第31話【エピローグ】
【エピローグ】
雨宮夏奈との別れから、四年の歳月が過ぎた。
俺は相変わらず、山に囲まれた盆地で狩猟に勤しんでいる。
こうして自然と触れ合っていると、日々の移り変わりというものに敏感になるようだ。
野生動物が付近を縄張りにしている以上、地形は足跡によって変わるし、天候によって狩りの難易度も上下する。
そうした微妙な変化を楽しむ余裕が、俺にも持てるようになってきたらしい。年を取った、と言われればそれまでだが。
村の様子もだいぶ変化した。なんと、離村者よりも流入・定住する人々の相談が増えたのだ。旅行ならまだしも、定住を望む人々が増えたのは何故か。
きっと、市街地へのアクセス、及びそこから新幹線を用いた新都心への行き来が容易になったからだろう。あるいは、有名別荘地よりも土地が安価であることに目をつけ、田舎暮らしを満喫しようという人が増えたせいかもしれない。
自然の変化を楽しみ、人々の在り様の移り変わりに目を白黒させている。それが、今の俺の立場だ。
そんな俺が、いつものように狙撃銃のメンテナンスに取り組んでいた時、一本の電話があった。一応、この村にも電波は入るようになっているが、番号に見覚えがない。誰だ?
俺は声を低め、『もしもし』と吹き込んだ。すると、聞こえてきたのは何とも懐かしいあの人物の声だった。
《もしもし? 鬼原警部補でいらっしゃいますか?》
俺は危うく狙撃銃を放り投げるところだった。
「こ、小林さん⁉」
《ご無沙汰しております、警部補殿! この度、保釈されることになりまして。よろしければ、どこかでお会いしませんか?》
突然の遭遇と提案に驚き、俺は口をパクパクさせる。
《鬼原警部補?》
「え? あ、ああ、いいっすよ」
あまりにも急な事態の展開に、俺はぶっきら棒な口調になってしまう。
《では、この一週間のうちで、都合のよろしい時間帯などありますか? 私の方で合わせます》
「え、えーっと」
俺はカレンダーを確認し、三日後を指定した。
《了解です! 須山の奴も、春子を連れてきてくれるそうです。二人共、警部補に会いたがっていましたよ》
「そ、そりゃあどうも」
《では、詳しいことはまた後程! 失礼します!》
「はっ、はい」
俺はツーッ、ツーッと鳴り続けるスマホから、しばらく手が離せなかった。
※
三日後。
「うわあ……」
俺は一山を在来線で通過し、新幹線が開通したという駅の前に立っていた。ぽつぽつと弱い雨が降りしきる中、傘を閉じて駅ビルの中央へと向かう。
流石に五分、十分おきとは言わないが、新幹線のダイヤはそれなりの本数があった。まあ、午前最後の便に乗り込むことは、前もって決めておいたのだけれど。
小林によれば、かつて俺たちが戦った海沿いの街で会わないか、とのことだった。やはり都心の駅を経由する必要があるな。
久々の人混みに酔いそうになりながら、俺は小さなリュックサックを背負って、ゆっくりと歩み出した。
俺には懸念事項が一つだけあった。
出会う場所は、保釈中の身である小林に合わせねばならない。しかし、それがよりにもよってあの湾岸都市とは。まるで、四年前を思い出させようとしているのでは、と勘繰りたくもなる。
ふわり、と胸中に浮かび上がってきた彼女の名前を、俺は静かに腹の底に沈めた。
都心の駅で乗り換え、しばし南下。在来線を乗り継いで、指定された街の駅で降りる。
「やっぱりここも変わったんだな……」
駅舎は、見違えるように建て替えられていた。ここが先端臨海工業都市であることを鑑みれば、どうしてあんなボロい駅舎がずっと使われ続けていたのか、今になって疑問が湧いてくる。
「あっ、警部補殿!」
横合いから声を掛けられ、俺は咄嗟に振り向いた。そこに立っていたのは、長身痩躯の男性、小林正人その人だった。四年前から更に痩せたように見えなくもないが、実に健康的な笑みを浮かべている。
「ちょっ、警部補は止めてくださいよ。もう警察クビになったんですから」
小声で詰め寄ると、小林は『こりゃ失敬』と言って軽く舌を出した。憎めない男である。
「須山と春子ももうすぐ着く予定です」
「それはいいんすけど、どこへ行く予定なんすか?」
「須山とわたくしにちょっとした計画がありましてね。ま、あんまり期待しないでください」
では、期待しないでおこう。
そう思った俺は小林の背後から近づいてくる親子連れを見つけた。
「どうも、鬼原さん、小林さん! お待たせしましたか?」
「あ、須山さん。お久し振りです」
俺がぺこっと頭を下げると、ちょうど子供――小林春子と目が合った。須山に手を引かれた春子は、『こんにちは!』と元気よく挨拶する。物おじしない言動は、赤ん坊の頃から変わっていない。
「ほら春子、お父さんだよ」
須山に軽く背を押され、春子はとてとてと小林に歩み寄った。
すると、人通りの多い改札口に、情けない嗚咽が響き渡った。
「おおう、春子! 久しぶりだなあ!」
いつのまに涙腺が決壊したのか、小林は滂沱の涙を流しながら春子を抱き上げる。
「喜びもひとしおでしょうね、小林先輩。鬼原さんはご存知ですか? 小林先輩の奥様、精神病院から退院なさるそうです」
「そ、そうなんすか? そりゃあよかった」
ふと、俺は不思議な思いに至る。面識のない小林夫人の退院を、俺自身もまた喜んでいるらしい。今までこんな気持ちになったことは、ほとんどなかったはず。
それでも、平穏な日々が小林家に訪れることを、俺は心から願わずにはいられなかった。小林と須山の子煩悩ぶりに感化されたのかもしれない。
いや、もしかしたら『彼女』の影響かも――。
「ねえねえお兄ちゃん、お兄ちゃんもあたしのこと抱っこして!」
「え? あ、全くしょうがねえなあ……」
俺は自分の後頭部をガシガシの掻いた。
須山や春子とは、テレビ電話での会話を何度も繰り返している。だが、こうして直接会うのは久しぶりだ。
仕方がないので、高い高いをしてやった。本来は乳幼児をあやす手法だが、春子はキャッキャと楽し気に声を上げた。
「では参りましょう、お二人共」
そう促したのは須山だ。どうやら、今日のプランは、主に彼が考案したものらしい。
「分かりました。ほら、小林さん!」
おいおいと嬉し無きで顔をぐしゃぐしゃにした小林の手を引き、俺は須山に続いて駅から出た。
※
「去年建て替えが完了したそうです」
「へえ……」
須山の解説に、俺はため息まじりの声を上げる。霧雨の向こうに見えるのは、かつて俺が冬美と遭遇した石油化学繊維工場だった。地上設備も煙突も生え揃い、平常運業をしている様子である。
「ここが、須山さんが俺を連れてきたかった場所っすか?」
「以前相談してくださいましたね? この街で体験したことが忘れられないと」
疑問に疑問を返す須山。小林は、春子を肩車してそのへんを走り回っている。
それを無視して、須山は語る。
「PTSD、というほどのこともないんでしょうが、涼真さん、あなたが大切な人との別れを克服するお手伝いができればと思いまして」
「そのために、わざわざ今日の計画を?」
大きく頷く須山。どうやら俺は、雨宮夏奈を喪失したという現実を受け止め、前向きに生きていく方法を模索すべき、ということらしい。だが、俺はふるふると軽くかぶりを振った。
「今の俺の生活は充実してます。完璧ではないけど、十分です。完璧主義なんてのは、俺の性には合いません」
「確かに、完璧を求めるのは無茶というものです。だからと言って、自分の回復や成長の機会をむざむざ無にすることはありません」
俺は返す言葉も見つからず、再建された工場に目を遣った。
思い返せば、俺の親父も、そして夏奈も、完璧な世界を創造しようとしていた。やり方は真逆だったけれど。
「敢えて彼女のことを思い出す必要はありません。のんびり海でも眺めながら、世間話でもしましょう」
そう言って、須山は俺を、屋根のあるベンチの下へといざなった。
しかしそこには、思わぬ先客がいた。ホームレスだろうか、白い顎鬚をぼうぼうに伸ばして、二つあるベンチの片方に寝そべり、眠っている。見た限りでは、眠りは浅いようだ。
その時、はっとした。俺はこの爺さんに、出会ったことがある。まさにこの場所で、四年前に。
「ああ……」
あの、煙草を売りつけてきた爺さんじゃないか。まだこんな生活をしていたのか。
身じろぎをすると、彼の懐から煙草のパッケージが落ちた。俺は立ち上がり、煙草を拾い上げる。
「何してるんですか、鬼原さん?」
「ちょっと、放っておけない事情がありましてね」
俺は煙草を三箱頂戴し、代わりに一万円札をホームレスの着ていたジャケットの内側に挟み込んだ。四年前は邪険にして悪かったな、爺さん。
須山はしばし、不思議そうな顔をしていたが、ふと自らのスマホに目を落とした。
「あっ、そろそろ五人目が到着するそうです」
「五人目?」
俺、小林、須山、春子。それに加えてもう一人? 聞いていないが。
俺がそれを確認すべく、須山に声を掛けようとした時だった。
「相変わらず物騒な仕事をしているそうだね、涼真くん? ボクには務まりそうもない」
背後から声を掛けられ、はっとした。今の声は……!
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