第92話 結果はいかに?
作業を進めて7日目の朝が来た。
今日、肖像画は完成する見込みだ。
身分不相応なちょっと豪華な部屋だったので良く眠れるか心配だったけど、そんなのは関係ないとばかりに毎日ぐっすり寝させてもらった。
浴室に行き身体を洗うと頭も身体もすっきり爽快になる。
部屋に戻るといつの間にか侍女さんが部屋の中にいて朝食の準備をしていた。
いつも朝の食事のタイミングが良いので一晩中部屋の中に隠れてたってことはないよね?
朝食を済まして少し休んだ後、服を着替え今日の準備をすると侍女さんに先導されて作業部屋に案内される。
昨日の時点で今日が完成見込みの日だと伝えてある。
暫くするとフィリップさんも来たようだ。
「おはようフミト殿。そろそろ完成のようだね」
「おはようございます。今日中には完成する見込みなのでこちらこそよろしくお願いします」
一通りの挨拶を終え、また昨日と同じように作業を進める。
午後になってジェームズさんも作業部屋に姿を現した。
俺の作業を邪魔しないように挨拶は手を挙げるに留めて無言で椅子に腰掛けじっと待っている。
そして日が傾いてきた頃にようやくその時が来た。
そう、絵が完成したのだ。
「完成しました」
俺のサインを書こうかと悩んだけど、俺自身の本業は冒険者で芸術は副業みたいなものだ。それに俺のサインを見た人達から肖像画の依頼が次々に来ても困るからね。だからあえて名無しにしておいた。
俺の言葉に部屋の中のそれぞれの場所に居た人達が俺に視線を向けてきた。勿論、絵のモデルで肖像画の依頼主であるジェームズさんも目を見開いて俺の顔をまじまじと見ながら声をかけてきた。
「お、終わったのかね?」
「ええ、自分でも納得がいくような作品が描けました。もし、これでも駄目なら俺の絵描きとしての技量がまだ足らないという事です」
「そうか。今までの絵を不採用にしてきた私が言うのも何だが、第三者的な視点で客観的に君の絵の評価を決めたいと思う。もし、駄目だとなってもどうか私を恨まないで欲しい」
「こればかりは仕方ないですよ。単純に本人が気に入るか入らないかなのだから、例え駄目でも私は恨みはしませんよ」
ジェームズさんが椅子から立ち上がってゆっくりと俺と絵の描かれたキャンバスの方に向かってくる。俺も椅子から立ち上がり、ジェームズさんが自分の肖像画をよく見れるように場所を空けてあげる。
あと三歩、あと二歩、あと一歩、そしてとうとうジェームズさんはキャンバスの表側に回り込み、俺が描いたジェームズさんの肖像画を自分自身で目の当たりに直接観たのだった。
「お…おおっ! これが私なのか! 視覚を通して心に直接訴えかけてくるような瞳の光。表情は絵を観る角度によって幾万もの変化を見せてくる。これこそ魂の入った本物の作品だ。自分の肖像画とはいえ、こんな素晴らしい絵を見れるなんて最高の気分だよ!」
ジェームズさんの賞賛の嵐に、フィリップさんを始め今まで固唾を呑んでじっと見守っていた人達が極限の緊張状態から開放されて一斉に止めていた息を吐き出すのがわかった。俺もその賛辞を受けて大役を果たした開放感でホッとしたよ。
「合格だ。いや、こんな素晴らしい作品に対して私ごときが合格だなどと言うのはおこがましいな。フミト殿は素晴らしい。文句なく私の正式な肖像画として飾らせてもらうよ。フィリップよ、そしてお前達もこの素晴らしい絵を観てごらん」
ジェームズさんに勧められて部屋の中に居る人達が俺の描いた絵に近づき眺めだした。皆、口々に称賛の言葉を俺に向かって言ってくるので正直なところ恥ずかしくてこの場から逃げ出したいくらいだよ。
「フミト殿を兄上に紹介して本当に良かった。私もようやく肩の荷が下りたよ」
フィリップさんも安堵の表情を浮かべている。最初はオルノバの街でアンジェラのモデルの依頼を受けたのが始まりだったが、超レアスキルの芸術スキルを獲得した事によって、図らずもアンジェラの無念を俺が代わりに果たす運命になった。
「この国には宮廷画家を始め他にも高名な芸術家や画家が居るが、フミト殿は卓越した技能に加えて言葉では言い表せない神がかり的な何かを持ち合わせているようだ」
(うっ…ジェームズさん意外と鋭い…汗)
「とりあえず、そろそろ夕方を迎えようとする時間だ。昼は簡単な食事だったから私も腹が空いたぞ。食事の用意を命じてあるからフィリップもフミト殿もゆっくりと寛いでいくがよい」
俺は横目でフィリップさんを見ながら小声で、「食事にお呼ばれしちゃってもいいのですか?」と尋ねる。
「心配ないよフミト君。兄上はこの上なく上機嫌だ。あんな兄上を見れるのは滅多にないよ。君は兄上の無茶な要望を叶えてあげた功労者とも言える存在だし、食事どころか多大な謝礼も受け取れるはずだ」
「俺は身の丈にあった謝礼が貰えれば充分ですよ」
「お前達、この絵を厳重に保管しておいてくれ。あと、この絵に見合う最高の額を作らせないとな。それに、フィリップとフミト殿を別室に案内しておいてくれ。特にフミト殿には最高のもてなしで頼むぞ」
(どうでもいいけど、ジェームズさんって結構上の位の高官なんだろうな。王宮内での権力の強さが伺える。大臣クラスだったりしてな)
ジェームズさんとお付きの護衛が部屋を出ていく。入れ替わりに部屋の外で待機してたのか、数名の人達が入ってきて俺の描いた絵をうやうやしく台に載せて外へ運んでいった。残された俺は最初にこの部屋に案内してくれた近衛兵と侍女が別室に案内してくれるみたいだ。
侍女に導かれ、廊下を歩いていくとひとつの部屋に案内された。フィリップさんは俺とは違う部屋のようだ。貴族の待機室のような役割の部屋なのか、調度品も豪華で平凡な俺には何とも落ち着かない部屋だった。
(あっ、そういえばジェームズさんがどんな人なのか聞くのを忘れてたな。まあ、どうせ後で聞く機会もあるだろうし今はいいか…)
体力的には全然疲れていないけど、ずっと同じ姿勢で座って絵を描いていたから何となく身体が強張っているような感覚があるので、その場で軽くラジオ体操もどきをやって身体をほぐす。
すると、俺のお付きの侍女が不思議そうな目で俺の動きを見ていたので簡単に説明してあげた。試しに俺を見本にして同じように動いてみたらどうかと提案したら、乗り気になった侍女は俺の動きを真似て体操をやり始めた。彼女は飲み込みが早くて暫くすると俺を見なくてもラジオ体操もどきが出来るようになってしまった。
「これって朝にやると効果的なんだよね。身体がほぐれて暖まるし、血の巡りも良くなるからやって損はないよ。続ける事が何よりも大事だけどね」
「はい、身体が暖まって柔らかくなった気がします。凄いですこれ!」
どうやら彼女はラジオ体操もどきを気に入ってくれたようだ。体操をする仲間が増えるのは俺も嬉しいぜ。体操のレクチャーが終了して暫く部屋で寛いでいると別の侍女が俺の居る部屋に「食事の用意が整いました」と告げに来た。
今度は迎えに来た侍女に案内されて食事をする部屋に向かうようだ。迷子になりそうな入り組んだ廊下を進んで行く。侍女の人は地図や道案内の表示もなしでよく普通に歩けるものだと感心してしまうよ。
前方に大きな扉が見えてきた。廊下が行き止まりっぽいのでここが今日の食事をする部屋なのだろう。さすが王国の高官ともなると個人の食事部屋が充てがわれるんだなと、王宮の知識がまるでない俺はぼんやりとそんな事を考えていた。
扉が侍女の手によって開かれ、部屋の中に入るように促される。そして、部屋の中に入った俺は驚きのあまりその場で立ち止まってしまった。大きな部屋の中に純白のテーブルクロスがかかった長テーブルが置かれ、テーブルの上には花が活けられた花瓶まで乗っている。脇には給仕の方が控えていて、上座とでも呼べばよいのか正面の席にはジェームズさんと隣には綺麗な女性が座っていた。
俺は案内されて正面のジェームズさんのすぐ前の席に座らされた。向かい側には既にフィリップさんが着席して俺を待っていたようだ。
「フミト殿、楽にしてくれて構わないよ。食事を始める前に自己紹介をしておこう。私はジェームズ4世、このイルキア王国の国王だ。そして隣に居るのが第一夫人のカトリーヌだ。身分を言わないでいたのは君が絵を描く前に余計な緊張をさせたくなかったからだよ」
(マジかよ! 相当高位の高官だとは想像してたけど、まさか国王本人だったとはな)
「あの、絵を描くにあたって国王陛下に指示をしたりと色々とご無礼があったかもしれませんが…申し訳ありません」
「ははは、君が気にする事はない。さっきまでの接し方で私は構わないし、むしろ君とはフランクに話し合いたいからね」
「私の夫である陛下はさっきからずっと上機嫌なのですよ。これもあなたのおかげだわ」
「フミト君、私の兄が国王なのを黙っていて申し訳なかったね。それを先に君に伝えてしまうと絵を描いてくれなくなるかもと考えたんだよ」
「はあ、何て言ったらいいのかとにかく驚きました。国王陛下自らがさっきまでの接し方で構わないとおっしゃるのならそうさせて頂きます」
「ああ、必要以上の遠慮はいらないよ。私をジェームズと呼んでくれて構わない。私も君のことをフミト君と呼ぼう」
「それではジェームズ陛下と呼ばせて頂きます。ところで、ジェームズ陛下とフィリップさんは兄弟なのでしょうか?」
「ああ、フィリップは私の異母弟だ。私は先王の第一夫人を母としているが、先王の第二夫人が生んだ子供がフィリップだ。こういうパターンではありがちで兄弟の間に争いや確執が生まれ各貴族がそれに巻き込まれる場合があるが、幸運なことに私とフィリップは子供の頃から仲が良くてね。まあ、これはフィリップ本人の気持ちを聞いてみないと分からないが良い関係が続いていると私は思っている。フィリップはどうかね?」
「私と兄上は母上は違っていたが小さな頃から仲が良かった。勿論、成長をしていくに連れて兄上が説明したような悪いパターンになる可能性も考えたけどね。だが、私は小さな頃から芸術の分野に興味があったので、政治とは出来るだけ距離を置くように心がけていたんだ。私には兄上のような統治能力の才能がないのも自覚していたしね。私は今の芸術院の院長という身分にとても満足しているよ」
「お二人の素直な想いが聞けて良かったです。私はつい最近まで遥か西の森に住んでいて王都や王室の事情に疎いのです。なので、ジェームズ陛下やフィリップさんの事を何も知っていなくて申し訳ありません」
「そんなのは気にしなくていい。私には息子である王子も居るが既に結婚をして王城内の別宮に住まいを移しているのだよ。同じ年頃のフミト君のような話し相手は大歓迎さ。ところで君はフィリップに会うのが目的で王都に来たのかい?」
「それも目的のひとつですが、王都に来た理由は知人の商人が王都に支店とレストランをオープンする運びになったので、そのオープンセレモニーに出席する為に来たのです。ラグネル伯爵も私達と同行してそのセレモニーに参加しております」
「ラグネル…王都に支店…レストランだと…もしや、王宮にも噂が聞こえている商品を売り出しているという店だろうか?」
「それがどんな噂なのか知りませんが、マヨネーズという新しい商品を扱っているモルガン商会というお店です。支店とレストランの開店にあたっては私も微力ながらお手伝いさせて頂きました」
「おー、それだそれだ! 先日、ラグネルが面会に来てそれを話していたのを思い出したよ。そうか、君はあの店に関わっているのか。我が国発祥で新しい物が生まれるのは国王としても大歓迎だ。国としてもその店をバックアップしていくのを王の名によって約束しよう。ラグネルにも後で使者を出さないといかんな」
「ジェームズ陛下、ありがとうございます」
「いや、礼には及ばんよ。むしろ、君はこのイルキア王国に新しい風を吹かしてくれる功労者だ。私としてもそれに報いなければならないな。そうだ、君にはあれをやろう。おい、あの短剣を持ってこい!」
ジェームズ陛下に命じられたお付きの人が慌てて部屋を出ていく。暫くして戻ってきたお付きの人の手の上には、綺麗な布が被せられたトレイに乗っかった見事な拵えの短剣が眩しく光っていた。
「それでは食事中だがフミト君は私のそばに来てくれ」
この国の冒険者ギルドで登録してあるから俺も王国民になるのかな。とりあえず言われた通りにそばに行って跪く。
「ジェームズ4世の名のもとに、この短剣をフミトに授ける。受け取るが良い」
両手を差し出して恭しく短剣を受け取ると、王家の馬の紋章が彫刻された素晴らしい拵えの短剣だった。
「何か困った事があったらそれを使うが良い。その短剣は王家から特別な功績や技能が認められた者だけに授ける物なのだ。王家から認められた特別な人物との証明にもなるので大切にして持つが良いぞ。それと名誉職になるが、正式な要請として王立芸術院の特別顧問就任も引き受けてくれないか?」
「王立芸術院の特別顧問ですか?」
「うむ、フィリップの推薦もあるし、何よりも私が君の特別顧問の就任を希望している。正式採用された私の肖像画をどこの馬の骨が描いたのかと噂されるのは君の名誉にも関わるしね。特別顧問ではなく、君が貴族の身分を希望するなら爵位を進呈しても良いが…」
「今のところ爵位は遠慮しておきます。確かに正式採用された肖像画の描き手が芸術院の特別顧問の肩書なら横やりや不満も出なさそうですし、肩書だけの名誉職であるならお引き受け致します。ただ、私の本業は冒険者なので他の人達からの肖像画や作品の依頼などは今のところ受けるつもりはありません」
「ふむ、フミト殿がそう言うのなら私の方で手を打っておこう」
「私の我儘を聞き入れてくれてありがとうございます陛下」
「こちらこそありがとう。今日は私の肖像画が正式に決まったのもあり楽しくて良き一日だった。フミト殿には追って正式な褒賞を与える事になるだろう。また会えるのを楽しみにしておるぞ! フィリップもご苦労だった」
食事会が終わり、ジェームズ陛下とカトリーヌ王妃が部屋から出ていく。後に残された俺はフィリップさんと共に侍女に案内されて一旦控室に戻り、預けていた荷物を返される。フィリップさんは芸術院の馬車に乗って帰り、俺は王宮が用意してくれた貴族の送迎用の馬車で宿に帰ったのだった。
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