1-2 更科 朱華
――神様というものが存在するとしたら、そいつはたぶん、あたしの事が嫌いなんだろう。
これまでの十六年の人生に
「待ちなさい、あなた! 1年B組の更科さんね? その髪は何なの⁉」
放課後、下駄箱に向かう道すがら。生徒の間で口煩いと有名な風紀の本間に捕まってしまった。
どうやら、朱華の髪がお気に召さないらしい。彼女の髪は生まれつきウェーブの掛かった癖毛な上に、人目を引く鮮やかな赤毛をしているのだ。
「何って……地毛ですけど」
「嘘おっしゃい! そうやって言い逃れすれば済むと思ってるのね?」
「いや、言い逃れもなにも、本当の事で」
「まぁ、その目は何⁉ 教師を睨むなんて、何事かしら!」
「いや、睨んでね……ないし」
本間はこちらの言い分を一切聞く気がないようだ。本当の事を話しているのに、
すると、今度はその溜め息を聞き付けて、彼女の態度が悪いだなんだと更に言い掛かりを付けられる。全く話の通じない相手に、朱華はほとほと困り果てて視線を逸らした。
先程睨んでいると言われたように、自分の目付きが元々よろしくない事は自覚している。ここはあまり目線を合わせない方が得策だろうと思っての事だったが、逸らした視線の先に
――おい、ああいうのは良いのかよ。
思わず、内心ツッコんでしまう。口に出さなかったのは我ながら正解だったと思う。余計に怒られただけだろう。詰まる所、本間は単に朱華の事が気に食わないだけなのだ。
そもそも、この学校は校則が緩く、申請すればアルバイトも許可が下りるというので選んだのだ。
髪を染めている生徒やネイルやアクセサリーをしている生徒も沢山居る。それらには何も言わないのに、本間という年季の入った女教師は、自分の嫌いな生徒にだけこうしてイチャモンを付けるのだ。
まぁ、あたしの場合は自業自得か、と朱華は自嘲気味に思う。
何せ、中学時代の彼女は荒れに荒れていたのだから。
家出同然に夜の街に繰り出しては、似たような臭いのする奴らと喧嘩に明け暮れ、気が付けば札付きの不良と呼ばれるようになっていた。
万引きや恐喝などカタギの人様に迷惑を掛けるような筋の通らない事だけは絶対にしない、というポリシーは守り通したものの、傍から見れば彼女もただのヤンキーだ。
授業もサボりがちで、折角入った高校も一年留年する羽目になった。今は色々あって落ち着いて、ちゃんとした学生生活を送る為、引越しと合わせてこの春ここに一年生からやり直す形で転校してきたのだ。
その辺の事情を、おそらく本間は何処からか聞き知っているのだろう。彼女のクラスと名前を
本間からしてみれば、転校してきた問題児に早い内に立場を分からせてやらなければ、といった所か。
「ちょっと、聞いているの⁉ あなた、黙っていればそれで済むと思っているんでしょう⁉」
それにしたって、随分とネチネチ言ってくれる。朱華が大人しくしている内に調子に乗ったのか、本間の弁舌はどんどんヒートアップしてくる。
しまいには、彼女が一人で居るものだから友人が居ないのだと踏んで、それは彼女の態度が原因だのなんだのと
自分が撒いた種とは思うが、だからといってここまで責められる謂れはない。
「とにかく! 明日までにその下品な髪を直してきなさい! いいわね⁉」
頭の奥でプツンと何かが切れる音が聞こえた気がした。むしろ、短気な自分にしては相当耐えた方だと褒めて欲しい。もう限界だ。
「だから、これは地毛だっつってんだろ!」
遂に大声で反抗した彼女に、一瞬怯んだ様子を見せた本間だったが、伊達に風紀担当とは呼ばれていない。すぐ様負けじと応戦してきた。
「嘘おっしゃい! あなたみたいな素行不良の生徒の言う事を誰が信じるものですか! 影響される生徒が出たら困るから、明日にはちゃんと戻して来なさい!」
「だから! 戻すも何もこれが地毛だっつってんだろ! わっかんねぇババアだな‼」
「バっ⁉ まぁ、なんて事を‼」
「……朱華ちゃん?」
穏やかな青年の声。
名を呼ばれ、朱華は反射的に振り向いた。こんな思いがけないタイミングと場で、一体誰が彼女を呼んだのか。確かめるようにそちらを見ると、そこには背の高い男子生徒が居た。
二人居る内の片方、黒髪の猫毛にヘーゼルの瞳をした端正な顔立ちの青年に、朱華の記憶野に焼き付いたとある人物の面影が重なった。
「……音にぃ?」
知らず、その人物の在りし日の呼び名を唇に登らせると、青年はぱっと花が咲き乱れるように嬉しげに破顔した。
その笑顔が記憶にあるままで、朱華の胸中に動揺が広がった。
「やっぱり、朱華ちゃんだ! 久しぶりだね。元気そうで良かった」
ふわりと笑み掛けてくる彼に、朱華は言葉を失い、ぽかんと口を開いたまま見入ってしまった。
――音にぃ。
本当に、音にぃだ。
「ま、待ちなさい! 3年A組の時任君ですね? 更科さんと知り合いなんですか?」
「はい。小学生の頃の幼馴染なんです」
存在を忘れ去られていた本間が慌てて割って入ると、問われた彼はさらりと事も無げに答えた。
――そう。音にぃこと時任 砂音と、更科 朱華の二人は幼馴染だった。
当時、家が近所だった二人は、性別と歳が違えど、よく一緒に遊んだ。朱華の両親は共働きで不在がちだった為、度々時任家の
そして、彼は――朱華の初恋の人だった。
「彼女の小さい頃を知っているから、俺が保証します。彼女は本当にこれが地毛なんですよ」
砂音の説明に、本間はバツの悪い表情でたじろいだ。
「そ、それは、本当ですか? この子の事を庇って言っているんじゃないの?」
「本当ですよ。そんな事で俺は先生に嘘ついたりはしません」
信じて頂けませんか? と言外に問うように真正面から真摯に見詰められてしまうと、本間はあっさりと陥落した。
「ま、まぁ、あなたがそう言うのなら……。えぇと、更科さん、疑って悪かったわね。髪は、そのままでいいわ」
「はぁ」
見事な掌返しに朱華が呆れていると、本間は、
「時任君も、授業中はピアスを外しておきなさいね」
申し訳程度に砂音にも注意をしてから、そそくさとその場を辞した。
――ピアス。音にぃが?
意外に思って、朱華は砂音の方を見た。その左耳に一つだけ、紫に光る小さな石を見つけて、何だか違和感を得る。
あまり服飾品に興味の無いタイプだった音にぃが、ピアスを付けている。それも、何だか女性もののように、華奢な印象の……。
視線を感じたのだろう、砂音は改めて朱華の方に振り向くと、左耳のピアスを隠すように親指でそっと押さえた。
それから、困ったように眉を下げて、
「怒られちゃった」
と、情けなく笑って見せたのだった。
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