第16話 モルダビアの地に眠る
安兵衛は娘に「ユキ」と名前を付けていた。雪のように肌の白い子だとの意味を知って、たいそう喜んでくれたミネリマーフだったのだが、既に病に倒れ、帰らぬ人となっている。
病の床でミネリマーフは言った。
「ヤスべ様、私は貴方と一緒になれて幸せでした」
「…………」
安兵衛がミネリマーフの手を握る。
「ユキをよろしくお願いします」
「ミネリマーフさん……」
二人は出会いから何時までも、互いの呼び方を変えなかった。安兵衛は最後まで、ミネリマーフさんと呼んでいた。
そのユキはもう十二歳になっている。ラウラの館を訪問した時は、庭で共に遊ぶラウラになついているようだ。
ラウラさんが聞いて来た。
「ヤスべ様、私と一緒に住みませんか?」
大きな瞳で見つめて来るラウラに、
「ラウラさん、私の妻は今もミネリマーフです」
「ミネリマーフさんがうらやましい……」
返事を聞いたラウラは、そう呟いて寂しそうに笑った。
安兵衛はそのままモルダビアの地を離れることなく生涯を終え、ミネリマーフの眠る墓の横に埋葬された。
ラウラは残されたユキを養子として引き取り、生涯独身を貫いた。ユキはラウラの指導を受け、商人としての才能を開花させてラウラアレクシア家の後を継ぐ事になる。
安兵衛の刀はユキの子孫によって代々大切に保管されていたが、今はベネチアの歴史博物館で静かに眠っている。
「サスケ」ブランドは一七世紀後半のヨーロッパを席捲することになる。
佐助の提唱する考えに触発された女性たちの間では、新しい美の形を追求する動きがエスカレートしていく。日本から送られて来るデザイン画は、パリの社交界でバイブルにまでなった。パインが居なくとも、ヨーロッパからの熱いメッセージが佐助の下に届けられて来るのだった。
女性たちのコルセットが無くなると、ハイウェストのドレスが一般的になって行った。貴族階級の間ではスタイルがよく見えるという理由から、高くふくらませた髪型も流行する。
史実ではフランス革命以後、ナポレオンの台頭に前後してヨーロッパの女性はよりシンプルな服装になっていくのだが、佐助はその動きを一世紀も早めてしまった。
「サスケ」ブランドの推奨する、曲線と直線の微妙なマッチングは、後世に現れるアール・ヌーボーやアール・デコのスタイルを先取りしていたのだ。極端に細い裾シルエットが話題を呼んだり、布のたるみを活かしたシンプルなスタイルのドレスが流行するようになる。
特に佐助がこだわったのは、身体の動きがそのまま自然にドレスに伝わり、波のように動く処だ。それまでのがっちりと固めたドレスなどではない。ヨーロッパの女性たちは、信じられないようなその優雅に動くシルエットに魅了された。
未来のしゃしんから得たインスピレーションが、佐助の埋もれていた類まれなセンスと絶妙にマッチングし始めていたのだった。
「流れるように、スカートが舞うように歩くのよ」
「サスケ」ブランドのガールズコレクションで、佐助はモデルの女生徒たちに声を掛けた。
あの方が始められた大阪城でのガールズコレクションだ。
佐助はそのイベントをずっと引き継いでいる。
「観客の反応が心配だわ」
だが、コレクションの様子を伝え聞いたパリの社交界では、「サスケは美の職人だ」とささやかれる。東洋の美を洋服に昇華したと。だが、佐助は反応した。
「私は美の職人じゃないわ、女性を解放したいの。あの方もきっとそれを望んでいらっしゃるはず」
佐助はそっと未来に問い掛けるのだった。
「そうですよね、殿……」
豊臣秀矩(勝家) @erawan
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます