第一章 幼馴染が義妹になった。

第1話 「初めての朝」

 今朝はとんでもなく刺激的だった。


 もしも、これを羨ましいと思う変態がいるのなら、本当にぶちのめしてやりたい。ぶちのめして、火の中に放り投げて照り焼きチキンにしたいくらいだ。


 あ、人だからチキンにはできないか、ハハッ‼‼


「はぁ……」


 ふと溜息をついて、僕は視線を窓の外に向けた。


 日曜の朝だというのに、目を覚ました途端に上から四葉(いもうと)が降ってくるし、いくら小さい女の子とはいえ、僕の細身は堪ったものではない。ほんと四葉の寝相の悪さはどうにかならないものか。


 気絶していた間、三途の川を見ていたのもあながち幻想ではない気もして、これからは勘弁してほしい。


「おぉ~~い!」


 何となく思い出されるのが、反対側でニコニコと手を振っていた、曾祖父ひいじいちゃんだ。昨年、亡くなったのだが一〇八歳まで生きたバケモンである。


 まあ、それも嘘のようだけど。あの人、もはや不死身なんじゃないかと思ってしまうくらいに元気だったし、簡単にコロッと逝っちゃって逆に怖かったまである。現にあんな調子で手を振っている。どうせあの世で馬鹿しているに違いない。


 とまあ——そんなこともどうでもいい。


 最初に言っておこう。

 僕には同い年の妹がいる。


 双子?


 そうであったら良かったかもしれないが、生憎人生とは起伏ばかりであるのが必至のようで、僕と彼女に流れる血には何の繋がりもない。


 ん、結婚したのかって? 馬鹿言え、そんなわけないだろう!


 妹と言っても、義妹で、最近家族になったばかりだ。

 今年の三月、ちょうど高校一年生の三学期が終わる一週間前のこと。親父がこんなことを言い出してきたのだ。


『——なあ、再婚するんだけど、いいか?』


 再婚……。


 正直、両親が離婚して二年経ったあの時でも傷は綺麗に洗い流せてはいなかったと思う。本当の母親のことは好きだったし、むしろ僕はお母さん子だった。親父は仕事で忙しくて、常に一緒にいたのは小学校の頃から母親だった。 


 しかし、現実とは残酷だ。


 人間の醜いところが自分の親にもあること知り、不倫という、離婚という重みは未だ知らないまでも、母を失うことに僕はとても傷ついた。


 泣いた、なんて簡単に言えるほどの話でもない。


 十六歳には本当に重い話で、親父にもなんて顔すればいいか分からなかったと思えるし、拭いきれていなくて当然なのかもしれない。


 そんな母に会いに行く、なんて度胸の要る馬鹿なこともできるわけもなく悶々と過ごしていた最中。


 その言葉が発せられたのは、そんな心の回復最中の出来事だった。


 勿論、親の恋愛は応援したいし、そこでとやかく言いたい僕ではない。だから、一言分の間を開けてその言葉を承諾した。



 二日後、学校から帰り玄関を開けると見知らぬ靴が二つ、玄関に綺麗に揃えてあった。黒曜のような輝きを放った女性用の革靴に、もう一つはかなり小さめな白をベースに入れた薄紅色のスニーカー。その靴に少しばかりの違和感を覚えて、僕は靴を脱ぐ。


 いつもなら並べないのだが、なぜだか今日は並べたくなってしまった。わざわざしゃがんで、隣に綺麗に揃え、意味もなく一息。


 廊下を少し歩いて、居間の扉の前へ。


 耳をすませば、聞き覚えのある女性の声が聞こえてくる。すごく馴染み深いような気がする、おっとりとした声。優しくて、ふわりとした柔軟な高音が扉を介して僕の耳へ伝わっていく。


 懐かしい音の波とともに、曇りガラスの向こうには二人の影が見えていた。おそらく、声の主だろう大人の女性。それともう一つは一際目立った小さめのシルエット。ここから判断するなら、中学二年生が妥当だろう。


「……ふぅ」


 緊張する。


 親の再婚が目の前に来るとさすがに鼓動が高まる。

 妹か。


 僕に妹ができるのか。血は繋がっていないとはいえ、妹は妹だ——なんて簡単なことには思えなかったこの変な雰囲気に胸が騒めかずにはいられない。不甲斐ない僕なんかに兄なんていう大きな役割は果たせるのだろうか。


 さらに疑問と不安、そして緊張が僕の心の中を支配する。


 ——ガチャ。


 そして、僕は扉を開いた。


「ただいま……」

「おう、おかえり~」 


 聞きなれた親父の声だけが耳にすんなり入った。

 ここまでは、いつも通り。


 だが、漏らした溜息は束の間。あの綺麗な声が耳を撫でる。


「あら、ゆずくん。おかえりなさい」

「あ、はぃ……」


 ゆずくん……?


 その呼び方は聞いたことがある。文字通り、いつか呼ばれていた気がする。一年前、三年前、五年前……? いや、もっとかもしれない。


 ただ、いつ呼ばれていたのかはさほど問題ではない。重要なのは、誰に呼ばれていたかだ。それすら、僕の頭の中には鮮明に残っている。


  僕が、目を開くと——。


 数歩前に立っていたのは、僕の現義母であり幼馴染の四葉の実の母である井上美森(旧姓)と、僕の幼馴染であり現義妹である井上四葉(旧姓)だった。


「よつば、と……おば、さん——えっ⁉」

「……ゆず、と」

「あら、知らなかったの?」

「——も、もちろんですっ」


 美森さんが親父を睨むと、親父は目を逸らす。


「え……哲也さん、言わなかったの?」

「あ、ああ……」

「何やってるのよ、びっくりするでしょ。いきなりじゃあ……」

「まぁ、な。大丈夫だと思って……っう、す、すみません……」


 睨まれて焦る親父の面白い姿を見てもなお、驚きは止まらない。

 そう、僕の親父である厳格な国家公務員、洞野哲也の再婚相手は幼馴染の母親の井上美森だったのだ。


 まさか、だ。


 こんなにも身近なことを思いもしない。


 いやむしろ、想定外が過ぎる。普通に考えてもみなかった。幼馴染が妹になって、おばさんが母になる、受け入れ難くもあり、少しだけ嬉しいのかもしれない微妙な感覚に陥った僕には声が出なかった。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~☆



「ゆずと、ご飯です」

「ああ」


 それから数日が立った始業式の朝。

 小さな声が僕の部屋の外から聞こえてくる。

 耳を澄まさなければ聞こえないほどの声量、恥ずかしがるような口ぶりで言う彼女はいつもとは違った可愛さを感じさせてくれた。


 扉を開け、廊下に出る。階段を下りて居間へ向かった。

 前には四葉がペンギンのように歩いていた。てくてく進んでいく彼女には少し愛しさを感じる。つい一週間前まではただの幼馴染だったのに、今となれば妹になっている。怖いというか、恥ずかしいというか。なんとも言えない感情が渦巻いていた。そして、彼女自身も普段は見せない姿を見られている分、気のせいか頬が赤くなっていた。


 もともと、四葉は表情をあまり変えない女の子だ。しかし、その些細な違いは十年以上も一緒に居れば何となく分かる。


「——ゆずと」


 不意に四葉が立ち止まった。


「——げんき、ないですか?」

「……あ、いや別にあるけど」

「ほんと?」

「う、うん……?」


 僕は怪訝な表情で訊いてくる彼女を見つめた。


「んん……その、急にだからどうしていいか分からなくて……えと、朝起こしに来られるのって——嫌ですか?」

「え、いや……まあ新鮮だけど、全然大丈夫だよ?」

「そうですか……なら、よかったです」


 ぎこちなく。


 そして、いたって普通な、差し障りのない会話。

 そんな彼女の背中を僕は呆然と眺めていた。






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