蜘蛛を捕らえたときの話


理由は自分にも知れない。

ここ2週間ほどずっと、ずんぐりした小さな蜘蛛を生け捕りにして、下向きに伏せたグラスの中に監禁している。

益虫だとはわかっているが、あの小さな躰が放つ得体の知れないおぞましさには我慢がならない。あれが網膜に映るだけで、両耳の後ろが汚い獣に舐められるようにぞわぞわと疼くのだ。そのおぞましさを自分のグラスの中に閉じ込めて、好きなように管理していることが、退屈な日常の中でなんとも言えぬ悦びのように感じられた。

生け捕りにした蜘蛛を家に残して家を出るあの微かな背徳感。大学から帰ってくるとグラスの中を覗き込み、ペンの先で少しつついて生きているかを確認する。小さなおぞましさに愛情のようなものすら感じてくる。

そんなわけで何も食べずにどのくらい生きられるのか思いながら、2週間ほど飽きずに毎日眺めていた。


だがなかなか死なない。弱る様子もよくわからない。私はとうとう退屈してしまった。そして今日急に思い立った。もういいや、逃してやろう。

そこらのクズ紙をふたにして、グラスを持ち上げる。蜘蛛が不安そうにはねる。そのままベランダにそっと移動して、ふたにしていた紙を外し、グラスを床に置く。

新しい空気を感じたのか、蜘蛛はふちの近くまではねて、なんだかまだ信じられないかのようにそろそろとコップの外に出た。

自分の掌から出てしまったおぞましさが急に醜く不快に感じられて、耐えられず私はグラスをベランダに置いたまま部屋に戻った。


そしてふと思う。

理由は自分にも知れないが、

あの蜘蛛は彼かもしれないと。

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刺繍、読む瞑想Ⅰ 高熊桜子 @CherryBlossoms

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