第62話



 第九階層。それが現在俺達が到達している階層だ。


 第四階層までは複数の通路で構成された『迷路区』と呼ばれるエリアであるのに対し、この第五階層以降は青空と草原が広がる『草原区』と名付けられているエリアだった。

 どうやらこの迷宮は五階層毎に環境が大きく変化するようになっているらしく、第十階層に到達すればまたこことは違う景色を見ることになる。


 ともかく、そんな草原区と呼ばれるエリアの特徴は、外のようにだだっ広い視界に反し、実際に物体が見える範囲は二百メートルから三百メートル程度であるという部分が挙げられるだろう。


 一見するとそれ以上に広がる空間だが、先に挙げた範囲外のものは魔物も人間もそれ以外の物も、全てが一切見えない。正確な範囲までは分からないが、三百メートルが上限だとすると、恐らくはそれよりも少しでも、ほんの十センチ程度でも範囲の外に何かがあれば、それすらも一切見えないはずだ。霞んで見えることすらない。


 単に草原ならどれだけ楽か……しかも今言った範囲というのは第五階層におけるもので、現在の第九階層に至っては恐らくだが視界は百メートルを切っている。

 迷路区と違うのは、限定された道がないこと。そしてこの階層に端があるのか分からないことだ。迷路区のように右へ左へ行く必要は無いが、次の階段までの道のりはただただ遠い。


 純粋に空間が広すぎるのだ。端があるのか分からないと述べたように、この空間は区切りが無い。道を間違え進み続ければ、端に着くことがなく何時までも間違った方向に進んでしまうかもしれない。

 そんな悲劇を起こさないために例の如く地図を購入しているが、果たしてこの地図を作った人間はどれだけの労力を重ねたのだろう。降りてきた階段と、目的とすべき階段の位置関係が分かるだけでも探索はぐんと楽になる。




 そんな第九階層へ俺とルリはやって来ていた。クリスの話を聞いた以上、レベル上げという目的の優先度を更に引き上げたのだ。

 今頃拓磨達は城に行っているはずで、正直色々な理由をつけて面倒臭そうなことから逃げてきたという側面もあるが……とにかく、階段を降りた俺は辺りを見回す。


 風景は相変わらず草原。迷宮内で景色を楽しもうとは思わないが、変わり映えしないのはそれはそれで退屈でもある。

 最も、この階層においては変わり映えしない景色の中でもしっかり目を配らせる必要がある。遠くに見える山のようなものも、太陽も、全ては短なる絵でしかないように動きはしないが、かといって周囲に対する注意を怠れば、いつの間にか魔物が居ることもあるのだ。


 「ルリ、気配は相変わらずか?」

 「……ん」


 そしてもう一つ新しく気づいた特異な要素。それは視界の範囲同様、魔力察知や気配察知の能力も制限されてしまっていることだ。


 今までかなりの距離の魔物の気配を感じ取れていたルリだが、このエリアに来てからというもの俺が魔物を発見するのとルリが気配を察知するのが同時になるようになっていた。

 こちらも具体的な範囲は分からないが、視界範囲と同じぐらいまでしか察知能力は働かないのだろう。


 要するに、気配を感じた時にはもう見える範囲ということだ。


 そのため事前に警戒することも出来ない。


 「じゃあいつも通り俺は右、ルリは左で分けようか」

 「……分かった」


 その対処法として、俺とルリは全方位に注意するのではなく、左右で半分に分ける方法をとった。

 一応全方位警戒程度なら出来ないわけじゃない。だがかなり疲労するのも事実で、それはルリも同じだろう。来るとわかっているものの警戒と、来るかもしれないものに対する警戒。それらは似てるようで異なり、そして後者の方が注意が散漫になりやすい。


 その散漫になる意識を集中させるのが、疲れるのだ。


 それも警戒範囲を限定すれば楽になる。


 二人でそうしながら、俺は地図と現在位置を見比べる。自分達の位置を把握する技術は持ち合わせているが、やはり位置を表す標が乏しいと脳内での位置補完が大変だ。

 一応目印となる木々や植物などが全く無い訳じゃないが……周囲百メートル内に入れる必要があるため、そこから少しでもズレると気付かぬまま通り過ぎてしまう。


 方向感覚と距離把握能力が物を言う階層だ。


 ちなみに魔物との遭遇時はどの階層であれ俺達の対応は同じで、出会ったら逃げずに戦闘が基本である。

 そのため俺は視界の先に突然現れたそいつを見て、地図をしまい剣を引き抜いていた。


 第五階層にはヤテベオと言う木の魔物が存在していたが、草原区に居る魔物は多足生物とも言うべき存在が多い。

 ヤテベオが根のような無数の脚を動かしていたように、今目の前から迫り来るのはムカデのように体が細長く脚を沢山持つ生物だ。あくまで『のような』生物なので、ムカデとはまた違うが。


 無論、魔物が単なるムカデであるはずもなく、そいつは長さが五メートル程度はある。

 地を這ってはいるが、地面から背中までは俺の胸辺りまであり、ルリでは頭が隠れてしまう程だ。


 つまり大きい。とにかくそれだ。そしてそのワサワサと動く脚でかなり速く移動してくる。こちらのことを完全に見つけているようだ。




──────────────────────────────


 種族名:クリネオス

 性別:メス

 レベル:65


 《パラメータ》


 ・

 ・

 ・


──────────────────────────────




 [鑑定]で見たところ、こいつのレベルは65。この階層ではレベルのブレ幅の下限に位置している数値。


 初めて戦うわけでもなく、既に何体も倒しているため初見ではない。こいつは背板を特殊な体液で覆っていて、それに素手で触るとそれだけで体全体に痺れが走るかなり危険な生物でもあり、これまで毒を使う魔物は見なかったのでこのムカデ的な魔物が初めてだ。

 種族名は『クリネオス』。背板の体液もそうだが、口からは酸を吐き出してくるためそちらも注意しなければならない。


 即死級では無いものの、金属や皮膚を溶かす攻撃は危険極まりない。


 「……トウヤ」

 

 それを見て後ろでそっと俺の袖を握ってきたルリに、顔を向ける。ルリが恐れるような相手じゃないはずだが、それはそれとして嫌なものは嫌なのだろう。男の俺でも嫌なので、女の子のルリにはもっと嫌なものに見えているに違いない。


 「ん、任せろ。ルリには近づけさせないから」


 そして幼い女の子に縋るようにされたら、男としては何がなんでも守ると意気込んでしまうものだ。

 特にルリは俺にベッタリと言っても良い。そして俺はルリにかなり甘い。ならば守りたくなるのも当然の話。あとかっこいい所も見せたい。


 故に俺は、剣を片手にクリネオスへと突撃する。ルリと近いところで戦うなんて言語道断だ。

 接近する俺に、クリネオスは体を持ち上げ威嚇する。体の下側である腹部が見えるその体勢は脚の付け根も見えてかなり気持ち悪く、俺はそのまま横へと回避行動をとった。

 

 見るに堪えなかったから、という理由ではない。クリネオスの口から吐き出される薄青色の液体を避けるための行動だ。

 それは空中で半円状に広がりながら、やがて地面へと降り注ぐ。接触した草地は瞬時に煙を上げながら溶け始め、その下の土すらも溶かす。


 もちろんここは迷宮なので、これらは全て自然の草や土ではない。そのため恐らくは勝手に修復されるのだろうが、それはともかくとして、あんなものに触れたら皮膚が爛れかねないので大袈裟に回避する必要がある。

 しかし、魔物の攻撃なんていつも致命的なものだ。防御が難しいだけで、あとは普段通り対処するだけでいい。


 攻撃を避けられたと悟ったクリネオスは、俺を体に近づけさせないようどうにか俺の方に頭を持ってこようと移動し、そしてそのまま突進してくる。

 やはりかなりのスピードだ。ムカデとは言っても先程述べたように巨大。この速度で当たればかなりの衝撃で、しかも最悪下敷きになれば、当然下側、腹を覆う腹板にも神経麻痺を引き起こす体液が分泌されている。


 体はたちまち動こかなくなり、一気に捕食し殺されてしまうだろう。


 それは困るので、轢かれる直前に俺は紙一重でクリネオスの突進を回避する。速いは速いが、速度に限っては俺の方が魔物よりも速い。

 横を通り過ぎようとするクリネオス。俺はその体節の背板と背板の隙間に剣を差し込み、突進の勢いを踏ん張って殺しにかかる。


 流石に五メートルも全長のあるクリネオスの突進を簡単に止めることは出来ない。だが勢いに逆らうように地面に足を擦らせ続ければ、レベルが上がったことで強化された筋力もあり、次第にクリネオスの動きが止まる。

 剣の方が折れる可能性も見えた気がしたが、それは現実にならずに済んだわけで、俺はグッと剣を握る手に力を込めた。

 

 あまりグロテスクなやり方は俺も好きじゃないが……仕方ないと、次の攻撃が来る前に力に物を言わせクリネオスの体を一気に両断し引き千切った。


 顎肢含めて前から六節。そことそれ以降の体節を分離させられた、クリネオスは口から先の液体を撒き散らしながら悶絶する。

 そして分離した後ろ側の体もまた悶えるように体をくねらせており、両方の切断面からは薄青色の液体と似たような体液が噴出し始めた。


 しかしまだ死なない。生命力が高いというか、正直これは殺すためのダメージという意味では、皆無では無いもののかなり影響は少ないものだ。

 何故なら───と、視線の先でクリネオスは無くなった体を、切断面から肉を押し出すようにする。


 その際に響く生々しく恐ろしい音。体の内側から新たな体を、脱皮でもするかのように作り出すその行為には、吐き気を催さざるを得ない。

 この再生能力は元々体に備わっている能力らしく、特にそういうスキルがある訳でも魔法を使ってる訳でもない。


 とはいえ、このまま戦闘を継続されたらジリ貧なのは確かでも、この再生はクリネオスにとって奥の手。

 怪我を負わなければ使えないし、使ったとしても、見ての通りそちらに意識を向けるために大きな隙に繋がる。


 完全に再生しきるまでおよそ十数秒。それだけの間、クリネオスは文字通り無防備となる。


 それだけの間、俺は自由に攻撃できる。


 悠々とクリネオスの横を歩み、頭の傍に近づく。生存本能によって全ての物事よりも体の再生を最優先してしまうクリネオスは、俺に意識を向けるだけのリソースを残していない。


 故に、明確な殺意を向けられても体の動きを僅かに硬直させる程度の反応しか出来ない。


 剣を指先で回転させながら頭上に持ち上げ、逆手に持つ。

 脚で体を持ち上げられず、再生による体の痙攣で地べたをのたうち回るクリネオスの頭に、俺はそのまま剣を振り下ろす。


 硬い外骨格で守られた頭を剣の切れ味ではなく膂力で押し砕き、ギチギチとした音を立てながら剣が地面に突き刺さった。

 まるで縫い止めるように、地面に剣で固定されたクリネオスは拒絶反応で先程よりもより不規則で奇怪な痙攣を繰り返す。


 しかしそれもそう長くない。やがて忙しなく動いていた脚は動きを止め、頭から尾にかけての全ての体節は、静かになった。



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 次回は明明後日辺り!!(簡潔)

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