第5話 努力

 好きな言葉、あるいは座右の銘と聞かれたとき、学生時代は「努力」と答えていました。努力することが好きなわけではなく、物事を解決するには努力しなければならないと思っていたからです。


 学生時代に信じていた言葉は、「努力は人を裏切らない」「努力は必ず報われる」でした。何をするにしても、結果はすべて努力によるものである。うまくいかなかったのは努力が足りなかったからだ。努力さえすれば、頑張ればきっとうまくいく。

 未熟な人間だし自己肯定感も低いから、とにかく成功するには自分が頑張るしかないのだと思っていました。部活も勉強も、いっぱい努力して練習すればきっとうまくいく。上手にならなかったり思うような成績が取れないのは私の努力が足りないからだ。そう信じてひたすら愚直に頑張っていました。


 何かを得るために、努力は必要なものです。何もしなければ事態が好転することはない。それは確かにそうだけど、でも努力が必ず報われることはないし、どんなに頑張ったってうまくいかないことはあります。

 学校のテストでも、就職試験でもいいけど、定員があって倍率がある。勝者、敗者と呼ばれるシステムがある。今回合格しなかった人が努力しなかったかといえばそんなことはないし、努力だけですべてが解決するわけでもなく。それがわかってから、座右の銘は努力ですとは言えなくなりました。


 私は就活に一回失敗しています。元々は裁判所で働きたくて、でも試験通らなくて、公務員なら何でもと片っ端から試験を受けていきました。でもまあ、そういう理由や信念のない人間だと見透かされたのかもしれないし、人物試験ってものに適応できなかったせいかもしれないし、私はことごとくの試験に落ちました。

 人物試験って難しいですよね。紙の勉強と違って「これが答えだ」というものがないんです。だからどう努力するのが正しいのかわからなかったし、人間を見た上で不要だと落とされてしまったら、それはもう努力とかでは解決できないんじゃないか? とか。無論人物試験に落ちることは人間としてダメとかいう意味ではありません。相性が悪かっただけ。巡り合わせだよと今は思うようにしてます。


 そういう、机に張り付くような努力だけでは人生どうにもならない。努力は必要だけどそれだけですべてが解決するわけではない。学生時代は努力でなんとかなったことも、社会では通用しない。じゃあ何をすればいいんだよって話でした。


 たぶん社会人になって、結構いい加減でずるい大人も見て、まっすぐ正直にいることだけではうまく世の中渡り歩けないと知って、理不尽に憤慨しながらも戦えなくて。私の社会人経験は豊富とは言えないけれど、それでも現代社会に辟易したりうまく折り合いをつける方法を探したりします。

 常に100%の力で頑張ることはやめました。他人がやらないなら自分が全部やらなきゃってのもやめました。お上手な上司に手のひら返されたりするので。不正やズルをするのではなく、与えられたことを淡々とやること。余計な気遣いはいいように利用されるだけ。ある意味ではうまく生きていくために努力、してるのかもしれないですね。


 努力と責任、向上心。人生でこれが大切だと思っていたけれど、強すぎる責任感は身を滅ぼします。自分を追い込みすぎて壊してしまう。そのあたりの「手の抜き方」がわかり始めているから、今までよりは気楽にお仕事ができます。失うのは職くらいのものだ、と思いながら反骨精神バリバリでお仕事してます。頑張りすぎることはやめてもクソ上司に対して皮肉のひとつも叩けないのはやってられないから。

 だから今、座右の銘はなんですかと言われると、これになってしまうのかもしれない。


 死ぬこと以外かすり傷。

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