第9話 「第一次奪取戦争」 その15



 何回目?

 ——その質問に敢えて答えよう。


 ——二十回目だ。


「四葉もこれ教えてください! このコーシって言うの何なんですか!」


「私もこれ、って——先にこれ、このキルヒホッフの法則の順番ってどっちだっっけ!」


「そんなことなんかよりも、こっち! 絶対値の不等式の証明問題全然分からないっです‼」


「こっち見て、こっちっ、ねぇ何色、ねえ!化学の炎色反応忘れたーー‼‼」


「複素数って何ですか‼‼」


「浸透圧って何!?」


「このなす角θって!?」


「コロイドって!?」


「「こっちって!?」」


 右往左往、まさに言葉通りの状況だった。

 そしてこの状況にはもう一つの言葉が浮かんでくる。


 僕たち、童貞の魂にかけてやられてみたいシチュエーション、たとえ勉強も部活もゲームも、何もかもを投げ捨ててでも掴みたい人生の境地。恋愛すらしたことなんてなくても、彼女なんて生まれてこの方いなくたって成し遂げたい。


 そんな男の目標が——両手に花。そんな言葉がふさわしい。


「ううぅ……まて」


 生憎、嬉しくはなかった。理想郷はこんなに身体を痛めつけられない。


 わざわざ席を移動した椎奈は大好きな本など蹴り崩しても構わずに左に僕の左手を引き、そしてその反対側に座っている我が義妹いもうとの四葉は僕の右手を引き、さらに左肩を掴まれ、次は右肩を掴まれ、なんと言えばいいのか分からないが望んでいないシチュエーションで僕の願いはかなってしまった。


「こっち!」


 むにぃっと方に当たる柔らかい感触、滑らかにふわりと掴まれる僕の左手。いや、ここで幸せなのは確かだが——ただ、彼女はここまで積極的だったろうか。いつの間にかだ、いやあっという間すぎると思う。


「こっちです!」


 それにこっちもこっちだ。可愛らしい聞き慣れた声で耳元で言われる感覚。


 ご褒美……そんなふうに思ったりは断じてしていない。かわいいのは確かだ、椎奈の様な色っぽさはないが可愛さは人一倍である。だが、義理とはいえ、幼馴染とはいえ——幼馴染なんだ。


「「こっち‼‼」」


「ああああああ、も、もううるさーーーーい‼‼‼‼」


 僕は叫んでしまった。


「……」

「……」


「あ、ごめん、つい……」


 不穏な空気が漂い、二人が片手に持っていた本がひらりと落ちる。

 ただ、そんな変な空気の中で僕は思った。


 これ、僕悪くないんじゃね?


「いやまて、これ僕悪くないよね」


「いや、悪い」


「なんでだ」


「教えて」


「いやだ」


「教えろ」


「いやだ」


「教えるんだぁぁあああああ‼‼‼」


 言うまでもない、現代社会の教科書のページは開始一時間でたったの二ページ。さっきから数学と化学、そして物理。


 彼女たち文学系少女の苦手そうな科目を教えるのに付きっきりで全く読み込めていなかった。だいたい、文系少女がなぜ理系クラスに来たんだ、僕が教えるのもはやなんて確定演出だろ。


「頼むから、現社をやらせてくれぇ……」



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