第12話 窓居圭太と高槻さおり、稲荷の神様の紳使見習いとなる
火曜日の早朝、夢の中でぼく
これはおそらく、ぼくひとりだけが見ている夢ではなく、全員が同時に脳内で見ている映像だろうと、推測がついた。
神様はまずみつきに、彼女の日曜日の暴挙について、
次に、神様はこう告げた。
「窓居しのぶ、
このたび、汝もまたわれに断りなく高槻みつきに力を貸すという、みだりなる所業におよんだ。
これもまた、みつきと同じ
したがって、汝にもみつき同等の処分を与うることとする。
今よりのち、ふたたびわれの許しなき所業を成すならば、神使の
今回のみは、不問に付すものといたす」
そのお達しに対してわが姉は、頭を地面にこすりつけんばかりに下げて、こう答えた。
「神様、このたびはわたくしの浅慮により大変な失礼を致してしまい、まことに申し訳ございません。
ご配慮、まことにいたみいります。
二度と同じあやまちを繰り返さぬことを、かたくお誓いいたします」
神様は姉の神妙な様子を天上から見ていたのだろう、しばらく沈黙があった後、今度はこの言葉を発された。
「続いては、窓居圭太、汝じゃ。
このたびは、たいそう難儀なことであった。
われからも詫びを申し上げたい。
さて、汝とはかくのごとく幾たびか言葉を交わしておるが、汝もまた姉と同じく神使としての
もし、汝の姉が神使の際を失うことがあるならば、汝がその後を継ぐこともありうる」
その言葉には、さすがにぼくも冷水を浴びて目が覚めた気分だった。
いや、正確には夢からは覚めなかったのだが、ちょっとタンマだよと言いたくなった。
「神様、お言葉を返すようですが、ぼくなどに神使のお役目が務まるものなんでしょうか?」
天を仰いでこう尋ねたぼくに、神様はこう返答した。
「神使すなわち、われと言葉を交わしうる者にのみ、与うる役なり。
汝は既に、神使たる気質を十分備えておるのじゃ。
ゆえに、汝にはこれより後、神使見習いを申し付ける。
姉につき
さいですか。
なんか、そんなお役、任命されても責任ばかり重くてまったくうれしくない、そんな感じです(溜息)。
とはいえ、姉の今回の辛い立場を考えると、そうそう自分の都合だけを主張しているわけにもいかない。
いささか割り切れない思いはあるが、ぼくはひとまず、
「承知いたしました」
と、神様の命を受け入れたのだった。
まあ、今回は姉がお役御免をからくもまぬがれたので、ぼくに正式な神使のお鉢が回ってくることはないけれど、今後ずっと可能性ゼロとは言えない。
ゆめゆめ、油断は禁物だな。
ぼくが肩を落として見るからにげんなりとしているのを、周囲の三人の女性も、気の毒そうに見ていた。
最後は当然ながら、高槻さおりの番だった。
この場に呼び出されたということは、どうやら高槻にもぼくと似たような話があるんじゃなかろうか。
果たして、神様はこのように切り出した。
「最後は、高槻さおり、汝じゃ。
いままでの話で、おおよそのことは
汝の妹みつき、また汝の友、窓居圭太の姉しのぶは、ともにわれの長きにわたる使いである。
汝をわれの前に呼ぶのはこれが初めてとなるが、みつきを
ひとまずは汝に神使見習い、すなわち妹みつきの補佐を申し付ける。
異存はないな」
と、予想された通りの展開となった。
これに高槻はこう返した。
「神様、わたしにも神様のお使いの資格があるとおっしゃるのですね」
「然りじゃ」
「そういうことでしたら、謹んでお受けいたします。
なにとぞよろしくお願いいたします」
高槻は、うやうやしく三つ指をついて、頭を下げた。
しのごの言わずにすっばりと覚悟を決めたのは、さすがだ。
ぼくには真似が出来ない。
「高槻さおり、汝にひとつ、尋ねたきことがある」
最後に神様が、こう言った。
「われは約を交わして、わが使いに力を与うることしばしばなり。
例えば窓居しのぶは、その弟圭太の懸想を妨げる力をわれに乞うた。
然れども、いまはしのぶの願いにより、約は終わり、力は解かれておる。
また汝の妹みつきは、かつてかく申して力を乞うた。
『わが姉にまつわる
力はいまだ、汝の身に備わりたまま、続いておる。
汝も知るところであろう。
果たして、そはまことに汝の望むものなりや、
つまり、お前の妹の頼みで、テレパスの力をお前に付与してきたが、それは本当にお前が望んでいるのか?
むしろいらないものなのか?
なんと、神様は高槻本人に、問題の核心をピンポイントで突いて来たのだった。
さあ、高槻はどう答えるのだろう。
実は望んでいないものなのだと、率直に答えるのか?
それとも……。
一瞬、息がつまるような沈黙が、その場を支配した。
高槻が口を開いた。
「神様、その力は私にとって大切なものとなりました」
実に意外な言葉が、高槻から発せらた。
高槻さん、それで本当にいいの?
思わず、そう声をかけそうになった。
「男性の心を読めるという力は、確かにいい思いばかりを私にもたらしてくれたわけではありませんでした。
ほんの一週間前までは」
ここで高槻は、ひと息おいた。
ぼくも、あとのふたりも、息を飲んで高槻を注視した。
「でも、私は先週の火曜日、初めて私に対してよこしまな心を持っていない男性にめぐり会うことが出来たのです。
それが、いまそばにいる窓居くん、そして彼の親友の
本当に信頼できる男性ふたりを見極めることが出来たことで、初めてこの力は意味を持ちました。
だからこの力は、いまや私にとって大切なものなのです」
その言葉を聞いて、ぼくも先ほどいだいた不安があっさりと消えていった。
嫌だ嫌だと思っていたこと、ひたすら苦手だと思っていたひと、それがあるひとつの出来事をきっかけに、そんなに苦にならなくなることもある。
あるいは、どんなに解くのが困難な数式でも、たったひとつでも解が見つかれば、後はするすると解明してしまう、そんな感じか。
今回の高槻の経験は、まさにそういうことだったのだろう。
それまでの約四年間は、ただただ厄介物でしかなかった「力」が、初めて前向きな威力を見せたことで、高槻自身がその役割を「発見」したというわけだ。
もちろん、これで問題は最後まで解決したわけではない。
だが、この数日で原因をつきとめることが出来た上に、原因がわからないがゆえの、得体の知れない不安や苦痛といったものも相当軽くなった。
となれば、あとは焦らずじっくりとパズルの残りの部分を解いていけばいいのだ。
ぼくはそう思った。
神様は高槻の返答を聞いて安心したのだろう、この言葉で締めくくった。
「さようか。承知したぞ、高槻さおり。
そして汝らすべての者に告ぐ。
汝らは、
わが使いの務めは、ひとを
ゆえに
日々、忘るる事なかれ。
本日は、これにてさらばじゃ」
神様がそう言った瞬間、目の前の風景が白一色になって、意識が途切れたのだった。
⌘ ⌘ ⌘
目が覚めると、起床時間の午前七時になろうとしていた。
先ほどの夢を思い起こしながら、洗面所で顔を洗っていると、エプロン姿でおたまを持ったお姉ちゃんが現れた。
「けーくん、おはよう。
お姉ちゃん、けさ、けーくんと一緒に神様のお告げを聞く夢を見たんだけど、もしかしてけーくんも見た?」
大きな目を
「ああ、ぼくもそういう夢を見た。
日曜日の一件で、お姉ちゃん、それからみつきちゃんも神様からキツいお灸を据えられたって話だろ?」
お姉ちゃんは、おたまを持っていない方の手で頭をかきながら、こう答えた。
「そうそう、その通り。
お姉ちゃん、みつきちゃんにせがまれて、つい大事なことを忘れちゃった。
けーくんにも、いっぱい迷惑をかけちゃったね。
本当にごめんなさい」
そう言って、ぼくに対して頭を深く下げたのだった。
「まあ、済んだことだから、ぼくのことは気にしなくていいよ。
大事にならなかったしね。
みつきちゃんとのつながりもあって、彼女の頼みを断れなかった、お姉ちゃんの事情もわかる。
だけど、神様は許すのは一度きりだって言ってたから、同じ過ちは繰り返さないで欲しいな。
だって、ぼくが神使なんて大役、お姉ちゃんからすぐに引き継ぐなんてムリだろ」
そう言ってぼくは笑みを浮かべた。
お姉ちゃんも、
「そうね、その通りだわ。
この仕事、けっこう年季が必要なんだから、そうそうけーくんに譲るわけにはいかないわね」
と、明るく笑ってくれた。
これで、ぼくとお姉ちゃんとの関係は、これまで通りのいい感じに戻ったな。
ぼくはそう確信した。
⌘ ⌘ ⌘
ぼくと榛原は、昨日と同じように、定刻に高槻邸の前に着いていた。
榛原にはそこまでの道すがら、先ほど見た夢のあらましを話していた。
彼はなるほどという表情で、夢の内容への感想を述べた。
「そうか、その夢は四人が同時に見たんだな。
高槻さんも、当然覚えているだろう。
ある意味、状況はいい方向に一歩進んだという気がするよ、俺には。
テレパスの能力を、ひとまず神に返上する道を選ばなかった高槻さんの判断は、おそらく正しいと思う。
彼女としては、まず妹との関係をリアルで改善することのほうを優先したっぽいね。
お、そうこうしていたら、高槻さんのご登場だ。
じかに聞いてみようぜ」
その通り、高槻が玄関に姿を現わした。
「おはよう、窓居くん、榛原くん」
「おはよう。高槻さん。
もしかして、けさ、こんな夢、見なかった?」
ぼくが、けさの夢の内容をざっと話すと、やはり高槻もうなずいてその事実を認めてくれた。
「わたしも、まったく同じ夢を見たわ。
稲荷の神様については、すでにあなたがたからおおよその話を聞いていたから、あれが神様の声だとすでにわかりました。
実は昨日の夜、わたしはみつきちゃんとじっくり話をしようとしたの。
あの子の部屋まで行って、話をしたいとドアをノックしたわ。
でも、まだ彼女は心の準備が出来ていないようだったの。
ドアの鍵を閉めたまま、開けてくれなかった。
ただ、『いまはまださおりちゃんと、その話はしたくないの』とだけ返事があったわ。
だから、こう言って昨日は引き下がったわ。
『わかったわ、いつでも構わないわ。
みつきちゃんが、わたしとお話する気になってからでいいから』
だから、昨日中には彼女ときちんと話が出来ていなかったの。
そういう状態のまま、神様にあの能力の返上を申し出ても、閉じたままのあの子の気持ちを傷つけるだけだと思ったわ。
だから、夢の中で、わたしは神様にあの能力について、ああいうふうに言ったんです」
さすが、妹思いな高槻のことはあるな、ぼくはそう思った。
高槻のみつきへのこういう心遣いが、彼女の気持ちを少しずついい方向に導いていくんじゃないだろうか。
榛原もそう感じたようで、こう言った。
「高槻さんのその優しさは、必ずみつきさんに伝わったと思うよ。
彼女のわだかまりは、すぐにはとけないかもしれないけど、時間をかければ大丈夫なはずだ」
ぼくも、こう続けた。
「そうだよな。遠くだろうけど、もうゴールは見えてきたんだと思う。
ところで、けさ、みつきちゃんとは少しでも話が出来たのかい、高槻さん」
高槻は、残念そうにかぶりを振った。
「ううん、まだ話をするタイミングもないまま、みつきちゃんは今から10分も前に出かけてしまったわ。
たぶん、けさの夢を彼女なりにうまく消化出来ていないんだわ。
自分のやったことが神使としては失策だったと知って、かなりショックだったんでしょう。
そのほとぼりから冷めるには、もう少し時間が必要ね、おそらく」
その判断には、ぼくたちふたりも異存はなく、ともに無言でうなずきあった。
道を進んでいく三人を、朝の穏やかな日差しがつつみこんでいった。
まだ春とはいえない時期ではあったが、それは一か月後には来るであろう季節を、ぼくにふと感じさせた。
それは、ぼくたち三人とみつきとの関係の雪解けをも、どことなく予感させたのだった。(続く)
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