第19話
そう、落ち着いて状況を鑑みなければ。
自分の身体に外傷がないこと、意識が明瞭であること、そして敵性勢力と呼べる事物が存在しないこと。
それらを脳みそに叩き込み、俺は改めて周囲の状況を見回した。
「で、ここはどこなんだ?」
周囲に意識を向けるまで、俺はてっきり、また夏奈の部屋で介抱されているのかと思っていた。しかし、ここは明らかに違う場所だ。
俺の態度が不安そうに見えたのか、夏奈はお粥をテーブルに載せ、『大丈夫だよ』と一言。
「大丈夫、なのか?」
どうして俺が、そんな疑問を呈しているのか。理由は明白で、ここが普通の場所には見えなかったからだ。
地下駐車場のような、薄暗くてコンクリート張りの一室。それなりに広さはあるが、柱はない。照明は部屋の中央に配されているものの、明らかに光量不足だ。
「一旦、冬美の下から離れる必要があったからね。一番安全で、確実にテレポートできるここを選んだんだ」
「選んだ?」
「そう、ここは私のセーフハウスの一つ」
『だから場所は明かせないけれど』と言って、夏奈は振り返った。その時、俺の目に入ったのは、部屋の隅に置かれたデスクトップパソコンだった。夏奈とパソコン……なんとも不思議な取り合わせである。ふと、興味が湧いた。
「お前、パソコンなんて何に使うんだ?」
もしこれが、一般の同年代女子に対する質問だったとすれば、ある程度回答の予想はつく。
動画の視聴、ネットショッピング、SNSへの参加。まあ、スマホでできないこともないが。
しかし、相手は誰あろう魔女である。俺は純粋に興味を掻き立てられた。だが、それよりも奇妙だったのは夏奈の態度だ。『ええっと』と言い出しながら、視線をあちこちに巡らせている。狼狽えているのは明らかだ。
「夏奈?」
「え? あ、ああ、それより、私も涼真に伝えておかなくちゃいけないことがあるの」
強引に会話の主導権を奪う夏奈。まあ、いいか。パソコンの使用目的など、今すぐ確認すべき事項ではない。話していれば、そのうち分かるだろう。
「で、何だよ? 伝えたいことって」
「どうして冬美が、あんな子になっちゃったか、って話」
『あんな子』――そう言われて、真っ先に思いつく冬美の特徴。それは、目的のためなら手段を択ばないという意志の強さだ。だがそれは結果である。夏奈が語ろうとしているのは、冬美がそうなってしまった過程だ。
「私と冬美は、日本の生まれなんだ。江戸時代末期に、日本に流入してきたヨーロッパ人の末裔。まあ、末裔っていっても、生まれてから死んでないわけだから、語弊はあるんだけど」
不器用な笑みを漏らす夏奈。俺は真っ直ぐに彼女の瞳を見つめ続ける。
「お母さんは魔女で、お父さんは日本と海外の貿易を担う行政官だった。けれど、私が十歳、冬美が五歳の頃に、お母さんは捕まっちゃったの。私たちと同じく日本に来ていた、魔女狩り至上主義者のせいでね」
「日本でもそんなことが?」
「ええ。お父さんは保身のために逃げ出して、お母さんは火炙りの刑に処された。私たちはひっそりその光景を見てたんだけど、そのせいで冬美は『人命』に対して歪んだ考えを持ってしまったみたいだね」
『あんな残酷な光景、あの子に見せるんじゃなかった』。そう言って、夏奈は視線を床に落とした。
「それから私と冬美は、身分を悟られないように注意を払いながら、この国に居を構えることにしたの」
そこから先は、以前夕子が説明してくれた通りだった。
「あ、ちょっと待て。魔女って歳を取らないんだろ? どうしてその格好でいるんだ?」
「子供の視線、っていうのは、世の中を見るのに便利なの。だから私は十六歳の、冬美は十一歳の姿をデフォルトにしたんだ。まあ、姿を変えるのは朝飯前なんだけど」
うむ。それはさっきの、青年に化けた冬美を見れば明らかだ。
「私たちは、お母さんが殺されたことによる心の空白を埋めようと、何かにしがみついていなければならなかった。それが、人間観察」
「人間観察?」
「うん。だって今まで、いろいろあったでしょう? 戦争だって、災害だって、事件や事故だって。そんな中で、何とか世界を――あ、ちょっと大げさかな、日本をよくしたいと思って、私は冬美と共に戦うことにした。危険な技術開発を妨害する、ってことでね」
「そうして現在に至る、と?」
夏奈は、無言で頷いた。
「でも、十二年前の十二月、私たちの在り様は一気に様変わりしてしまった」
俺はごくり、と唾を飲む。
「あの事件以降、私は、滅多なことでは物理的破壊工作は行わないようになった。反対に、冬美は人を殺傷することに躊躇いを持たなくなってしまった。そのきっかけが、さっきあなたが見ていた、冬美の記憶の追体験」
「……」
もし俺が冷静なら、夕子のくれた情報との整合性を確かめにかかるところだろう。
だが、実際はそれどころではなかった。雨宮姉妹の過去の壮絶さに、圧倒されていたのかもしれない。
しかしそれよりも、自分の両親の死の真相がより明確になったがために、ショック状態にあったようだ。
「今の私がやってるのは、クラッキングによる世界中の技術革新に対する妨害工作。もちろん、軍需産業を相手にすることが多いね。ちょっとやってみるから、涼真もそこで見てて」
そう言って夏奈は、件のパソコンに向かい、起動した。
大手電子機器メーカーのロゴが画面に表示される。夏奈は回転椅子の上で姿勢を整え、すっと深呼吸をした。異常事態が起こったのは、その直後のことだった。
低い唸りを上げていたハードディスクが、キィィィィン、と甲高い音を発し始めたのだ。と同時に、画面が七色に、まるでオーロラのように輝きだした。
「うっ!」
慌てて眼前に手を翳す俺。その向こうをそっと覗いてみると、画面が凄まじい勢いで展開していくところだった。
画面、すなわちディスプレイは一つだけである。しかし、今俺の視界には、いくつもの四角い枠が映り込み、それぞれ別なものを表示している。
それらはプログラミング言語のようだったが、俺が見たことのないような英語と数字の羅列が多数見受けられた。どうやら、超高度なプログラミング言語であるらしい。
「か、夏奈、これは一体……?」
「ごめん涼真、今は黙ってて」
ぴしゃりと言いつけられ、俺は黙り込む。
複数の枠をいっぺんに見ていては、分かるものも分からない。俺は比較的暗めの、一つの枠に注目した。それにもまた、プログラミング言語が走っている。
すると枠の上部から、虹色の光が降りてきた。プログラムの列が、どんどん飲み込まれていく。
十数秒ほどが経っただろうか。枠から虹色が消えた。一見、何も変わっていないように見えたが、
「ん?」
俺はすぐに異常に気づいた。
「プログラムが簡素化されてる……?」
そう。俺にでも組めるような、簡単なプログラムに書き換えられていたのだ。
先ほどまで、超高度な言語を用いて記されていたプログラム。それがあっという間に、簡素なものに置き換えられてしまった。これでは、元のプログラムの内容は滅茶苦茶になっていることだろう。
しかし、事態はまだ終息していない。他の十近い枠の中で、同様の作業が進行中だ。俺は黙り込んだまま、その作業を行う夏奈の後ろ姿を見遣った。
そうか。こうやって夏奈は、非破壊的な工作を行っているわけか。
その時だった。
(殺せ)
「ん?」
何かが聞こえた。何の音、否、誰の声だ?
(雨宮夏奈を殺せ)
脳内に響く声に、俺は同じく声には出さずに応じる。
(ど、どういうことだ?)
(今なら雨宮夏奈は無防備だ。障壁を展開する間もない。殺せ)
この謎の会話の相手が、冬美でないことは察せられた。冬美は姉である夏奈と戦いながらも、本心からその死を望んでいるわけではないのだ。
では、この声は一体……?
俺は夏奈の方を見つめた。枠の数は、今や二十近くまで増えている。両手の指を組み合わせ、何かを祈るような姿勢で、ぎゅっと瞳を閉じている。
すると折良く、あるいは折悪しく、夏奈はこちらに背を向けた。
(今だ。拳銃を抜け。セーフティを解除しろ。初弾を装填し、狙いをつけろ)
(……)
(あの女は、お前の両親の仇だ。お前の人生を滅茶苦茶にした張本人だ。お前が、自分で蹴りをつけろ)
俺の頭の中は、いつの間にか謎の声に完全に支配されていた。
ベッドの隅に置かれた鞄に手を伸ばす。大き目のペンケース状の箱を開け、二十二口径を取り出す。
一度、夏奈の方を見た。いや、観察した。今なら、始末できる。
セーフティ解除、初弾装填、照準よし。距離よし。
麻痺したような俺の脳みそからの命令は、しかし的確に指先に届いた。『引き金を引く』という命令が。
俺の意識が明瞭になった時は、軽い発砲音が部屋中に木霊していた。
※
チリン――。
薬莢の落ちる音がする。硝煙の向こうの景色が霞む。火薬臭さが鼻腔を満たす。
俺はゆっくりと銃口を下ろした。
いや待て。銃口を下ろした、ということは発砲したのか? 何に? 誰に?
明瞭になった俺の意識。それは、むしろ混乱していた。
「何が……どうなって……」
くらり、と頭を巡らせ、視界を前方へ。そこにいたのは、
「夏奈……?」
脱力し、顔を俯け、デスクにもたれかかった夏奈だった。
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