隠された真実
第14話
6月末のある日。部活の時間に事件は起こった。背後から突然激しく嘔吐する音が聞こえた。
胃の中にあったものを吐き出す音に僕は驚いて振り返る。
見ると、ヘッドエモーションをつけたまま佐藤浩太が豪快に机に吐瀉物をまき散らしていた。臭いに思わず僕まで吐きそうになった。胃の中から何かがせり上がってくるのを感じる。
佐藤は顔を歪めて口から涎を垂らしながら激しくむせていた。近くにいた部員たちは席を立って遠巻きに佐藤を見てる。僕は一呼吸して慌てて情報処理室の隅に行き雑巾を探した。見つけた雑巾を手に持って佐藤のもとに近づき、吐瀉物を拭く。けれども小さな雑巾一つじゃ処理できないとわかり、雑巾を脇に置いて佐藤に声をかけた。
「大丈夫?」
佐藤は口元を手で押さえて顔面蒼白の顔で僕を見上げた。とにかく何か口元と机を拭えるものをと探したら、雨宮が両手に大量のトイレットペーパーを抱えてきた。
「これ、トイレから取ってきたから」
佐藤にそれを渡したあと、僕は後輩の一人に佐藤を保健室に連れて行くように頼み、机と床の掃除を始めた。
風邪でも引いていたのだろうか。それなら無理して部活に出なくても大丈夫だったのに。そもそもESP部は定期的な活動報告は部員に訊くが、それ以外は何か強制があるわけでもないし、部活を欠席するからといって誰かに迷惑がかかるわけでもない。
なぜ体調が悪いのを我慢してまで佐藤は部活に参加していたのだろう。それとも突然気分が悪くなったのだろうか。様々な疑問がわき上がってきた。
部員たちも手伝ってくれて佐藤の嘔吐の痕跡はほとんど綺麗になくなった。ただ臭いだけはどうしようもなく、佐藤が嘔吐した残滓が情報処理室に漂っている。
部員たちに指示して窓を全部開けさせた。
窓の外から纏わりつくような熱気が流れてくる。
佐藤を保健室に連れて行った後輩が戻ってきたので、僕は部員たちに作業に戻るように告げて、佐藤の具合を見に保健室に向かった。雨宮も一緒に行くと言ったので二人で情報処理室を後にした。
「風邪でも流行ってるのかな」雨宮は複雑な顔をして僕の隣を歩く。
「暑くなってきたからかね」
「尾道くんは大丈夫?」
雨宮がのぞき込むように僕の顔を見た。
「元気だよ」
「たしかに顔色がいいね」雨宮は人差し指を立てた。
僕らは保健室につき、先生の許可を得て寝ている佐藤浩太の横に立った。僕らが近づくと気配に気づいたのか佐藤は重たげに瞼を持ち上げる。
「大丈夫か?」僕は近くにあった椅子を引いて座った。雨宮も横に腰を下ろす。
「いや、全然だめだ」
佐藤は絞り出すようにか細い声で言った。
「どうしたの? 風邪だったとか?」
僕の問いに佐藤は顔をしかめる。
「そういうんでもないんだけどな」
「じゃあ、どうしたの?」
佐藤は顔を横に向けて僕を見た。
「色々と無理したのかもしれない」
言葉の意味がわからなくて僕は雨宮を見る。雨宮もわからなそうに首を捻った。
佐藤は弱々しく上体を起こした。
「無理しないで寝てなって」
僕がそう勧めても佐藤は首を振った。
「ちょっと助けて欲しいんだが」その顔は苦悶に歪んでいる。
佐藤がこんなに悩んでるなんて珍しいな。僕は雨宮と顔を見合わせる。
「わたし先に戻ってるね」
空気を察した雨宮がそう告げて席を立とうとすると、
「いや、雨宮さんの意見も聞きたいんだ」
と佐藤がとどめた。雨宮は浮かしかけた腰を下ろす。
佐藤は少しの間じっと保健室のベッドの隅を見ていた。沈黙が降りる。保健室特有のアルコールの匂いが流れてくる。白い物ばかりの保健室はどうも落ち着かない。
佐藤がゆっくりと口を開く。
「おれもまさかこんなことになるとは思ってなかったんだ」
「なんかあったの?」
「おれとお前で好感度ランキングつくってただろ」
「ああ」
「それで、まあ、その、ストーカーだなんだとかお前らに責められたこともあった」
「そうだね」僕は思い出す。佐藤浩太のストーカーに似た感情を僕らは責めたが、実はその感情は血が繋がった親戚、従姉妹に向けられたものだった。過度に親戚を大切に思っているというのも胸を張って言えることではないが、それでも佐藤のストーカー疑惑は晴れた。
「それでだな」佐藤は口ごもる。
「その感情が矢田花梨にばれたってこと?」
矢田花梨とは佐藤浩太の従姉妹のことだ。
「そうじゃない。いや、そうとも言えるな」佐藤は意を決して続ける。「好感度ランキングのことを知った花梨が、おれが花梨に対してどう思ってるのかしきりに訊いてきたんだよ。始めは誤魔化してたんだけど、ずっと誤魔化してたら段々不機嫌になっちゃってさ。もしかしてわたしのこと嫌いとか迷惑に思ってたりするの、って疑ってきてさ」
「……それは気分が悪くなったことと関係あるの?」
「大ありだよ。それでどうにか誤魔化さなきゃなって思ったんだよ。けど、おれもこういう時どうやって誤魔化せばいいかわかんなくてさ。それでいいことじゃないとはわかってたんだけど、合成ってやつを試してみたんだ」
「もしかして河名にサイトのこと訊いたの?」
堀田の感情が掲示板に貼られたことは河名がみんなに自分がやったことだと説明して謝っていた。その時に河名に感情を合成できるサイトのことを訊いたのだろうか。
佐藤は僕の質問に首肯した。
「合成ってなにを?」雨宮が訊いた。
「ほら、おれ自身の花梨に対するその、父親みたいな、お兄ちゃんみたいな、まあお前らに言わせればストーカーに近い気持ちは変えられないだろ」胸を張って佐藤は言った。自慢するようなことでもないが。「それで、おれの花梨に対する感情ファイルと他の感情ファイルを合成して、いい感じに花梨を思っているようにしようと思った」
「へー、そんなこともできるんだね」
雨宮は感心しているが、佐藤の表情は曇っていた。
「いや、そうしたかったんだけど、結局はできなかったんだ」
「そうなの?」雨宮は不思議そうに言った。
「顧問の言ってた通りだった。完成した料理二つをごちゃごちゃに混ぜるようなもんで、理想通りの感情にするのが難しくてな。おれの予想だと、他人に対して無関心な感情とかと合成すればちょうどいい具合の好意になるんじゃないかと思ったが、実際それでやってみたら、なんていうのか、できた感情ファイルは腹ぺこの時に腹一杯喰ったみたいな満腹感の感情になったんだ。全然予想と違う。それで、色々試しては体験したみたんだが一向におれが作りたい感情ができない。そうこうしていくうちに身体の調子がどんどん悪くなってな。げろった」佐藤は笑った。「結局は河名がやったのと同じルートをたどったな」
合成で作られた感情は自然な感情にならないことが多い。ヘッドエモーションによっていわば強引にその不自然な感情を体験させられた身体は、その感情を拒絶するように様々な器官が異常を発することがある。人によってその症状は様々だが、合成された感情を体験することは注意するよう言われている。
「じゃあ、さっきの部活中もその合成の感情を体験してたの?」僕は訊いた。
「そうだな。せっかくだから好感度ランキングで手に入れた感情を混ぜてみようと思ったんだが、結局だめだった」
雨宮は思案する表情を見せたあと佐藤に訊ねる。
「それって識別番号どうなるの?」
「どういうことだ?」
「合成された感情の識別番号」
ああそれかと佐藤は納得する。
「それはあれだ。元となる感情の識別番号がそのまま残るぞ」
「なるほど」と雨宮は納得した。
佐藤は頭を抱えた。
「ああ、このままじゃおれは従姉妹に変態扱いされる。あんな感情本人に伝えられない。変態と罵られて、白い目で見られて、それで軽蔑されるに決まってるんだ」
佐藤は助けを求める目を雨宮に向ける。
「なあ、なにか方法はないか?」
「それって従姉妹から嫌われない方法?」
雨宮の言葉に佐藤は激しく首を上下に振る。
「それなら簡単な方法があるよ」
と雨宮は平然と言った。
佐藤は驚く。そして身を乗り出して雨宮に頼んだ。
「お願いだ。その方法教えてくれ」
「そのままの感情を従姉妹に渡せばいいよ」
期待していた答えじゃなかったのか佐藤は肩を落とす。
「いやいや、だからそれじゃあ従姉妹から軽蔑されるだろ」
「なんで?」雨宮はけろりとした顔をしている。
「だって、おれが従姉妹に対して持ってる感情は、自分でもわかってるほど強いものだし、それこそお前らから言わせればストーカー感情と同じものだろ? ストーカーされて喜ぶ女の子なんているわけねえよ」
「それはあくまで他人が佐藤くんの感情を共有したらってことでしょ?」
「ん? どういうことだ?」
「だから従姉妹が、矢田花梨ちゃん本人が佐藤くんの感情を共有してストーカーだって思うかは別の話だってこと」
佐藤は考え込む顔になる。
「それは、軽蔑されない可能性もあるってことか?」
「うん。確かに佐藤くんの感情は従姉妹に向けるものとしては過剰すぎたとも思うけど、他人であるわたしだってその感情が家族に向けたものだってわかった。それならわたしよりも佐藤くんをよく知っている花梨ちゃんなら、もっと違う感想を抱くと思うよ。あくまで可能性だけど」
「……怒られたりしないか?」
雨宮は長い息を吐く。
「その可能性もなくはないけど、いいじゃん」
「よくねえよ」
「怒ったとしても本気の怒りとは違うと思うよ。家族から大切に思われてそれで相手を軽蔑する人なんていないよ」雨宮は確信を込めてそう告げたあと、小さくつけ足した。「華音ちゃん見ればわかるとおり煙たがられることはあるかもしれないけど」
佐藤はため息を漏らした。そしてしばらく考える。
「そうか。けどそうだな。変に誤魔化して嘘つくよりは、ほんとのことわかってもらったほうがいいかもな」
「そうだよ」
雨宮の励ましに佐藤は納得してそのままの感情を渡すことに決めた。けれど、身体の不調はすぐには回復しなかったので、このまま下校時刻までゆっくり保健室で休むことになった。
僕と雨宮は佐藤を残して保健室を出る。
僕はそこである考えを抱きながら一歩ずつ足を動かした。
佐藤の合成の話を聞きながら、無謀とはわかっていても試さないではいられないことがあった。
「雨宮に訊きたいことがあるんだけど」
「なに?」
「前に言ってた昔の保存形式の感情っていま持ってる? 新しいやつに変換してないオリジナルの」
「あるけど、どうして?」
「ちょっと気になることがあるんだ」
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