第3話「変わらない事実」

遥さんに促されるまま、近くの喫茶店に入った。


「先輩に教えてもらった穴場のお店でねー。

この時間なら人も少ないし、ゆっくり話も出来るかと思って」


そう言いながら、彼女はちゃっかり二人分の珈琲とサンドイッチを注文した。

大人びた容姿に堂々とした佇まいは「お姉さん」な印象を受けるけど、

この子もさっきの女の子と同じ、三枝の制服を身に纏っている。


「すみません、今お金持っていなくて」


悪びれたように言うと、遥さんは苦笑いを返した。


「あんたがお金持ってないのは今に始まった話じゃないでしょ。

というか、また敬語。ちょっと距離感あるみたいだからやめてよね」


「……分かった」


距離感も何も、初対面だろうに。

そう言いたい気持ちをぐっとこらえ、運ばれてきた珈琲に手を付けることにした。

朝からお腹が空いている。優雅な朝食を目の前にしてスルーできるほど、今の僕に精神的な余裕はなかった。


「いただきます」


「うわっ、誠也が礼儀正しい……すっごい違和感」


「いや、だから……違うんだ」


「何が違うのよ?」


珈琲に砂糖をかき混ぜながら、彼女は訝しげに目を細めてくる。

どうやらまだ、僕と彼女に認識のズレがあるようだ。

……というか、僕も何が正しいのかは分かっていないのだけれど。

とりあえず、この子には事情を一から説明してみることにした。

信じてもらえるかどうかは分からないけど。


「僕は、君が名前を呼ぶような稲沢誠也という人物じゃない」


「やっぱり、それは変わらないのね。

その顔で真剣に言われると笑えない冗談にしか聞こえないんだけど」


「冗談じゃなくて本当だ。嘘は言っていない」


「うーん、事故のショックで馬鹿になったか……。

いや、元々馬鹿だったからあんま変わらないのかな……」


「信じて欲しい。全部本当の話なんだ」


「んー、なるほど……これはかなりの重症みたいね」


「……信じてくれないか?」


「いや、まったく意味が分からない」


彼女は呆れた様子でかぶりを振った。

まぁ、当然の反応だろう。

この姿が『稲沢誠也』なのだとしたら、おかしいのは僕の方だ。


「でも、話を聞くって約束したものね。

 ここでおちょくるのはお門違いかも」

「聞かせてよ、"君"の話。そういう類の話、私嫌いじゃないから」


どうやら彼女は僕の話を、本気の話だとは思っていないようだった。

まあ、冗談半分でも聞いてくれるだけマシだ。

僕は出来るだけ鮮明に、冷静に、昨日からのことを思い出してみた。


「昨日の夜、僕の元に一通のメールが届いたんだ。友達を殺す……といった内容の脅迫メールだった。写真付きで、そこには僕の幼馴染……安城美咲の姿が映されていた」


前兆はあった。

幼馴染である安城美咲は、前々からストーカーの被害に遭っていた。

メールを受け取って、僕はすぐさまその差出人がストーカーだろうと勘付いた。


「僕は怖くなって、美咲を助けようとしたんだ。写真に映っていた場所まで走って、美咲を必死に探した。だけど、見つからなかった」


「……それで?」


「それからしばらくして……そうだ、近くの家で火事が起きたんだ。その火事現場で、美咲を見つけた」

「……けど、美咲は脚が竦んで、その場から動けなかったんだ。だから僕は彼女を背負って、その場から逃げ出そうとした……はずだった」


「……………」


「そうだ、そこだ。そこで美咲の手を引こうとして……僕はバイクに跳ねられたんだ。そこから先はよく覚えていないけど……意識が遠のく中で、美咲の声が聞こえたのだけは覚えている」

「そして―」

「今朝、目が覚めたら、見知らぬ部屋にいた。

そして、鏡に映っていたのは、僕の身体じゃなくて……この身体だった」


この身体、と言って自分を指す。

彼女は、僕の話を真剣に聞いてくれているようだった。


「とんでもな事件と事故ね。火事現場とか美咲ちゃんとか……夢にしては妙にリアルだわ」

「要するに、君が言いたいのは。

事故に遭って、目が覚めたら別人の身体になっていた……ってことね?」


「そうだ。僕からすれば、こっちの方が夢なんじゃないかって思ってる」


「なるほど」


遥さんはそう言うと、しばらく考えるような素振りをした。

話を整理してくれているのだろうか。


「でも、残念だけど、私は夢の中の人間じゃない。

ここまで生きてきた私の十七年間は、夢じゃなくて現実だよ」


十七年間。

今気にすることじゃないかもしれないけど、この子は僕と同い年らしい。


「信じてくれませんか?」


「うーん……」


聞くと、彼女は怪訝そうな表情を浮かべた。


「私、冗談も好きなタイプだけど、これが冗談ならシャレにならないんだよね。

仮にこの話が本当だとすると、色々な論理が破綻することになる。

こんな話、信じろって言われて信じる方がおかしいよ」


「それは……僕もそう思うけど」


「じゃあ、質問」

「それなら、私が今会話している君は一体誰なの?」


「僕は……」


一度、ゆっくり息を吸った。

ここは、しっかりと主張しなければならない所だ。


「僕は、羽島真琴。麗美学園に通う、二年生」


彼女の目を見て、はっきりと言った。


誰だ――と言われるかと思ったけど、

返ってきたのは、意外な反応だった。


「麗美学園の羽島……どこかで聞いたことある名前ね」


適当なことを言っているようには見えなかった。

僕のことを知っている……?

僕は、話を続けた。


「一応、麗美の生徒会長をやっていたから顔は広い方だと思う」

「あと、町の防犯ポスターの標語を考えたのも僕だ。名前くらいは見たことがあるかもしれない」


「生徒会……?」


そう呟くと、彼女は顎に手を当てて何かを考え始めた。

そして――


「ああ、知ってる知ってる!

評議会でマジメに発言していた生徒会長だ!」


バン、とひとつ手を叩いて、言った。


「知ってるのか!?」


「私だってあの場にいたもの。

私、こう見えて三枝の生徒会長なのよ」


「三枝の会長……」


定例で行われる評議会では、街中の生徒会長が集まって情報交換をする。

数が多かったから覚えていないけど、この子があの中にいたなんて。

なんという偶然だ。僕を知ってるなら、話が早い。


「麗美の生徒会長はあまりにもマジメだったからね。

あんな大勢の場でハキハキ喋ってるんだもの。そりゃ印象に残ってるわよ」


「あくまで私見を述べただけだよ」


「それをするのがマジメなんでしょう」

「そっかぁ……君が羽島真琴君ねぇ……」


見定めるように、彼女は僕の容姿を見つめていた。


「これで分かっただろう。僕は稲沢誠也なんかじゃない。

羽島真琴じゃなければ、こんな話は出来ないはずだ」


「……………」


「信じて欲しい。僕は最初から冗談なんか言ってない」


「もう二つ質問をさせて」


僕の話をさえぎって、彼女は言った。


「確かに今の話は、羽島真琴君の知ってることだわ。

本物の誠也が生徒会のことなんか知ってる訳ないし、評議会のことを覚えてる訳がないもんね」

「でもね、そんな話を聞かされても、私は簡単に信じられないのよ。

どこからどう見ても、あなたは稲沢誠也なんだから」

「だから……質問をさせて。

君の話を整理すると、色々と気になることがあるのよ」


そう言われてしまったら、首を縦に振るしかない。

少しでも、信じてもらえるなら。

何を聞かれても正直に答えよう。


「どうぞ」


「じゃあ、ひとつ目。ロックバンドに関する質問」


ロックバンド……?

そういえば、あの部屋にもバンドのポスターが貼ってあった。

稲沢誠也が好きだったのだろうか。


「ギター、ベース、ドラム、ボーカル。一般的にこれだけあれば、十分なバンド活動が出来るって言われているよね」

「そして、各楽器を演奏する人には、それぞれに合った性格があると言われている。前に誠也は自分をギタリスト向きだって言っていたけど、それについてはどう思ってる?」


「どうと聞かれても、そう言った記憶が僕にはない」


「想像でいいよ。深く考えないで。もしあなたがギタリスト向きの性格なら、それはなぜ?」


……意図が分からない。

心理テストか何かだろうか。

僕の答えに稲沢誠也としての潜在意識があるのかどうか、この子は試しているのかもしれない。


「ちょっとだけ考えさせてくれ」


「持ち時間は1分ね」


ギタリスト。

一般的によく言われるのは、俺様主義のエゴイストって性格だ。

だけど、もし僕がギタリストだったとすれば……。


「……自分の実力を知っているから」


「実力?」


「そう。ギターはバンドのメイン楽器と言ってもいいポジション。自分の実力に自信がなければ、バンドでギターなんか弾くことはできない」

「僕は、自分の実力を客観的に見られる方だと思う。自分に何が出来て、何が出来ないのか。それを判断できるから、出来ることに自信を持てる」

「目立つギタリストには、そういう性格が向いているんだろう。最も、僕はギターなんて弾いたことはないけど」


「へぇ……ありがとう」


「これで何が分かったんだ?」


「なんだろうね。少なくとも私の中じゃ、モヤが半分くらいは晴れたよ」


遥さんはそう言うが、僕にはさっぱりだった。


「じゃあ、二つ目」

「君の話によると、君は昨日、バイクに跳ねられたって言ってたじゃない。でも、私の聞いた誠也の事故の話だと、稲沢誠也はトラックとぶつかったって聞いたの」


「……稲沢誠也も、事故に遭ったのか?」


「私の聞いた話だとね」


「…………」


……そういうことだったのか。

さっきから遥さんが事故の話をしていたのは、稲沢誠也も事故に遭ったからだ。

それで、稲沢誠也を心配してここに来た……と。


「君の覚えている範囲でいいわ。その事故と事故現場について、もう少し詳しく教えてくれない?」


……まさか。


そんなことはないと思いつつも、僕の中にひとつの答えが思い浮かんだ。

……でも、信じたくない。

自分の想像を振り切るように、僕はその質問に答えた。


「……さっきも言ったけど、事故が起きたのは、昨日この町で起きた火事現場の近くだ。かなり派手な火事だったと思う。少し調べれば、場所は分かるはず」


「分かるわ。ニュースになっていたもの」


「……そうか」


事故現場を知っている。

やはり、そうなのだろうか。


「バイクの種類は覚えてる?色でも形でも、何でもいいわ」


「バイクの種類……」


目を瞑って、事故の瞬間を思い返してみる。

辺りは暗くて、バイクはよく見えなかった。

でも……。


「……大きくなかった」


「……………」


「スピードは出ていたけど、大型のバイクではなかった気がする」


「……そう」


遥さんは小さく呟くと、ひとつ深呼吸をした。


「……何か分かったかな」


「ある程度はね。もしかしたら、君も薄々勘付いてるかもしれないけれど」


「…………」


どうやら遥さんも、僕と同じ答えを導き出しているようだった。

そして、きっと彼女も同じ気持ちだ。

その答えを、信じたくはないはず。


「……あのさ」


しかし、彼女は神妙な面持ちで、続けた。


「もうひとつだけ、質問してもいいかな」


「……いいよ」


僕が答えると、遥さんは目を瞑って何度かうなづいた。

それはどこか、自分の中で覚悟を決めているようにも見えた。


僕も覚悟を決めた。

きっと、次に飛んでくる質問は、この事態の核心に迫る質問だろう。

これを答えれば、僕らはこの事実を認めざるを得なくなる。


「誠也、あんたはさ……」


「私の言った告白の言葉も、覚えてない?」


震えるような声で言われたその言葉に、

僕は唇を噛みしめることしかできなかった。


……そうか。

この子は、稲沢誠也のことが好きだったのか。

だからこうして……親身になって聞いてくれたんだ。


「……したでしょ。もう結構前の話になるけど」


遥さんの目にはうっすらと、涙が浮かんでいるようにも見えた。

……もうお互い、大体何が起きているのかは分かっている。

きっと遥さんは分かっていながら、この質問をしたんだろう。

「覚えている」と答えてくれる、僅かな可能性に賭けて。


だけど、僕に与えられた選択肢は、

その可能性を0に否定することくらいだった。

それは同時に、僕もこの事実を認めるということになる。


「……ごめん」


振り絞るように、言った。

自分の声が掠れていて、思ったような声を出せなかった。

だから、もう一度、今度は大きく息を吸ってから、言った。


「何も覚えていない」


「……そっか」


僕の答えを聞いて、遥さんは静かに頷いた。

そして、互いが口に出さなかったその事実を、ゆっくりと、告げた。


「……あなた、死んだのよ」


目を閉じて、僕はその言葉を聞き入れるしかなかった。


「羽島真琴と稲沢誠也……2人が事故で衝突して、この世界から亡くなったのよ」

「それで――」

「輪廻したのね、君が。稲沢誠也の身体の中に」


「…………」


納得する。

納得できてしまう。

それは、この街で生きてきたから信じられること。

人は二度死ぬ。

死んだ人間の魂が、別の身体に宿ることを――

この街の人々は、輪廻と呼ぶ。


「……死んだ魂は、人形に宿るんじゃなかったのか」


「言い伝えでは、そうね。でも……そうとしか考えられない。

あなたの中身が、羽島真琴君である以上はね」


……信じたくはない。

そんなこと、信じられるはずがなかった。


だが、この変わらない事実だけは、

どうあがいても信じるしかないようだった。

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