間章



「あの男はなんの過ちか女神の加護を受けてしまったようなので殺すわけにはいきませんね」

 セシリオ・アゲロの言葉に玻璃は驚いたように目を見開く。

「女神の加護?」

 玻璃はあまり熱心な信仰を持っているとは言いがたいが、幼い頃から女神の教えをしっかりと叩き込んでいる。けれども加護などと言われると簡単には信じられないのだろう。

「ええ、あなたの護符を、なぜかあの男が持っていたようです。玻璃、あなたはあれを渡しましたか?」

 訊ねれば、玻璃は首を振る。

 そもそも任務の時にちゃんと持っていたのかさえ覚えていないのだろう。少し前に朔夜がなくさないようにと革紐を通してやっていたのは覚えているが、それでも頻繁に忘れてしまっていたのだから。

「女神の導きかもしれません」

 そんなことはありえないと思いつつ、言葉にする。

 女神があの男を救うなんて、ありえないはずだ。それなのに……そう、女神の加護としか考えられない力が働いてしまった。

「そう?」

「そうでないことを願いたいのですが……」

 玻璃が本当に隠し事をしていないかと観察してみるが、本人に自覚はないようだ。

 それよりも、封じたはずの玻璃の力が戻りつつあることの方が問題だ。

 もしかすると、アラストル・マングスタを救ったのは女神ではなく……封印を解かれたあのおぞましい力の方かもしれない。

 玻璃はセシリオが病室から改宗してきた護符を観察している。血で染まってしまってはいるが、普通であればこれが護ってくれたなどと考えるだろう。玻璃にそんな思考があるかは定かではないが。

「女神様にお礼言わなきゃ」

 玻璃の言葉に驚く。

「お礼、ですか?」

「アラストルを助けてくれてありがとうって」

 女神の存在を信じているかすら疑わしい玻璃がそんなことを口にしたという事実を微笑ましく感じる。

「そうですね。祭壇に花でも供えましょうか。買ってきて下さい」

 まるで幼い玻璃が戻ってきたようだと思い、おつかいを頼む。

 玻璃の美的感覚からして、女神の趣味とは全く一致しない鮮やかな色の花を選ぶのだろうが、それはそれで彼女らしいので花の種類は指定しない。

 玻璃は重大任務に指名されたかの様に力強く頷く。

「それと、アラストル・マングスタはしばらく面会謝絶ですので病室には行かないように」

「はぁい」

 どうやら緊張がほぐれたのだろう。

 玻璃は欠伸をかみ殺しながら返事をし、窓から外に飛び出した。

「相変わらず元気ですねぇ。僕の愛しい養女たちは」

 瑠璃といい玻璃といいどうしてこうも窓から飛び出したがるのだろうかと溜息を零してしまう。

「セシリオ」

 愛しい妻の声に振り向く。

「はい」

「彼、一月ほど入院するみたい」

「そうですか」

 朔夜の言葉に、セシリオはあまり興味が持てないまま返事をする。

 彼がどれだけ長期入院をしようと、セシリオには関係のない話だ。

「玻璃ちゃんは?」

「祭壇に供える花を買いに行かせました」

「そう、どんな花を買ってくるかしら?」

 ふふふと笑う朔夜は、この数日の塞ぎ込んでいた空気がすっかりと消え、それでも大聖堂を破壊された衝撃から抜け出せないのか僅かに顔色が悪い。これは早急に修繕をしなくてはいけない。

「さぁ? 玻璃のことですから月下美人かもしれませんし、蓮の花かもしれません。あの子は感性が傾いているというか……個性が尖りすぎていますから」

 ひっくり返っていない分厄介ですと言えば、朔夜は笑う。

「個性的なのはいいことじゃない」

「それはそうですが……常識の範囲内にして貰いたい」

 頭痛がする。

 予想の範囲を超えすぎた傾き方をしているから考えが読めないのだ。

「水仙の切り花ではないことを祈っておきます」

 女神に捧げてはいけない花に水仙を加えてあるはずだから選んでは来ないだろうと思うが、玻璃のことだ。その場の閃きで気に入ってしまえば水仙を選ぶかもしれない。

「ナルチーゾ伯を思い出すから?」

「いいえ。ですが……玻璃まであれに汚染されては困りますから」

 朔夜の出す名にうんざりする。

 長い付き合いではあるがあの男は養女達に近づけたくない。

 朔夜はセシリオの考えを読んだのか「まぁ」と笑う。

「さて、僕は帰りますが、あなたはどうしますか?」

「彼の入院に必要な物を揃えてあげないと。玻璃ちゃんじゃ上手くできないでしょう? 凄く心配しているみたいだけど、行動が追いつかないのよ」

 正直、朔夜が他の男の話をするのは気に入らない。けれども今回は玻璃が世話になってしまったということもあり、依頼人が死んで依頼が無効になったとは言え、しばらく彼を標的にしていたこともあり中々複雑な心境だ。

「わかりました。早く戻ってくださいね」

 ここで折れなければ朔夜の小言が待っている。

 セシリオとしてはその可愛らしい小言に耳を傾ける時間も嫌いではないが、この数日の朔夜を見てきた身としては大人しく好きにさせておく方がよいと判断した。

「ええ」

 朔夜は微笑んで、それから玻璃と同じ動作で窓から飛び降りた。

「……あなたもですか……」

 どうして養女むすめ達は窓から飛び出したがるのだろうか。

 若さ故のものなのか。

 セシリオは首を傾げながら、店へ続く長い廊下を歩き始めた。














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