第32話「拙者の傍に居ては危険です」

 窓の外を見ると。


「ん?」


 特に変わってはいない?

 その時、


「ちょっと、何なの」


 おれは一応マンションに住んでいるのだが、ドアの外から何やら騒がしい声が聞こえて来る。

 トキも怪訝な表情だ。

 ドアの側に行き、覗いてみる。


「ありゃ!」


 なんと安兵衛が外に居るではないか。

 すぐドアを開け――


「安兵衛」


「殿」


「え、この人、今、殿って言ったあ!」


 隣に住むおしゃべりおばさんが、素っ頓狂な声を上げた。


「あの」


「あなたの知り合いなの?」


 おばさんはしきりに刀を気にしているようなのだ。それで怪しい人物として尋問をしていたわけだった。


「あ、おばさん、この人は、その」


「…………」


 ――やばい、何とか説明をしなくっては――


「あの、あ、チンドン屋なんだ」


「はあ!」


「ほら、商店街で売り出しセールとかで、その……、アルバイト……」


「ふうん……」


 今時チンドン屋なんてあるのかどうか分からないが、おばさんはまだ怪訝な表情だったが、何とか引き下がってくれた。


「安兵衛、早く入れ」


 安兵衛を部屋の中に招き入れた。


「殿、チンドン屋とは何の事でしょう?」


 安兵衛が聞いて来た。


「あ、いや、それは、トキ、どうなってるんだ?」


「入ってしまったのね。うっかりしたわ」


 トキは安兵衛が居るのに気が付かず、泡を作って移動をしてしまったのか。

 人を時空移動させる時は、泡のような物で包むという事は聞いていたが……


「殿と私しか居ないと思っていたのよ」


 どうやらいつも傍に居る安兵衛が、移動の瞬間に来てしまったようなのだ。


「ここは一体……」


 部屋を見回す安兵衛に、事情を説明するのには時間が掛かった。

 それでも安兵衛が再び聞いて来た。


「まだ良く分かりませんが、それで、先ほどのチンドン屋と言うのは――」


「あ、それか、それはつまり、なんだ、商売をする時の一種の芝居、いや作法なんだ」


「…………」


 苦しい言い訳だが、まあ安兵衛がチンドン屋を実際に見る事など無いだろう。

 おれはすぐ元の時代に戻す事も考えたんだが、せっかく来たんだから、お茶でも入れて上げようという事になった。


「安兵衛」


「はい」


「コーヒーか紅茶か、どっちが良い?」


「はっ?」


 おれの部屋に日本茶は用意してなかった。

 コーヒーよりも紅茶の方が日本茶に近いだろう。リプトンのティーバッグを熱めのお湯に入れて、茶菓子としておれの好きなドーナツを出して勧めた。


「これを飲むのですか」


「色はちょっと気になるだろうが、安心せよ、毒ではない」


 安兵衛は椅子に腰かけ、赤茶色をした紅茶に見入っている。


「砂糖とミルクも有るからな」


「わたしも頂きます」


 トキが砂糖とミルクを入れてスプーンでかき混ぜ始めると、安兵衛も真似をし出した。


「安兵衛」


「はい」


「その刀は外したらどうか?」


「あ、これは失礼しました」


 物騒な物は部屋の隅に置かせた。

 だが、その直後、ドア横のチャイムが鳴った。


「はい」


 おれが返事をして外をのぞくと、


「ギエッ」


 警察官が来ているではないか!

 あのおばさんが通報したのか。

 仕方なくドアを開けると、その警官が聞いて来た。


「あの、突然申し訳ないんですが、こちらの方から通報がありまして、どうも刀を持っている人物が居ると――」


「え、あ、いや、その」


 だが、振り向くと既に安兵衛は手に刀を携え、身構えているではないか!


 ――アチャ――


「安兵衛、刀を元の場所に戻せ」


 だがもう遅かった。目ざとく見つけた警官が、


「その刀を見せてもらえますか」


 ――万事休すだ――


 銃刀法違反。

 刀を受け取った警官が、おもむろに抜いてみた、


「これは」


 警官は笑い出し、おばさんの方を向くと、


「奥さん」


 おばさんに説明を始めた。


「これはおもちゃの刀ですな」


「おもちゃ!」


 おばさんは極まりの悪そうな顔をして、口をもぐもぐさせていた。


「いや、失礼しました」


 警官は刀をおれに戻して敬礼し、おばさんと一緒に出て行った。

 おれは訳が分からなかったが、振り向きトキを見ると笑っている。


「トキ、何かしたのか?」


「本物の刀ではまずかったでしょ」


 とっさに刀を玩具と取り替えてしまったのだった。

 だが安兵衛はおもちゃの刀を手に、


「これは!」


「安兵衛、安心せよ」


「…………」


「そなたの刀は無事だ」


 本物の刀はトキに預かって置いてもらう事にした。帰る時にまた取り換えれば良い。安兵衛には、この社会では昔刀狩りと言う事が行われ、街中で刀を所持して歩くことなど出来ないんだと説明した。


「しかしこのようなまがい物を腰に差す事など……」


 と安兵衛はおもちゃの刀を部屋の隅に置いてしまった。

 だがその時だった、


「キャ~」


 トキが悲鳴を上げた。

 振り返ると床にトキが倒れているではないか。


「トキ、どうした」


 急いでおれと安兵衛がトキの側に行くと、背後で、


「ギッギッーー」


「なんだ今の声は!」


 安兵衛と二人で見回すが、周囲には何も居ない。

 トキも上体を起こして辺りを見回した。


「トキ、大丈夫か?」


「何かが私の背後から襲って来たの」


 トキの言葉を聞き、改めて部屋の中を見たが、殺風景な白い壁があるだけだ。

 おれは狭い部屋が嫌いでフリーターとしてはかなり身分不相応な住居に住んでいる。リビングルームは細かな物が並んではいるが、大きな家具など置いて無いから、マンションとはいえ空間はたっぷりあるのが自慢なのだ。


 しかしこの部屋に時空移転されて来た時すぐ外を見たが、目に付くような変化は何も無かった。普通に人や車が道を往来しているし、服装もごく当たり前のものだ。

 だいたいこのマンションの部屋の中に得体の知れない魔物が居るなんて、そんなばかばかしい事――


「ギッギッーー」


 まただ!

 だが、声のする方を見ても壁があるだけで、何も、


「キャ~」


「ギッギッーー」


「くそ、やられた!」


 何かが突然襲って来た。その影からトキをかばったのだが、おれは手をひっ掻かれた。見ると手の甲に鮮血がにじんでいる。

 姿は見えない。だが得体の知れないものがこの部屋に居る事は確かなようだ。

 隣で安兵衛が顔を上げる。


「トキ殿、拙者の刀を」


うずくまるトキとおれの脇で立ち上がった安兵衛は、腰に刀を帯びていた。


「殿、トキ殿、離れていてくだされ。拙者の傍に居ては危険です」


 安兵衛は鯉口を切ると、静かに刀を抜き放った――



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