僕たちは面倒事に巻き込まれたくない。

ELLIE

とある日のSHR 



「おはよ、」

「おーはよ」


よっ、と片手を挙げて教室内に入っていく女子の名は、榎原 柊(えのはら ひいらぎ)。

そんな柊を同じように片手を挙げて迎える男子の名は、梅原 理人(うめはら りひと)。

彼らは高校入学時に同じクラスとなり、名前順の席では必ず前後となるような苗字のため、必然的に話すようになった。どちらの性格も、「自由人」という一般人からしてみればなかなか癖の強いものであったため、それぞれが同類として自然と仲間意識を持ったことで貴重な友人として今に至る。


「いわっちの宿題やった?」

「やってねー」

「だよねー」

「伊達先のはやった」

「それ化学じゃん」

「なんで科学と数学同じ日にするかね」

「それな」


柊と理人は、高校二年理系コースに通っている。

進級時に文系と理系のコースに分かれるこの学校では、文系を選ぶ学生が圧倒的に多い。

しかし、この変わり者二人は迷うことなく理系コースを選んだ。その理由は一つ。理系コースを選ぶ人間は比較的静かな環境を好む人間が多いからだ。そして彼らもまた、柊と理人のようにオープンにはせず、あくまで中立を保つような位置づけとしてクラス内での安全を確保しているようだ。


「ところで何あれ」

「あー」

「え、なんで栞泣いてんの?」


チラリと教室内にで不自然に集まっている女子たちを横目に見た柊は小さな声で理人に尋ねる。


「恋愛関連」

「うわ、別れたんか」

「らしい。あ、これ男子グループ情報」

「え~……」

「ま、女子は女子でガンバッテ」


化学、と細い字で書かれたノートで顔を隠しながらこっそりと話す理人に、柊はいまだ信じられないといった顔だ。それもそのはず。柊の友人である栞と付き合っていたサッカー部の土屋という男子は、ガサツな部員が多い中で唯一優しい好青年といった人物であったからだ。柊には彼が浮気をするような人間には思えなかったのである。それに、二人の仲は誰がどう見ても「いい感じ」であった。簡単に言えば「バカップル」というやつだ。それなのに一体何がどうなってしまったというのか。未だに呆然としている柊に、理人は「おい、」と顔の前で手を振った。


「え、あ、なに」

「目、止まってんぞ」

「いやほんとに信じられなくてさあ」

「その理由と目が止まってるのは関係ないだろ。その癖どうにかしろよ、いつ見てもその目、こえーんだよ」

「はいはいごめんねー」

「はいは一回!」


理人はそう言いながら柊の頭にノートを乗せた。柊はそのノートを受け取りつつ、ああいつものやつかとノートを開いて記入をしていく。これは一般的に言う、「交換ノート」だが、彼らにとってこのノートはそんなかわいらしいノートではなかった。

彼らの中で「原ノート」と呼ばれるこのノート。名づけ親は理人だが、その意味は「それぞれの名前で同じ部分を抜粋」、らしい。中には柊と理人がそれぞれ入手した学校内のニュースが書き綴られているのである。もちろん、今朝理人が記入したのはC組カップル破局についてだ。内容は正直、信じがたいものであったが、ここまで詳細を書かれると信じざるを得ない。


(なるほど、ほかの女子が男子を「略奪」か)


柊はノートを見ながら今後の自分の行動について頭の中で構築を開始した。

まずこの状況、栞の周りにはほかの女子がいるから誰もこちらに気づいていない。

そして今回の騒動の要因を作った人物も、まだ登校していない。

サッカー部はまだ朝練中、となれば、やることは一つ。


「ちょっと行ってくるわ」

「おー、がんばれー」


ひらひらと手を振りながら柊の後姿を目で追う理人は少しだけ口元を上げていた。


(なるほど柊サンは、そっちのルートでいきますか)


理人の考えをよそに、柊はまっすぐ栞の席へと向かっていた。

今己がすべきことは、いかに騒動に巻き込まれずに中立な立場を貫くかということだ。

普通に事件を聞いただけ、当事者でもなければ関係者でもない、なのに巻き込まれるなんて、それだけでも面倒だ。それならさわりだけでも集団に属して、少しずつ離れればいい。


「おはよー」

「あっ!柊おはよ!ちょい聞いてよ!!土屋のやつさ~」

「栞マジでかわいそうなんだけど」

「ホントホント!まさか高宮さんと付き合い始めるとか…」

「別れてすぐって、もう浮気してたようなもんじゃん!」


柊の存在に気づいた女子たちがそれぞれに話をし始める。こちらは聖徳太子ではないので全部の意見を聞き取るのは難しいが、そこは女子たちも理解しているのか、それぞれの言葉の終わりにつなげるように言葉を発してくれるから大変ありがたい。男子はこうはいかないらしく、理人のほうは「俺多分聖徳太子にかなり近づいてると思う」などと口にしていたから男のコミュニケーションって面倒そうだなと思っていた。

しかし話を聞けば聞くほど、


(思ってた以上にヤバそうなんですケド?)


「えーっと、とりあえず話まとめていい?情報量が多すぎて」


まとめると、どうやら栞と付き合っているときから土屋は浮気をしていたということになる。あくまで女子グループの推測でしかない。しかし、一般的に考えればそういうことなのだろう。でも相手が高宮さんか、と柊は頭を悩ませていた。その理由は、高宮という女子と同じ中学出身だからだ。特別仲がいいわけではないが、この流れだと自分に何か災難が降りかかってきてもおかしくはない。それだけは回避しなければ。

柊は女子集団の中心で泣き続けている栞に話を聞いてみることにした。


「栞、大丈夫?」

「ひ、柊、うう、」

「ひどい顔」

「だってえ……」


いつもはばっちりメイクをしてかわいらしい友人のあられもない姿に、柊は少しばかり心を痛めた。流石に本気で泣いているところを見ると、かわいい顔がもったいないなあとも思うのだ。しかしほかの女子が「ひどい」「最低」「やり返す」などと口にする中、柊が思ったこととは何か。はあ、とため息を一つついた柊と周りの女子からの言葉に、栞はまた目に涙を溜めて今にもこぼれそうなほどだった。さて、始めるかと柊は目を細める。


「しかしまあ、あんな奴と別れてよかったのでは?」

「え、」

「だってそうじゃん、栞のことだましてたってことでしょ?そんな男、今浮気しなかったとしても将来的に絶対浮気するだろうし」

「そう……なのかな」


栞は俯いて涙によってぐしゃぐしゃになったハンカチに目線を落とした。

きっと栞は頭の中では理解しているはず、と柊はその引き出しをそっと開けるように仕向けているだけなのだ。でも、それに気づくものは誰もいない。


「逆に言えば今別れてよかったと私は思うけどね。最低野郎は忘れて次の恋を探したほうが美容にもよさそうだし。なんでそんな奴のために、栞が泣く必要があんの?」

「……そう……そうだよね、うん、もう泣くのやめる、」

「そうそう、かわいい顔が台無しだからさあ、前以上に笑って生きようよ」


柊の言葉に、「ありがとう、」と少しだけ元気を取り戻した様子の栞。柊も笑顔を浮かべてそれに応える。

しかしその笑みはあくまで“穏便に済んで“よかった、という笑みだ。

もちろん友人のことは心配ではあるが、柊にとって、日常にイレギュラーが発生して穏やかに過ごすことができないほうが問題なのだ。よって、これは60%が面倒事に巻き込まれたくない思いで行動していて、40%は心配、という本人には到底伝えることなどできないパーセンテージである。

それなりにうまく立ち回っている柊は誰にもそれを悟らせることなく騒動になりかけた問題などを終幕へと導くことができるのだ。

しかし、そんなことを知る由もない女子たちは各々が柊に対して称賛の言葉を口にする。


「流石柊!」

「いや、正論言っただけだよ」

「いやいや、うちらじゃその考えに到達できんから」

「何でよ、逆に言うけど腹立つな~って思うほうがパワー使うし時間がもったいない」

「まあそれができたら苦労しないんだけどさあ…」

「時間は無限にあるわけじゃないし、もっと賢く生きたいよね」

「そういうことまで考えられないからうちらと柊は“ここ”のつくりが違うんだろうね~」

「やめてよ、同じ人間じゃん!」


柊はケラケラと笑い、女子の集団も同じように笑っている。

先ほどまでの空気は一体どこへやら。

しかし、これが柊の行いたかったことなのだ。下手に復讐心なんてものを育てようものであれば、真っ先にそれを差し向けた人物を柊は止めただろう。

すべては、日々の平穏のため。

学生生活でそんな、と思うかもしれないが、これは学生である我々にとっては重要なことだ。

登校時に見かける、成人の面々の顔は、何の楽しみもない、人生に飽き飽きしているといった顔ばかり。自分もいつかああなるのであれば、せめて学生生活くらいはのんびり平穏に過ごしたいと思うのは普通ではないだろうか?と柊は常々思う。

しかし、高校生とはいえまだ子供だ。義務教育は終えているが、お酒が飲める歳ではない。我々はまだ、“大人”ではないのだ。

今のことしか考えていない人間が多すぎるこの学校で、柊と理人は唯一それに気づいている人間だった。

別に自分たちが特別えらいだとか、正しいなんてことは思っていない。

ただ、己にとって最善であると思うことを貫いているだけ。


「は~……」

「おー、早かったな」

「とりあえず面倒なことにはならないかと」

「おつ~」


自分の席に戻った柊は、理人に迎えられた。

購買で買ったのであろうコーヒー牛乳の紙パックを飲みながらこちらに顔だけを向けた理人は、やれやれといった様子の柊を一瞥してまた顔を黒板のほうへ向きなおした。

柊は構わずに続ける。


「あとはやらかした人間側の行動によって変わってくると思うんだけど」

「あ、男のほうは知らねえよ」

「……男子ってそういうとこドライだよね」

「他人の恋路なんか興味ないっしょ、あるのはサッカー部だけじゃね」

「あの部活動の人間どもはカップル多いし派閥もあるから仕方ないんじゃない」

「それ女側の話で男側に派閥はないからな」

「は~……ほんと面倒」

「面倒ごとだらけの世界だよなあ」


「「ま、こっちに害がなければいいんだけど」」


口をそろえてそう呟いた言葉は、ショートホームルームの前で騒がしいクラス内にひっそりと溶け込むように消えていく。

呪文のようにも、ふとした独り言のようにも聞こえるそれは、彼らの口癖。

人によっては、彼らを軽蔑するだろう。しかし、自分の生きやすいように仕向けることは罪なのだろうか。みんな、そうやって問題回避をするものだろう。考え方はひとそれぞれ。

生き方もまた、人それぞれなのだから。


文句を言われる筋合いは、無い。



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僕たちは面倒事に巻き込まれたくない。 ELLIE @elisan418

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