愛と距離
髙木 春楡
愛と距離
現代社会において、物理的な距離は関係ないものになってきつつある。一人一人が小さなパソコンである携帯電話を持ち始めたことが、一番の原因だろう。
聴きたいと思った時に、聴きたい人の声が聴ける。気軽にメッセージの交換が出来て、今何しているかさえ、すぐにわかるようになった。
会社に行かずとも仕事だって出来るのだ。僕らの世界は、距離を感じさせなくなっている。
だから、ネット恋愛というものが広がっているのだと思う。
昔から近しいものはあった。掲示板から文通を始め恋に落ちるなんてことがあったと聞いた。それなら、今の時代、人との関わりが気軽になったのだから、当然の流れと言えるだろう。僕はそれを否定しない。
だけど、心のどこかでネット恋愛は本物の恋愛ではないような気がしてしまうのだ。虚像を愛している。ネットでの顔、現実での顔、それは曖昧で別物のような気がする。本当の彼女がどう思っているのか、ただ暇潰しに利用されているだけなのか、そんな風に思うと人との距離が気軽に近づけくことの出来るこの時代から、僕の心が離れていく気がする。
そんな風に考えてしまう僕が、
僕がこんな考えを持つようになったのは、彼女と出会ったからだ。ネット恋愛をしない者に、ネット恋愛についての悩みなんて出てくるわけがない。
そう、僕は彼女にネット内で恋をした。この気持ちは偽りではない。身近にいる人達に、新しく出会う異性達に、興味を持てないとまでは言わないが、恋をしなくなったのだ。
僕は彼女に恋をしている。
だけど、この恋が実る可能性はかなり低い。それは僕自身がネガティブな人間で、魅力が少ない人間だということもあるけれど、それ以上に彼女の周りにいい男が多いせいだ。
そんな話を彼女から聞かされていると、僕なんかに可能性なんてないのだろうと思う。だから、いつか諦めなければいけないのだ。
そうは言っても諦められるわけでもない。
だから、足掻くのだろう。諦めの悪いネガティブは最悪なものだ。
「なあ、高嶺の花に好かれる方法ってなんだと思う?」
食事をしている途中に発された、突然の発言に呆けた面をしてこちらを見るのは、友人である
「どんな人かにもよるんじゃない?まあ、常套句というかテンプレは、弱ってる夜に海に連れ出してあげるとかじゃないか?」
「会える距離だったらそうしてるよ。」
「ネット系ってことか。まぁ、それだと難しいな。」
そうなのだ。いつでも繋がれる時代だが、物理的に会えない距離というのは恋愛において弊害でしかないと思う。
「まあ、こつこつ仲良くなってサプライズで会いに行けばいいんじゃないかって思うよ。」
「会いに行くのが一番だよな。」
遠い距離に、移動費。色々を考慮してもすぐに飛び出していくわけには行かない。というよりは無理だ。
だけど、この恋を結ばせるなら会わないことには無理なのだろう。
「まあ、応援してるよ。なんかあったら言えよな。」
「ありがとな。」
僕らはその後、恋愛について話すことはなく料理を食べながら馬鹿な話をして別れた。
こうやって真面目に話を聞いてくれて、馬鹿な話をして笑い合える友人が居るだけでも、僕は幸せ者なのだ。
それに加えて彼女との幸せな未来さえ得ようとしている僕は、強欲なのだろう。
それでも、今日彼に応援されたことで、諦めず進んでいこうと少しだけ思う事ができた。
ある日の夜、僕は眠れずにいた。なぜ眠れないのかと問われても答えることが出来ない類の眠れなさだ。
そんな夜は、一人散歩しながら煙草を吸うのが定番の流れ。煙草を吸い始めたのは十九歳の終わり頃だったからもう五年くらい続けていることになる。
こんな夜は彼女の声が聴きたくなる。そんなことを彼女に送ればもしかしたら、電話をしてくれるかもしれない。だけど、僕はそれを伝える勇気を持っていなかった。
だから、彼女とのトークを眺めているだけで満足することにしよう。そうやって、メッセージアプリを起動する。一番上にある彼女とのトークを開き眺めていた。どんどん上にスクロールしていく途中で急に画面が切り替わる。
そしてすぐぼんやりと声が聴こえてくる。
「もしもし、どうしたんですか?」
間違って通話ボタンを押してしまったようだ。すぐに携帯電話を耳に当て言い訳をする。
「すいません。間違って通話ボタン押してしまって。」
「なるほど、いきなりだから何かあったのかと思いました。」
ふふっと笑う彼女の声は、僕の心を癒してくれる。この声が聴きたかったのだ。
「迷惑じゃなかったですか?」
「全然、今日は珍しく暇してたので大丈夫です!」
彼女は、ほぼ毎日のように電話をしている。だから、通話ができる日は少ないのだ。
そんな数少ない日に間違えてしまうなんて、僕の手に感謝した。
「少し話しててもいいですか?」
「少しでいいんですか?」
「いや、出来れば眠くなるまでは。」
こんなことを平気で言ってくるのだから、彼女はずるいのだ。そして、モテる所以なのだろう。
僕らの会話は、何気ない会話ばかりだ。時々相談のようなことを話したりもするが、基本はこんなことがあっただとか、その時に興味のある話ばかり。それは当たり前のことなのかもしれないが、僕はその他の人達が好きな人とどんな話をしているかわからないから、比べようもない。
「会いに行くとして、どんくらいかかるんだったかな。」
そういえばそろそろ会いに行けるくらいの余裕が出来ていたなと調べることにした。
「ふふっ、電話する度にそれ調べている気がしますね。」
「あ、確かにそんな気もしますね。」
やはり、電話をすると会いたいという気持ちが高まるものなのかもしれない。
「でも、そろそろ会いに行けそうなんです。」
「本当ですか?それは楽しみですね。」
「暇な日とかあるんですか?」
「特に決まってはないですけど、来月は暇な方だと思いますよ。」
そうか、来月は暇なのか。来月に会いに行こう。サプライズだから、何も聞かずに行ってみよう。会えなければ、運が悪かったのだと自分の運命を呪うだけだ。そうすれば、諦めがつく可能性だってある。
会いたいという気持ちは、日増しに大きくなっていく。でも、それと同時にネガティブな自分が諦めろと囁いている。だからこれは、運試しだ。会えたなら頑張ろう。会えねば諦めよう。そうやって、心に決めた。
一ヶ月というのは、長いような気がしていたが、あっという間だった。ここまで短いと感じた一ヶ月もないだろう。
僕は地元の空港に来ている。会いに行くための準備は万端だ。一つだけ準備しきれなかったのは、心だけだろう。会ってどうすればいいのかわからない、来てるってどう伝えればいいかわからない、僕がどうしたいと思っているのかがわからない。わからないことだらけのまま、僕はこの旅を始めることになる。
僕の旅行話なんてつまらない話を除くと、時刻は夜になったいた。連絡できずただただ、観光をしただけの一日だ。ホテルにチェックインした後も、心の中では大反省会が行われている。
ここまで来たのになぜ怖気付いているんだ。明日やればいいなんていうのは、馬鹿野郎だとどこかで聞いたことがある。それでも、このまま何もなかったかのように眠りたかった。
心の喧騒を抑えるため、風呂に入る。携帯電話は置いてきた。持って入れば心がざわめき続けるだけだ。
ちゃぷちゃぷと僕の身体の動きに合わせて音が鳴る。いつもと違う風呂だがカーテンを閉めたその狭い空間は僕を落ち着かせる。
逆上せそうだなと感じたあたりで僕は風呂を出る。心も落ち着いてきた気がする。
僕は買っていたビールを飲むと携帯電話を手にする。そこには一件のメッセージが入っていた。
「電話出来ますか?」
彼女からこんな文章が送られてくることなんてない。初めての出来事だ。何かあったのだろうと、メッセージを打つ前に電話をかけていた。
「もしもし。」
彼女の声はくぐもっていた。泣いているのか、泣きそうなのを我慢しているのか。だけど、彼女は今悲しんでいて、きっとどこかに連れ出して欲しいと願っている。
「今、どこに行きたいですか?」
「え……?いきなりですね。どうでしょ。海ですかね。」
悲しんでいる時、いつか海に連れて行って下さいね。彼女が昔言ってた台詞だった。次の瞬間には最低限の準備を済ませてホテルを駆け出していた。
「行きましょう。今から行きましょう。住所送ってもらってもいいですか?」
「え?急にどうしたんですか?付いてけてないです。」
それもそうだ。何も説明していない。
僕の思いつきだけで行動している。これは、きっとさっき飲んだお酒のせいだ。きっとそうだ。
「近くに来てるんです。サプライズで遊びに来たら、こんな状態で。だから……海に連れ出します。」
「ふふふっ、馬鹿ですね。」
少しだけ明るい声で笑ってくれる。それだけでも、僕は行動したかいがあったのだろう。
直ぐに住所は送られてきて、僕はタクシーへ乗り込んだ。場所を伝えると三十分くらいで着くそうだ。
彼女はこんな状況でも、きちんと待ち合わせしやすい場所を送ってくれていたようで、そこには彼女が立っていた。すぐさま彼女を乗せる。
「このまま、海に向かってもらってもいいですか?」
運転手が少しだけ怪訝そうな顔でバックミラーを覗く。きっと、心中でもしに行く2人に見えたのかもしれない。
「ただ、海を見に行くだけです。想像しているようなことはありませんよ。」
「わかりました。」
僕の知らない街、知らない道を初対面の人と通るのは不思議だ。
「まさか来てるなんて思ってませんでした。」
「僕も伝えていませんでした。」
「驚きましたよ。こんなタイミングで来るなんて。」
「僕もできすぎたタイミングだなって思いました。それなら、海に連れ出す主人公になりきらなきゃいけませんから。」
主人公になりきるとは、些かカッコつけた気もするが今はこれくらいが丁度いい。
「本当に、私もヒロインになった気分ですよ。」
「ヒロインですよ。蘭さんは。」
「そうだといいなあ。」
彼女に何があったのかはわからない。きっと、毎日のように電話しているあの魅力的な男性と何かあったのだろう。それでも、今は何も聞かない。彼女が話したい出すまでは、僕はカッコつけてキザに場を和ませるのだ。
海に着くと料金を払い外に出る。潮風が強く夜はほんの少しだけ肌寒い。
彼女の肩に僕の上着を着せてあげる。こうやって自然にやれば物語の主人公のようだ。なりきれている。
「ありがとうございます。寒くないですか?」
「僕は、少しお酒を飲んでいたので身体はポカポカしてますよ。」
「私も少し飲んでいたんですけど、全て洗い流された気分です。」
「そんな時もありますよね。」
海には何故かいい感じの流木がある。座るには丁度よさそうな、それでいて少しバランスが悪く座る場所に気を遣うようなそんな流木。
僕らはそこに自然と腰を下ろした。
「何も聞かないでいてくれるのが、心地いいです。」
「聞かれたくたい時もありますし、ただ海を見せるだけでもいいのかなって思ってますよ。」
「ふふっ、ありがとうございます。」
月明かりで照らされた彼女の顔は、迎えに行った時より明るく見える。少しは気が晴れたのだろう。
「私、自己肯定感が低いんです。知ってると思いますけど。なのに今日、親から色々言われたのもあるんですけど、私の男の人からお前は僕を利用してるのか?って言われて。何も言えなくて。」
彼女の男の人、彼女は彼のことを尊敬している。人間として好きなはずだ。それでも、お互いと想いが同じ方向に進んでいるとは限らない。少しのズレで喧嘩になってしまうのが人間なのだから。そういった悩みなのだろう。
「私は、愛されたいです。でも、それは人を利用して愛してもらってるだけなんですかね。そこにあるのは、偽物の愛ですか?私のこの想いは愛には繋がらないんですかね。」
ネット恋愛は偽物の愛に思えると考えている僕がそこにいるようだった。全てが偽物に見えて、自分自身さえ偽物な気がして、どこに自分がいるかわからなくなり、自分を否定する。
そんな自分自身がそこにいた。
「偽物の愛ではないですよ。」
僕はきっとこれから、感情に任せて自分が考えていたことと真逆のことを言い出すだろう。
「僕もそう思う時期がありました。いや、今でもそう思ってました。それでも、今日ここに来て思ったんです。愛に形なんて関係ないって。」
ずっと、カテゴライズ分けをしていた。現実で起きる恋愛と、ネットで起きる恋愛。そこにある恋という気持ちは同じなのに、ネットの恋愛は成功確率が低い別れやすいんだなんて、カテゴライズ分けして、だから偽物の愛だなんて思っていたんだ。
だけど、それは違う。今日会いに来るまで僕らはネットの関係だった。それでも、今会ってしまったのだからこれは、現実の恋愛に変わる。ただ、会っただけそんな小さなことで、僕の好きは変わるだろうか。それは、会った愛おしさで好きは増すかもしれない。でも、それはただのきっかけにすぎない。僕の好きは元々あったものなのだから。
「ネット恋愛だろうと、相手に愛を求める形だろうと、愛を与える形だろうと、利益的な形だろうと、そこにはきっと愛が生まれるんです。そこは間違いないと僕は思う。」
「信じていいんですか。その言葉を。」
「信じなくてもいいんです。ただ、そう言っているやつもいるんだってことを知っててもらいないんですよ。」
傷心に付け込みたい気持ちは大きい。でも、僕はそうじゃなく正々堂々といきたいのだ。今じゃない。こうやって海を見ている時ではなく、楽しげな場所で笑いあっている中、僕は彼女の心を奪いに行こう。
今は心の拠り所になれればいい。
「やっぱり、いい人ですね。」
「いい人だけなのが取り柄ですから。」
この時代、距離は関係なくなりつつある。
いつでも誰とでも繋がれる時代に、僕の心は離れていきそうだった。それでも、僕の心が離れていかないのは、恋があるからだ。そこに愛があるからだ。
誰とどんな恋愛をしようが、誰にも文句なんて言う資格はないのだ。それは、もちろん自分自身さえも。
カテゴライズなんてクソ喰らえだ。
前の僕が聞いたら、馬鹿を言ってるなと思われるのだろう。それでも、僕は愛を信じてみたくなったのだ。
この隣にいる彼女の声を聴いて、その横顔を眺めて、僕と目が合う彼女を見たら、信じたくなる。
距離は関係ない時代だ。ビデオ通話で顔だって見れる。それでも、近くで心通わせて見る顔も特別だ。きっとそれは、全てが特別なのだ。
一つ一つなくてはならないもの。
些細なことに幸せは詰まっているのだろう。
「寒いので帰りましょうか。」
「そうですね。帰って寝て遊びましょう。」
「え?」
「せっかく来たのに遊ばないんですか?」
さっきまで、泣き顔を見せていたのに強い人だ。
「私も好きですよ。人として貴方のこと。あくまで人としてですけど、感謝してます。」
彼女には僕の想いなんて筒抜けだったようだ。
彼女の強さに脱帽していると、僕らの視界にタクシーの運転手の姿が見えた。
「待っててくれたんですか?」
「心配だったんでね。寒かっただろ。入りな。」
この世界は愛に満ち溢れている。
愛と距離 髙木 春楡 @Tharunire
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