第65話


試合が終わってもガジが負った精神的なダメージは大きく、彼は眠ったまま目を覚まさなかった。

命に別状はないけれど、疲労が蓄積しているということで、彼は医務室へと運ばれていった。

医者の話だと、今日一日安静にして寝ていれば明日には回復するそうだ。


普通の人間だったらいつまで寝込んでいたかわからないよ、と苦笑いした医者に言われてジルは黙って頭を下げた。


そんなジルの肩にポンと手を置いて、医者はガジを連れて行ってしまった。予想外だったのは、それにカレンもついて行ったことだ。


二人の関係は出会った時からそう良いものではなかったはずだが、気のせいだっただろうかとジルとキャロルは顔を見合わせる。


「それじゃあ早く決勝まで終わらせて彼のお見舞いでも行ってあげましょうか。あまり仲も良さそうには見えなかったからもしものことがあるかもしれないし」


「いや、流石にカレンもそんなつもりでついて行ったんじゃないと思うけどな?」


アイシャから見ても仲が良さそうには見えなかったんだなあと思いつつ、縁起でもないことを言うアイシャにツッコミを入れるジル。


「ふふ、冗談よ」


「お前が言うと冗談に聞こえないんだよ…」


「そうかしら? …まあいいわ、とりあえず早く終わらせてくるわね」


「ほどほどにな?」


アイシャが本気を出したらここら一帯が凍りつきかねない。

闘技場にかかっている結界はとても高度なものだけど、アイシャの本気に耐えられるのだろうか?


(あいつも手加減くらいできるだろうし、そこまで心配しなくてもいい…よな?)


心に不安を抱えつつ、ジルはラシューの隣に腰掛ける。

ラシューは相変わらずあまり表情を変えることなく座って試合を観ていた。


「ガジさん、獣人だったんですよね」


「ん? ああ…ラシューは、獣人は好きになれないか?」


「いえ、僕は特に気にしてないですけど…キャロルさんが、ガジさんの尻尾に触ってみたいと言っていました」


それを聞いたジルはラシューを挟んで座っているキャロルに目を向ける。

ジルに見られたキャロルは慌てた様子で手を振って否定していた。


「わ、私は尻尾がふさふさしていて触り心地が良さそうだな〜って言っただけです! できれば触れたら嬉しいなあとは思ってますけど…ガジさんも男の子ですし、嫌がるかなって…」


「ま、そうだろうな。あいつだって好き好んで獣化はしていないだろうし。勝つためには自分の使える切り札は使うっていうだけだろ。

その様子を見ると、キャロルもガジが獣人…半獣だってことは気にしてないんだな」


「は、はい。私の家には獣人のお客様も来ることがありましたから。それに、ジオール王国では獣人だからといって差別するような人はいませんよ」


「そうだな」


少なくとも表立っては。という言葉をジルは飲み込んだ。キャロルは知る必要のない事実だから。

ジルの微妙な顔を見てラシューは事情を察したようだったが、何も言わないことを選んだようだ。


ラシューからしてみたら、ガジが獣人だろうと人間だろうと、はたまた違う何かであろうと会話ができる時点で気にする必要はないと考えている。


それは他でもない自分自身が見た目で判断される人生を送ってきたのだから、少なくとも自分は見た目で判断するような人間にはなりたくないという気持ちから来た考えだ。


「それで、アイシャさんの試合はどうなりそうですか?」


ラシューは話を変えることを選んだ。

あまり話すことが得意ではないだろうに、とジルは得意ではないことでも話題を提供してくれたラシューに心の中で感謝する。


「あー、多分すぐに終わるんじゃないか?」


試合が始まる前から気合いを入れていたアイシャを思い出す。

すぐに終わらせるとも言っていたから、最初から飛ばしていくつもりだろう。


アイシャの対戦相手の女の子も弱くはなさそうだが、気合いの入ったアイシャの相手をするには役不足だと言わざるを得ないな。





「それでは始めてください」


センコウが試合開始の合図を出した瞬間、アイシャの手には透き通るような美しさを放つレイピアが握られていた。


それは氷で作られたレイピア。だというのにアイシャは冷たさに固まることなく、ただの木の棒を持っているかの如くレイピアを握りしめている。


繊細な装飾が施されたそれを手にアイシャは対戦相手のチェイルに向かっていく。


その速さは、おおよそ魔法使いが出すような速さではなく、まるで剣士のような速さ。

チェイルが構えた防御をすり抜けるようにしてアイシャのレイピアがチェイルの肩を貫く。


チェイルはどうしてレイピアが自分の防御を抜けてきたのかがわからず目を白黒させつつ、とりあえず距離を取ろうと退がる。


しかし、アイシャの本領は剣士ではなく魔法使いとして働くときに発揮される。

それを途中で思い出したチェイルは顔が強張るが、時既に遅し。


「残念だったわね」


アイシャはレイピアをチェイルの肩に突き刺したまま手を離す。これが剣士であれば自分の得物を手放す行為だが、アイシャは魔法使いだ。

レイピアは空中で氷の檻となってチェイルを檻の中に収容することに成功する。


体勢を整えたチェイルが反撃をしようと顔を上げた瞬間、その顔色は絶望と諦めに満ちていった。


氷の檻は内側に向けてトゲが伸びつつあった。見た目はまるで茨の檻。

アイシャの操る氷の茨がどのような効果を持つのかは闘技場にいる者全てが理解している。


もしチェイルが反撃をしようと身体を動かそうものならそのトゲは躊躇なく彼女の身体を貫くだろう。


対抗するにはアイシャの反応速度より速く動いて檻を破壊するか、トゲが刺さろうと意味がない高い温度で動くクィンのような戦法くらいしかチェイルの頭には浮かばず、そしてそれは少なくとも今の彼女には荷が重かった。


それがわかっている彼女の選択肢は一つしかなかった。


「……参りました」


チェイルが降参を宣言したのを聞いてアイシャは魔法を解く。

茨の檻はさらさらと粉のような雪となって宙に消えていく。


「勝者 アイシャ・ジオール」


勝利を知らせる声をアイシャは背中で聞き、すぐに観客席に戻った。


颯爽と去っていくその背をチェイルは呆然と眺めることしかできなかった。

自分とは明らかに力量が違う。おそらく自分がどれほど努力をしようと彼女に追いつくことはできないだろう。


羨ましい。そしてどうしようもなく憧れる。


そんな気持ちを抱いてチェイルも観客席へと戻った。

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