アジ・ダハーカの箱

鉄兜被りの助

特別編:竜よ、花よ

ラララ、ラン、ラン、ラララ、ラン、ラン


ランランラン、ラララ、ラララ


ララララ、ララララ、ララ、ラン、




















…………


「うわっ!うわあああ!……ああああ、ああああ?」


俺は叫びながら上半身を起こす。前髪が汗で額にへばりついている。何か……とても、恐ろしい夢を見ていたような。とりあえず起きないと。俺は自分の脚を動かそうとする。


「いてえ!」


両脚に激痛が走った。そしてまったく動かせない。なんてことだ。折れてやがる……それも両脚が折れてやがる!ちくしょう!なぜだ、って、そうだ。思い出した。


この世界を破滅させた災い、人類の天敵……ドラゴン。2003年に突如として出現し、世界各地を覆い尽くした竜どものせいで文明は滅んだ。文化も、歴史も、教育も、倫理も、政治も、産業も、株価も、宗教も、建物も、食い物も、飲み物も、何もかもが失われてしまったんだ。人類の半数以上が死んだって噂も聞く。もはや原始時代に逆戻り、獣の時代の到来ってわけだ。だから奪う。あの日だって、山でコソコソと暮らしてる集落に飲み水を盗みに行った。そこで見つかって、逃げてるうちに崖から飛び降りたんだ。俺は自分が死んだと思ったんだが、ていうか、さっきからなんだ?ここは、ベッド……?


ふかふかであたたかいベッドとブランケットが俺を優しく包んでいた。服も俺のものじゃない。知らない綿の服を着ている。汚れておらず清潔だ。いったいどういうわけなのか、天国に来ちまったのか?天国にしては薄暗いな。光源を探す。あれはランプの灯りだ。人類の発明による柔らかな光。眩属性のドラゴンが放つようなフラッシュの光量でもなければ、蛇属性の、例えば、ドラゴンラミアーの妖しい光線でもない。ここは家だ。いったい誰の……?暖炉がある。薪が静かに燃えている。テーブルがあって、花瓶が置かれていて、そこに生けられているのは百合の花。もっと目線を動かす。あれはキッチンだ。わかった。ここは、まるで、世界が崩壊する前に当たり前に存在していたような、木造の田舎風のログハウスだな。状態はすごく良いようだ。


「おや、起きたのかい。うなされていたようだけど、悪い夢でも見たのかい?」


穏やかな声が聴こえた。ロッキングチェアが揺れている。あんな椅子、さっきまであったか?そこに老婆が座っていた。人間だ!俺は身構える。持ってたはずの銃もナイフもない。


「うん?どうしたいんだい?あたしの顔に何かついてるかい」


老婆は俺に皺だらけの微笑みを投げかける。かなりの高齢のようだ。


「あんたは……誰だ?」


老婆の深く刻まれた皺が優しく波打った。


「おやまあ!忘れたのかい!あたしだよ。行き倒れてたあんたを拾ったのさ。脚を怪我してるから、あたしの家に運んできたってわけ」


……そうか。たしかに、言われてみれば、なんとなくだが、憶えているような気がする。ババアに介抱されてたような記憶もあるような、ないような。


「脚の怪我、治るまで時間がかかりそうだね。ここにはしばらくいて良いから、ゆっくり治すんだよ」


「なんで……」


「うん?」


「なんで俺を助けたんだ?」


「おやおや、こんな時代だからね。あんたがそう言うのもわかるよ。まあね、寂しい老人のただの人助けさ」


「……」


なんとなく記憶がフワフワしてるし、人助けだなんて言われても、ババアの言う通りこんな時代だ。こんな世界だ。飲み水を奪うためには盗みもするし、殺しもした。俺はこんな世界じゃなければ間違いなく死刑だろう。それぐらいのことをしてきて、人助けなんて言われて、「はいそうですか」などと思えるわけがない。何より、両脚が動かねえ。痛みと疑心暗鬼はセットだ。俺は油断しない。脚が治るまでは利用させてもらう。


1日目


起きた。ババアがどこかに行った。とりあえず部屋を見渡した。テーブルには相変わらず花瓶と花。脚はまだ動かない。這ってでも探索しよう。見つからないようにしなければ。幸い、時間ならいくらでもある。とは言うものの、今が何月何日なのかまったくわからないのだが。それにしても、なんだか起きてから奇妙な感じだ。具体的に何がといえば表現し難いが、認識にフィルターがかかっているというか、まるで、夢の中のような……


"逃げろ"


俺はベッドの下の埃まみれの床に書かれた文字を見つけた。ギョッとした。汚く、それでいて見覚えがある文字。そう、見覚えがあるからこそギョッとしたんだ。なんでって、俺の字だったから。俺の字で"逃げろ"と書き殴っている。なんだ?俺が書いたのか?いつ書いたんだ?そして誰に伝えようとしてるんだ?わからない……


2日目


昨日の夜はあまり眠れなかった。脚が痛い。俺が苦しんでると、ババアが鎮痛剤だとかいって錠剤を寄越してきた。怪しいに決まってる!と思ったけれど、昔に……そう、2003年以前にドラッグストアで売ってたやつと同じ薬だった。有名な薬のジェネリック医薬品。今となってはとても貴重で、高値で取引されている。それはマフィアのシノギのひとつになるほどの市場価値だ。なんでも、旧時代のジジイどもほどこういう薬に信仰があるんだとよ。もちろん、期限がとうの昔に切れてるとか、そういうことは関係ない。俺は飲んだ。あまり効かなかった。でも、まあ、ありがとよ、婆さん。婆さんは優しく微笑んでいた。それで俺に何かを要求することもせず、相変わらずロッキングチェアで揺れている。こいつ、本当に気まぐれで人助けしたってのか。年寄りの考えることはよくわからねえ。年齢を重ねると自分の生への執着が薄くなるからなのか。何にせよ、お人好しが過ぎるぜ。俺は犯罪者だってのにな。あんたを襲ってでも他に隠してる薬をパクるかもしれないんだぜ。こんな脚じゃあ難しいんだろうけどよ。


3日目


婆さんが温かいシチューをつくってくれた。よく知らん緑と赤の野菜と、粉末ミルクが入っている。なんてことだ!チーズも入ってやがる!ちゃんとした食事はいつぶりだろう。スプーンですくい、口に含む。温かい。臭くない。虫も入ってない。おいしい。食べながら涙が溢れ出た。そんな俺を見て、婆さんは少し笑ったあと、昔話をしてくれた。2003年に起こった厄災……ドラゴンどもの襲来で、婆さんの夫も、息子夫婦も、孫も、みんな死んだ。婆さんは天涯孤独になった。それ以降は世捨て人のように人里離れた場所で暮らしていたんだと。それが結果的に功を奏したんだろう。ドラゴンは栄えてる場所や軍事施設を優先的に狙うから、なんとか襲われずに済んだんだ。でも、もうトシだから色々としんどいんだとさ。俺の、この、くそったれの動かない脚が治ったら……婆さんの手伝いをして生きるのも……悪くないかもな。どうせ他にやることもないし、生きる理由や目標もない。婆さんは言った。俺は死んだ息子に似てるんだと。だから助けたと。そうだったのか。じゃあ、何か、恩返しをするのも悪くはないはずだよな。俺は犯罪者だが、生きるために罪を犯した。腐っちゃいねえが、罪滅ぼしとも思わない。神はこんな俺をお許しになるだろうか。わからない。婆さんは目を細め、少し涙を浮かべながら花瓶の花を変えていた。立ち上がるときに腰が痛そうだった。花瓶に生けられた新しい花の名前は知らない。教えてもらおう。もっと話をしよう。


4日目


どう考えてもヤバい。あのクソババアは気が狂った。突然、ドアを勢いよく開けたかと思えば、シチューができただとか言って、目玉を……人間の眼球が大量に入った鍋を寄越して、俺に食わそうとした。猛烈な異臭、たぶん、泥と糞尿で煮込んでやがる。俺は吐いた。ババアにぶん殴られた。頬が裂けて歯が折れた。ウソだろ?これが老人の腕力か?なんて力だ。恐ろしい。癇癪を起こしたババアは、俺の両腕を釘でテーブルに打ち付けるとかなんとか言って、地団駄を踏みながらハンマーを探しに出て行った。「教育してやる!」とかいう怒声が聴こえる。言葉にならない金切り声も。たぶん、いや、あいつはマジでそうする。目が完全にイカれてた。なんとか、早くなんとかしないと。いったい何が起こってるんだ。クソ、クソ、クソ!


俺は殴られて朦朧とする意識の中、ベッドから這い出す。芋虫のようにベッドから落ちる。両脚の激痛に身をよじったが、この痛みが今は原動力だ。ちょうど良い。生命を感じる。強い意志を持つことができた。しかし、匍匐前進の速度なんてたかが知れてる。痕跡もあるだろう。這って逃げたってどうせ見つかるし……だから隠れようかとも思った。だがおそらく無理だ。恐怖が、心臓と呼吸が、きっと、ステルス能力なんか殺しちまうだろう。じゃあ、何か、何か、武器になるものは、


「ははは!あんた!どこへ行こうっていうんだい?はは!ははははは!」


ドアが吹き飛びそうな勢いで開かれた。ババアだ。戻ってきたんだ。白髪を振り乱し、右手には血塗れのハンマー、左手には錆びてひん曲がった釘。優しかった面影は完全に消え失せ、微笑みは狂気に支配されているのが誰の目にも明らかだ。いったい、どうなってるんだ。何が起こってる。なぜこうなった。


「悪い子はおしおきしないとねえ!」


ババアは凶暴に笑った。俺は握られたハンマーと錆びた釘を交互に見る。マジでやる気だ。クソが。俺は這って逃げる。逃げる、逃げる。地獄の匍匐前進の開始だ。ババアは空気を引き裂くかのような金切り声をあげ、俺を罵倒し、激しく手足をバタつかせながら近づいてくる。恐怖で精神が汚染されそうになる。どんな戦場よりもここが地獄だろう。間違いない。だが、目指す場所がある。覚悟を決めたんだ。早く、早く。


「おまえはどこへも行くことなんか出来ない!そっちは出口とは反対だよォ!イヒヒ、ヒヒ、ひひひひ」


後ろは見ない。恐怖よりも勇気の方向を見つめる。希望の火が見える。


「……ああ、寒いからな。あったまろうぜ、婆さん」


到着だ。俺は意を決して暖炉の炎の中に手を突っ込む。じゅう、と皮膚が焼け付く音がした。あまりの熱さと痛みに反射的に手を引っ込めそうになる。それでも俺は、雄叫びをあげながら炎に手を伸ばし続ける。そうして火にくべられた薪を一つ掴み取ることに成功し、今!まさに!馬乗りになろうと飛びかかってきたババアの横っ面を、そいつでブン殴った!骨が鳴る音!ババアは叫ぶ!


「ぎえええええ!ぎぎぎ、くそ、ぎ、ぎ、クソガキが!このガキィ!」


燃え盛る薪はババアの顔面にクリーンヒット!砕けて炭と火の粉が舞い上がる!お互いに激しく咳をする!


「ゴホッ、ゴホ、ぐっ、うるせえ!死ね!これでも喰らえ!俺の薪をしゃぶりやがれ!」


俺も負けじと叫ぶ。アドレナリンだ。殺しの感覚がする。脚の痛みも気にせず這いずり、ババアに覆い被さって、燃えている薪でその顔面を何度も何度も殴打する。


「ぎえっ、ぎええええ!ががが」


殴る、殴る、殴る。俺の手が焼けている。薪が砕け散った。今度は拳を握った。痛みは怒りと憎しみと恐怖で麻痺し、左右の拳で打ちのめす。凶器になりそうなテーブルの花瓶には目もくれず、俺は右の拳でババアを殴った。ババアは狂乱めいてわめき散らしている。鼻が折れたようだ。飛び散った火の粉がカーテンに燃え移ろうとしている。それでも気にせず左の拳でババアを殴る。テーブルには花瓶と花。ババアは両手を突き出し、俺のパンチを拒否するが、その俺の目にテーブルの花瓶と花が映る。俺は構わず、テーブルの花瓶と花を見て、


……なんだ?さっきから、テーブルの、花瓶の花が気になって、そんな場合じゃないのに、早くババアをぶち殺さないと、花瓶が、こいつを殺して逃げたら花が、花瓶が、花、花、が、花が花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花




















「殺す」




















"花属性フラワードラゴン"


…………


ラララ、ラン、ラン、ラララ、ラン、ラン


ランランラン、ラララ、ラララ


ララララ、ララララ、ララ、ラン


俺は目を覚ました。


歌声が聴こえる。


奴の声だ。


すべてを思い出した。


すべてはまぼろしだった。これが現実だ。真実の世界だ。冷たく、そして痛い。目の前の土くれには花壇。奴の花壇だ。そこにたくさんの植木鉢が並んでいる。人間でできた植木鉢が。皆、全裸で、男も女もいて、下半身を埋められ、上半身だけ土の中から出していた。その身体はツルツルに剃られており、毛が一本もなく、胸にはスティーブンとかルーシーとかそんな名前が刺青で雑に彫られている。頭は、頭部が、あ、あ、頭は、額の上から頭蓋骨が綺麗にカットされていて、まるでカプセルトイをパカっと開いたように、ああ、ああ、神よ。脳が、脳が、露出している。その脳に花が直接植えられていた。脳に深く根を張る赤い花。花弁も茎も根も全部が真っ赤な、おそろしく、おぞましく、血のように赤い、美しい花が生きた人間の脳に植えられている。みんな、"植木鉢"たちは、目を閉じて穏やかに眠っているようだ。目を見開いているのは俺だけ。俺は目線を下ろした。土だ。よく耕された古い土の冷たい感触がする。俺も下半身が埋められていた。脚がまったく動かない。どこにも行くことが出来ない。胸には身に覚えがない刺青。ジャック。俺の名前だ。


俺は何者かに自分の頭の花を掴まれた。後ろにいる。それがわかった。俺の脳にも花が植えられていることは疑いようもない。だって、もう後ろにいるんだ。そいつの歌声が聴こえるから。そいつが立っている。わかる。存在を感じる。そいつが誰なのか、何なのか、もうわかっている。


"花属性フラワードラゴン"


「ラン、ラン、ラララ、ララ、ラ……おや、起きたのかい?ジャック。うなされていたようだけど、悪い夢でも見たのかい?」


「あ……」


声が出ない。まるで死にかけの魚のように、虚ろな目で口をパクパクさせるだけのおれ。ああ、おれ、あたま、いたい、ひっぱられて、


「くっくっく。よく育ったねえ。そろそろ鉢を替えないと」


ああ、やめ、やめて。


老婆は、いや、花属性フラワードラゴンは、甲高い笑い声と共に、勢いよく俺の脳から花を引き抜いた。俺の脳に深く張った根が、ぶちぶちと音を立て、脳を裂いて千切っていく。脳漿と血液が天高く飛沫を上げる。俺はそのけしきをみている。ああ、きれいだなあ、花が咲いた。真っ赤な花が咲いた。世界が赤い花で満たされる。もっと見たい。赤い、きれいな、きれいな、花を。


噴水のように放出される血液を自分で浴びる。赤い花に満たされた多幸感に包まれながら、俺の世界はそのまま暗転した。


【続く】

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