第8話 「救世主女たらし伝説」 その11
「……はぁ……気持ちわりぃ」
ため息がポロっと零れた時だった。
「……洞野君」
トイレを出て、窓の外で息を溢した僕の隣にいたのは一冊の小説を抱いてこちらへ歩く烏目椎奈だった。
「烏目さん」
「どこに言ったかと思えば、こんなところに」
「トイレに行くって言わなかったっけ?」
当たり前のように問うと、彼女は首を横に振った。
ひらりと見えた小説の表紙は見覚えのあるライトノベルに見える。意外にも彼女は僕の勧めた小説を読んでくれていたようだ。あの時も他の小説を鞄に入れているのを見ていたため、こんなにも早く読んでくれるとは思っていなかった。
「う~~ん、そうだっけ?」
「そうだよ……そういやラノベ」
「ん? あ、ああ~~面白そうだったから買ってみたよ、まあ先輩にもいろいろ押し付けられちゃったけど」
「はは、まあ烏目さん先輩方に気に入られていたからな」
「色々読んで見ると面白いかもよ」
「それはそれで勧めてくれるのは嬉しいんだけどね。ちょっと押しが強すぎるのはあるかも……あ、でも、別に部活に入ったことは後悔してないよ、むしろ入りたかったっていうか……? その」
「いやいや、烏目さんがいいならいいんだよ、ただあの時は——まさか! って思っただけ。むしろ嬉しいなら、こちらとしては歓迎だよ」
「歓迎してくれるのは、嬉しいな」
「おう、こんな乱雑な部活だけどよろしくな」
コクっと頷いた彼女は僕の隣にすんなりと収まった。
「ん?」
「いや、そう言えば……」
僕があからさまに疑問の視線を向けていると、彼女は窓の先の夕焼け色に染まる空を見てふと呟く。
「なんか、考え事してる顔だったので……」
「……気になったのか?」
「いや、別にそんな感じじゃないけれど、いっつもそんな顔で作業されても困るし……」
「はは、別にずっと考え事なんてしねーよ」
「これでも、私は感情の機微には敏感なんだよ?」
「その割には、烏目さんは感情を露わにしないな。あ、でも、やっぱり——二回くらいあった気がするな」
「どっちよ」
「んと~、リア充がウザいって時と思い出したとかなんとかとか?」
「っう……でも、リア充はウザい」
「たまにウザいな、まあ幸せになってほしいけれど」
僕がすまし顔で言ったところで、彼女の意見は変わってはいなかった。
あの低能な陽キャのリア充の女とかまじでウザいしきもいしなんであんなに人の悪口が言えるのか本気で分からないし真面目に嫌だわ最悪顔も嫌いだし最強に最低だし地球上にいらないしというか生命でもないというか人間でもないし……と云々かんぬん言い始めたところで、彼女の視線の向くほうへ左手を突き出した。
「はいはい、ストップ」
「——あ、今。言ってました?」
「自覚はないのか、まったく……病んでり人の口調だったぞ今の」
「いやぁ、本音なんで仕方ない仕方ない……」
「本音は建前で隠すもんだろう」
「そうやって隠してきていても裏で愚痴吐かないとやっていけないし~~」
むすっと頬を膨らませて冷めた瞳でこちらを見る彼女を見て少しだけ悪寒がしたが、おそらくその瞳の色は僕に向けられたものではないだろう。
こりゃあ、矛先のカップルが見たら腰が竦むだろうな、女子が泣きだして喚いて竦んで立てなくなるくらいには、お化けなんて比にならないほどに冷血過ぎてまじで怖え……リア充への恨みがヤバい、呪い級だよ。
「怖え」
「あら、恨みが出ちゃって……ごめんね」
「まあ別にいいが、本物のリア充にそんな目向けるなよ」
「え、なんでよ?」
どうやら、彼女自身その怖さを分かっていなかった。自覚のない悪さはタチが悪いとよく言うが、おそらくこれもその部類に分類される。真面目にメドゥーサの生まれ変わりなんじゃないかと思うほどに凄い眼光だった。ありゃあ石化する理由も分かるくらい。英雄が持つ鏡の盾でもない限り勝てるわけない。
「怖いんだよ」
「こわい? 私の目が?」
「そうだ、お化けよりも怖い」
「ははっ、それはお化けの怖さとはベクトルが違うからじゃないのかな、私の目はそんなに怖くないしぃ」
「いやいや、陽キャの数倍は怖かったな。何を考えているのかがわかる分、殺気が伝わって余計に怖かった」
「うぅ……子の陰キャの私が奴らよりも怖い、だと? そんなばかなことあり得ない!」
「これでも僕は学年順位は高いほうだ、ばかではないぞ!」
「そこじゃなくて……まあでも、そこまで言うなら控えるわよ」
理解が早いようで僕は安心した。別に彼女はこんなにも騒がしくはない。徐々に慣れてきたからこそ、こんな風にふざけて話してくれるのだろう。
そこで僕は少し思いつく。
「なあ」
「ん?」
少しだけの間を開けて、何かを落とすような感覚で。
「椎奈は綺麗だぜ」
……沈黙という名の電車が二人の間に停車した。
窓からは春の風が吹き込み、彼女の髪を緩やかに揺らした。ふわりと舞った髪を通して、彼女の甘い香りが僕の鼻を撫でる。
「っ……え、っえ⁉」
「ん?」
動揺する彼女を見て、僕思わず吹き出してしまう。
おどけて口を押えて一歩後ずさりをしようと壁にぶつかる烏目さんは凄くかわいくて面白かった。
「っはは、ははは!」
「な、っなに、よ! 急に!」
「なんとなく、陽キャに劣等感抱く悲しい烏目さんを揶揄ってみた」
「うぅ……べぇーー!」
目を閉じて、頬を淡い赤に染めた彼女は窓の枠に突っ伏してしまった。
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