第15話「相場というのは儲かるのかな?」
それはたいそう暑い日だった。
「殿」
「なんだ」
幸村が少し難しい顔で、おれの前に進み出た。
「実は庶民の間で、困った事が起きておるようで御座います」
「困った事だと」
「はっ」
「なんだその困った事とは?」
「それが……」
米の値段が高騰して、皆が困っているとの事であった。
「今年は確か、豊作になりそうだと聞いておるが」
「その通りで御座います」
「豊作ならば値段は下がるのが普通ではないか」
米の相場は許可を得た商人達の市場で決まっている。
「それがどうも、買い占めを図っておる者が居るようなのです」
「なに、買い占めだと」
「はい。ですからみるみる相場は高騰して……」
ここ数年米の不作が続いていたが、今年は嬉しいことに豊作だろう、と噂が流れていたのは確かだ。
だからこの買い占めは市場の話題を呼んでいるとのことだった。米がこれから余るかもしれない時に、これほど買うのはいったい誰か、なんの為かと。
最初は目立たないよう小口の買いに分けられていたのだが、どうも注文主が同じらしい。しだいに増えて来た買いっ振りからみて、黒幕は相当な資力のある者と見当をつけられた。
「幸村」
「はい」
「誰が買い占めているのか調べてこい」
「すでに調べさせております」
「そうか、分かったらすぐに知らせてくれ」
「かしこまりました」
やがてその買い占めの主が分かった。
大阪屈指の豪商で大矢太郎兵衛という、穀物問屋の老舗「近江屋」を営む者だった。
穀物商で丁稚奉公し、手代から番頭に昇進したのち独立して、大阪でも指折りの豪商となった男だ。
信条は、見込みを立てた以上、必ず儲けるのだと。
太っ腹で目先が利いて、物に動じない度胸と判断力で、鮮かな手腕を発揮すると言われている男だった。
そんな男が何故この時期に米を買い占めているのか。本来ならば豊作を控えて値段は下がってくるはずなのだが、買い占めの影響で逆に上がっている。
それで庶民が困り切っているとの事であった。
太郎兵衛は何を考えているのか、だぶついてくるのが目に見えている米をだ。
もちろん上がって来た米価をいい事に、売り方はどんどん売るので、市場の米は在庫が減りますます価格が高騰しているという。
売り方はもうしばらくすれば新米が入って来るので、在庫など気にする必要はないと考えているのだった。
「幸村」
「はっ」
「当座の対策として大阪城の米蔵を開け、庶民に放出せよ」
「分かりました」
これはおれが直接見に行く必要があるなと感じた。
「幸村」
「はい」
「様子を見に行こう。このままでは目立つだろう、支度をせよ」
「ではお召し物を工夫しましょう」
おれと幸村、家臣達は庶民のなりをして城を出た。
大阪に運ばれて来た米は何処に着くのか、一時的に保管する場所は何処なのか、その後はどう動くのかと見て回った。
特に気づいた点は蔵だった。在庫の米が極端に減って、空になったままの蔵が多い事だ。買い占めを図った太郎兵衛は、米を全て自分の蔵に運んでいるようだ。
さらに幸村の手の者が探りを入れた情報では、驚くべき事実が判明した。
太郎兵衛が市場からの買い占めに取りかかる前、行ける限りのコメ農家を回り、金を前金で払い、大阪で受け取る契約していたと言うのである。
豊作で下落すると分かっている米を、高値でしかも即金で買うと言われたら誰もが飛びつくだろう。
その後で、目立たぬように、何食わぬ顔をして買い始めたのだ。
「幸村」
「はい」
「城の米はどのくらいあるのかな」
「このまま庶民に渡し続けても、しばらくは持つと思われますが」
「そうか」
おれは幸村に太郎兵衛と話し合いをしてもらうことにした。
多少の高値でもいいから、買い取ろうという提案だ。
「どうだった」
「それが……」
幸村は何か言い淀んでいる。
「どうした、太郎兵衛は何と返事をしたんだ?」
「とんでもない高値を提示してきました」
「とんでもないだと」
「はい」
「幾らだ」
今度はきっぱりと言った。
「約四倍です」
「なに!」
太郎兵衛は自身の買った値段の四倍という額を、しらっとした顔で言ったという。
「あの者は米相場の事情を知り尽くしており、われらの足元を見ているようです」
「くそ」
普通ならば凶作を当て込んで思惑を張り、米を市場で買い占めるというのが常識だ。その後は価格の高騰を待ち売り抜けるのだ。
だがこの年は豊作がささやかれ、誰もが米の値段は下がると思っていた。ところがそこで突然の買い占め騒ぎが起こり暴騰した。思惑の逆を張ったのだ。
米価対策としてお城で米を買い上げ、それをまた安く売ってくれるらしいとの噂も流れたのだが、思うようにはいかなかった。
これまでのところ天候は順調で、米の不作など誰も心配していない。
このまま太郎兵衛の思惑通りになるのか、ならないのか。
こうなったら太郎兵衛と戦争だな。
おれは覚悟を決めた。
やってやろうじゃないか。
「幸村」
「はっ」
「城から甲冑を運び出せ」
「はっ?」
幸村はまた何を言い出したのかと、いぶかしげにおれを見た。
「それと市中に行き、蔵を手配せよ」
「蔵ですか?」
「そうだ、とりあえず一棟でいい」
「そこに甲冑を入れるのでしょうか?」
さすがの幸村もすぐには合点がいかないようであった。
「蔵主には大阪城の改築の為だと説明せよ」
「…………」
借りた蔵に甲冑は運び込まれた。
「よし、借りる蔵をもっと増やすんだ」
「ではその全てに甲冑を」
「そうだ」
二棟や三棟でも足りない。次々と借りていった。
蔵主の中には新米が来る頃までには開けてほしいと言う者もいたが、大丈夫だと約束をした。
もちろん口約束だが……
ついには蔵だけなく、屋根さえあれば小屋でも何でもいいとなった。
とにかく金が支払われるとあって、大阪中の小屋という小屋が甲冑、刀、槍などで埋まってしまった。
そして新米の季節が来た。大阪に着いた新米はもちろんほとんどが太郎兵衛の契約した米だ。
とりあえずどこに収納するかという段になり、事態は発覚した。
何処にも空いた蔵が無いではないか。太郎兵衛の蔵もすでに満杯状態で入れる隙間がなく、とうとう屋敷の中にまで積み上げる始末だという。
もちろん太郎兵衛も黙ってはいなかった。すぐ蔵主との交渉が始まり、新米が来れば優先して受け入れるのが当然だろうと言い張った。
困った蔵主はすぐに城に言って来た。
「新米が来たので甲冑を引き上げて、場所を開けてほしいのですが」
「そう言われてものお」
門を警護する兵はこれ見よがしに手を首の後ろにやる。事情はそれとなく聞いているのだ。
「とにかく開けてもらわないと困るのです」
「分かった、そのように報告しておこう」
「お願いします」
これで想定通りとなり、何度蔵主が来ようと、一向に話は進まなかった。
まだ改装が終わってないの一点張りだ。太郎兵衛はしてやられたとほぞをかんだ。
新米は次々と到着するのだが、置く場所が無い。その辺の空き地に野積み状態となって溢れかえってしまった。
これにはさすがの太郎兵衛も青くなった。このまま野積状態が続いて、雨に降られたらえらいことになる。
では雨露をしのげる小屋でもないかと探し回ったがそれも無い。最後にはせめて屋根さえあればと、しかしそれも無駄な努力だった。
ついに太郎兵衛が全面降伏を申し出て来た。おれの前に進み出ると、深々と頭を下げた。
「どのような罰もお受け致しますが、あの新米だけは蔵に入れて頂きたく、お願いいたします」
「太郎兵衛とやら」
「はい」
「その方は米の相場が得意なようだな」
「…………」
何を言い出すのかと、じっとおれの顔を見ている。
「私に相場の極意を教えてはくれぬか」
「…………」
「相場というのは儲かるのかな?」
太郎兵衛は少し戸惑ったような顔をしたが、暫くして話し出した。
「商いは潮時というものを見なくてはなりません。悪い時は誰が何をしようと無駄ですから、身を引いて様子を見守っているのが一番です」
「…………」
「ただ、いったん波が来たと思えば、人の買えないところを進んで買い、一般が逆上し連日高騰を続ける時は売る事です」
「なるほど」
太郎兵衛はおれを真正面からみて堂々と話している。
「投げるべき時に投げ渋るようではダメです」
「今回のような時だな」
「はい」
苦笑いを浮かべた太郎兵衛であった。
「その代わり波に乗れば、十二分に儲けるという事か?」
「金というものは、調子のいい時はほうきで掃くほどもうかるもので御座います」
――正直な男だ――
おれはしばらく太郎兵衛と世間話をしてみたのだが、こうして会ってみれば、嫌みのないすがすがしい男ではないか。負けを認め、全てをおれにゆだねようとしている。
ただ商人として、新米が風雨にさらされるのは何としても避けたいと願い出ているのだった。
「太郎兵衛、米の値段は全国の経済を左右している」
「…………」
「では米の次は何がくると思うか?」
「……ご質問の意味が良く分かりませんが、何が来ようと手前は商人で御座います。いかなる事態になろうとも対処いたしてまいります」
おれはこの男が気に入ってきた。
「それにしてもこの度は思い切った事をしたな」
「世の中には石橋をたたいても渡ろうとしない者がおります。それでは財を成す事など無理と言うものです」
「だが、そなたの言い値、四倍はちょっと欲が深すぎたのではないか?」
「面目次第も御座いません」
太郎兵衛は素直に頭を下げた。
「幸村」
「はっ」
「直ちに甲冑を全て引き上げ、この者の新米を蔵に入れる手伝いをせよ」
「分かりました」
太郎兵衛は再び、深々と頭を下げるのだった。
この後は、自身の買値を少し下回る値で売ることに同意し、米の相場は元に戻った。それでも太郎兵衛の損害は今日の価値に直せば、ざっと数千万になっただろう。
しかしこの男の可能性に興味を持ったおれは、経済のブレーンとして配下にならないかと持ち掛けた。最初は驚いていたが、私の腕が振るえるのでしたらと、これに快諾したのだった。
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