第56話
始まりの合図を受けても、アイシャとクィンはどちらも動こうとはせず相手を観察していた。
アイシャからしてみれば、彼女は先の自分の戦いを見ているだろうし、もしかしたら彼女の兄から話を聞いているかもしれないという考えがあり動かなかっただけなのだが、向こうが動いてこないというのは予想外であったため少し驚く。
対するクィンは、アイシャの戦いを見て自分に勝機はほとんどないだろうということが分かっていた。
また、自分の兄は王族の情報を漏らすようなことはないので、自分の目で見た情報だけで戦うしかない。
クィンが見た中で推測するに、アイシャが得意なのは水と氷の魔法だろう。
水を氷にすることができ、かつその制御もそこら辺にいる魔法使いでは敵にすらなれない領域にいる。
自分に何ができるのか。せめて一発、アイシャのことを驚かすようなことができれば勝ったと思えるだろう。
視界の端に映っているジルという少年のように、アイシャに認められるところまではいけなくとも、せめて記憶に残るような戦いにしたい。
クィンは深く深呼吸をした。
無意識の緊張で呼吸が浅くなり、手足が冷たくなっていたと感じたからだ。
「いつまでそうしているのかしら? 戦う意志があるなら、かかってきなさい」
全力で叩きのめしてあげる。
クィンは言外にそう言われたような気がした。
けれど、将来自分が仕えるであろう存在が自分のことを見ている。
ここで力を示さないでいつ示すことができようか。
ここで立ち向かわないと、必ず後悔するだろう。
「姫様、全力で行かせてもらいます!」
クィンは剣を抜き、魔法を使って自身を強化する。
アイシャから与えられるプレッシャーは今まで師事してきた誰よりも重い。
もしこれが背負う物の大きさで違うというのなら納得できる。
そんな重厚で、それでいて澄んでいる威圧感。
「どこからでも来なさい」
アイシャは魔法による身体強化を施したクィンを見て、おそらく近接戦闘するタイプだと予想する。
それ自体は間違っていないものの、クィンは普通の近接戦闘をするタイプではなかった。
クィンが地を蹴った、そう判断した瞬間、思っていたよりもずっと速い速度で自分の首元に剣が走る。
「フッ!」
それでもまだ反応できる速度。ではあるけれど、筋は悪くない。
思い切りよく相手の急所を狙えるというのはそれだけで才能があると言ってもいい。
人に寄っては急所をどうしても狙うことができないという者もいるのだから。
素直に下がって避けようとするアイシャだったが、足元の地面が盛り上がっていてうまく足が引けない。
「悪くないわね」
自分で攻撃を仕掛けつつ、妨害もする。
地味ではあるが堅実な戦い方だ。
「けれど、だったら正面から受ければいいだけよ?」
アイシャは首元に走る剣を避けるのをやめた。
試合を見ている者からしたら、自殺行為だと彼女を心配するだろう。
ただこの試合という場において、クィンはその選択をした彼女には何かあると感じながらも、剣をしっかりと握り直して振り抜こうとした。
そう、振り抜こうとしたのだ。
「っ!?」
「ふふ、驚いたかしら?」
クィンの剣は、アイシャの首に当たったと同時に凍りついて止められていた。
首に接している感覚はあるのに、それ以上剣が進まない。
「ジルのように素の身体が硬いわけではなく、これも魔法だけれど、驚かせるには悪くない出来でしょう?」
アイシャがやったことは単純だ。
ただ自分の身体を薄く透明度の高い氷で覆っただけ。
ただの氷が剣を受け止めてなお壊れない。
それだけの硬度を出すことのできる魔法の腕と剣を首で受ける度胸がなければなし得ない技だ。
しかし、この魔法はそれだけではない。
剣を首で受け、かつその衝撃を殺すことができないといけない。
「それじゃあ、次は私からいくわね」
にこりと告げられたその言葉にうすら寒いものを感じ、クィンは全力で退いた。
クィンが退いたタイミングで、彼女がもともといた場所に鋭い氷の鞭が生える。
いや、鞭というより、見た目はトゲのついたツタのようだ。
まるで意志を持っているようにゆらゆらと揺れるそれをクィンは観察する。
地面から氷が生える。あれは何だろう。触ったらまずい。自分の剣で切ることはできるだろうか。
様々な思考が生まれては消えていく。
その中で、笑みを湛えたままのアイシャが目に入る。
なぜ彼女は笑っているのだろう。
と思った瞬間に、何となく偶然に生まれた思考。
『この氷のツタは一本しかないのだろうか?』
瞬間、彼女は全力で闘技場を駆けた。
クィンの考えは正しく、闘技場のそこかしこから次々に生まれる氷のツタ。
闘技場はまるで茨の森のようになった
先ほどアイシャが思っていたよりも速いと判断したその脚力は、身体強化の魔法と、地面を蹴り出す瞬間に火の魔法を使って爆発させることで生まれる推進力を利用して生み出されている。
その速度を持ってなお、避けきれなくなりつつある茨。
「痛っ!」
氷のトゲがクィンの身体を薄く裂いた。
血が滲むと思われた傷は、すぐに凍り始める。
「当たったわね?」
茨の森の中から見つめているアイシャと目が合う。
かなり距離はあるというのに、絶対に見られているという自信があった。
逃げなければ、そう思い身体を動かそうとするクィンであったが、寒さで身体が震えてしまってうまく動かない。
「これ、当たった瞬間に相手の傷を凍らせて、体温を奪っていくの」
いつの間にか目の前にいたアイシャがうっとりと茨を撫でる。
そうしながらも、クィンへの警戒は解いていない。
何故なら、クィンの目がまだ死んではいなかったから。
まさかこれで終わったりはしないだろうという期待もあり、アイシャは次はどうするのかとクィンに目で問いかけた。
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