オフ会物語

Mu

『真夏の夜の宴』

「暑っついなあ」

 7時を過ぎてそろそろ暗くなりかけてきたというのに、8月のまとわりつくような熱気に汗が噴き出てくる。僕はちょっと焦りながらスマートフォンの地図アプリと周りに見える建物群を何度も見返していた。

 横浜みなとみらい地区。巨大な高層ビルとモニュメントが林立し、ちょっとした未来都市じみて見える、横浜でも新しい街だ。

「ええっと、どこだ? よく、わかんねえなあ」

 こんな時間だけど、というかこんな時間だからというべきか、これから重要な「会議」という名の「接待」があるのだ。けれど上司からメールで送られてきた場所がよくわからない。大体ほとんどこっちには来たことがないのだ。中華街ならもう少しわかるんだけどなあ、と心の中で悪態をつく。とにかく時間に遅れないように探さなきゃ。もう一度スマートフォンに視線を落とした時、不意に声が聞こえた。

「ああ、こんなところで何してるんですか、こっちですよ」

 え? 視線を上げた先にやけに若い和服姿の青年が手招きしていた。でも知らない顔だ。後ろを振り返ってみても誰もいなかった。自分が呼ばれている? 確認しようと声を出しかけた時、

「さあさあ、早く、皆さんだいぶ集まってますよ」

 青年が再び僕を呼んだ。そこで思い至る。ああ、そうか。これは接待会場の方で気を利かして呼びに来てくれたんだな。さすが名店、行き届いた配慮じゃないか。

「ああ、ありがとう」

 僕は礼を言って彼の後について歩きだした。


 しばらく行くと広かった通りはいつの間にか人一人が通れるぐらいの狭さになり、道の両側には瀟洒な日本家屋が軒を連ねていた。あれ? いつの間にこんな通りに入っていたんだろう? ちょっと不思議に思いながら青年が入っていった門を続いてくぐった。瞬間。

「え?」

 いきなりお座敷だった。建物の中に入った記憶もないのに。遥か奥まで続く縦長の部屋の両側に豪華な料理の盛られた個人用食卓と座布団がずらっと並んでいた。その席にちらほらと座っている人がいる。ひと? ……ではなかった。座っているのは、なぜかワンちゃんだったりニャンコだったり、それどころか小さなおサルさんらしき姿もある。いやいや、なにこれ? ペットの宴会? どうゆうこと? 見間違いかと思って一度目をつむってから目を開けてみた。……変わらなかった。うそだろ? 今度は一つ深呼吸して焦る心を落ち着ける。うん、たぶんこれは間違った場所に来たんだな。よし、帰ろう。そう思って振り返っても来た道はおろか出口さえ見当たらない。いったいどうしたらいいんだよ?

「もし、そこの方」

 振り返るときれいな黒髪をアップにした着物姿の女性が少し離れたところに座っていた。あ、ちゃんと人間もいたんだ。そう思ってよく見ると他にも、なぜか難しそうな顔で考え込んでいる男性や小さな女の子を抱いた女性に、中華街から来たのか中華武将のような衣装を着た人もいる。ペットの宴会じゃなかったようだ。なんとなくほっとして声をかけてくれた女性に目をやると、

「そんなところで遠慮せずに、こっちに来て席にどうぞ」

 と優しい声で言われた。とはいえ、自分には確か大事な用事があったはずだし、こんなところでよくわからない宴会に出ている場合じゃない気がする。でも帰り方もわからないわけで、まあ、仕方ないか。

「では失礼します」

 と言って、女性の前の席に腰を下ろした。女性の隣には帽子をかぶったワンちゃんが行儀よく座っていた。

「あの、これ何の集まりなんです?」

 正直に聞いてみた。

「あれ? 知らずにいらっしゃたんですか?」

「はあ」

「でも、あなた、印をお持ちですよね?」

「しるし?」

 何のことだろう?

「印をお持ちだから、ここに来られたはずですけど」

 女性が少し首をかしげる。

「しるしってどんなものでしょう?」

 僕が尋ねると女性は手元のバッグの中をごそごそして、これですと言ってあるものを取り出した。

「えっと……本?」

 手元にはカバーのかかった文庫サイズの本が握られていた。

「はい、そうです。あなたも、お持ちでしょう?」

 そう言われて気が付いた。確かに通勤電車で読むための小説本がカバンの中に入っている。僕はカバンを開けて中からカバーのかかった文庫本を取り出した。

「これでしょうか?」

「そうそれ! ちゃんと本好きの印を持っているじゃないですか」

 と答えたのは女性ではなく……隣のワンちゃんだった。

 は? なぜにワンちゃんが? 言葉を話す? しかも、その手を僕の持つ文庫に伸ばしてくる。混乱して固まった。その間にワンちゃんは器用に僕の文庫をめくり、本の題名を読んだ。

「【ひげを剃る。そして女子高生を拾う】うわーなんだろうこれ、ちょっと危ないタイトルですねえ」

 その言葉を聞いて我知らず返していた。

「いや、これ、こんなタイトルだけど、すごく面白いんだよ。サラリーマンと家出女子高生がいろいろあって家族みたいになっていくんだけど、すごくまっとうなんだよね。おすすめですよ」

「そうなんですね、私も読んでみようかな」

 ワンちゃんがそう言ったところで我に返る。なにこんな状況で、おすすめ本の紹介してるんだ自分! 確かに本は好きだけど、これって絶対普通じゃない。ひょっとして夢かな? 夢見てるのかな? 恐る恐る聞いてみる

「あの~、あなたワンちゃんですよね?」

 どんな質問なんだとは思った。でも帰ってきた返事は

「いやだって、あなたはニャンコでしょう?」だった。

 何を言ってと思った瞬間、文庫本を持つ自分の手が目に入る。肉球だった。見事な肉球だった。まじか? 背中に冷や汗が流れる。うん、わかった。きっと夢だ、夢に違いない。

 その時、部屋の奥の屏風の前に(いつ屏風が?)最初に会った青年が現れてなにやら話し始めた。

「えー、皆さん、こんばんは」

 その声に顔を上げるといつの間にか宴会場の座席はほとんど埋まっている。ただし、座っているのはやっぱりネコちゃんやワンちゃんが多い。(中にはモアイ像みたいな、でかい人もいた)

「本日はお集まりいただき、ありがとうございます。それではこれから〇〇10周年記念夏イベントを始めたいと思います」

 青年のあいさつが始まったが、ちょっと距離があってよく聞き取れない。その時、部屋の襖がいきなりスパンと開いた。大きく解放されたその先に見えるのは光に照らされた水の流れと岸辺を彩る夜景。その中をヒラヒラと白い紙飛行機も飛んでいる。おお~というどよめきが上がった。屋形船か!

「それでは、まずは乾杯しましょう」

 目の前の女性がビールを注いでくれる。隣のワンちゃんは

「ねえねえ、他にはどんな本を読むんですか?」

 とか言ってくる。うん、なんだか楽しくなってきた。とりあえずこれが夢でも何でもいいや。この一夜を楽しんでやれ。

 僕は肉球の手でなぜか起用にグラスを持つと乾杯の合図に合わせてビールを飲んだ。これから真夏の夜の宴が始まろうとしていた。


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