第6話「断ち切れない未練」

川のせせらぎと共に、鈴虫の声が鳴り響いている。

夕暮れの風が涼しく感じて、もう秋になるのだと実感させられた。


つい先日、この河川敷で人形流しが行われていた。

船山町が誇る伝統行事で、町中の人がここに集まってくる。

死者の弔いが主な目的だが、屋台や花火が打ち上げられる様は夏祭りと形容すべきだろうか。この街では死者の魂が人形に宿ると言われている。故に、通夜のような静粛な雰囲気ではなく、夏の終わりを死者と共に過ごしていこうというのが、この人形流しの習わしのようだ。


そんな催しが行われた河川敷だが、今は僕以外の姿が見当たらなかった。

死者の魂は祭壇の人形へと戻り、皆、それぞれの家で死者と共に時間を過ごしている。


だが、僕は違う。

僕の魂は巡り巡って、どういう訳か稲沢誠也の身体へとたどり着いた。

羽島真琴は事故の被害者で、

稲沢誠也は事故の加害者。

そんな複雑な関係が、輪廻した僕を苦しめている。


『あの子は相当なショックを受けている。全員が全員、私みたいな態度だとは思わない方がいいかもしれないね』


結局、麗美学園には行かなかった。

美咲の抱える現状を知る僕は、楓さんの言葉を理解できてしまった。

そして、美咲からのメールも。あの言葉が何を意味しているのか、僕は知っている。


美咲が生きているということが分かっただけ、安心したことは確かだ。

あれから連絡が取れないと楓さんは言っていたけど、少なくとも事故によって不幸が起きた訳ではない。僕は、美咲の命を救えたんだ。それだけは嬉しかった。


ただ、美咲の命を救うと引き換えに、

十年間、彼女が封印してきた心の箱を開けてしまったという訳だ。


その箱には何重もの鎖が繋がっていて、美咲はそれを開いてしまった。

鎖に囚われた安城美咲は、きっと今、自分を酷く否定していることだろう。


ただひとつ言えることは、今の僕は美咲に会うべきじゃない。

こうして稲沢誠也になってしまった以上、僕が美咲と会えば彼女をより苦しめる結果になる。


それが理解できるから、どうすればいいのか分からなかった。

僕の身体と、美咲の安否。輪廻してからはそれだけを考えてきたけれど、どちらも一筋縄ではいかなそうだ。では、僕はどうすればいいのだろうか。


「飲む?」


ひとりぼっちの河川敷に、もうひとつの影が増える。

いつの間にか、瀬川遥が僕の隣で座っていた。

そうしてオレンジジュースの缶を、僕に手渡してくる。

同じ光景を昼間も見た気がした。


「ひとりになりたいと言ったはずだが」


だが、今度はジュースの受け取りを拒否する。

遥の優しさは有難いけれど、今はどうも素直な気持ちになれない。


「君をひとりにさせられる訳ないでしょう。あの後の君、なんか変だったし」


「そうかな」


「そうよ。今までずっと冷静だったのに、さっきは取り乱しているみたいだった」


とぼけたフリをしたけど、その通りだった。

メールの内容を聞いた瞬間から、あまりよく覚えていない。

気が付けば、ここで川の流れを見つめていたような気がする。


「君は、美咲ちゃんって子のことが大事だったんだね」


遥も僕と同じように、川の流れを見つめていた。

ぽつりと呟くその言葉は、問いかけではない、独り言のようだった。


「そうなのかな」


だから、僕も独り言をつぶやいた。

隣から声が聞こえてきたから、ただそれに反応しただけ。


「男の子って、そういうところ素直じゃないよね」


「そういう訳じゃないけど」


「じゃあ、大事じゃなかったの?」


「……そういう訳でもない」


「ほら、素直じゃないでしょう」


意地悪な独り言だ。

直接的な質問を避けて、人の感情を暴こうとは。


「美咲は、なんというか……幼馴染なんだよ。幼い頃からいつも傍にいるのが当たり前というか」


「へぇ」


「それだけに、想像できるんだ。今のあの子がどんな心境なのか。今の美咲にとって、きっと僕は『最悪の存在』なんだ」


それは恨みとか憎しみとか、そういった感情ではなく。

彼女が自分を責めることになる、最悪の要素として。


「聞いてもいいかな」


独り言のように呟いていたその言葉は、

今度は僕に向けられていた。

横に座る遥と目が合う。

今朝会った時と同じように、僕の目をじっと見つめていた。


「聞いてもいいかな。美咲ちゃんと、君のこと。私、誠也のことはよく知ってるけど、君の……羽島君のことは、何も知らないもの」


誰も頼ることの出来ないこの状況で、彼女だけは僕のことを見てくれていた。

孤独の殻に籠ろうとする僕を、遥がこじ開けてくる。

そうだな、今の僕は彼女しか頼れない。

この子にだけは、本心を打ち明けた方がいいのかもしれない。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「十年前の事件……か」


美咲の話をした。

彼女が十年前に囚われ続けているということ。

それを解決するため、僕らが奔走していたということ。

そして――


「結局、考えてばかりだったんだけどな」


僕が何もできなかったということ。

何かしてあげたいと考えているばかりで、僕は彼女の為に何もできなかった。


「……君は何も悪くないよ。君は君の出来ることをした。責任を感じる道理はないわ」


「そうかもしれない。でも、僕は最後の最後で保身に走ったんだ。美咲の事件に深く首を突っ込むのが怖くて、最後に自分を優先してしまった。そのことを後悔しているよ」


安城美咲を取り巻く一連の事件に解決の糸口は見えていない。

深く関われば、僕もその坩堝から抜け出せなくなるかもしれない。

それが怖くて、僕は「良い人」を演じる程度のことしかできなかった。


「でも、可能性は見えてきたわね」


「可能性?」


そんな僕の悩みを他所に、遥は訳の分からないことを言う。


「ええ。ずっと気になっていたのよ。なんで君が輪廻したのか。君のことを知らないから何も言えなかったけど、これで少しは見えてきたわね」


「なんでと言われても、こっちが知りたいくらいだよ」


「それが、意外とそうでもないのよ」


何を理解したというのだろうか。

遥は立ち上がって、話し始めた。


「この街には輪廻という不思議な現象がある。その輪廻を中心として、様々な言い伝えが残されているわ」


「人は二度死ぬ。一度目は魂が身体を失った時。二度目は人の記憶から忘れられた時」


「それなら、この話は聞いたことがある? 身体を失った魂が、人形に輪廻しようとする理由」


「理由?」


質問の意図が理解できない。


「死者の事を僕らが覚えている限り、その人は人の記憶の中で生き続ける。その間、死者の魂が彷徨い続けないように人形という身体を用意するんだろう?」


「そうよ。でも、それは生きてる側から見た理論よね」

「そうじゃないの。私が言いたいのは、今の君……つまり、死者の側から見た理論」


「……どういうことだ」


輪廻については親や先生から教えてもらったけど、死者の視点なんて考えたこともない。

でも、言われてみればそうだ。

今の僕は、輪廻した死者。生者の理論は通用しないのかもしれない。


「もちろん、私が聞いたのも諸説ある言い伝えのひとつだから信憑性はないけどね。ただ、私が聞いた話によれば――」

「輪廻が起こるのは、この世に未練があるからだと言われている」


「未練……」


そういえば、そんな話を聞いたことがあるような気がする。

琴姉は若くして亡くなった。だからきっと、まだやり残したことがあるんだと、親も散々言っていた。


「その言い伝えが本当だとしたら、君が輪廻を起こしたのもそういう理由になるんだよ。そしてきっと、その未練があるとすれば――」


「……美咲のことだろうな」


「そう。私はそこに、ひとつの可能性を見たわけ。いい? これからする話はあくまで想像でしかないんだけど――」

「未練を取り除けば、この輪廻が終わるんじゃないかしら」


輪廻が、終わる……。


「未練によって輪廻が起こるのなら、その逆があるかもしれないって思ったわけ。魂が人形に移るのなら、それは不可能でしょうね。でも、誠也の身体に輪廻した君なら、実現することが出来るんじゃない?」


「まさか」


そんなことがあるはずない。

遥の言ってることは、論理的のようで楽観的だ。

あくまで自分の理想論を、真実のように語っているだけ。


でも、その理想論を否定出来るだけの要素がないのも事実だった。

現に、僕が超常現象に巻き込まれている。

遥の語る理想論は、あながち夢物語じゃないのもしれない。


「現状を悲嘆するだけ損……か」


「君が絶望する気持ちはよく分かったわ。でも、嘆いた所でどうにでもならないでしょう。だったら、最後まで諦めない方がいい」


どうやら遥はそのことを言いたかったようだ。

「可能性はゼロじゃないからね」と言って、僕に笑みを見せる。


この人はどこまで親切で、

それでいてどこまで前向きなんだろうと思った。

僕を信じ、彼氏の帰りを待ち続けながら、

その中身である僕に全力で協力し続けてくれている。


今日これで何度目だ。

またしても、彼女に救われた気がした。


確かに僕は輪廻したことで、美咲にとっての「最悪の存在」になってしまったのかもしれない。


最悪の存在として生きる二度目の人生に、何の意味があるんだろうかと考え始めてしまっていた。


でも、それはあくまで立場的な問題だ。

美咲の抱える問題を解決するだけなら、今の身体でも出来るかもしれない。


僕が抱えている未練。

本当の意味で、安城美咲を救うことが出来なかったこと。

それを断ち切るだけなら、稲沢誠也としてやってしまえばいい。


僕が羽島真琴としてやりたかったことは沢山ある。

でも、羽島真琴としてやり残したことはそれくらいだ。


どうせ死んでしまう運命だったのならば、

最後の未練を果たして天命を全うすればいい。

それで、この輪廻が終わるのなら、それはそれで本望だ。


「ありがとう」


そう言って、僕もぎこちなく笑った。


「遥のおかげで少しは希望が見えてきたよ。置かれた立場は最悪だけど、この身体でも美咲を守ることは出来る」


「人間、思い込みだからね。見方を変えれば、なんだって希望に見えてくるんだよ」


遥と共に、僕は再び立ち上がる。

悩んでばかりいたら、結局何も変わらない。


「決めたよ」


改めて、覚悟を決める。

僕に残された道は、もうそれしかない。


「僕は、稲沢誠也として生きていく。もう無理に、自分を主張しようとしたりなんかしない。たとえどんな姿だろうと、美咲を救えるなら、それでいい」


「ようやくらしい顔付きになった」


遥が笑い、再びジュースを渡してくる。

それを受け取り飲み干すと、ほんのりと甘酸っぱい味がした。僕は苦味のある珈琲の方が好きだ。でも、こっちの味も悪くない。


今日だけで何本奢られるつもりだ。

ヒモ男にはなりたくないから、この恩はきっちりと返そう。


二度目の人生を生きるチャンスが与えられたのだから。


夢でもいい。

幻でもいい。

他人の心の中に羽島真琴がいなくてもいい。


でも、たとえ僕が一度死んでいるのだとしたら――


この命、最後まで捧げてやろうじゃないか。




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