第3話

 称号を持つ者の精神は破綻していると言う学説は、世界的にも有名だ。ましてや唱えたのが【万能】と呼ばれる称号を得たヴィンセント・ロマノフであれば、真偽は兎も角、信憑性が高くなるのも頷ける。


 しかし、実のところ、これが学説などと仰々しいものではないことを称号持ちは皆、理解している。称号とは神々がきたる試練に向けて人に与えるギフテッドであれば、その人生は波乱に満ちて、精神なんてものは嫌でも破綻していく。


 日本は、その辺り外国と比べると穏やかな方だ。何せ最もマシな事例が気が乗れば自殺を試みる程度で、最悪な例が目的の為の手段に日本中の人間を燃料にしようと試みる程度なのだから。


 ひるがえって見て神子はどうであろうか。最新の称号持ちにして、まだ幼い少女。その精神は既に壊れているのか。しばらく過ごした光にもそれはわからない。


「ハハハ!ハハハハハ!ハハハハハハハハ!噂通り大変可愛らしいお嬢さんだ!!」

「なーに、この人。うるさー」


 眠たそうな半目で煩わしそうに首を振る。動きに振り落とされないように、黒蜥蜴のアスが器用にへばりついているのが可愛らしいが、神子の機嫌は最悪だ。朝食を終えた後に五月蠅まおういのがいなくなり、柴犬のノラを枕に再度気持ちよく寝ていたら、暴風の様な男が笑いながら入ってきたのだ。並みの子供ならば泣いている。


「太陽、あまり騒ぐな。そいつは寝不足なんだ」

「それはいけないな、子供は寝て育つものだ、ゆっくり眠るといい、お嬢さん」


 よく見れば目元にうっすら隈が浮かんでいた。


「環境の変化によるストレスかな?安心するといい、この魔王ロリコンがいる限り、君を脅かすものなどいないさ」

「今、お前がそいつの安眠を脅かしてるんだけどな」

「ハハハ!私がお嬢さんの睡眠を脅かすなど!そんなことがあるわけないだろう!!」

「うるさーい、それに


 不思議なことを呟いて、少女は眩しそうに目を細めた。まるで空に浮かぶ日輪を見た時の様に、今にも手で目を覆い隠さんばかりだ。


「何かが見えてるんだろう」


 称号と一言で表しても、その種類は多岐に渡る。戦闘に特化したもの、知覚を拡張するもの、脳機能そのものが変質するなどものもいる。神子称号はアーカイブにも記されていないが、知覚系統かあるいは副作用で常人には理解できない何かを見聞きするのだろう。


「眠れないのも、それが原因でしょう」


 執事服の眷属は少女を抱きかかえた。よくわからないものが見えて聞こえる。それは自らの意思ではどうにも出来ず、耳や目を塞いでも防げない上に他人から理解もされない。そうした積み重ねはストレスとなって彼女をさいなむ。


 状況は違えども称号持ちならば、誰もが通る道と言っていい。神の試練などという大それたものではない。そもそも神々は試練など与えない。愛おしい自らの子供を傷つける様な真似など、あり得ない。


 ただ単に神々が、人間の脆弱性を理解できないが為に起こる行き違いだ。


「しかし、こればかりはどうしようもないからな。私はいつでもお嬢さんの味方ではあるが何も出来ない!情けないことだ!」

「そもそも今寝れないのはお前が発端だよ、声抑えろ」

「ハハハ!確かに!」


 不機嫌な神子を傍目に笑う。嬉しそうに、何かを懐かしみ、惜しむ様にして。一頻り笑った後、セーレの後ろに隠れてしまった少女に、高さを合わせて笑いかけた。年齢には不釣り合いな程、大人びた少女。自分達と同じようにこれからの未来、称号に振り回される事になる後輩に。


「お騒がせして申し訳ない。私はこれでお暇させて貰おう。勝手ながら、会えて嬉しかった」

「……ふーんだ」

「ハハハ!嫌われてしまったかな。これはいけないな、私としたことが!」


 そう言って騎士は静かに立ち上がる。


「光、邪魔したな。おフロイラインさん、お元気で。色々迷惑を掛けたことだ、ついでに外の掃除をさせてもらえないだろうか?」

「勝手にしろ、武器ならどれでも使え」

「ハハハ!それでは――――さようなら」


 そう言って部屋を後にしようとした、その時。


「ねぇ、死んじゃうよ?」


 神子の口から出た言葉は、称号持ちの中で殺しても死なないことに定評のある騎士には不釣り合いなものだったが、誰にも理解されない何かを知覚する少女が紡ぐ言の葉は決して軽いものではない。あるいは予言と呼べるのかも知れないそれを桐原太陽は「ハハハ!」と笑い飛ばした。


 戯言だと受け取ったわけではない。愚かだと馬鹿にする訳でもない。神の子が言うのなら、きっとそうなのだと納得して尚、笑うのだ、この男は。死なんてものは彼にとっては隣人だ。殺されても死なないからと言って、死なない訳ではないのだと自分が最も理解している。


「忠告感謝する、ありがとう」


 私の命を惜しんでくれて。


 そう残して彼は部屋から出て行った。


「神子様、眠れる様に飲み物でもいかがでしょうか。あと三十分もすれば、騒音も少しはマシになるでしょう」






 太陽は静かに扉を閉めた。つい先程、誤って吹き飛ばそうとしてしまった、世間から魔王城なんて不釣り合いな名で呼ばれる建物を見る。平穏が長く続かないことなど、誰もが知っている。だからこそ大切にしてほしい。


 普通と言う、かけがえのない一瞬を。


「あら?あらあらあら?これは奇遇。騎士様じゃありませんか」


 声がした。絹の様な柔らかい音の響きに一瞬、苦い顔を浮かべたのは、声の主を知っているからだ。振り向くとたおやかな女性がいた。


「お久しぶりです。しかし、奇遇ですか?おミスさん」

「えぇ、えぇえぇえぇ。偶然で貴方様に会えるなんて今日はなんて素敵な日」


 儚いだとか、折れそうな、と言う形容詞そのものだ。不健康な程の白い肌、細い手足。車椅子に乗る彼女は楚々としており普段、太陽が語るお嬢さんと言う理想像を具現化した様な存在だ。彼女はけほりと咳をしながら弱弱しく笑う。


「ハハハ!今日は体のお加減、よろしいので?」

「えぇ、えぇえぇえぇ。とても」

「それは残念です、錬金術師殿」


 大人しく病床に伏せって倒れるか、あるいは死んでおいてくれと本音を包み隠さずに呼んだ。錬金術師、日本で最悪と名高い人物を表す称号を。


「ふふ。ふふふふふふ。前回の下関騒乱事件ではお世話になりましたわ」

「思い出したくもない」


 三年前の話だ、山陰のとある地方で干からびた死体が発見された。まるで全身の血液を抜かれたような異常な死に様に、称号関連の事件と考えた政府は太陽を派遣した。そこに待ち受けていたのはドイツのチュパカブラを思わせる多数の化け物。彼らは村一つを占拠していた。


 否、で苦しんでいたのだろう。


「あの時は本当に申し訳なく思っております、まさか、私の作製したウィルスを持ち出した輩がいたなんて。私の監督不行きですわ」


 政府の見解では人間生物を化け物に変質させるウィルスが事故で紛失、それをたまたま拾った人が感染したのが始まりとされた。性質たちが悪かったのは、そのウィルスが肉体を変異させても精神は人のままであったことと、感染した人間は気が狂う程の飢餓に侵されること。


 そして――――彼らの口は液体しか吸えない構造になっていたことだ。


 山村の住人であった彼らが口に出来るものは限られていたと言うわけだ。そして、不幸にも感染した者は新たな化け物になり、その全てを太陽が処理した。


 自ら首を差し出す化け物達を、今でも夢に見る。


「こ、ろ、じて。こ、ろ、じて」「ぁんで、こ、んな」「い、や、しにたい、しにた、い」「お、ねがい、こ、ろして」「やだよぉ、やだよぉ」「な、んで、なんで、なんで、わたしたちなの?」


 怨嗟の声は雄叫びとなりて、地面を揺らした。


 流れる涙は枯れることもなく流れ続けた。


 絶望だけが優しく世界を彩った。




「――――ありがとう、騎士様」




 最後に聞こえた旋律は、耳朶から儚く消えた。


「ハハハ!」


「ハハハハハハ!」


「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」


「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」


 せめて、憎んで欲しかったと思うのは卑怯だろうか。


「そう言えば聞いていませんでした、おミスさん。貴女は、あの出来事をどう思っているのかを」

「勿論――責任を感じていますわ。犠牲になった方々には大変申し訳なく思っています」


 けほりと、一つ咳をした。目には悲壮の色が浮かび、雨にでも打たれている様だ。きっとここに誰かがいたら殺人的な庇護欲に駆られる事だろう。この女はきっと、本気で悲しんで、傷付いている。


 聖女の様に心を痛め、死した人々を想っていることだろう。


 いけしゃあしゃあと。


「でも大丈夫、わたくし


 一転、ニコリと笑った。悲しみを覆い隠す、無理をした微笑みではない。


「えぇ、えぇえぇえぇ!狂犬病ウィルスをサンプルにした擬似的なヴァンパイアの作成。しかも、人格には何ら影響を与えず、御伽噺とは違い太陽や十字架に弱くもない!惜しむらくは身体の変形と食欲の異常増大です、遺体を調べられればよかったのですが……」


 まくし立てる様に思考に没頭する。先程の哀愁は雲散霧消して、狂った様に言葉を並べる彼女はどちらも本当だ。


 個を愛さずに種を愛する博愛主義者。

 人類を上の位階に押し上げるアルス・いなる奇跡マグナを求める研究者。


 それが彼女、日本最悪の称号持ちと呼ばれる錬金術師、紫崎 紫織と呼ばれる人間だ。



「相変わらずだ、錬金術師」

「えぇ、えぇえぇえぇ。その通り。わたくしは錬金術師。人類に更なる発展を与えるものですから」







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