第十八章
アラストル・マングスタは目を覚ますと白い部屋にいることに気がついた。自宅のそれよりはだいぶ質のいい寝台は少しばかり居心地の悪さを感じる。田舎育ちの彼に
「意外としぶてーな、俺」
まさか生存できるとは思わなかった。
あの怪我でかなりの大声を出していた気がする。あれで失血死しなかった自分はもしかしたら化け物の類いなのかもしれないとさえ考える。
「アラストル、果物は?」
「いや、いい……って、なんでお前が当たり前みたいに病室で俺の世話を焼いている?」
かけられた声に普通に返事をしそうになり、その声の主を見て警戒する。
栗色の癖毛は玻璃の姉、朔夜だ。
「あら? 私がいてはいけなかったかしら?」
悪びれもなく言う姿は胡散臭くさえ見える。あのセシリオ・アゲロの笑みと同じくらいこの女の存在も胡散臭い。
「いや……ただ、お前……敵だろ?」
「玻璃ちゃんの恩人だもの。ほら、早く元気になって玻璃ちゃんに心配かけないの」
あの子凄く喜んでいたのよと朔夜は言う。なんの話かはわからないが、話し方にしろ動きにしろ、朔夜は玻璃の姉には見えない。
「お前、姉ってよりは母親だな」
「お黙り。私が老けているとでも言いたいの?」
一瞬、威嚇するような殺気を感じたように思えたが、笑みは崩れない。
「いや……面倒見がよすぎるからな……いい母親になれる」
そう答え、この女がセシリオ・アゲロの妻だったかと思い出す。しかし、今となってはあまり重要な情報ではない。
「玻璃は?」
生存を喜んでくれていたならそれまでは不安にさせてしまったのではないかと思い、姿が見えないかと部屋を見渡す。
「任務失敗の反省文を書いているわ。と言っても文字を書いているのはジャスパーなのだけど。あの子、文字が書けないからいつもジャスパーに書かせているの。たぶん、本文もジャスパーが仕上げてしまうと思うけど、一応格好だけは罰則がないとね」
朔夜はふふふと笑いながら器用に林檎を剥いていく。
「ジャスパー?」
「玻璃ちゃんの部下よ。紫色の髪の男の子。異国風の神秘的な雰囲気だから一度見たらかなり印象に残ると思うけど、見たことない?」
朔夜はそう口にするが、アラストルに言わせれば朔夜や玻璃でさえ異国風だ。そもそも異国から来たのだから当然だと思う。しかし、朔夜がそう表現すると言うことはどちらとも外見が極端に違うということだろう。
「俺も最近までディアーナとの接触は避けていたからな」
「正しい判断ね。下っ端の下っ端だってハデスの幹部に立ち向かうくらいの子はいるもの。尤も、任務以外の戦闘は自分の身を守るとき以外は禁止だけど」
朔夜は器用に林檎を動物の形に整えていく。
「随分細かい規則だな」
「基本的にセシリオはただ働きが嫌いなのよ。ただ、身内を護ることだけはしっかりするわ。それがあの人のいいところよ」
そういう朔夜はまるで恋する乙女のような空気を醸し出した。
「夫婦関係は良好ってか?」
「悪くはないと思うわ」
良いとも言えないかもしれないと俯く彼女の視線が告げる。
比較対象が身近にないからわからないと言ったところだろうか。
「今までディアーナと戦わなかった理由がようやくわかった」
「あら、興味深いわ」
朔夜はアラストルの目をじっと覗き込む。
鳶色の瞳は玻璃のあの硝子玉に似た瞳とは違い人間らしい色に見える。けれども彼女と同じように偽りを見抜こうとしているように見えた。
「お互い、弱点が同じなんだよ」
そう答えれば、朔夜は「まぁ」と驚きを見せ、それから面白そうに笑う。どうやら心当たりがあるらしい。
「今更、でしょう? 結局男の人の弱点は女よ」
林檎で出来た動物たちが皿の上に並べられる。
「男の人は、女がいないと生きていけないもの」
「……かもな」
納得するのが癪だから、アラストルは窓の外に視線を向ける。病室の窓から見える光景というのはのどかに見えるように出来ているのだろうかなどと考えながら、玻璃と過ごした日々を思う。
「玻璃と過ごした数日間が、妙に充実してた気がする」
一人で十年暮らしたあの朽ちかけた集合住宅の一室がまるで別の空間に生まれ変わったような錯覚があった。華やぐというのとは少し違う。ただ、懐かしくて、この先きっと恋しくなる時間になったと思う。
「ふぅん、そう」
朔夜は少し意地悪く笑った。
「はじめは妹が帰ってきたようだと思っていたがそれもすぐに変わった。玻璃が待ってると思うと、妙に帰るのが楽しみになったりとか、情が移るってこういうことかぁ?」
楽しみ、とは少し違ったかもしれない。ちゃんと無事でいるか不安になって、だらしなくあの長椅子に転がっていると安心する。そんな生活だった。
「馬鹿ね。玻璃ちゃんを泣かせたら許さないわよ」
「お前が言うな。お前らが一番あいつを泣かせたと思うぞ?」
アラストルは天井を見上げる。
寝ている顔の上で泣いていた玻璃の顔を思い出しながら。
「泣き虫なところも嫌いじゃあないがな」
「あなたのそれは家族愛? それとも、あの子を一人の女性としてみてのこと?」
朔夜は少し不満そうに訊ねる。
「さぁな。生憎そういうことには疎いんだ。なにせ、三十過ぎても独り身だ」
自嘲気味に笑えば、朔夜は呆れたように溜息を吐いた。
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