第11話「走れ、走れ、走れ!」

「殿!」


「ん?」


「殿、気が付かれましたか」


 四・五人の者に身体を抱え上げられ、運ばれているのは分かったが、その後の記憶がない。


 目を開けると家臣達がおれを見守っている。


「どうなった?」


「幸村殿はまだ戻られませんが。黒田殿が先ほど――」


「勝ったのか、負けたのか、どっちなんだ!」


 その後幸村や才蔵、次々と戻って来た家臣達の話から戦況が見えてきた。


 まず、豊臣本陣が伊達隊に囲まれているのに気づいた島左近隊が一番に駆けつけ、敵を蹴散らし、左近はおれの周囲を取り巻いていた敵雑兵どもを鬼のような形相でなで斬りにした。


 さらに安治も戻ってくると付近にいた伊達隊は壊滅状態、残兵はちりぢりに逃げて行った。


 徳川軍本陣を目指した勝永隊は、秀家隊や清正・幸村隊が戦っている横を突き進むと、家康本陣の前に立ちはだかる前衛隊と銃撃戦を開始。ここでは幸長の鉄砲隊が威力を発揮したが、互いに撃ち終わると敵将は槍を振るって反撃するも、その場で討ち死に。


 勝永隊の快進撃はここから始まった。左右から出てきた敵部隊も壊滅させ、徳川勢の第二陣に襲い掛かり、あっけなく敗退させると、次は家康の親衛隊でもある第三陣に攻撃を加えた。だがこれも勝永隊の相手ではなかった。そしてついに徳川家康本陣に突入していこうとする直前、家康殿らしき者は辛くも家臣達に守られその場を脱したとの事。


 徳川軍側から豊臣軍側へ寝返った隊がいるとの虚報が徳川方の内を駆け巡り、浮足だって混乱状態だったという事もあるだろうが、阿修羅のごとき勝永の奮闘ぶりは見事であったようだ。ただ家康殿は逃げる際、影武者らしい者を四方に逃がしたため後を追う事が難しかった。勝永は家康殿を取り逃がしたと分かった時、両膝を屈して、刀を握ったこぶしで地面を殴りつけ悔しがったという。勝永隊のあまりにもすさまじい活躍ぶりに、行動を共にしていた幸長隊の出る幕はなかったとまで言われた。


 ただ豊臣本陣で敵を防いでいた家臣達がしきりに不思議がった事がある。殿が敵雑兵の槍に囲まれ、これは最後と思われる度に、何故か味方の兵の中に移動していたと証言する者が多くいたのだ。殿はまるで竜神様にでも守られているようだったと。


 おれはそれを聞いて、


「そうか、いや、分かった」


 トキがやってくれたのは明らかだった。すぐトキに礼を言いたかったのだが、こんな大勢の前では……


 おれは小声で言った。


「ありがとう、トキ」


 その後は家臣一同の活躍にねぎらいの言葉を掛けた。


 だが、ただ一つ、忠興隊の命令違反だけはこのまま何も言わずに済ますわけにはいかない。


「細川殿はおられるか?」


「はい」


 忠興が神妙な顔をして前に出て来る。


「その方、重大な命令違反をしたのだぞ。分かっておるのか?」


「はっ」


 細川忠興は天下一気が短い武闘派と言われるが、利休が切腹を言い渡された時、見舞いに訪れた数少ない大名だったとの逸話もある。


 おれの詰問を受けて、素直に頭を垂れてしまった。


「戦場での命令違反は、打ち首であろう」


「――――!」


 周囲の家臣達はかたずを飲んで見守り、幸村などは今にも声を出しそうになっている。


「だが、父上から羽柴姓を与えられたほどの者を打ち首はしのびない」


「…………」


「忠興」


「はい」


「次の戦ではその方に先陣を命ずる。十二分な働きをせよ」


「はっ……」


 忠興は再び頭を深く垂れた。


 と、そこまでして、ハッと周囲を見回した。


「どこだ?」


「殿」


「何処に行った?」


「殿、どうされました」


「佐助は何処だ?」


 家臣どもが互いの顔見回している。


「佐助は何処なんだ!」


 その大声にやっと幸村が応じた。


「殿、佐助ならあそこに控えております」


 大勢の家臣たちの後ろで、神妙に座っている佐助が居るではないか。おれはすぐ声を掛けた。


「佐助、ここに来い」


 家臣達から一斉に見られた佐助が下を向く。


「どうした、佐助、ここに来い」


「佐助、殿の傍に行きなさい」


 幸村が助け舟を出してくれた。


 やって来た佐助に、


「佐助、大丈夫だったか?」


「はい」


 また下を向いてしまう佐助だ。そこには刀を構えた佐助とは違う彼女の姿があった。




 戦にはどうやら勝ったようだが、豊臣側の被害も甚大だという事が次第に分かってくる。


 まず大谷吉継殿が討ち死にされ、兵力は壊滅状態。

 島津忠恒殿は負傷され、兵はほぼ壊滅。

 福島正則殿、負傷。

 島左近、負傷。

 浅野長政、負傷。


 そしてなによりとてつもない総力戦で、豊臣側全兵力が半減してしまったということだ。もっとも戦国時代の戦闘では、実際のところそんなに死傷者は多くないと聞きます。最大でも敵味方合わせて三割程度だと。分が悪いと思えばどんどん逃げてしまうからのようです。確かに刀や槍を使った、殺し合いではそうかもしれません。近代戦の銃砲からでは、簡単に逃げられないからでしょう。


 家臣達の間では追撃するか、それとも一旦大阪に戻り、軍備の再編成をすべきか意見が分かれている。


 敗退しているとはいえ、才蔵配下の者がもたらす情報では、徳川軍の兵力はまだ相当残っていると思われる。


「このまま放置して江戸城に入られてしまえば、後の展開が面倒になるな」


 前回の轍は踏みたくない。ここは何としても決着を付けなくては。

 おれがなかなか決断しなのを見て心配になったのか、


「我が方が大阪に戻っていては、徳川方にも軍備再編の機会を与えることになるだけです」


 そう言い切った幸村は追撃賛成派だ。おれを真正面から見据えた。


「幸村」


「はっ」


「追撃するぞ、直ちに隊を再編成しろ」


「かしこまりました!」


 幸村の顔が一気に明るくなった。


 忍びの報告通り同程度の兵力でも、家康殿が逃げてしまった今となっては追撃する側に利があるはず。大阪に戻って軍備を整え出直すなどという事は、絶好の機会を逃すことになる。


「行長」


「はっ」


「そなたは大阪に戻り、足りない物資の調達と兵員を至急確保しろ」


「かしこまりました」




 浜松から東京まで約二六〇キロだから、一日三〇キロ歩けば八日か九日くらいで着ける。数千を超えるかもしれない兵がぞろぞろ歩いたら、ペースが落ちて二〇キロくらいか。やはり一〇日以上はかかる計算になる。それに後から追いかけても同じ方向だから、なかなか追いつけないと考えるのが妥当だ。




 徳川軍が時の為政者である豊臣に立ち向かい、敗走したという事なら、逃げている家康殿は落ち武者ということになる。謀反人として法の外に出てしまった者。「落ち武者は薄すすきの穂ほにも怖おず」と言うほど、周囲の何でもないものにまで恐怖を感ずるほどになってしまったということなのだ。もちろん、いまだ豊臣側と同程度の兵力を有しているのならそうはならない。


 いずれにせよ、家康殿が江戸城に入る前に捕らえなければ……


 しかし、戦闘が終わってからさほど時は経っていないようだ。すると退却中の徳川軍は、まだ二俣城にまで着いていないのかもしれない。念のため聞いてみた。


「才蔵、徳川軍はもう東に渡河したのか?」


「先頭の早い集団は二俣城前を通り始めているようです」


 ―― しめた! ――


 この機会を逃がしてなるものか。頭を槍でぶん殴られた後の痛みも忘れて叫んだ。


「幸村、急げ、まだ間に合う。徳川軍が渡り終える前に叩くんだ!」


「はつ」


「編成なんかどうでもいい。全軍で追うぞ!」


「かしこまりました」


 今すぐ追いかけないでどうするんだ。


 おれはこの時代に来てからずっと感じていたんだが、なんなんだこの間延びした時間の流れは。


 百姓がのんびりしているのは分かる。田植えをして、稲が伸びて、刈り取りの時を待つ。植物が成長する時間に合わせた生活のリズムが全てを支配している。ところがそれが侍にも商人にも言えるのだった。


 信長の活躍する辺りからやっと職業軍人が出てきたようだが、まだまだ農民兵が主力の時代。稲刈りだの田植えだのと、戦以外に気の散る事も多く、とにかく現代の感覚からしたらのんびりした時間の流れなのだ。


「走れ、走れ、走れ!」


 なべかまなんか放り出して走るんだと、家臣や兵隊どもに叫び続けた。


「ゲホッ」


 二俣城の前には天竜川とそこに流れ込む二俣川があり、大小二つの橋が渡されている。逃げる大軍が一度に集中すれば、大混乱となるはず。天竜川で討ち取れなければ、次は大井川の手前だ。日が落ちるまでには決着をつけたい。


 鉄砲を担いで走っていく先の者を夢中で追い駆けて行く――


「ゲホッ」


 息が切れて来た。おれはランニングなんぞは得意でない。こんなに走ったのは初めてだ。兜や刀がめちゃくちゃ重たく感じて、汗だくとなり、鎧の隙間から湯気が出て来た。


 だが、やっと橋に近づくと、徳川軍の旗が無数に見えてくる。なにしろ大軍が狭い橋で押し合っているのだから、先に進めないどころか、ほとんど止まっている。


 そこに南から殺到した豊臣軍。もうこうなったら命令も何もない。獲物に群がる野獣だ。銃弾が乱れ飛ぶ中で、統制の取れていない兵卒が次々に倒れていく。徳川軍の中にも撃ち返そうと、片膝を着いて鉄砲を構える強者も居たが、逃げ惑う味方の兵に踏みつぶされる始末。


 それは殺戮以外のなにものでもなかった。


 天竜川の橋を埋め尽くした徳川軍兵の屍を乗り越えていくと、さらに二俣川の橋が見えてくる。ここでも同じ状況が展開した。


 昼前後の戦闘で徳川軍兵の半数が倒れたとすれば、これでさらに半数ほどになったのではないか。


 二俣川を渡ったところで、やっと豊臣軍の動きが止まった。日没となり兵を休ませることにしたのだ。夜間の攻撃は危険だ。同士討ちにもなりかねない。


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