第17話


 鬱蒼とした木々を避け、足首ほどまでの地味に邪魔な草を踏み分けて、進む。こちらの方角にゴブリンが居るはずなのだ。

 この世界ではそれ系統のスキルでもあるのか、やたらと生物の気配がわかりやすい。


 気配……なんて言えば酷く曖昧だが、簡単に言えば『なんとなくこっちに居そう』という勘だ。

 それがこの世界では、ある一定距離内だと確実と言ってもいいほどに分かる。あ、ここに人がいるなとか、歩いてるなとか、そういうのが理解出来てくるのだ。


 実際、一週間ぶりの[鑑定]を使用して見てみれば、見覚えのないスキルと共に[気配察知]なるものも追加されていた。恐らくはこれのお陰なのだろう。取得したのは何時だろうか……多分四日目か五日目辺りだと思われる。


 ともかく、片手に剣を構えた状態で進めば、分かる。この先に、居る〃〃


 木々の間を静かに進み、目を凝らして……見つけた。



 ───緑色の、思った以上に醜悪な見た目をした小人のような存在。



 なるほど、ゴブリンだ。ゴブリンは元々どこの伝承だったか、ヨーロッパとかそっち系統な気がするが……この見た目ならゴブリンとしか言いようがないだろう。名付けたやつは地球出身だろうか、それとも実は地球と変な類似点があるとか。


 身長は1メートルと少し程度。手足も細く短く、鼻が尖っていて、耳が横に伸びている。微かに漂う悪臭はこの小人が発生源なのだろう、緑色の皮膚は汚れが付着していて、不潔だ。体を洗う習慣が無いように思える。

 そんなゴブリンは、小さなナイフのようなものを手に持っており、それを持ちながら軽快に木登りをしていた。何やら視線の先には、赤い木の実があるらしい。食料かなにか、あれを狙っているのだろう。


 Aボタンを押して前転で木にぶつかって振り落としてみたい気もするが、確実に痛いだろうし止めておく。どうする、まずは一度この場で倒してみて、改めてゴブリンを探し出してみんなの場所まで連れていくか。


 取り敢えず目の前で実践して見せてやった方が、戦いやすくはなるだろう。だが先に俺が余裕を持って戦えるかを知る必要はある。


 何にせよ、こいつを落としてみるか。まだこちらには全く気づいていないようだし。


 それに、今は便利な力もある。遠距離はお任せあれと言わんばかりのものが。


 「『氷矢アイス・アロー』」

 

 滑らかに、かつ静かに魔力を巡らせて、俺は魔法を発動する。


 戦闘中では使えない可能性がある魔法も、こうして完全な奇襲状態なら普段と同じようにするだけ。俺の横に氷で出来た矢が生成され、微かな冷気を放つと共に、俺の意思でヒュッと射出される。


 最初はただ火を発生させたり、水を作り出したりという本当に出すだけの魔法だったが、今となってはこのように矢を作り出して、それを自分の意思で飛ばすことも簡単だ。


 狙いはゴブリンのすぐ近く───高速で射出された矢を、ゴブリンはまるで感知できなかった。


 『───ギ?』


 言わば、威嚇射撃。氷の矢はゴブリンを掠めるようにして木に当たると、そこが徐々に凍結し始める。


 『ギギャッ!?』

 「……!」


 矢ではなく、凍結し始めた木に気づいて慌てて跳ねるように飛び降りるゴブリン。その行動とほぼ同じタイミングで、俺はその場から一気に駆け出した。


 ザッと背後で草が揺れる。葉が舞う。50メートル走5秒台とか、そんな比ではない。


 ゴブリンはその速さに───ついて来れない。恐らく俺のこともまだ認識していないだろう。


 「フッ……!」


 狙うは落下途中のゴブリンの首。思考が活性化して酷くスローになった光景の中、狙う位置が俺の肩ほどの高さであるのを確認してから、剣をそこに突き刺した。



 ───グチュリ。



 少し硬くて、その下が柔らかい、肉を抉るような感触と、耳に届いてくる生々しい音。でも手は緩めない。

 しっかりと息の根を止めるために更に深く突き刺せそうとすれば、奥にあった先程までゴブリンが登っていた木に、貫通した剣がぶつかる。まるでゴブリンを縫い付けたかのように。


 『ギッ……ギ………ィッ……』


 何かを言っているのか、喉を潰されながらも微かな声を漏らすゴブリンだったが、グググと自身の喉に突き刺さった剣を掴む手も、バタバタと暴れていた足も、数秒と経たずに重力に引かれ垂れ下がった。


 死んだように見える……だが初めてのことなので念には念を入れて、先程放った『氷矢アイス・アロー』を再度発動した。

 しかし頭に向けて撃ってみたがなんの反応もなく、刺さった箇所が凍結していくだけ。


 例え生きていたとしても、頭に矢が刺さってなお生存できはしないだろう。


 確実に死んだ───そう判断する。


 魔法を解いてからゆっくりと剣を引き抜けば、支えを失ったゴブリンは地面にドサリと重い音を立てて落ちた。人間とは違う、皮膚と同じ緑色の体液がゆっくりと広がっていく。


 戦闘が終わった。初めての戦闘を終えた。


 「……ふぅ」

 

 それを確認して、戦闘中は止まっていた息を、ゆっくりと吐き出す。だが動悸がする訳ではなく、体は驚く程に平常だ。


 ───特に、何も無い。見ていて気持ちがいいものでは無いが、かといって目を逸らさなきゃいけないほど吐き気がする訳でもない。

 顔は顰めるがそれだけ。思ったよりもあっさりと死んでしまったゴブリンを見て、安堵があるだけだ。


 罪悪感はあるだろうか。生物を殺した気持ち悪さで吐くことはない。そして気持ちも、波がない。

 それでいいんだろう、多分。この世界ではそれでいいんだと、俺は思うことにした。


 けど、客観的に『あぁ、これはアイツらには辛いかなぁ』とは考えたり。


 ともかく、このパラメータがあればゴブリンに後れをとることはまず無いと言っていいだろう。なら誘き出して倒すことも十分に可能なはず。


 「取り敢えずは、オッケーなんだろうな」


 一言呟いて、早速近くにいるであろう次のゴブリンを探しに行こうとするが、ふと鞘にしまう時に剣に付着した汚れを見る。

 その前に、この汚れた剣を綺麗にしなければいけないか。


 「『水よ』」


 水球を空中に作り出し、そこに剣を突っ込んで大雑把に血を流し落とす。以前はこの水球の中に指を入れ引き抜くと、指には水が付着していたが、それもしっかりと『水は指定範囲外には出ない』というようなイメージを持って魔法を使えば変えられることに気づいた。

 その分多少魔力操作の工程が増えるものの、剣を水球から抜いても水は付着してこない。


 ようは、水で濡らした後にしっかりと拭き取った状態だ。剣に血が付いた場合の手入れは知らないが、少なくとも放置していいものじゃないはずだ。

 かといって血を拭く布も水を拭き取るものも無いわけであるし、そういう時に融通がきく魔法というのは本当に便利だなと。


 これで一連の動作は終わる。死体は今のところどうしようもないし、グレイさんからも何も言われていないので、そのままにしておこう。


 そうすれば、改めてゴブリンを探し出せる。既に三分ほど経っているので、待たせると心配させてしまうだろうし、少し急ぐとしよう。




 ◆◇◆



 視界には木々。それが後方から前方に流れていく景色。そして背後の木々を避ける時に、僅かに見えた緑色の影。


 タッタッタッタッ───軽やかな音を立てながら後退しつついれば、背中が一気に開けたような感覚があった。

 

 「刀哉君!?」

 「よう、さっきぶりだな」


 すぐにそれが元いた場所だと把握出来たのは、その声のお陰だろう。剣を構えながら後退している俺を見て、向こうも同時に、今戦闘中であることを理解したはずだ。


 けれど安心してくれと、余裕であることを表すために口調を乱さずに答え、手元でクルンと剣を回す。


 少し遅れて、緑色の小人ゴブリンが、先程まで俺が居た場所から出てくる。


 予定通り、誘き出すことに成功したのだ。俺に気を取られていたのも一瞬、叶恵達は直ぐにそちらを見た。


 「あれが、ゴブリン……?」

 「うわぁキモい……」

 「夜栄、平気なのか……!?」


 声の順に叶恵、神無月、雄平で、槐ちゃんと甲田は声も出せないでいる。というか叶恵も神無月も思ったよりは余裕そうだ。ただ、思いっきり引くようなポーズをとっているが。


 グレイさんは、特に行動はせずに黙っている。対するゴブリンは、いきなり人が多い場所に誘い込まれたと気づいたのか慌てて逃げ帰ろうとするが、それを俺は許さない。


 何のためにここまで誘き出したと思っている。


 「『石壁ロック・ウォール』」


 逃亡の仕草をするより一足先に、手を地面につきながら、流れるように魔法を発動する。


 ゴブリンが逃げようとした方向、その道を塞ぐように、突然地面からグググッと、だが素早く石の壁が出現した。

 もちろん石は魔法産だ。別に地中の層を持ってきた訳では無いが、イメージの都合上手を当て、そして地面から出る方がやりやすいのだ。


 戦闘中、とは言っても今のは予め予想していたことであるし、思考は一度も冷静さを失ってはいない。先程のように奇襲ではなくとも、十分に魔法を発動はできた。


 「嘘っ、何今のかっこいい!」

 「や、夜栄君……」


 神無月と、もう一人は槐ちゃんだ。両者正反対の反応だが、ともかくゴブリンは壁を回り込んで逃げようとするが、先へ先へ壁を作ってやる。


 魔力が割と減っていく。まだまだ連発はできるが、体から何かが消えていく感覚は、やはり気持ちのいいものでは無い。

 

 『ギッ……ギギャッ!』


 やがて逃げるのは諦めたのか、逃げ道を潰されたゴブリンはこちらを向く。


 その手にはやはり刃物。そして向けられる、殺気。


 明らかに俺を殺そうとしている目は、自暴自棄にも見えなくはない。しかしその殺気は、高校生には耐え難く、あくまでそれは目の前にいる俺にだけ向けられているのに、叶恵達は少し後退りしていた。


 殺気というのは、向けられれば誰でも気づく。絶対に殺してやるという意思は、慣れてない奴なら例え力量差があっても思わず身体を竦ませてしまい、動かなくなるだろう。

 

 「……大丈夫、ゴブリンは強くない。今から証明してやるから」

 

 その恐怖を少しでも取り除くように言うが、残念ながらゴブリンの方は俺が最後まで喋り終わるのを待ってはくれない。ナイフのような刃物を振りかぶって攻撃してくる。


 その攻撃は、やはり遅い。当然比喩ではあるが、あくびが出てしまうほどに。

 余裕を持って、そして敢えてゆっくりとした動きで回避し、刃物を向けられながらも俺は平常心で解説を加えた。


 「いいか、こいつらの動きは俺達ほどじゃない。もちろんいつも戦ってる騎士さんとは比べることすら出来ないほどに、動きが鈍い」


 その言葉を示すように、相手の攻撃はことごとく外れていく。俺は対して、一歩二歩と歩くように避けているだけ。


 「地球の頃ならともかく、今ならちゃんと、ゴブリンの動きが見えるんじゃないか」

 

 ゴブリンも、少なくともこの世界に来た頃の俺たちと比べれば戦闘慣れしている。ギャッギャッと小刻みに鳴きながら、ステップを交えて鋭い突きを放ってきたり。

 しかし俺は、防御や回避を織り交ぜて対処する。危うげなく、不安なんてかき消すような力の差を見せつけていく。


 きっと叶恵達にも、見えているはずだ。ゴブリンの動きも、俺の動きも。

 このゆったりとした、ちょっとの動作であれ、ゴブリンの攻撃を避けることが出来ると、認識していくはずだ。


 叶恵でも多分、ドジを踏まなければ出来る動き。この世界で強化された身体能力なら、恐らく余裕だろう。


 ゴブリンの攻撃をガードしてから、剣ごとガッと弾き返す。ゴブリンはそこまで膂力もない。だから十分に押し返せるし、体が軽いからそれだけで腕が外に流れてしまう。


 そしたら十分に反撃は可能だ。至ってシンプルな動き、真似するだけなら誰でもできるように。


 明らかに斬る体勢に入った俺を見て、その瞬間魅入っていた叶恵達はすぐにそれの意図に気づいた様子。


 「しっかり見ててくれ」


 言葉が先か、行動が先か。少なくともそれで、顔を背けようとした叶恵達の動きは制止出来たようだ。


 袈裟懸けに剣を振り下ろす。ゴブリンの皮膚はそう硬くはなく、骨も脆いため、俺が振るえば、その一撃だけで致命傷となりうる。


 今度はそこまでの手応えはなく、代わりに何だか液体に濡れたような感触。


 肩、胸、脇腹と剣が走り抜け、傷口から緑色の血液が湧き出た。

 顔にかかるほどではない、あくまで流れるように出てくる血液。ゴブリンは僅かに硬直した後、背中から地面へと倒れた。


 中身を晒すようにざっくり抉られた傷口は表を向き、そこからドクドクと血が溢れ出す。


 「っ……うぁっ……」


 声を漏らしたのは雄平か。いや、声を出すだけまだ良かったのかもしれない。

 声を出せていないやつはつまり、もう限界に近いだろう。女の子が口元を押さえて顔面蒼白になるのは好ましくないし、そのまま戻してしまう光景も嫌だが、幸いにして誰も吐かなかった。


 一応全員が全員、自分の意思で参加しただけはある。その分多少なりとも覚悟はあったのだろう。


 先程と同じように剣を洗い流しながら、それをしまって、五人の元へ。


 「……大丈夫か?」

 「と、刀哉君……うん、私は、何とか」


 意識してトーンを落としながら声をかければ、叶恵は、顔色を極めて悪くしながらも、返事をした。背中をさすってやりたいかま、だがここでは吐きたくないだろうということで、それはやめて置いた。

 それに、頑張って耐えようとしているのだ。その気持ちは今は大事だし、変に吐けば弱気になってしまう可能性もある。


 他の四人にも、同じように俺は声をかける。わざわざ見せといてあとは知らん、なんてことは流石にできない。


 「……夜栄は良く平気だな」

 「顔に出さないように気をつけてるだけだ……平気か?」

 「……ふっ、俺がこの程度で………うっ……」


 途中で口は押えたが、雄平はどうにか堪えた。


 「………やらなきゃ行けないことなんだろ? この程度、造作もない」

 「今はその強気が役立ってるようで何よりだ」


 厨二病も役に立つらしい。本心ではそりゃ辛いだろうが、プライドというか、その厨二心で精神を保ってる感じか。

 この中で俺以外の唯一の男、だからこそというのもあるかもしれない。女子の前で恥ずかしい姿は見せたくないだろうし。


 「き、気持ち悪い……」

 「神無月……大丈夫か?」

 「ん……と、刀哉クンが撫でてくれれば、平気になる、かも……」

 「大丈夫そうで何よりだ」


 神無月は見るからにへばった様子を見せたが、冗談を言うだけの余裕ぐらいはあるようで、大丈夫そうだ。流石にクラスメイトの頭を撫でる気にはならないのでそこはスルーしておく。


 見るからに不満そうな顔はしてたが。冗談じゃなかったのなら、なおスルーして正解だったのだろう。


 最後の二人も、しっかりと声をかけて。


 「槐ちゃんと甲田も……甲田は辛そうだな」

 「………ご、ゴメン、なさい……」

 「謝る必要は無い。むしろ女の子に無理やり見せた俺の方が悪いな。槐ちゃんも」

 「ううん、私は平気だよ。夜栄君こそ、大丈夫? 怪我とかしてない?」

 「ありがとう、けど平気だ。無傷だから」


 甲田は大人しめの、図書室で本でも読んでいるような子なので非常に辛そうだが、それでも耐えてくれていた。辛そうにしながらも、必死に押さえている。

 槐ちゃんのみ、意外にもこの中で一番平気そうだ。ゆるふわ女の子という印象があり、あまりこういうのには強くないと思っていたのだが、俺の方を気遣う余裕も見せてくれている。

 それでも顔色は悪い。虚勢とまでは言わないが、多少なりとも刺さっているはず。


 多分他のやつも、全員が全員こんな風に壁を乗り越えなくてはいけない。いや、そもそもまだ壁すら乗越えていない。ここから更にゴブリンを倒さなきゃいけないのだ。


 立ち上がって、今まで黙って周囲の警戒をしてくれていたグレイさんに、俺は話しかける。


 「グレイさん、少し休憩をお願いします。そしたらまた、続きを」

 「……良いのか? 随分と皆辛そうに見えるが」


 流石にこの状況で続けるのは酷だと思ったのかそう返ってくるが、俺が答える前に、叶恵達が自主的に返事をする。


 「へ、平気です」

 「……俺も、まだ大丈夫です」


 強がりなのは明らかだが、まだ終わっていないのも確か。俺だって本当に無理そうならグレイさんにそこのところを言っているが、驚くことに皆、まだやる気を喪失させてはいない。

 だから続行。今度は友人として、クラスメイトとして。心配はしているが、今が一番乗り越えることが出来る機会でもあるし、何よりこいつらも、この一週間程度の生活の中で、俺が知る以上に精神的にも成長がある。


 ここは信頼も交えていいところだ。


 だから、判断した。


 「……ということです。見ているのは決して気分がいいものじゃないとは思いますが、今を乗り越えれば、少なくとも最初の試練は超えたことになると思いますから」


 改めてお願いする。グレイさんとて、こちらが勇者であるという以上に、まだ子供と言っても差し支えない俺達がつらそうなのを見ながらも続行させるのは、あまり精神的にも良くないだろう。


 だがそれでも今は、続ける。一番辛そうな甲田ですら頷いているのだ。あとは俺がむしろ背中を押す───いや、引っ張るべきだ。


 クラスメイトとしても、彼らの友人としても。


 グレイさんは数秒考え込んだが、ゆっくりと頷いてくれた。

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