第五話 幻獣契約

「……えーと、これはどういう状況なんですかね」


 なぜか床に正座をしている俺は、ベッドに座るイーネスとその隣に座る少女を交互に見やる。


 イーネスは普段通りなのだが、少女の方はしきりにきょろきょろしたりモジモジしたりしている。


「あのねユヅキ、この子がユヅキにもお礼が言いたいって言うから、この部屋に連れてきてユヅキを待ってたの」

「え? お礼?」

「うん、そうなの。……ほら、アイラちゃん」


 イーネスは、自身の横に座る少女に話の先を促す。少女はコクコクと頷きながら話し出した。


「……あの、ユヅキ……お兄ちゃん。あの、アイラって言います。その……助けてくれてありがとうございました」


 ペコリと頭を下げる少女――アイラ。


「あ、うん。気にしなくていいよ。それよりも、体はもう大丈夫なのかな?」

「はい、おかげさまで良くなりました。アイラ達幻獣は体は頑丈なので」

「そっかー、とりあえずよかったよ」


 俺はホッとした。命に別条がないのなら、薬草とか回復薬とかを全投資した甲斐があったってもんだ。


 それに、あの時イーネスの魔法がなければ、アイラを助けることができたかどうかわからない。むしろほとんどイーネスのおかげ感はあるのだが、そちらに対するお礼はとっくに済ませているような様子である。イーネスが「ユヅキにも」って言ってたし。


 しかし、それとは別に俺は疑問に思っていたことがあった。


「えっと、アイラ……でいいのかな? あのー、その姿ってどういうアレなの?」


 我ながら、えらいフワッとした質問である。


 要するに、俺はバイコーンの時の姿から今の人間の幼い少女にそっくりな姿に変わったのはどういう訳かを聞きたかったのだ。


「あ、はい。えっと、アイラ達バイコーンは、この姿がもともとの姿なんです」


 アイラちゃんは俺のフワッとした質問の意図を正しく理解してくれたらしい。すごい、優秀だ。


「え、じゃああの馬の姿は……?」

「あれはバイコーン特有の『変身』です。変身はあの姿以外にもいくつかできるんでけど……。あの姿に変身したらなんかこう……うおーって強くなるんです。うおーって」

「なるほど、うおーってね」

「はい、うおーって」


 拳を突き上げ、強くなるんだぞということを小さな体で表すアイラ。


 なるほどつまり、この国に伝えられるバイコーンの二角獣の姿は臨戦態勢の時の姿という訳だ。


 額に小さな角のある少女の姿がもともとの姿。そう考えると、あの時黒馬の姿だったアイラが「もう限界」と言って今の姿のになったことも納得いく。


「それで、アイラちゃん。アイラちゃんはこれからどうしたい?」


 俺が脳内でウンウンと首を振っていると、イーネスがアイラにそんなことを聞いた。森の中で言った、アイラの今後に関する俺の考えを汲んでくれたらしい。


「……これから、ですか……」


 彼女は考え込む。そりゃそうだ。いきなり知らない集団に襲われて日常を奪われ、その後どうするかなんて分かるわけがない。


 そう思っていたが、案外アイラの答えは早かった。


「……お母さんに、会いたいです……」


 それは、少女の心からの願いであり、同時にもう二度と叶うことのない、悲痛な願いだった。


「……あ、アイラ、それは、その……」

「分かってるんです! でも、でも……お母さんにもう会えないなんて信じられないんです! ……そんなの、信じたくないんです。うぅ……おかあさぁん……」

「……」

「あいたい……あいたいよぉ……」


 アイラは顔をゆがめ、大粒の涙で頬を濡らしていた。


 俺は、何も言うことはできなかった。


 何も、言えるわけがない。


 声をかけようと思えばかけられた。悲しいよね、そうだよね、辛いよね、その他諸々。


 でも、俺が何も言えなかったのは、ここで同情の言葉をかけたところで本当の意味では彼女は救われないし、それではただの偽善的な自己満足になってしまうからだ。


 だがここで、イーネスがアイラをひしと抱きしめた。


「……アイラちゃん、分かるよ、その気持ち」

「……!」


 ビクッと体を震わせ、イーネスに抱かれるアイラ。その小さな体を優しく包んで、イーネスは話を続ける。


「わたしもね、お母様がもういないの。十年前に病気で死んじゃったんだ」

「……」

「あの日以上に泣いたことはないっていうくらい涙も流したし、言葉では言い表せないくらいに悲しかった。きっと、今のアイラちゃんもそうだと思う。でもね、今はそれでいいんだ。いっぱい泣いて、いっぱい叫んで、それでいいの」

「……」

「会いたいって気持ちも、我慢しなくていいの。今は、我慢しなくていいんだよ。それは、悲しみを乗り越えて、いつか前を向くために必要なことだから」

「アイラ、お母さんに会いたい……」


 絞り出すようにして、少女はそう呟く。


「……うん、そうだね、会いたいね」

「もう一回、お母さんにぎゅってしてもらいたい」

「そうだね、分かるよ」

「……独りになるのは嫌だよ……」

「大丈夫、わたしとユヅキが一緒にいるから」


 イーネスのその一言を皮切りに、アイラはわっと泣き出した。


 母を失った幼い幻獣の慟哭は、次第に暮れていく夕陽にやさしく包まれ、消えていった。


◇◆◇


 昨日は泣き疲れてそのまま俺の部屋で寝てしまったアイラは、目こそ少しだけ腫れてはいるものの、今日はすっかり元気になっていた。(ちなみに俺は床で寝た。デジャブ)


 そんなアイラにこれからどうしたいかを改めて聞くと、行く当てもないしここに居させて欲しいというのが答えだったので、快く受け入れた。俺のほうも、もともとそうしたいなと思っていたし。


 そして、王様に事の顛末とアイラを屋敷に置くことについての許可をもらいに王城に向かったのだが、俺の予想に反して城のみんなは落ち着き払っていた。


 アイラに関してはロッテンマイヤさんが前もって話を通しておいてくれたらしく、すぐに許可は下りた。その時に、王様は「アイラの存在自体は公にすれば国が大混乱になる可能性があるから隠蔽する。世話は任せた」と言ってくれた。


 そして、リガレットさんの方にも話は既に通っているらしく、俺の『ユニークスキル』と並行して昨日の幻獣関連の出来事等も調べてくれているらしい。そして、恰好の研究対象であるアイラに関しては、王様の「アイラの存在は隠蔽」という意向に沿って、念には念を入れたいというリガレットさんの提案により、とりあえずはノータッチで行くとのことだった。


 そして学院はというと、昨日あった謎の爆発や噂されていた赤い光が出たということで、職員総出で調査するため今日のところは休校となった。一日だけ休みみたいだから明日からは普通にあるのだけど、せっかくなので羽を伸ばそうと思っている今日この頃だ。


 そんな俺の部屋の扉が、コンコンとノックされた。


「ふぁーい、どうぞー」


 完全リラックスモードの俺が少々間の抜けた声で返事をすると、扉が開いた。そこに立っていたのは、アイラとイーネスだった。


「んぉ? どうしたの二人して」

「あのねユヅキ、アイラちゃんがユヅキにお願いがあるみたいで……」

「ん? 俺に? いいよ、できる範囲なら何でもするから、言ってごらん」


 二人を部屋に招き入れて椅子に座らせ、アイラのお願いとやらを話すよう促す俺。それに素直に答え、アイラはお願い事を話し出した。


「じ、実はその……アイラを助けてくれたユヅキお兄ちゃんに、その……アイラと契約してほしくて……」

「え? 契約?」


 俺はかなり驚いていた。


 幻獣バイコーンのことを、学院に編入してから一週間続いた異世界人の俺のために王様が組んでくれた特別授業の中で、その担当がミャー先生の時に、この国に伝わる幻獣の言い伝えはもちろんだが、『契約』という行為を重要視するということも教わった。


 とはいっても、バイコーン自体が数千年に一度というタイミングでしか姿を現さないらしく、そのためバイコーンのこと自体は詳しくはわかっていないため、『契約』とは何なのか、そしてバイコーンがどれだけそれを重要視しているのかは、詳しくはわかっていないらしいのだけど。


「はい。実はさっき、イーネスお姉ちゃんからユヅキお兄ちゃんの話を聞いたんです。ユヅキお兄ちゃんは異世界人で、どうしてこの世界にやってきたのかとか、ユヅキお兄ちゃんはとっても優しくて、何度もイーネスお姉ちゃんを……」

「ちょちょちょ! アイラちゃん!? それ言っちゃダメーッ!」

「あ、そうだった、ごめんねお姉ちゃん」


 顔を真っ赤にして話を遮るイーネスと、うっかりしてたと言わんばかりの顔で謝罪をするアイラ。一体イーネスは、アイラに何を話したのだろうか……。


「えっと、それでね。助けてもらったお礼に、アイラもユヅキお兄ちゃんの力になりたいなぁって思ったんです。だから、アイラと契約して欲しいなって」

「なるほど……。その、契約するとどうなるの?」

「アイラとユヅキお兄ちゃんが契約でつながるので、ユヅキお兄ちゃんが呼んでさえくれればいつでも一緒に戦えます!」

「そうなんだ、なるほど……」


 幻獣が一緒に戦ってくれるとなると、それはもう恐ろしいくらい心強い。


「でも、危ないよ? 相手は魔王で、すっごく強いんだよ?」

「分かってます。でも、アイラだって強いです! 絶対力になれます!」

「……確かに。どう見ても俺よりは強いもんな、この子」


 それはそうだ。そもそも、俺も授業で聞きかじった浅い知識しかないが、人間と幻獣では生物としての土台が違う。それに、これは俺たちが当初予定していた、『アイラの意思に任せる』という事であるので、本人がそう言うなら断る理由がない。


「分かった。そういう事なら契約しようか、アイラ」

「本当ですか!? ありがとうございます!」


 嬉しそうにぴょんこぴょんこと飛び跳ねるアイラ。


「じゃあ早速、アイラの角におでこを合わせてください」

「わかった。……こう?」


 二角獣の時よりはだいぶ小さくなったアイラの角に、自分のおでこを軽く当てる。


「はい! それじゃあ、じっとしててくださいね」


 そう言ってアイラは目を閉じた。すると、触れ合っているアイラの角から何か暖かいものが流れ込んでくるのが分かった。するとそれは、俺の右手の甲に集まっていき、力いっぱいに広がった大輪の花のような紋様を形作った。


「……すごい、これが、契約……」


 イーネスが、食い入るように見ている。


「これは……」


 俺とイーネスは今、歴史的な体験をしているのではないだろうか。


「契約完了です! それは契約の証ですよ。いろいろと便利なんですよ、その紋様」

「え? そうなの? 例えば?」

「えーっと、その紋様があると、アイラの幻獣としての力が少しだけお兄ちゃんに反映されるんです!」

「……え、マジ? それってめっちゃ強いんじゃない?」

「うーん、めっちゃかどうかはわからないですけど、今までよりは強くなれてるはずです! ただ、幻獣と比べてあまりにも脆い人間の体では、幻獣の力を最大限引き出すことはできないので、本当に少しだけ力をおすそ分けって感じですけどね」

「……マジか」

「す、すごいね、幻獣契約……」

「エッヘン!」


 腰に手を当てて、得意げに反り返るアイラ。


「具体的にはどういった風に強くなるの?」

「んー、そうですね……。傷の治りが速くなったり、千切れた手足が簡単にくっついたり、痛みに強くなったり、魔力の扱いが上手になったりとかですかね……。でもでも、体調とかにも左右されちゃいますけど」

「……やばいな」

「……うん、やばいね」

「エッヘン!」


 その恩恵は、想像以上にすさまじいものだった。内容だけ聞いてみれば、人間を軽く卒業できてしまうものばっかりだった。特に手足のやつ。正直、信じられない。


「あー、やっぱり信じられないですよね。えっと、じゃあ試しに腕を引きちぎってみます?」

「い、いやいやいや! そんなことしなくていいよ! 信じる! うん、信じるから!」

「それならよかったです!」


 おっそろしいことを言う子だな……。ともかくそういう事らしい。言われてみれば体が何だかいつもとは違う感じがする。もちろんいい意味で、だ。


 というか、幻獣の強さが少しだけ反映されるだけでもアイラが言ったような効果が表れるってことは、幻獣はそれ以上に優れた能力を持っているということだよな。そんな幻獣をあんなズタズタに殺してしまうような集団……。底が知れない。ますます恐ろしさ、そして得体の知れない不気味さが増す。


 その不気味さをとりあえず押し込め、アイラと「俺が呼んだ時以外は戦いには参加しない」ということを約束して契約の完了とした。この約束をした理由に関しては、単純にアイラ自体が公の前に出せない、機密情報であるためである。


「そういう訳で、とりあえず契約は完了ですね! これからアイラも、一緒に魔王と闘うためにもっと強くなります! よろしくお願いします、ヌシ様!」

「うん、よろしくね!」


 ……お? ヌシ様? なんか、すごい呼ばれ方だな。


「……あの、契約以外にもう一個お願いがあるんですけど……」

「ん? 何?」


 再びモジモジしているアイラ。今度は何のお願いなのだろうか。


「その……今日から一緒に寝てください!」

「なーんだ、そんなことか。いいよ」

「ちょーっとまったー!」


 ズザザーッと、イーネスが滑り込んできた。


「え、どうしたのイーネス?」

「どうしたもこうしたも、男女が夜に一緒に寝るのはだめでしょ!」

「いやいや、男女って……アイラはまだ小さい子供だろ? だから大丈夫だよ」

「うっ、いや、まぁ、そうかもしれないけど……。ねぇ、アイラちゃん」

「? なぁにお姉ちゃん?」

「お姉ちゃんと一緒に寝ない?」

「やだ! アイラはヌシ様と一緒に寝るの!」

「あはは……俺はどっちでもいいけど、アイラがしたいようにしたらいいよ」

「うん! ……あ、はい! わかりました!」

「あ、あとそんなにかしこまった口調じゃなくてもいいんだよ?」

「いいえ! できません! アイラ達幻獣にとって、契約とはとっても大事なもので、それと同じくヌシ様の事もとても大切なんです。ですから、ヌシ様にはちゃんとした態度で接さなければ……!」

「そうはいってもアイラ、ちょっと無理してるだろその言葉使い」

「うっ……」

「それにその、俺のこともヌシ様じゃなくて、気軽にお兄ちゃんって呼んで欲しいっていうか……ほら、イーネスにしてるみたいに」


 実際、小さな子にここまで丁寧な対応をされると、滅茶苦茶こそばゆいというか、やりづらい。


「……いいのですか?」

「もちろん!」

「……やっぱり、お兄ちゃんは優しいんだね!」


 そう言ってアイラは、俺に飛びついてきた。


 こうして、屋敷にまた新たに住人が増えて、一層賑やかになっていくのであった。

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