第27話【第五章】
【第五章】
指定されたオフィスビルに駆け込んだ時、エレベーターホールはがらんとしていた。雨で人の行き来が少なくなっていたからだろう。それに、やたらと火薬臭い俺たちに、難癖をつけようとする輩もいなかった。
テレポートが使えればよかったのだが、残念ながら雨宮姉妹にもそこまでの余力はなかった様子。もうこのまま、人権保護団体の船舶に辿り着く以外、道はない。
俺たち四人は、半ば割り込むようにしてエレベーターを一つ占拠した。最上階到達まで一度も停止しなかったのは、幸運だったとしか言いようがない。
「行くぞ!」
これまたSATの隊員から拝借していた拳銃を手に、俺は三人を促し、屋上への階段を上り切った。しかし、扉がロックされている。
「下がれ!」
三人が前に出ないよう注意しながら、施錠部分を銃撃。蹴りを入れて扉を開放する。扉は呆気なく向こう側に開いた。
《鬼原警部補、聞こえますか?》
「ええ! もう屋上に着きました!」
小林に応答する俺の前に、大きな水たまりの波紋が広がる。ヘリもまた、ちょうど着陸態勢に入ったところのようだ。見上げると、回転翼で雨滴を切りながら、一機のヘリが屋上に降り立つところだった。H字のマークを囲う円内に綺麗に収まる。
俺たちは、腕で頭を覆うようにしてヘリのキャビンまで駆けていき、ステップを踏んで乗り込んだ。
「はあっ!」
大きく息をつく。階段を駆け上ってきたわけでもないのに、異様に息が切れた。それほど緊張していたということか。
「皆さん、ご無事で?」
各々が小林に頷いてみせる。見れば、小林は海上保安庁の救命具を身につけていた。先ほどは注意を払わなかったが、確かにこれは海上保安庁のヘリだ。自衛隊や警察のヘリとは仕様が違う。
「よし、離陸しろ! 目標地点は、東部臨海公園だ!」
俺は、小林が誰かに命令するのを初めて聞いた。よく見ると、小林は右手を伸ばし、ヘリの操縦席に後ろから拳銃を突きつけている。
「小林さん、何やってんすか……?」
「隠していて申し訳ありません、鬼原警部補。自分は海上保安庁の人間なんです。警視庁、警察庁、それに防衛省も噛んでいるような事案に、我々も有機的に対処できるようにとのことで、派遣されました」
皆にシートベルトの着用を促す小林。
「で、その拳銃は?」
「彼は同じく海保の人間なんですが……。障壁を破るための狙撃とヘリの操縦、どう考えても二名は必要でしたので、無理やり操縦を頼みました」
『無理やり』って言ってる時点で、『頼み』とは言わねえんじゃないか。そうツッコみたくなったが、今は胸中に留める。
その時、はっと俺のそばで身じろぎする気配があった。夕子が問いかける。
「もしかして、人権保護団体の船舶の航行情報をネットに上げたのって……?」
「はい、自分です。セキュリティ解除に手間取りまして、アップするのがつい先ほどになってしまいましたが」
「それで、間に合うんですか? 船の出航までに?」
「間に合わせます。頼むぞ」
そう言って小林はカチリ、とわざとらしく拳銃を鳴らした。正直、怖え。
「小林さん、とおっしゃいましたね」
そう言って会話を持ち掛けたのは夏奈だ。『はい』と短く応じる小林。
「どうしてあなたは、私たちに協力してくださる気になられたのです?」
「そ、そうだ! 小林さん、あんた、どうして……?」
すると小林は、窓の外、眼下に目を遣った。
「雨宮夏奈さん、それに冬美さん。あなた方が世界平和を望んでいるということは、私も鬼原警部補から聞いています。そしてそのために、やむを得ず軍事開発の進展を妨害すべく、破壊活動を行っていると」
気まずさを覚えたのか、姉妹は揃って俯いた。
「しかし、自分は考えたんです。鬼原警部補、あなたにはお話しましたね。自分がシングルファーザーであると」
俺は小さく首肯する。
「自分には興味があったんですよ。世界平和というのは、誰しもに訪れる平和を意味しています。では、家庭崩壊や虐待といった心理的作用を伴う障害に、あなた方姉妹はどのように対処なさるつもりなのか」
「そ、それは!」
焦って声を出してしまったのか、冬美が腰を浮かしかけて、しかし言葉に詰まってしまった。
「これは、物理的破壊行為で解決できる問題ではない。心理的復旧作業を以て、少しずつ回復させていかねばならない事案です。少なくとも、自分はそう考えています。それを、破壊や改竄といった行為の積み重ねで、果たして解決できるのかどうか」
俺もまた、小林と同様に眼下を見下ろした。俺たちが坂畑と戦った痕跡が、周囲の建物やアスファルトに刻まれている。
ふと、不思議な光景が目に入った。赤ん坊が、母親に抱かれて泣いているのだ。結界のお陰で、坂畑以外に負傷者は出なかったはずだが。
いや、死傷者の有無が問題なのではない。きっと赤ん坊は、『破壊の残滓』を鋭く察知しているのだ。
警官や消防隊員が右往左往するのを前に、恐ろしいことが起こったのだと敏感に捉えているのだ。
確かに、こんな心理的現象、心理的ダメージを、破壊魔法や戦闘魔法で復旧させられるのかといえば、そうではないだろう。
小林は真摯な目で、姉妹の顔を交互に見つめた。
「雨宮夏奈さん。雨宮冬美さん。あなた方は、既についてしまった『人の心の傷』を癒せるかどうか、自信はおありですか? 自分たちの魔法でどうにかできる、と?」
「いいえ、残念ながら」
即答したのは夏奈だった。
「ちょ、姉ちゃん!」
「事実よ、冬美。私たちはカウンセラーでも精神科医でもない。延々子供時代を過ごしてきただけの、ただの女の子に過ぎないの。小林さんの仰るような、人心の回復はできないと思う。少なくとも、今ある魔法ではね」
しゅん、とより身を縮める冬美。
「だからこそ、私たちは日本を脱出して、もっとよりよい力の使い方を考えなくちゃいけない。今は逃げるしかないのよ」
「そ、そうかも、だけど……」
すると一瞬の沈黙の後、
「よかった」
「は?」
突然発せられた小林の一言に、俺は呆気に取られた。『よかった』と言ったのか、彼は? 魔法が万能でないことを?
「もしあなた方魔女が、自分たちの力が万能だと信じ込むような傲慢な人間だったら、私は絶望しているところでした」
「ど、どういう意味っすか?」
慌てて尋ねると、小林は穏やかな笑みを浮かべ、ゆるゆるとかぶりを振った。
「過度な自信は暴力に繋がりやすいと、大学校時代に習いました。ですが、夏奈さんは元より、冬美さん、あなたが改心してくれたことが、私にはとても嬉しいのです。これからは他人を殺傷することなく、魔法の研鑽に努めてくださ――」
まさに小林の言葉が終ろうとした、その時だった。バシン、と空を叩くような鋭い音が、機内に響き渡った。
「どうした⁉」
「後部回転翼、損傷! 何らかの衝撃を受けた模様!」
「何だと!」
「見て! あれ!」
真っ先に気づいたのは、向かい合うようにシートに座していた夕子だった。彼女の指さす方を見る。一際高いタワーマンションが佇立している。そしてその屋上に、人影を捕捉した。
斎藤だった。冬美が倒したはずの斎藤が、魔弾を生成して撃ち放ったのだ。
「おい冬美! 斎藤は倒したんじゃなかったのか⁉」
「倒したよ! 気絶させて、すぐにここにテレポートして来たんだ!」
俺はそばにあった双眼鏡を手に、斎藤を観察した。
斎藤は肩で息をし、額から血を流しながらこちらを睨みつけている。まさか、気絶したふりをして、俺たちを仕留めるべく先回りしていたのか?
「飛行に支障は⁉」
「ありません! し、しかし、また喰らったら尾翼がもたずに墜落します!」
すると、狭いキャビンで夏奈が立ち上がった。
「さあ、冬美も!」
「お、おい、二人で何しようってんだ?」
「障壁を張るに決まってんだろ、涼真!」
性悪そうな顔つきに戻った冬美が、目を閉じて俺を一喝する。
「こんなに広い障壁を展開するのは初めてだけど、何とかする」
そう言って、夏奈は冬美の手を取った。何語か判然としないが、二人は揃って同じ呪文の詠唱を開始した。
――この世の悪から我を守り、世に平穏をもたらしたまえ――
――我に平和の光を与え、人々を混沌から救いたまえ――
そう訳したのは夕子である。
「な、何語なんだ?」
「ラテン語。それより今は黙って」
すると、今まで見たことのない現象が発生した。ヘリ全体が、虹色の光に包まれたのだ。
呪文の詠唱を終えた姉妹は、障壁を維持すべく、瞼をぎゅっと閉ざしたまま。その額には汗の玉が浮かび、握りしめられた二人の手は不規則に震えていた。
「おい、もっと安定して飛べないのか!」
「無茶言わないでください!」
小林と操縦士が、小声ながら殺気立った気配で会話している。時折ヘリが揺れるのは、斎藤の放つ魔弾のせいか、それともヘリの損傷によるものなのか。
外を見ると、もう海がすぐそばに迫っている。間もなく到着、逃げ切りだ。
頼む。あと少し。あと少しだけ持ちこたえてくれ。
それが誰に対する祈りなのかは、俺自身にもよく分からなかった。
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