のことも……不思議と解ってしまう」

「えー! なにそれずるいずるい! ぼくともケイヤクしてよー!」


 レインがバタバタとまた暴れだす。


「あのね、レイン。契約は良いことばかりじゃない。契約した者と離れられなくなってしまうんだよ」


 僕が諭すように言うが、レインはバタバタとせわしなくはためいて話を聞かない。


「ぼくノエルと離れたくないからいいもん!」

「この馬鹿トカゲ、殺すぞ」

「なんだよこのインケン野郎!」

「やめてよもう……二人とも」


 ひとまず、ガーネットをどのようにして、ご主人様の目から逃れてもらおうかということで頭がいっぱいだった。

 言い争いを辞める気配のない二人を見ていた。

 先が思いやられる。

 ガーネットの方を見ながら僕は顔をしかめて考えていると、ガーネットの身体の傷痕が本当に酷いことに目がいった。

 これは致命傷ではなかったのかと思うほどの大きな傷がいくつもある。


 ――いくら魔族とはいえ、こんなに……まして血液を大量に必要とする吸血鬼族なのに……


「なにを見ている」


 僕の視線に気づいたガーネットは、機嫌が心底悪そうだった。

 僕を鋭い目で睨む。

 今にもまた僕に飛びかかってきそうだ。


「あぁ……えぇと……本当に酷い傷だね……よく……生きているというか」

「ジロジロ私の身体を見るな。異端児の分際で。魔女の目つきはどいつもこいつも卑しい目つきをしてる」


 ――喧嘩をやめてほしそうな目で見ているのが解らないかな……


 しかし、レインを殺さずに口喧嘩で済んでいるところは、ガーネットの優しさなのだろうか。

 魔族はもっと簡単に相手を殺したりする種族だと思っていた。


「僕はそんなひどい怪我をして、よく生きているなって思っただけ」

「ふん、知りたいなら答えてやる。これは治療魔術を使う魔女に、死ぬ前に無理やり再生させられたときにできた傷痕だ。そのままであったら確実に死ぬ致命傷の傷だった」


 ガーネットは苛立っているのか自分の唇をかみしめていた。牙が食い込み、僕にも痛みが伝わってくる。

 そして胸に自分の手を当てて傷を押さえた。

 そのしぐさが、僕の胸を痛ませる。どれほどその傷みが壮絶なものだったのか、その片鱗を経験した僕には少しは解る。


「……それって、どのくらい高位の魔女だったか覚えている?」

「かなりの高位魔女だろう。どんな傷も、致命傷でさえたちどころに治した」


 それを聞いて、僕は治癒魔術の高位魔女ならご主人様を治せるかもしれないと思った。魔女と関わりたくないという思いが強すぎて、その点は盲点だった。


 ――待てよ……治癒魔術を使う魔女……?


 ガーネットのその話を聞いて、僕はずっと前の記憶がよみがえってくる。


 ――あの白い魔女……


 僕が魔女の総本部にいたとき、実験にいつも立ち会っていた魔女。その魔女だろうか。どんな魔女だったのかよく覚えていない。

 しかし、ご主人様の治療に協力してくれるわけがないと考える。

 僕の経験からしても、魔女なんて残虐な性格の者しか見たことがない。

 仮に協力させるにしても、どう協力させたらいいかも解らない。


 ――リスクは冒したくない。でも、このままじゃ……ご主人様は……


「その魔女はどんな風だった? 実験に積極的だったとか、外見とか……」

「白い髪に白い法衣の魔女だ。無理やり実験に参加させられているように見えたが……いつも他の魔女に怯えている様だった」


 それを聞いて、僕はかすかな記憶を頼りに思い出した。白い髪、白い法衣。魔女には珍しい治療を生業にしている魔女……。



 ――過去―――――――――――――――――――――



「大丈夫……?」

「…………」

「大丈夫じゃ……ないですよね……」

「……………」

「傷は治っても、心の傷までは治せないんです……ごめんなさい」



 ――現在―――――――――――――――――――――



 ――やっぱりあの魔女か……――


 もしかしたら、協力してくれるかもしれない。

 僕のことを覚えているだろうか。いや、忘れるわけがない。

 協力してくれるかもしれないという、その希望に縋りたい気持ちでいっぱいになる。

 それでも僕は、探しに行きたい気持ち半分と心配で離れたくない気持ち半分だった。




 ◆◆◆




 すっかり遅くなってしまった。


 ――早く帰るって言ったのに、ご主人様怒るかな……


 そう考えると憂鬱だった。

 魔族たちをきちんと異界に送って魔法陣は消した。レインは僕と遊びたいと駄々をこねていたが、なんとか説得してきた。

 なにより問題なのは、吸血鬼族を助ける為に契約を結んでしまったことだ。

 しかも気性が荒く、魔女の血統を無差別に酷く嫌っている。

 最初はただ気性が荒いだけの小物かと思ったが、実際に話をしてみると知性の高さは確かにあり、確かに高位魔族のようだった。

 高位魔族はやはり知能が高い。現代の人間よりは物分かりがよさそうだ。

 ガーネットには僕の生活に全容の話をして言い聞かせた。

 酷く嫌がっていたが魔女に復讐する機会を与えるということと、できるだけ僕はガーネットに合わせ、強要はしないということでようやく納得してもらった。

 契約者で優勢なのは僕なのに、なんでご機嫌伺いをしないといけないのかと頭を抱える。


 ――でも、否応なしに支配したら他の最低な魔女と一緒だ……


 ガーネットは僕から離れすぎると肉体的な苦痛を感じてしまうので、僕と一緒に来てもらうことにした。

 しかし、見た目が明らかに人間のソレとはかけ離れているからと困っていたら


「にゃーん」


 これである。

 変化魔術の魔女の魔術式を憶えていたガーネットが、自身に魔術式をかけて猫になってくれた。

 高位魔族だからできる粗技だ。黒い毛並みに赤い目の猫。猫にしては少し不自然だがこれなら僕の傍に置いても不審はない。

 ただ、猫の声帯の構造上喋ることはできないようで、こうなっているガーネットとは僕から話しかける一方通行な意思疎通しかできない。

 猫の姿をしているガーネットは、あの悪態をついてくる可愛げのなさが嘘のようだった。


 やっとの思いで家の前について、扉を開けようとしたときに中から話し声が聞こえてきたのに気が付いた。


 ――女の人の声だ…………開けない方がいいかな


 何の話をしているかまでは聞こえなかったが、楽しそうに話をしているのは解る。

 その楽し気な声を聞いて胸が痛んだ。


 ――僕といる時はそんな風に話してくれないのにな……


 薬草の籠を玄関の隣に置いて、僕は家から遠ざかった。

 その楽し気な声を、聞きたくなかったから。


 抱かれた記憶や、優しくしてくれた記憶がその反動で僕の心を蝕んでいく。

 僕は家の近くの会話が聞こえないところへ逃げた。

 いつ頃帰ればいいのだろう。早く帰ってこいなんて言っておいて、すぐこれだ。僕は座り込んで心の中で悪態をついた。

 辺りは、もうずいぶん暗かった。暗闇と静寂だ。草木のさざめきが聞こえる。

 ザァ――――……という音。別に何の意味もないその音に、僕は耳を傾けた。

 この音と同じように、ご主人様が何を考えているのか解らない。


「おい、魔女」

「わぁっ!?」


 急に呼ばれて驚いて変な声を出してしまった。ガーネットが吸血鬼族の姿に戻っていた。


「ちょっと、町の近くで吸血鬼の姿はまずいよ」

「うるさい。猫の姿は不自由な上に、お前と話ができないだろうが」


 じゃあ喋る鳥にでもなって話せるようになってくれたらいいのに。と思ったが、そんな口喧嘩をしている気力がない。

 一人になりたかったのに。いうなれば一人で泣きたい気持ちだったのに。

 この先、一生僕は一人にはなれない。

 最初から殺す気はないけれど、この吸血鬼を殺したら僕まで死んでしまう。


「何故家に戻らないんだ?」

「……客人がきているから、邪魔できないからね」

「ふん、とやらか? 魔女が人間を主にするなどとんだ笑い草だ。まして魔女と翼人の混血がとは」


 相変わらずガーネットは僕のことが気に入らないらしく、毒づいている。

 人間は弱い生き物だ。

 魔女にも、魔族にも虐げられ続けている。

 家畜のように扱われている人間に傅かしずくなど、明らかに理解できない事柄なのだろう。


「生き方はそれぞれだよ。こっちに住んでいる者の感覚が理解できないかもしれないけど」


 ガーネットは僕から少し離れて座った。


「何故龍をあの山でかくまっている?」

「怪我をして動けなくなっていたところを見つけたから、保護しているんだよ」

「さっさと異界に帰せばいいだろう」

「異界との行き来は身体に負荷がかかるから、怪我をして弱っている状態でそんなことをしたら死んでしまうよ」


 ガーネットは僕に反論されて気分を害したようだった。

 とはいえ、一人でこんなところで悩んでいるより話し相手がいた方がいい。生意気だし僕に敵意むき出しだけれど、独りで泣いているより誰かが隣にいた方がいい。

 隣とは言っても、結構離れている。

 僕は離れて座っているガーネットを見た。


「そんな警戒しなくても僕は危害を加えたりしないよ」

「魔女は信用できない」


 身体の傷を見れば、どれだけ凄惨な目にあったのかわかる。酷い目に遭ってきたのだから、それは当然と言えば当然だ。

 軽くため息を吐きながら、僕は早く家に帰りたい気持ちと、帰りたくない気持ちが混在していた。

 僕は何の気なしにガーネットの顔を見た。

 綺麗な金髪で僕と同じ紅い目をしている。人間や魔女とは違う妖艶さがある。純粋に美しいと僕は思った。

 一緒にいるのに会話がないとなんだか気まずいと感じる。魔族には“気まずい”という感覚はあるのだろうか。


「ガーネットは、綺麗な目をしているんだね」


 僕は沈黙に耐えかねて他愛もない話を振ってみた。

 相手との距離を縮めるのに相手を褒めるのは常套句だと、先生から教えてもらった。褒められて嫌な気持ちになるわけがないのだから、と。


「気色が悪いことを言うな……正気か?」


 思った以上に冷たい反応をされて少し傷ついた。

 魔族には世間話という概念はあるのだろうかと真面目に考えなければならない。

 褒められて嫌な気持ちになることはどうやらあるようだ。


「そもそも人間などに好意を寄せていることがおかしいのだ。人間など脆弱な肉塊でしかない。魔女そのものがおかしい中でも、お前は群を抜いておかしい」

「……別に、ガーネットには関係ないでしょ」


 ――なに子供みたいなことを言っているんだ、僕は……


 途端に恥ずかしくなって、座ったままの姿勢で自分の腕の中に顔をうずめた。


「人間と魔族の血統の者との間に、子供ができないのは知っているだろう。最初の魔女はほぼ事故のような突然変異で生まれたことくらい知っているはずだ」


 ズキリ……


 心臓の辺りが痛んだ。


「……知ってるよ」


 痛いほど、知っている。


 だから何度ご主人様に抱かれても、僕は子供を身ごもることはない。

 どんなに愛していても、僕はあの人との子供を授かることはできない。ご主人様はそれを知らないだろう。

 魔族血統と人間の間に子供ができないのは、人間の間ではあまり知られていない。


「子供も成せないのに、一体お前はその人間に何故執着するんだ?」

「…………好きだから」

「好き? 意味が解らない」


 異界育ちには解らないだろうか。それとも魔族だから解らないのだろうか。


「好きっていうのはね……相手の事大事にしたいって思ったり、その人の一言一句で一喜一憂したり、ちょっとのことで心配になったり、その人が笑ってくれたら嬉しくなったり、その人のことを独占したいって思ったりとか……――――」


『独占』という言葉を使って、自分で少しハッとした。

 僕は、ご主人様を独占したいのだろうか。


 ――駄目だ。そんなこと。考えることすらおこがましい


 自分の服をギュッと強く握りしめた。


「こっちの風習はよく解らないな。そもそも卑賎ひせんな魔女風情や、単なる肉塊のことなど知りたくもない」


 相変わらず友好的じゃないなと心の中で思った。

 知りたくないのなら無理強いするつもりはない。彼には彼の考え方がある。僕には僕の考え方がある。それだけのことだ。

 そう考えている間、ふと彼は変化魔術を憶えてきたくらいの頭脳なのだから、治癒魔術も憶えてきていないのだろうかと思いつく。


「治癒魔術は覚えていないの?」

「あれは高度で難解な術式だった上に、死ぬ寸前の私には覚えることなどできなかった。それに、魔術系統としても珍しい血筋だろう? 私にはできない」


 ――まぁ……そうか


 と、僕は落胆した。

 そう簡単にはうまくいかない。


「……異界の話を聞きたい。翼人がいなくなってから、異界は何か変わったの?」


 なんて世間話だろうかと、自分で振った話題に瞬時に後悔する。

 結末が解っているだけに、ろくでもない方向にしか進んでいかないのにも関わらず、長い沈黙は苦手だった。なんだか、相手が怒っているような気がしたから。

 怒っている相手は苦手だ。

 いつも僕に酷いことをしてくるから。


「……お前は半分翼人なのだろう? 翼人と魔女の混血は翼がないのか?」


 僕の質問を無視して、ガーネットは自らの疑問をぶつけてくる。

 それに対して物申すこともなく、僕は彼の疑問に素直に答えた。


「あるよ。魔術式で身体に翼を隠しているの。翼があったら人間として生活できないから」


 片翼なんだけどね。とは僕は言わなかった。

 僕の身体の模様は翼を隠しているから浮き出ている。もう片方の翼の付け根には大きな傷がついているだけで翼はない。


「質問したのは僕なのに、なんでガーネットが僕に質問するのさ」

「答える義務はない」

「はぁ……わかった。もう帰るよ。猫になって」


 まだまだ、この吸血鬼と過ごす人生の先は長くなりそうだと気が遠くなってきた。

 僕の指示通り、ガーネットは猫の姿になった。

 逆らえないとはいえ、ガーネットが不服そうにしている様子は猫になった状態では解らなかった。


「家の中には入れられないからね?」


「にゃーん」と、その赤い眼の猫は鳴いた。



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